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02

 言いたいことだけ一方的に言い残し、阿賀松からの通話は切れた。  念のため、履歴に残った阿佐美の携帯であろう番号を登録する。  全身の力が抜け落ちるようだった。そのままずるりとその場に座り込む、そこで今まで自分が思ったよりも緊張していたということに気付いた。  結局、阿賀松たちがどこにいるのかわからなかった。  阿佐美も一緒にいるのなら大事にならないとは思いたい。けれど、先程の電話での阿佐美の様子はおかしかった。  ――それに、阿賀松が最後に言い残したあの言葉も気になった。 『芳川知憲、あいつは人殺しだ』  阿賀松は確かにそういった。  たちの悪い揶揄だとわかっていても、やはりバットを手にした会長が脳裏にこびりついては離れなかった。  端末の暗くなった画面を暫く見つめていたときだった。不意に、仮眠室の扉がノックされる。  咄嗟に携帯端末を制服にしまおうとしたとき、手にしていたそれを落としてしまう。カーペットの上、転がる端末を拾おうと手を伸ばしたときだった。  仮眠室の扉が開き、「失礼します」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。  扉を振り返れば、そこには灘が立っていた。 「どうかされたんですか」 「あ、な、灘君……」  咄嗟に端末を隠そうとしたが、しっかりと灘に見られてしまったようだ。「電話していたんですか」と静かに問いかけられ、俺は言葉に詰まる。  灘に栫井のことは伝えていた方がいいのではないか。そうなると、阿賀松との通話の内容も話さなければならなくなる。  状況が状況なだけに、これ以上生徒会に負担をかけたくないが――。  そう迷っていると、こちらへと近付いてきた灘に「失礼します」携帯端末を取り上げられる。この間数秒のことだった。  躊躇なく人の携帯端末を確認し出す灘。そして、どうやら見つけてしまったようだ。 「――阿佐美詩織」  返して、と頼むよりも早かった。  通話履歴に目を向けた灘に、俺は必死にどう説明すべきか頭を動かした。  電話帳に登録なんて滅多にしないことしたせいだ。  向けられる灘の視線が痛い。 「なんの話を?」  これ以上は必要ないと判断したのだろう、そう灘は端末を返してくれる灘。  バレてしまったのは仕方ない。これ以上誤魔化しても心象を悪くするだけだ。  そう判断した俺は先程阿佐美の番号で阿賀松から連絡があったこと、その内容を灘に伝えることにした。  しどろもどろと探るように続ける自分の説明は酷く拙いものだった。  混乱する頭の中で必死に纏めようとしながら話しているからこそ、余計、纏まりのない説明になってしまったが灘はそれを静かに聞いてく れた。  そして一通り話し終えたあと、灘はこちらを見た。 「それで、齋藤君はなんと」 「……それは出来ないって、断った。そしたら、電話が切れて……」  ――流石に芳川会長が人殺しだとか云々のことまでは灘に伝えることはできなかった。  それでも、思い出すだけで生きた心地がしない。足元がふわふわして、ちゃんと足が地に付いているのかもわからなくなるほどだ。  阿賀松の誘いを断る、それは栫井を見捨てたのと同じだ。  いくら本人がそうしろ言ったとしても、その結果は変わらない。  だけど、灘は。 「貴方の判断は間違っていません」  後悔の念に押し潰されそうになる俺を見詰めたまま、灘はそうはっきりと言い切ったのだ。 「今回の状況に限らず、阿賀松伊織のいうことを鵜呑みにするのは危険です」 「でも、そのせいで栫井が……っ」 「落ち着いて下さい。栫井君のことは心配しなくても大丈夫です」 「でも、」 「大丈夫です」 「俺に任せて下さい」と、俺の肩を掴んだ灘はそう真っ直ぐ俺の顔を覗き込んでくる。  どんな根拠があって断言することができるのか全くわからないし、灘が何考えているのかもわからない。  けれど、ずっと栫井を見限る選択をしたことを心の奥底で後悔していた俺にとって灘の言葉は心強いものだった。 「っ……灘君」 「それと安易に登録していない番号に出るのはもちろん、これからは誰からの電話にもすぐに 出ないようにして下さい。