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02
次に目を覚ましたとき、そこはもう人間界では無かった。
大理石の壁。飾られた無数の仮面。薄暗い部屋を照らす豪奢なシャンデリア。そして、俺を見下ろすのは俺に鎌を向けた男、和光だ。
「気付いたようだね。随分と眠っていたようだが、適正があって良かったよ」
血の気が引いた。咄嗟に自分の首に触れれば、ちゃんとそこは繋がっていた。
和光は「大丈夫だよ、君は死んでいない」と優しく笑う。
「正確には、現在君は仮死状態になっているんだけどね」
「仮死……?」
「ああ、でも君は動くし、こうして意志をもって話すこともできる。けれど、性質は私たちと同じものになったということだ。人間界には誰でも踏み入れることは出来る、けれど魔界に入るには適正と言うものが必要でね」
「それに、君に死なれるのは困るから」当たり前のように和光は続ける。
何一つ理解できないが、確かに、首を切られた感覚は残ってるのにちゃんとつながっている。
心臓の音も聞こえる。何をしたのか、と和光に聞くことができなかった。怖かった。けれど、指先の熱は以前よりも感じなくなっている……ような気がした。
「目を覚ましたばかりで悪いが、これから親善大使という役割について説明させていただくよ。簡単に言えば、君にはとある施設で生活してもらい、他の者たちに秩序やモラルというものを教えてやってほしいんだ」
「……教えるって、俺が……?でも、俺、言葉とかも全然わからないですし……」
「そこは問題ない。君が眠っている間に少し脳を弄らせてもらった。私のように他の者たちの言葉も聞こえ、君も、話すことが出来るはずだ。何、人間界で過ごしていたようにしていてもらって構わない」
「……」
喉を触る。実感が沸かないが、和光の言葉には説得力があった。それに、今は和光を頼るしかない。信じるしかない……。
「施設というのは、君たちの世界で言うところの学園に当たる。学び、共同生活を送る施設。……が、君もイメージくらいはあるんじゃないか?魔界がどのような場所か」
魔界のイメージと言われ、小さい頃にやっていたRPGのゲームを思い出す。
歩けば魔物に襲われる。そんな偏見は確かにあった。
「……食うか、食われるか、ですかね」
「ああ、その通り。我が国は中でも弱肉強食で通ってきていた。力あるもののみ自由を得ることができ、亡きものは食い扶持にされる。そこに情けも何もない。当たり前の世界だ。……けれど、それも先代魔王で終わりだ」
「弱肉強食を掲げた魔界では途絶えた種族も多い。このままではどんどん国民も減っていく。それを危惧した現魔王は、人間界へと助けを求めた」和光の語り口はいつになく真剣だ。
共存の道を選んだ魔王。想像できなかったが、だからこそ自分がここにいるのだと思えば納得できた。
「どんな種族でも共存し、助け合い、ここまで成長した人間の、その中で最も平均的な模範が我々には必要だったのだ。……君には迷惑な話だったかもしれないが、どうか、我々に力を貸して欲しい」
そう、和光は静かに頭を下げた。
年上に、それも人間ではない相手に頭を下げられることなんてなかった。俺は、慌てて「顔を上げてください」と和光の肩に触れる。
「……俺で良かったら、協力します。逃げ出すことも、しません。……だから、その、そういう風に頭を下げるのはやめて下さい」
「……そうか、君は、本当に物分りがいい賢い子だ」
そう、和光の手が俺の首に触れる。「え?」と思った次の瞬間、首に何かが勢い良く巻きついた。
「っ、な、え……」
「男に二言は無いだろうが、念のためだ。今の言霊、この拘束具に閉じ込めさせてもらったよ。君が非協力的な場合、もしくは逃げ出そうとした場合、この拘束具から毒が流れ、長時間の苦痛に苛まれるだろう」
「な、なんで、こんな……」
「気を悪くしないでくれ。君を疑うつもりはないが、人間というものはまだ分からない。我々も首が掛かってるのだよ、この試みに。なんとしてでも成功させなければはならない」
「それと、この拘束具は私が外さないと外れない仕組みになっているから無用な真似はやめておけ」変わらない、優しい声で目の前の男は続ける。
口ではなんとでも言える。本心かどうかすら分からない。けれど、首を締め付ける拘束具は和光の言う通りビクリともしない。爪の先が痛むばかりだ。
「っ、……和光さん……」
「それでは、これから君が暮らすことになる施設へ案内させてもらおうか」
俺の言葉なんか無視して、和光は指を鳴らす。すると、どこからともなく影が現れ、人の形へと変化したその影は和光の前で跪く。
