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02

 縁に衣装棚を覗かれ下着取られそうになったり、荷物を入れるよりもその荷物を置くための阿佐美の部屋の片付けに時間かかったりとまあ色々あったが、阿賀松たちが手伝ってくれたお陰でなんとか今日中に引っ越しを済ますことが出来た。  ……阿賀松たち、というか主に働いていたのは仁科と縁だが。 「いやー終わった終わった! 齋籐君の荷物運ぶより阿佐美の部屋片付ける方が時間かかったんじゃないの?」 「あんたなにもしてないじゃん」 「いや俺応援頑張ったし。ね、奎吾」 「えっ? 俺に聞くんすか? ……まあ、そうっすね」 「いちいちこいつの馬鹿真に受けんな、仁科」 「す、すみません」  なんてやり取りを交わしつつ、部屋の中央に置かれた大人数分のソファーに向かい合うようにして腰をかける俺たち。  今回は俺の部屋にあったソファーを持ってきたお陰で部屋の持ち主である阿佐美が床に座るハメにならずに済んだ。 「まあ一段落ってことだし、ほらほら俺から齋籐君に引っ越し祝いってことで!」  そう言うなり縁はソファーの背凭れからガサガサとなにかを取り出す。  現れた買い物袋の中から出てきたのは『初心者向けお買い得パック~わかりやすいセックスマニュアル付き~』と書かれたなんとも胡散臭い大きめの箱だった。  背凭れに沈み、丁度一息ついていた阿佐美は目の前にごろっと置かれたそれを見て噎せ返る。 「なっ、ちょ、なに、方人さんっ! 人の部屋に変なもの持ち込まないでよ……っ!」 「変なものって失礼だなぁ、俺のせっかくの好意を無碍にするなんて阿佐美はいつからそんな子になったの? ってことで、はい齋籐君」 「え……」  なにやらごちゃごちゃ入っているそれを手渡され、狼狽える。反射で受け取ってしまったがどうすればいいのかわからず、「あの、これ」と狼狽えてると、縁はにっこりと嫌な笑顔を浮かれるのだ。 「え? なに? 使い方が分からないから実技で教えて欲しいって? 全くもう、仕方ないなあ。齋籐君ってばえっちなんだから!」 「それあんたがただヤりたいだけじゃん本当気持ち悪い……っ、所構わず盛んないでよ!」 「おー、もっと言ってやれ安久ちゃん」 「伊織までそんなこと言うの? 二対一は卑怯じゃない?」  なんて反論する縁と安久でわちゃわちゃしているその横で、俺の手からそのお買い得パックを手にした阿賀松は「それに」と視線を落とした。 「ユウキ君は初心者じゃねえだろ」  そこじゃないだろ。  阿佐美と仁科が絶句しているのを見て、なんだか俺は無性に消えたくなった。  それから休憩という名のだらだらとした時間が過ぎ、細かい微調整や後片付けをし、それも終わったあと。  休憩という名目でソファーに座り寛ぎいつまで経っても帰ろうとしない面々に痺れを切らした阿佐美は「ねえ、あっちゃん」と阿賀松に問い掛ける。 「あぁ? んだよ」 「まだいるの……?」 「なんだ、お前早くユウキ君と二人きりになりたいのか?」 「いや、ち、違うけど……」  にやにやと笑いながらからかう阿賀松にギクリと緊張した阿佐美は慌てて否定する。  そこまできっぱり否定しなくてもいいのではないのか、とひっそりと傷つく俺を他所に「いいだろ、じゃあ」と阿賀松はふん反り返る。 「ま、なんか用あるんなら出ていっていいんだぞ? その間は俺が留守番しといてやるよ」 「伊織さんの留守番なんてレアなんだからな! ありがたく思えよ!」 「……やっぱいいや」  阿佐美はこいつらに部屋を受け渡したらろくなことにならないと察したようだ。正しい判断だ。  結局まだ帰る気がないらしい阿賀松は深く背凭れにもたれ掛かり、「そういやユウキ君」とこちらをみる。……嫌な予感。 「お前、昨日生徒会の打ち上げ行ったんだってな。楽しかったか?」  まさかこのタイミング、この和気藹々とした空気の中そんな爆弾を持ち込まれるとは思ってもいなかった。  阿賀松の言葉に、室温が数度確かに下がったのが分かる。先程まで朗らかに談笑していた面々の視線が俺の方を向いた。 