先程のように他人の携帯を利用してまた君の不安を煽るような真似をする可能性が高いです」 「ご、ごめん……つい」 「これから気を付けてください」  いつもと変わらない淡々とした口調だが、怒られていると感じるのは実際に咎められているからだろうか。 「ごめんなさい」と項垂れれば、灘はなにも言わずに俺から手を離す。  そして、 「……たった今、 会長から連絡がありました。今からこちらへと向かうそうです。一先ず生徒会室へ出てきてください」  一段落着いたということだろうか。  間違いなく件の映像は芳川会長も見ているはずだ。ある程度事情は説明はしていたが、やはり実際それを目の当たりにするのとでは変わる。  会長がどう受け取り方をするのかわからない分、会うのは恐ろしかった。  けれど、俺を信じると言ってくれた会長の言葉は信じたかった。    「心配する必要はありません。会長は最初からずっと、齋藤君の味方ですから」  そんな俺の心情を汲み取ったのか無表情のまま灘は続ける。  本来ならば安心するには充分な力強い言葉だが、今の俺にはその言葉が胸に引っ掛かった。  そして、以前にも灘たちが言っていたことを思い出す。会長は俺の味方をするはずだ、と。 「それと、阿賀松伊織からの電話のことは内密に。他言無用でお願いします」  どういう意味かと尋ねようとしたとき、灘は話題を切り替えた。 「特に、会長への漏洩には気をつけてください」そう念を押され、慌てて俺は頷く。 「わかった……気を付ける」  今はもう、誰かに従うしかない。 『とにかく、齋藤君は仮眠室で休んでください。栫井君のことは、こちらでも調査します』  そう灘に言われるがまま、俺はソファーに腰を下ろし、芳川会長が戻ってくるのを待っていた。  休んでくれと言われても、やはり外のことが気になって仕方なく落ち着かない状態のまま時間を過ごすことになる。  そして暫くもしない内に部屋の扉が三回ノックされた。 『入っていいか、齋藤君』  扉越しに聞こえてきた声に、自然と背筋が伸びた。はい、と応えると扉は開き、芳川会長が顔を出す。心なしかその顔色は悪い。 「失礼する」  そう短く告げ、芳川会長は仮眠室へと足を踏み入れた。乱暴に閉められる扉に心臓が停まりそうになりながら、俺は慌てて立ち上がって会長を出迎えた。 「か、会長……」  芳川会長はいつもと変わらない、はずなのに、その無表情が恐ろしく映るのは何故だろうか。  齋藤君、と名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。  険しいその表情から、芳川会長が縁との一部始終を見たのだろうと分かった。  何を言われる覚悟もできていた。つもりだった。  けれど、いざ会長本人を前にすると足が竦んだ。  会長の表情を確認するのが怖くて、思わず俯いたときだった。 「……齋藤君」  何も応えることができない俺に、芳川会長は再度静かに俺を呼ぶ。  なにか、言わないと。  そう思うのに、ずっと考えていた言葉もシミュレーションもなにもかも役に立たなかった。 「……っ、ぁ……」  焦りと不安に急かされ、それを堪えるように目をきゅっと瞑ったときだ。  伸びてきた手が、後頭部を優しく掴んできて、強い力で抱き寄せられたと思ったときには俺は会長の胸の中にいた。 「――悪かった」  抱き締められている。そう理解するのにそう時間は掛からなかった。 「責任取って守ると言ったくせに、守るどころか、君の手を汚させてしまうなんてな。……本当にすまなかった、俺のせいだ。俺の監視が甘かった」 「か、いちょ……」 「よく頑張った」  緊張した背中を優しく撫でられ、触れた箇所から流れ込んでくる会長の体温に、声に、限界まで張り詰めていた俺の緊張の糸は僅かに弛む。 「怖かっただろう。一人で立ち向かうのは」  ああ、と思った。  俺は自分が思っているよりもずっと自分が我慢していたのだと気付く。  会長のその言葉一つで肩の重荷が一つ、また一つと降ろされていくようだった。  じわりと視界が熱に潤む。しゃくりあげてしまいそうになるのを堪えれば、それ以上上手く言葉を紡ぐことはできなかった。  会長、と繰り返すことしかできない俺に、会長は「なにも言わなくていい」と首を横に振る。 「君はよく頑張った。今はゆっくり休め」 「……っでも、俺……」 「齋藤君、君はなに一つ悪くないんだ。