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05

 窓枠に手をかけ、なんとか渡り廊下の中へと移動する俺達。途中、滑り落ちそうになったり着地に失敗して廊下に落ちそうになりながらもなんとか志摩の助けもあって中へと侵入することができた。  窓を閉めれば風は止まり、揺れていた暗幕によって完全な闇が広がる。 「ここなら、監視カメラも使えないだろうし少しは時間潰せるんじゃないかな」  「……どうして知ってるの?」 「何が?」 「ここ、監視カメラないって……」  最初はなにも見えなかったが、時間が経つに連れて目が暗闇に慣れていっているようだ。  志摩の姿が薄ぼんやりと確認できた。  俺の問いかけに、志摩は言葉に詰まっている。    ……正直、何の気なしに出た疑問だった。  しかし、確かにここは生徒会役員が持っているカードキーがなければそもそも立ち入ることができないような場所だ。一般生徒と変わりない志摩がこの場所を認知し、こうして侵入することができている――それは特殊なことなのかもしれない。  現に、先程まであれほど饒舌だった志摩が黙っている。   「…………」 「……志摩」 「…………」 「……ここって、生徒会役員にしか知らされていない専用の通路じゃないの?」 「…………」  恐る恐る尋ねるが、やはり、志摩は何も答えない。  その沈黙が恐ろしくなり、「志摩」ともう一度その名前を呼んだときだった。 「……確かに、そうだね」  観念したかのように、志摩が口を開く。  相変わらずどこか他人ごとのような軽薄な口調だが、先程よりもその歯切れは悪いように聞こえた。 「でも、驚いたな。……齋藤がそこまで知ってるなんて」 「どうして、話を逸らすんだよ」 「誤解だよ。逸してない。別に、知られて困るようなことも隠したいこともなんもないしね」  言いながら肩を竦める志摩は制服のポケットから何かを取り出した。そしてそれを俺に差し出す。薄くて硬いそれに触れた瞬間、灘が持っていたものと同じタイプのカードキーが頭に浮かんだ 。  「これって……」  明かりがない今、手に触れた感触でしか確かめることは出来ないが、それは恐らく俺が想像しているのと同じもので間違いないだろう。  生徒会役員しか持ち合わせるはずのないカードキー。それが志摩の手にあることにただ驚愕する。 「ああ、言っとくけど確かにそれは俺のじゃないよ。だけど、誰かから盗んだってわけでもないから」 「なら、どうしてこれを……」 「俺の兄貴の」 「は?」 「昔、生徒会だったんだよね。だから、そんときに貰った」 「というか、本人もう使えないからさ使ってやってるってわけ」そうなんでもないように続ける志摩に、安久の言葉が脳裏に蘇った。 『当事者』というその単語に、『使えないから』という志摩の言葉が繋がり、あまりよくない想像が頭の中に広がる。 「生徒会役員って、まさか……」 「生徒会長だよ。って言っても、“元”だけどね」  ――元生徒会長、志摩のお兄さんが。  さらりと告げられた事実に、息を飲んだ。 「でも志摩、兄弟いないって……言ってたじゃん」  転校してきたばかりのある日、俺との約束をすっぽかした志摩はいない兄弟を使ってはぐらかした。  薄暗い通路の下。志摩と確かに目があって――志摩は一瞬微笑んだ、ように見えた。 「ああ、あれね。……嘘だよ」 「……嘘?」 「うん、だってあの時あまりにも齋藤がショック受けた顔するからさ、そういうのって重いじゃん。だから適当に言ったんだけど……覚えてくれてたんだ」  志摩の言っていた嘘が全部本当で、入院してる兄弟というのが実在するのなら。  ――芳川会長に陥れられた前会長が実在するのなら。辻褄は合う。かちりと音を立てて噛み合ってしまうのだ。 「だから、齋藤はなんにも気にしなくていいよ」 「……っ、志摩」 「ほら、これで満足した? だったら行くよ、ずっとここでゆっくりしてる暇もなさそうだしね」  言いながら、志摩は学生寮に向かって歩いていく。  まだ話は終わっていない。けれど、志摩の態度から早々にこの話題を切りあげようとしているのがわかってしまった。  だから、俺はそれ以上深く踏み入れることができなかった。  ――志摩の兄が前会長で、阿賀松は次期会長。  ――だったら、芳川会長は?  ピースは確かに揃った。けれど、どうしても上手く噛み合わないのはまだ足りないピースがあるからだろう。 「齋藤はさ、なんでここが作られたのか知ってる?」  薄暗い通路に二人分の足音と志摩の声が静かに響く。  その問いに、俺はいつの日か十勝から聞いた話を思い出した。 