「……っ、あの……なんで」 「あんなに堂々と役員と買い出し回ってたら誰だってわかるだろ」  五味たちと合流したあと、五味たちや会長と買い出しに出たときのことを思い出す。そこを見られていたのかもしれない。  絶対にバレないだろうとは思ってなかったが、辺りには阿賀松側の人間らしき生徒がいなかったから安心していた。 「で、楽しかったか?」  再度尋ねられ、俺は俯いた。 「……その、楽しいとかそういう感じじゃなかったというか……」  嘘ではない。楽しかったが、所詮俺は部外者であったのは間違いない。前半に至っては打ち上げというよりも生徒会会議に近いものだったし。  それに、とあの場の空気を思い出す。  ――あれから五味と栫井は大丈夫だったのだろうか。  歯切れの悪い俺からなにか察したようだ。阿賀松は笑う。 「なんだ、あいつらまだ揉めてんのかよ。ガキの喧嘩じゃあるまいし、いつまで臍曲げてんだか」 「伊織が副会長にちょっかい掛けるからでしょ、副会長君たちが目つけられてんの。あーあ、可哀想に」 「知るか。勝手にあいつらが揉めてんだろ」 「でもまあ、ボロが出てきたことには変わりねえ。あとちょっと衝撃与えることが出来れば勝手に自滅してくれんだろ」その言葉に息苦しくなる。  別に会長たちは嫌いじゃないし、生徒会役員も悪い人たちばかりではない。  それを知っている俺からしてみれば阿賀松の言葉は酷く冷たくて、悪意に満ちていて、それと同時になぜ自分がこんなところにいるのか不思議になってくるのだ。 「また栫井平佑を使うんですか? 僕は反対です。あいつ、伊織さんへの口の聞き方も礼節も弁えられてませんし」 「ああ、そうだな。平佑はもう無理だろ。あの失態じゃすぐに芳川に切られる」  面白くなさそうに唇を尖らせる安久に対し、阿賀松は笑いながら足を組み直す。その顔には楽しげな笑みが浮かんでいた。 「どうせ崩すなら、あいつが信頼しているやつがいい。それに、信用していた相手に裏切られたときのあいつを想像してみろ……堪んねえだろ」  ピアスの重さでだらしなく緩んだ薄い唇はさらに歪に歪んだ。笑いながら語る阿賀松の目にはなにが映っているのだろうか、あまりにも楽しげな男に俺は何も言えなかった。  そんな阿賀松に、「信頼ねえ」とグラスに残った水を口にする縁。その表情はどことなく阿賀松に引いてるようにも見える。 「あの会長さんが信頼してるやつなんている? 俺的に友達いなさそうなんだけど」 「友達はいないだろうな、あの性格じゃあ」 「即答かよ、可哀想だろ」 「でも、それ以外ならいる。例えば、そうだな、後輩とかどうだ?」  続ける阿賀松はなにを企んでいるのか、小さく微笑み目を細める。  勿体振るようなその口振りからして既にターゲットを決めているのだろう。  そして、阿賀松はその名前を口にした。 「灘和真」 「あいつなら潰し甲斐がありそうだろ?」そう軽薄に続ける阿賀松は獲物を見付けた獣のように、玩具を買い与えられた子供のように、楽しそうに笑ったのだ。  ――灘和真。  そう、阿賀松の口から出た名前に反応したのは意外なことに安久だった。 「灘和真って……」  猫のように目を丸くした安久。  いつも阿賀松の言葉は即座に全肯定する安久だっただけに、狼狽えるようなそのリアクションは意外だった。  そしてそんな安久同様、縁もどこか納得いってなさそうな反応を示す。 「確かにそうなったら楽しそうだけどさ、あの堅物な会計君が芳川君のことを裏切るように見えないんだけど?」 「だからだろ、面白いじゃねえか」 「まあ、確かに」 「なんだよ方人、お前が乗り気じゃねえって珍しいな。ビビってんのか?」 「ビビってなんかねーよ、けど算段はあるのかよって話」 「当たり前だろ」 「俺が口だけの男だと思ってんのか?」毅然とした阿賀松の態度に、縁の口元に笑みが浮かぶ。 「へえ、どんな?」 「芳川を裏切りそうにねえやつならそれを逆手に取ればいいだけだ。方法なら、いくらでもある」  いいながら阿賀松はこちらに目を向ける。そして、にやりと嫌な笑みを浮かべた。  