……君が気にすることはなにもない」  根拠のない励ましの言葉だが、その言葉の裏側にあるであろう会長の自信の根拠を俺はよく知っている。そして、それがこんなことになってしまった一因でもあると。  分かってて尚、芳川会長の言葉に救われるのだからどうしようもない。 「あとは全て俺に任せておけ」  ぐしゃりと、会長の大きな手のひらが俺の頭を撫でる。触れられている個所がじんわりと熱くなるようだった。  会長にそう言ってもらえて嬉しいし、何度も救われた。なのに、何故だろうか。胸の奥に燻る違和感は。  それに無理矢理蓋をし、見なかったことにしながら俺は「すみません」と口にした。  全ての流れを会長に委ねる。  いまこの最悪な状況をどうにかするには、会長の助けが必要だ。  それだけは、俺にもよくわかった。 「とにかく、齋藤君は事が落ち着くまでここにいろ。既に許可は降りている。朝昼晩の飯も用意させるし、シャワーもそこで済ませられるだろう」  会長の頭の中では既に算段が出来上がっているのだろう。  俺の手を煩わせないようにという会長の気遣いは嬉しかったが、不安要素がなくなるわけではない。 「あの、落ち着くまでって……」 「そう長くはならない。……そうだな、二日、時間をくれ。あいつがいなくなった後の始末を済ませたい」  あいつ、というのは言わずもがな阿賀松のことなのだろう。  芳川会長は、本気で阿賀松をこの学園から追い出そうとしている。 「……でも、あの、その間の授業とかは……」 「心配しなくてもいい。君の休学は既に教師たちからの許可は降りている。『今はゆっくり休め』とのことだ」 「…………」  本当に、俺がここで一人頭を抱えている間に会長は裏で色々手を回してくれていたようだ。  安堵すると同時に、本当にこれでいいのかと自分自身に問わずに入られなかった。  確かに、ここにいれば安全だろう。後始末だって会長に任せておいた方が確実だ。  だけど、俺のことなのに、俺のことじゃないみたいで。まるで蚊帳の外に放り出された俺は言い知れぬ不安感に押し潰されそうになっていた。 「……あの、会長……」  そう、恐る恐る口を開いた矢先のことだった。どんどんと、扉が叩かれる。 『おい会長、風紀のやつらが来てるぞ』  扉越しに聞こえてきたのは、五味の声だった。 「わかった、今戻る」とだけ返した芳川会長は、そのままこちらへと視線を向ける。 「話は後で聞こう。とにかく今日一日ここでゆっくり過ごしてくれ。外野が何言っても気にするな」 「……はい」 「何があっても俺は君の味方だ」  覚えててくれ、と芳川会長は俺から手を離す。  ゆっくりと離れる芳川会長は「それと」とそう、こちらへと手を差し伸べる。一瞬、握手を求められているのかと戸惑いながら会長を見上げれば、微笑む会長と目が合った。 「携帯を預かっておこう」 「持っているんだろう?」と、変わらない口調で続ける会長に、全身に緊張が走る。  別に、携帯がなければ死んでしまうとかそういうわけではない。  寧ろ常時連絡する人間なんていないし、使ってもアラーム機能くらいの役割しか果たしていない。  だけど、唯一遠く離れた親と連絡することができる手段でもあり、俺にとってはお守りのようなものだった。 「え……あの……」  これを会長に渡してしまえば、本当に周りから切り離されてしまうような気がして怖かった。  別に会長が意地悪で携帯を取り上げようとしているわけではないとわかっている。  わかっているけど、何故だろうか。そこまで管理するのか、という戸惑いの方が大きかった。 「齋藤君、二日間だけだ。全てが済んだ暁にはちゃんとそのままの状態で返す」  君のプライバシーを侵害するようなこともしない、と会長は静かに続けた。  会長に限って悪用するはずがない。そう会長の言葉を信じたいという気持ちはあったが、携帯があれば志摩や阿佐美とも連絡が取れる。阿賀松からまた電話が掛かってくる可能性だってある。  でも、携帯が使えなくなってしまえば連絡手段はなくなってしまう。俺の行動範囲は会長によって限定されることになるのだ。  そこまで考えて、俺は、自分が会長を信じきっていないことに気付いた。  芳川会長以外の抜け道を作ろうとしている、もしなにかがあったときのためを考えて。会長の行動で、逃げなければならないことが起きる前提で動こうとしている自分に。  