「お呼びですか、和光様」
「ああ、彼を学園へと連れてけ。それからのことはお前に任せたぞ、黒羽(くろは)」
「畏まりました」
黒羽と呼ばれた男は、日本人のように見えた。
短く切り揃えられた黒髪。無駄のない、筋肉がついた体は縦にも大きい。無骨で、彫りの深く男らしい顔立ちをしているがそれ以上に目を引くものがあった。
額から右目、そして頬までを裂くような大きな傷。右目は閉ざされたまま、左目のみを動かし黒羽は俺を捉えた。
「黒羽と申します。此度より貴方の影となり支えさせていただきたく存じます」
「あ、よろしく……お願いします……」
「黒羽は役に立つ男だ。何かあればこいつを頼っていい。君の力になるはずだ」
「…………」
力、と言われても。
どんな役に立つのか分からないが、確かに一人でいるよりかは云百倍もましだろう。
けれど、と、黒羽の顔に目を向ける。……姿形は人間と変わらない。牙があるわけでもなければ尻尾や角も生えていない。けれど、身に纏う空気は今まで過ごしてきて感じたことのないもので。
「それでは、私はここで失礼させてもらおう。伊波君、また後日改めて挨拶しに伺う」
「……はい、分かりました」
「バタバタしてしまってすまないね。……一先ず、今日はゆっくりしていてくれ」
言うなり、和光の姿は霧のように霧散し、消えた。
気配は完全になくなる。
ゆっくりしてくれと言われても。
首根を締め付ける首輪に触れる。こんなものを着けられた状態で、ゆっくりなど出来るものか。
「あの……黒羽さん」
「如何されましたか」
「和光さんって普段何をされてる方なんですか」
「和光様は普段は王の右腕として政関係を主に担当されております。ここ最近では治安維持のため和光様自ら城下へ赴き、街の警備巡回をされることもございます」
「……そうなんですか」
魔王の右腕。
やはり、ただのスーツが似合う紳士というわけではないということか。親善大使である俺をここまで連れてきた人間だ。それなりの地位であるとは思っていたが、いざ耳にすると恐ろしくなってくる。そんな相手と、今まで一緒にいたのかと。
「それでは伊波様……」
「あ、あの……その、伊波様っていうの……やめてもらっていいですか?多分俺の方が年下ですし、その、呼び捨てでいいので……」
「成りません。伊波様は我が主人。主を呼び捨てなど言語道断」
義理堅いというか、忠誠心が強いというか。言い切る黒羽に、俺は、頭が痛くなるようだった。
正直、このような扱いは慣れていない。居心地がいいものではないが、無理に問い詰めようならば切り捨てられそうな程の気迫が黒羽にはあった。
「そ、それじゃあ……その敬語とかだけやめるとかは……?」
「何故そのようなことを仰られるのか……貴方様の不快になるようなことをしたのならば何なりとお申し付け下さい。この黒羽、どのような罰も受けます」
そう、立ち上がったかと思いきや黒羽は腰に差していた鞘ごと短剣を引き抜く。あまりにも自然な動作に一瞬反応が遅れた。
俺の目の前に跪き、その短剣を俺に差し出してくる黒羽に嫌な汗が滲む。
「あ、あの、黒羽さん、待って、仕舞ってください、これ」
「伊波様、ですが」
「人間界では、主には敬語を使わないんだ!」
あまりにも頭が硬く、生真面目な黒羽はどうすれば少しは軟化するかと思った結果だった。
黒羽は動きを止める。僅かに、傷ついた右目が開いた、気がした。
「……そう、なのですか?」
キョトンとした黒羽に、今度は俺が驚く番だった。
隙のない男だと思っていたが、こんな顔もするのかと。驚いた反応は、人間とさして変わらない。
俺は、慌てて頷いた。
「そ……そうなんだ。だから、その、黒羽さんも少しづつでいいからその……普通に話しかけてもらえるかな」
「……伊波様が、そう仰るのならば……この黒羽、努力……する」
すごくぎこちないが、頑張って敬語をやめようとする黒羽を見て少し安堵した。
職権乱用してしまったとは思ったが、先程の黒羽の発言といい、やはり上下関係に対して行き過ぎた部分を感じる。
……せめて、これから長い付き合いになるであろう黒羽には普通に接してもらいたいのだけど……。
「それでは、伊波様……これから伊波様が過ごすことになります学び舎へと向か……おうか」
「……うん、そうだな」
今にも舌を噛み切りそうな黒羽だが、どこまでも真っ直ぐな男のようだ。なんだかんだ、俺の言うことは本当に聞いてくれるらしい。利用してしまったみたいで罪悪感が込み上げてくるが、少しだけ緊張が解れたのも事実だ。
俺は、黒羽の案内とともに部屋の外へと出た。
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