縁も阿賀松の視線に気付いたようだ、「なるほどね」と肩を竦めて笑った。  俺はただ蛇に睨まれた蛙の如くソファーの隅で縮こまるのが精一杯だった。  そして暫くアンチたちは話し込み、阿賀松たちは部屋を出ていった。  ――灘和真をターゲットにする。  その阿賀松の言葉がずっと俺の頭の中でぐるぐると回っていた。  とんでもないことを聞いてしまった。しかも結局その詳細は分からず仕舞いなだけに余計、腹の中では不安が燻り続けて嫌な感覚だけが残っていたのだ。  皆が部屋を出ていって、残ったのは俺と阿佐美の二人だけだ。  阿賀松たちを見送り終わり、部屋へと戻ってきた阿佐美はそのまま俺の隣にやや間を開けて腰を掛ける。  先程まですし詰めになっていただけに余計、部屋が広く感じる。 「ごめんね、なんだかバタバタしちゃって……」 「いや、……俺の方こそごめん。いきなりこんなことになってしまって」  本当に、なんでこんなことになってしまったんだろうか。  一先ず壱畝から逃れられたが、とんでもないことを聞かされたお陰で気が休まった気がしない。  そんな俺に、「ゆうき君……」と阿佐美は心配そうな顔をするのだ。  そして、空気を変えるように小さく咳払いをした。 「ゆうき君」  もう一度名前を呼ばれ、つられて顔を上げる。  そして、阿佐美はこちらを真っ直ぐに見るのだ。 「……あの、遅くなっちゃったけど、またよろしくね」  おずおずと差し出される大きな掌。確かに、高い身長といい体格といい、髪型を阿賀松にしたら身体的な共通点はいくつもある。  ……それだとしても、阿佐美は阿佐美だ。今改めてそれを知らしめられたようだった。  まだ気まずいこともあるし、全てが全て片付いたわけでもない。  それに、誰にでも知られたくないことや後ろめたいことはある。俺自身そうだ。  ――だったら今は、少しでも阿佐美のことを信じたかった。 「うん、よろしくね」  俺は阿佐美の手を取り、小さく笑い返した。  上手く笑えた自信はなかったが、それでも阿佐美の緊張がいくらか解けたのを触れた指伝えに感じることができた。  それから、まだ白々しさは残るものの気を取り直した俺たちは阿賀松たちが食い散らかし飲み散らかしたものを片付けることにする。 「せっかく掃除したばっかなのに、なんか汚れてる……」 「ま……まあ、仕方ないよ」  テーブルの上のグラスを片付けながら呆れたように呟く阿佐美に思わず苦笑する。  そして、床に散乱したゴミを拾おうとしゃがみ込んだときだった。  テーブルの下、そこにあったものを見つけた瞬間思わず「ひっ」と声が漏れた。  そこには見覚えのあるやけに大きな袋が隠すように置かれていた。……縁が用意したあのセクハラプレゼントだ。 「ゆうき君どうし……って、なんでこれ、ここに……!」  俺の悲鳴を聞きつけ、後ろから覗き込んできた阿佐美も“それ”に気付いたようだ。髪の下、覗く耳まで真っ赤になっている。 「し、詩織……どうしよう、これ」 「ど、ど、どうしようって、ゆうき君なに言って」 「え? あ……っ、ちが、変な意味じゃないよ……っ!」  そして縁のプレゼントを押し付け合い、わーわーと騒ぐこと数十分。 「…………」 「…………」 「……先輩に返そう」 「……うん」  ということで渋々それを手に取った阿佐美が縁へと持っていくことになった。  ……。  …………。  ………………。 『ゆうき君、駄目だよ。あっちゃんの言うことはちゃんと聞かないと』  こちらを見下ろして、阿佐美が笑う。  普段隠れていた前髪の下、鋭く、冷たい双眸がこちらを向いているのを見て動けなくなる。 『あっちゃんを困らせたら駄目だよ。……ゆうき君、俺のこと信じてくれるって言ったもんね』  詩織、と声をあげようとしても届かない。  阿佐美はただこちらを見ていた。いつものような優しい目ではない、何も感じさせない目だ。 『俺のことを受け入れてくれるって、信じるって言ったの嘘だったの……?』  違う。嘘じゃない。  そう声をあげようとする度に喉はどんどんと締め付けられ、息苦しさに藻掻く。  