それがなによりも会長に対する答えだった。 「まあ、そうだな。いきなり俺に携帯を渡せと言われても戸惑うか」  なにも言わないまま俯く俺に、そう、会長が寂しそうに笑う。  ……ああ、俺は、また自分勝手な行動で他人を傷付けようとしている。  頭の中で、二つの声が拮抗した。  もう一人の自分が「そのまま携帯を確保しておけ」と囁く傍らで、もう片方の自分は「会長の好意を無駄にしてはいけない」と声を上げた。  酷いジレンマに苛まれながら、ぐっと唇を噛み締めた俺は頭の中の二つの声を振り払い、そして、制服のポケットに手を突っ込んだ。 「…………これ、お願いします」  そして俺は自分に残された選択肢を全て振り切り、携帯端末を会長に手渡した。  芳川会長がいなくなった仮眠室。  ベッドのふちに腰を掛け、肺に溜まっていた空気を深く吐き出した。  これから二日、仮眠室に匿われることになる。  会長にはついていくと決めたはずなのに、まだ心の中ではこの選択が間違っていないのか不安だった。  ――これでいいんだ、これで。俺は、会長を信じると決めたのだ。  自分に言い聞かせるように繰り返し、呟く。それでもまだどこか会長のことを疑っている自分がいて、元々の性格だとしてもそんな自分に嫌気が差した。  そんな、どこか靄が掛かったような気持ちのままぼんやりと宙を眺めているときだった。数回のノック音が部屋に響く。どうやら来客のようだ。とはいえど、生徒会室としか繋がっていないこの仮眠室にやってくる客人なんて生徒会役員しかいない。 『佑樹、いるー?』  ――十勝だ。  出入り口はそこの扉しかないわけだからいるに決まっているのだが、わざわざ確認してくる辺りが十勝らしい。 「いるよ」とだけノックを返せば、暫くもしない内に外から扉の鍵が外された。開かれる扉。その向こうにはペットボトルを抱えた十勝がいた。 「喉乾いただろ、ほら、差し入れ!」 「ブドウとリンゴ、どっちがいい?」と笑い掛けてくる十勝ないつもと変わらない。そんな十勝に安堵する自分がいた。 「えと……じゃあ、リンゴで」 「残念、ミカンしかねえわ」  じゃあなんでわざわざ存在しない選択肢を突きつけてきたのかわからなかったが、後味爽やかなミカンジュースも嫌いではない。まあいいか、とボトルを受け取った。  残ったボトルを備えつけられたドリンク用の冷蔵庫に仕舞う。  仮眠室へと入ってきた十勝は、キョロキョロと辺りを見渡しては「うっわ」と声を漏らした。 「本当なんもねえな。つまんねえだろ、こんなところにいんの」 「……まあ、でも仕方ないから」 「佑樹って本当になんかこう…… 真面目っつーか、従順? っつーの? 俺ならぜってー無理、退屈すぎて死ぬ」 『そんな大袈裟な』と思ったが、本来ならば十勝の感覚は正しいのかもしれない。  元々アクティブな方ではないし、インドアな過ごし方も苦ではないが、確かに自由がないのとインドアとではまた別の話になってくるのか。 「うん、やっぱ偉いよ。お前」 「どうしたの、急に……」 「いや、なんかさ、少し嬉しくてさ」  ……嬉しい?  妙な言い回しをする十勝に思わず顔を上げれば、「なんて言ったらいいんだろ」と十勝は考え込む。そして思いついたようだ。 「ほら、会長ってさ、厳しいし、小姑みたいにうるせーし……たまにこえーじゃん?」 「……う、うん」 「だよなー。……だけど、まじで佑樹のこと心配してるみたいってか、ほら、一生懸命になってるからさぁ、あの会長が。俺としてはやっぱ、頑張れーって感じになるわけでさ」  しどろもどろと、どこか手で探るような言葉だったが言いたいことはなんとなく伝わってきた。  気を紛らすように小さく咳払いをした十勝は、少しだけ照れ臭そうに笑う。 「だから、佑樹が会長を頼ってくれて嬉しいよ」 「でも、俺は迷惑しか……」 「いいんだって、迷惑とかそーいうのは。会長、頼られるとすげー燃えるタイプだから」 「わざわざ生徒会長なんて面倒くさそうな役職になるくらいだぞ」と十勝は笑う。  なにかを思い出しているようだ、そう会長のことを話す十勝の目は輝いて見えた。  十勝は恐らく、芳川会長と栫井のことも知らないのだろう。だからこそ俺はなんと答えればいいのか分からなかったが、それでも確かに平たく言えば赤の他人である俺のために会長が助けてくれているのも事実だ。  