「確か、親衛隊から逃げるために芳川会長が作らせたって……」 「へえ、そういう風になってるんだ、今」 「……え?」 「ここはね、元々は一般開放されていて普通に行き来出来るようになってたんだよ」 「だけどね、ほら、この窓」と、ふと足を止めた志摩は通路の壁を指差した。  暗幕が張られた今、よくは見えないが壁一面を大きな窓ガラスが嵌められているようだ。そして、その手前には手摺が設置されている。 「こんなところからうっかり落ちたらさ、一溜まりもないでしょ?」 「それは……確かに」 「実際落ちたんだよ、ここから。生徒が」 「まあ、正確には突き落とされたっていう方が合ってるんだろうけどね」その何気ない言葉に、一瞬言葉に詰まった。ゆっくりとこちらを振り返る志摩は僅かに笑っている。 「それって……」 「――そうだよ。俺の兄貴だ」 「……っ!」 「ここから落ちて、打ちどころが悪くってずーっと寝てたんだ。」 「そ、れは」 「けど、ついこの間目を覚ましたんだ」 「本当、悪運強いよね」と志摩は笑う。  俺は、文字通り言葉を失った。  この窓から地面までの高さを考えると軽症では済まないことは一目瞭然だ。それでも、目を覚ましたということに喜ぶべきなのか、あまりの事実に俺にはそこまで気が回らなかった。掛ける言葉すらも見当たらなくて。  ――芳川会長に陥れられたという前会長が転落した。  偶然の一致なのかわからない。全て人から又聞きした話ではある。それでも、聞いた話全てが芳川会長に繋がっていってしまう。  その度に、俺の中の芳川会長がどんどんと見えなくなっていくのだ。 「それでここは封鎖。一般生徒は立入禁止され、侵入も出来ないようになってたんだけどね」 「このカードキーはここが本格的封鎖される前のものだね。だから、生徒会専用のエレベーターにしか使えないんだ」そう淡々と続ける志摩に、俺はとうとう何も言えなかった。  必死に言葉を探していると「齋藤」と名前を呼ばれる。 「今言った通り、学生寮までこのまま戻ることは出来ないんだ」 「……だったら、どうしてここに」 「ここは元々一般生徒たちが使っていた通路っていうのは、わかったよね?」  こくり、と頷き返せば志摩が小さく笑った。 「今はもう使われてないだろうけれど、ここにもラウンジがあったんだよ。日当たりがよくて、自販機も置いててさ。まさに生徒の憩いの場ってやつ?」 「……うん……?」 「ああ、ついた。ここだよ」  通路の途中、そう志摩は立ち止まる。その先には蝶番の扉が存在していた。  ドアノブを掴んだ志摩はそのまま扉を押し開いた。瞬間、強い風が俺たちの間を吹き抜けて行く。  そして、扉の隙間から漏れ出る真っ白な外の光に目が眩んだときだ、こちらを振り返った志摩の顔が強張った。 「齋藤ッ!」  何事かと志摩を見たときだった、背後から伸びてきた腕が首に絡みつく。 「ッ、ぐ」  そのままきつく締め上げられ圧迫される器官。  全面ガラス張りのそのラウンジの中、乱雑に並べられたソファーや観葉植物の影から一斉に人が現れる。  何れも人影の右腕に『風紀』という刺繍の入った腕章が巻かれているのを見つけ、全てを把握した。 「……まさかとは思ったが、お前らが共犯だったとはな。すっかりしてやられた」  すぐ背後から聞こえてきたその低い声に全身が粟立った。  息が詰まりそうだった。呼吸すればするほど肺に残った空気がなくなってしまう。まずい、と咄嗟に俺の首を締めるその腕を掴もうとするが、ぎっちりと俺の首を締め上げたその腕はちょっとやそっとの力では緩まない。  白ばむ視界の中、「齋藤ッ」と志摩の声がやけに遠く聞こえた。 「……ッ、し……ま……」 「齋藤を離せ……ッ」  自分を取り囲む周りの人間なんて目に入っていないなんて様子で、構わずこちらへと駆け寄ろうとする志摩。無論、多勢に無勢で敵うはずがない。  一斉に取り押さえられる志摩を見て、血の気が引いた。  ――どうして、こんなことになったのか。  酸欠状態に陥る脳の、どこで間違ったのか今までの行動を振り返ってみるが痺れを帯びた思考回路がまともに働くはずもなかった。  志摩、と痺れる指先を伸ばして少しでも近づこうとするが、背後から締め上げるその腕がそれを邪魔をする。 「悪いが、少しだけ眠ってもらうぞ」  再度、囁かれるその声。その声が聞こえた次の瞬間、首筋に衝撃が走った。  手刀を叩き込まれたと気付くよりも先に、ぶつりと意識が途絶えさせられることになる。

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