そして、そこで俺の意識は覚醒した。 「……っ!」  まず瞼を持ち上げ、視界いっぱいに広がったのは見慣れない天井だった。  それから窓。カーテンの隙間から差し込む光の眩しさに思わず顔をしかめる。  ここは……どこだ。  まだ寝ぼけた頭の中、と、きょろきょろと辺りを見回せばふと隣に見慣れた背中が目についた。  PCデスクに腰を掛けたままなにやら作業をしている阿佐美はまだこちらには気づいていないようだ。カタカタと打鍵音が聞こえてくる。  そうだ。俺、また阿佐美と同室になれたのだった。  そこまで考え、先程まで見ていた生々しい夢のことを思い出して気分が悪くなった。  ――阿佐美のことを信じると決めた傍から阿佐美に裏切られる夢を見るなんて。  どんな顔をして本人と向き合えばいいのかわからず、ただ具合が悪くなっていく。  考えるのはやめよう。そう自分に言い聞かせ、気付け代わりに水でも飲もうかとベッドを降りようとしたときだった。 「ゆうき君……?」 「おはよう、詩織。……早いね」 「……うん」  こちらに気付いたようだ、手元のノートパソコンを閉じ、阿佐美はこちらを振り返るのだ。  それにしても阿佐美のやつ、今日はやけに起きるの早いな。いつもなら俺が起こすまで爆睡していたのに。  ……もしかして一人部屋になったときに昼夜逆転直ったのだろうか。  そんなことを思いながら何気無く壁にかかった時計に目を向けたとき。俺は盤面の現在時刻を見て凍り付いた。  長い針の先には『2』の文字。 「え、二時ってまさか……」 「え? お昼の十四時だよ?」 「な……」 「ゆうき君ぐっすり寝てたから起こさない方がいいかなって思って……ゆうき君?」  血の気が引いていく。  寝過ごした、なんてレベルではない。昼休みも終わって、午後の授業にとっくに入ってる時間帯だ。 「どっ、どうしよう……遅刻だ……」 「一日くらい大丈夫だよ、昨日荷物運んで疲れたんだから仕方ないって」 「で、でも……」 「一応、先生の方には俺から風邪気味って伝えておいたから学校の方のことは気にしなくていいよ」  そして、「だから今日はゆっくり休んでね」と阿佐美は控えめに微笑んだ。  その言葉を聞いて、まず無断欠席になっていないことに安堵する。そして、阿佐美の気遣いにただ震えた。 「ありがとう、詩織……っ!」 「いいよ、これくらい」  何度このやり取りを交わしただろうか。それでも、やはり阿佐美には頭を下げても感謝しきれなかった。 「それより、こんなにたくさん寝てたんだからお腹減ったんじゃないの?」 「……あ、どうだろう」  言われてみれば昨夜もちゃんと食事を取った記憶がない。  昨日まではとにかくいっぱいいっぱいで、ようやく壱畝から離れられた安心感のあまり今まで積もり積もった疲労がどっときたのだろう。空腹を感じる余裕もなかった。  そして今も、あまり空腹はない。 「あまりお腹減ってないかもしれない……」 「具合良くないの?」 「どうだろう……なんか、胸いっぱいというか……」 「胸いっぱい……?」 「えと、詩織はお腹減ったの?」  上手く説明できず、諦めた俺は強引に話題を変えた。 「う……そ、それもあるけど、ゆうき君お腹減ってるんじゃないかなって思って……」 「うん、ありがとう。……そうだね、下にいってみようか」  実際、料理を前にすれば食欲が湧いてくるかもしれないし。  なんて思いながら答えれば、阿佐美は「うん」と安堵したように頷いた。  ――心配事はいくつかあった。  学生寮内をうろつくことで壱畝遥香と遭遇しないか。  志摩のことも気になっていたが、今現在俺にとっては一番そこが重要だった。  壱畝遥香からしてみれば授業が終わって部屋を見れば俺が荷物もろとも消えているわけだ。嫌でも気付くだろう、俺が逃げ出したことに。  それによって壱畝がどのようなリアクションをするかわからなかったが今はただ壱畝に会いたくなかった。いや、できることならこれからもずっと。  現在の時刻からして壱畝は教室で授業を受けているはずだ。まず遭遇する可能性は低い。  