なんとも言えない気持ちのまま、俺は十勝が用意してくれたオレンジジュースを予め仮眠室に置かれてたグラスを用意して注ぐことにした。  それをソファーに座っていた十勝にも渡す。「ありがとな」と十勝はそれを受け取った。  けど、十勝から見てみれば会長はすごい人なのだろう。確かに怖いところもあるが、それは確かに俺も感じていた。  十勝の横に並ぶように腰を下ろし、俺も頂いたジュースを喉に押し込んだ。……まろやかな喉越しだ。いいジュースを用意してくれたのだろう。 「うまいか?」 「うん……美味しい。用意してくれてありがとう、十勝君」 「気にすんなよ。それに、寧ろこれくらいしないとな」  どういう意味だろうかと十勝を見れば、ばつが悪そうに十勝は息を吐く。 「会長から二日間、ここに佑樹置いとくって聞いたときびっくりしたもん。一応佑樹の了承は得てるってもさ、いくらなんでも暇だろうなって思ったし」 「十勝君……」 「ま、確かにここにいた方が安全なのは間違いねーけど、いくらなんでも暇だろうなって思ってさ」 「……それで、気にしてくれたの?」 「俺じゃなくてもそうなると思うけどな。五味さんとかも、あんな顔して佑樹のこと心配してたし」  顔は余計なのではないかと思ったが、笑う十勝に釣られて俺は思わず小さく笑った。  生徒会の皆、いい人たちだとは分かっていた。だからこそこうして迷惑かける結果になったことにいたたまれないのに、寧ろこうやって気遣ってくれることが余計申し訳なく思えた。 「あーあ、でもホントやることねえよなー。……こっそりどっか遊びに行くか?」 「えっ? だ、だめだよ……っ!」 「冗談、冗談だって。ははっ、佑樹まじで焦るじゃん」  くすくすと笑う十勝に顔が熱くなる。  正直、十勝ならやりかねないのでそりゃ焦りもする。 「ごめんな、俺、一応佑樹の見張り頼まれててさ。そーじゃなかったらちょこっとくらい散歩させようと思ったんだけど……」 「ううん、気にしなくてもいいよ。……俺のことは気にしないで」  寧ろ、こうして話し相手になってくれるだけで大分気分転換にもなっていた。  一人でいるとどうしても鬱々してしまうので、十勝の存在はありがたい。  なんて思いながら十勝の方をちらりと見たときだった、こちらを見ていた十勝の目がうるっと緩むのを見てぎょっとした。 「えっ、ちょ、なんで泣……」 「佑樹、お前優しいな……っ!」  感極まった十勝に抱きつかれ、そのままぎゅーっとバグされる。  あまりの感情の起伏の激しさに、酔っ払っているのか?と思ったが、つい先日の自分を思い出すとなにも言えなくなる。 「お、大袈裟だよ……」  そう手のやり場に困り、取り敢えず十勝が落ち着くまで恐る恐る背中を撫ようとすれば、「そんなことねえよ」とがばっと十勝は身体を離した。 「不満とか愚痴とかあったら全然言ってくれていいんだからな、俺、会長には内緒にしとくから!」 「と、十勝君……」 「……多分!」  どっちなんだ、と思いながらも気持ちだけありがたく受け取っておくことにした。  泣くのも早かったが、いつも通りになるのも早い十勝。十勝のそういうカラッとしたところは、純粋に羨ましく思えた。 「でも、なんだかんだ言ってもやっぱりお前も退屈だよな……。女の子呼ぶ?」 「へっ?! や、いや……」 「カレシ欲しいっつってたフリーの子いるんだけど」 「え、えー……っと、その……また別の機会にしよう、それは」  色々突っ込みたい部分はあるが、そもそも俺が会長と付き合ってるということになってることを忘れていないか。  それともただ純粋に自分が呼びたいだけなのか。……後者な気がしてならない。 「そっかー」と言いながらごろんと十勝はソファーの背もたれに寄りかかった。 「あーあ、ホント佑樹を栫井に足して割ったらまじ丁度よさそうなんだけどなぁ」  このタイミングで栫井の名前が出てくるとは思ってなくて、だらりと姿勢を崩す十勝の口から出てきた栫井の名前に全身が緊張する。 「そんなこと……」 「あいつの場合、俺が誘わなくてもふらふら遊びに行くからな、無断で。ホント佑樹を煎じて飲ませてやりてー」  それを言うなら爪の垢ではないだろうか、という突っ込みはさておき、俺は十勝の言葉が引っかかった。 「無断で?」と尋ねれば、十勝は「そうそう」と頷く。 「大切な会議んときも普通にいなくなるもんなー。ま、五味さんがいるからなぁ、あいつの場合。