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 旧体育倉庫の外を出た俺はそのまま志摩の姿を探す。そして、志摩はすぐに見つけることができた。  すっかり暗くなった校庭の隅、フェンスを背に座り込む志摩は俺の方を見、そして少し意外そうに笑う。 「ああ、本当に来たんだ」 「別に他意はないよ。……けど、こんな状況で外を一人で彷徨くのは危ないと思ったから……」 「俺が居なくなったら困るから?」  拗ねた時の試すような物言いも相変わらずだ。  言ってほしいことがあるのなら直接言ってくれればいいのに、それをしないからこそ質が悪い。 「……困るよ、志摩がいないと」 「栫井がいるだろ」 「もしかして志摩……まだ根に持ってるの?」 「俺からしてみれば根に持ってないと思ってる齋藤にビックリだよ」  確かに栫井を手放したくないとはいえ、さっきの態度は露骨過ぎたかもしれない。  けれど、ある程度事情を知ってる志摩ならば分かってくれる。そう思っていたのはまあ、確かに俺のエゴではある。 「齋藤は俺と栫井、どっちに居てもらいたい?」 「……質問の意味がわからないんだけど」 「そのままだよ。栫井か俺か、どちらかしか選べないとしたらどうするつもり?」 「その質問は、おかしいよ」 「俺には志摩が必要で、俺と志摩の目的のためには栫井は不可欠な存在だって……そう言ったのは志摩の方だろ」そう、志摩を見詰め返せば志摩は笑う。  とてもじゃないが嬉しそうにはみえない。 「なんだ、分かってるんだ。ちゃんと。……あいつの肩ばかり持つからてっきり何もかも忘れてしまったのかと思ったよ」  立ち上がる志摩。面と面向かって並ぶと、やはり気圧されそうになってしまう。けれど、ここで怯んではいけない。 「志摩」と、相手を見上げたとき、伸びてきた志摩の手に肩を掴まれた。 「……齋藤、もう一度約束して」  真っ直ぐに、こちらを覗き込んでくる志摩。  月明かりしかない空の下、ひんやりとした風が頬を撫でていく。唯一の明かりである月が雲で隠れ、俺達は濃い陰に覆われた。  今、志摩がどんな表情をしているのか分からなかった。けれど、その声は笑っていないことだけは分かる。 「何があっても俺のことを見捨てないって。ずっと、側にいてくれるって……約束して」  約束。お願い。何度そんな言葉を口にしたのか分からない。  最初は志摩の迫るような物言いに脅迫めいたものを感じていた。が、今では分かる。志摩が求めてるのは言葉ではない、『ここで俺が志摩の言葉を受け入れる』という結果だ。  手を繋いでもちょっとした衝撃で離れてしまいそうになり、それがわかってるからこそ何度でも手を取ってはそんな言葉を口にして再確認して、確かめ合う。そうしなければ志摩は安心できないのだと。  肩に乗った志摩の手に自分の手をそっと重ねた。ひんやりとした冷たい手が、ほんのりと熱を帯び始めるのを感じながら陰に覆われた志摩の顔を見つめた。 「……俺は志摩を裏切らない。絶対に」  絶対なんてものがないというのは俺も志摩も分かっている。我ながら安っぽい言葉だと思う。それでも良かった。  今こうして志摩の手を取って約束した、それが俺の全てであるのだから。  ざあ、と風が吹く。近くの観葉樹の葉が擦れ合う音とともに雲は流れ、再び月が顔を出した。 「……ふふ、どうだろうね」  そのまま志摩の手を握り締めれば、志摩は笑っていた。いつもの皮肉めいたものではなく、自然な控えめな笑顔。  俺達の約束事には書類もなく血印もない。言ってしまえばただの口約束だ。  お互い簡単に破ることもできるものだと分かっている。俺も、志摩も。  それでも、今はこうして並んで話せていることで十分だった。少なくとも、俺は。 「志摩の方こそ……」 「ん?」 「……俺のこと、見捨てないで」  俺は、志摩を裏切ることは出来ない。  志摩に助けてもらった恩もある。けれど、それ以上にきっと、俺は志摩がいなかったらここまで来ることもできなかった。  俺一人では誰かに立ち向かうことすら考えられなかっただろう。志摩が居てくれたらなんだって出来そうなくらい勇気付けられることを知ってしまったから。  触れ合う指先は絡み合い、そのまま志摩に両手で握り締められる。  冷たい手なのに、今はその感触が暖かく感じるのだ。 「愚問だよ、齋藤」  月明かりに照らされ、鈍く光る志摩の目は真っ直ぐ俺を見つめていた。 「俺は齋藤の味方だよ。……齋藤が俺の味方である限り、ずっとね」  何度も何度も聞かされてきた言葉。  前は、呪詛のように絡みついてくるその言葉が怖かった。けれど、今は何よりも心強く感じる。  気付けば鼻先が触れる程近付いていた。  そして唇に触れる感触に、俺は返事の代わりに目を閉じる。  友情というには不純で、恋愛感情と呼ぶには足りなくて、自分たちの関係が如何に歪で脆いのか分かっていた。  だからこそ結び付けるなにかが欲しかったのかもしれない、相手を強く引き留められるなにかを。  だけど生憎何も持ち合わせていない俺たちは自分を使って、手を汚して、行動で示すことしか出来なかった。  それはきっと、俺達にとっては間違いではなかったのだろう。

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