そう判断した俺は授業が終わるより先に阿佐美と食事を済ませることにした。  壱畝が授業中である可能性が大きくても万が一のことがある。  俺は阿佐美にお願いし、食堂で樂んだ料理をテイクアウトをして自室へと帰ってきた。 「それにしても、たくさん頼んだね」 「ゆうき君が入らなかったら俺が貰うよ」 「うん、そのときはお願いしようかな」  なんて会話を交えつつ、比較的平穏な昼食を取ることはできた。  けれど、やはりまだ味付けの濃いものだったり、固形物をがっつり食べることはできなかった。胃に物が溜まる感覚が気持ち悪くて、俺は野菜ジュースを昼食代わりにすることにした。 「食欲もあまりないみたいだし、本当に体調は大丈夫なの? 保健室で先生に診てもらった方が……」 「大丈夫だよ。……多分、落ち着いたら治ると思うから」  壱畝と一緒にいたストレスのせいだと自分でも原因は分かっていた。  だから、阿佐美とこうして過ごしているときっと回復するはずだ。そう言えば、阿佐美は何か言いたそうにしながらも「ゆうき君がそういうなら」と渋々という形で納得してくれた。 「けど、今日はゆっくり休んでね。本当に……」 「うん、そうするよ」  そんなときだった。スウエットから携帯端末を取り出した阿佐美は口元をきゅっと引き締める。 「詩織……? どうしたの?」 「あ……いや、ちょっと……」 「出掛けるの?」  言いながら、立ち上がる阿佐美は上着だけ着替えながら「うん」と応えた。 「……すぐ戻ってくるよ。なにかあったらすぐに誰か呼んでね」 「うん、わかった」 「……ごめんね、こんなときに一緒にいれなくて」 「そんなに気にしなくても大丈夫だよ。……俺も、のんびり休んでようかな」  そう答えれば、阿佐美は安心したように小さく笑った。  それからバタバタと身支度をし、阿佐美は部屋を出ていった。  一人ぽつんと残された俺は、阿佐美に言われたとおりに鍵周りの確認をしてそのままソファーに腰を下ろした。  阿佐美がいなくなった部屋の中、そこで俺はテーブルの上に残された部屋の鍵に気付いた。  これは間違いなく阿佐美の鍵だ。  ちゃんと持ち歩くように気を付けろと言ったのにまた忘れているようだ。それとも、そんなに急ぎの用事が入ったのだろうか。  このまま寝てしまうつもりだったが、ここに鍵がある以上オートロックがかかった扉では阿佐美が帰ってくることはできない。  ……それまで、起きておくか。  そんなことを考えながら、俺はテレビをつけた。  ……やはり、阿佐美と阿賀松が血の繋がっているようには思えない。  いくら容姿が似てようが、中身は全く真逆だ。……例えば、おっちょこちょいでどこか抜けているところとか。  けれど、たまに鋭いところは確かに阿賀松と似ているとも思えた。  それから暫く時間が経った。  阿佐美はすぐに戻ってくると言っていたが、そろそろだろうか。  まだかな、と時計の針を確認する。そろそろ授業も終わり、放課後だ。  先程のテイクアウトで残っていたサラダバーをぽりぽりと食べながら、俺はテレビを眺めていた。  そして何度も時計とテレビ、それから玄関の方へと意識を向けること数分。  がチャリ、と玄関口の方で物音が聞こえた。それは間違いなくドアノブを撚る音だった。  もしかしたら阿佐美が帰ってきたのかもしれない。そう思い、慌ててソファーから立ち上がった俺はそのまま玄関口へと小走りで向かう。  ガチャガチャと何度も確かめるように捻られるドアノブ。早く開けてやろうと内側の鍵を外し、そのまま扉を開いた。 「詩織、おかえ……」  り。  そう言いかけた瞬間だった。扉の隙間から伸びてきた手に手首を掴まれる。  あまりにも突然の出来事で、反応するのに遅れてしまった。  そして、 「……ただいま、ゆう君」  頭上から落ちてくるその声は、帰りを待っていた人間のものではなく、最も聞きたくもない声だった。  ――壱畝遥香は、開いた扉の隙間からこちらを見て笑っていた。

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