なんもしなくても全部もう一人のやつがしてくれるんだし羨ましいよなー」 「書記ももう一人増やしてくんねえかな」と呟く十勝。  落ち着きを取り戻しかけていた胸の奥が、再びざわつき始める。いや、忘れようとしていただけかもしれない。そうするように、と言われたように。 「……もしかして栫井、暫く戻ってないの?」 「そーなんだよ! ったく、サボるんならせめて一言くらい言ってくれりゃあいいのに。三日だっけ? 結構神出鬼没だけど、食堂にも顔出さねーから文句もいえねーし」  わざとらしく唇を尖らせる十勝は本気で怒っているようには見えない。  それどころか、寧ろ同じ生徒会の仲間を気にかけている気配すらある。  三日――栫井自身が怪我を負った日から、ということだろうか。そう考えるとずきりと胸の奥が痛んだ。 「……もしかしたら、出て行きたくても出ていけないのかもしれないよ」  栫井は今、阿賀松たちと一緒に居る。  灘は気にしなくてもいいといった。自分に任せろ、とも。  だけど、本当にそれでいいのだろうか。  流れに全てを任せ、行く末を眺めるだけでいいのだろうか。  十勝と話したお陰で、自分の中のもやもやが次第に形になっていくようだ。  会長は信じたい。傷付きたくない。痛い思いもしなたくない。面白おかしくなくてもいい、ただ平凡な毎日を過ごしたい。  けれど、それ以上に誰にも傷付いて欲しくはなかった。  自分のせいで、自分の選んだ選択のせいで誰かが痛め付けられるのは、嫌だった。  見過ごしたくない。このままじっと物事が終わるのを待つなんて、俺には出来ない。 「佑樹?」  不思議そうな顔をした十勝がこちらを覗き込んでくる。  よほど切羽詰まった顔をしていたのかもしれない。  どこか心配そうな色を浮かべた十勝に、俺は小さく笑った。 「ごめん。……なんでもないよ」  自分のやりたいことが明白になると、不思議と薄暗く靄がかっていた思考はクリアになり、頭が冴え渡るようだった。  痛い思いをせず、尚且つ誰も揉めないように全てを穏便に収束させる方法は無いだろうか。  少し考えてみるが、退学沙汰にまで追い込まれている時点で阿賀松は許してくれないだろう。  俺自身、物事を悪化させた引き金であることも確かだ。  だったら、阿賀松の退学を取り消すか?  ――いや、無理だ。そんなことしたところで前よりも悪化するばかりだし、それどころか会長が躍起にでもなってみろ。考えてみただけで頭が痛くなる。  なら、どうすればいい。  俺が謝って謝って謝って謝って謝って、それで済むのならそれでいい。だけど……。 「くぁ、腹膨れたらなんか眠いな……」 「十勝君……寝るならベッド使ってもいいよ」 「ええ、でも佑樹のベッドだろ?」 「俺のっていうか、元々生徒会専用みたいなものだし……」  そう声をかければ、「んー、じゃあ借りるかな」と大きく十勝は伸びをする。 「佑樹も一緒に寝るか?」 「いや、俺は……もう少し起きてるよ」 「眠くなったらいつでも入ってきていいんだからな〜」 「……うん、ありがとう」  そのままごろんとベッドの上、猫のように丸くなる十勝を見てつられて苦笑する。  俺を見張ると言っていたが、それほど信頼されているということか。大丈夫なのかと心配する反面、嬉しくなる。  余程疲れていたのかもしれない。十勝はすぐに眠りについていた。すうすうと規則正しい寝息を立てる十勝。そのポケットから覗くキーホルダーに目を止めた。  ――携帯端末。  ふと、そんな単語が脳裏を過った。  芳川会長に渡した最後の連絡手段が、今俺の目の前にある。 「……」  もしかしたら十勝の携帯なら知っている連絡先があるかもしれない。  そう思い、つい手を伸ばしかけたが、寸でのところで俺は理性を働かせた。  今、ここで窃盗のような真似をする必要はない。連絡手段なら、ここを出ればすぐ見つかるはずだ。  十勝の上からタオルケットを被せた俺はなるべく起こさないよう、静かに移動する。  栫井のことも気になるが、今はここから出ることが先だ。  ……十勝や会長には申し訳ないが、やはり、このままじっと大人しくすることは出来ない。  意を決した俺は、開いたままになっている扉から仮眠室を後にした。

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