13 / 126

12

俺のことを歓迎してる、なんて能代と巳亦は言っていたが、これのどこが歓迎というのか。 それとも、魔界ではそういうのか。 五重塔を出た瞬間、まず、五重塔の周りにいた魑魅魍魎たちの視線が一斉にこちらを向いた。 人の形をしてるモノを探す方が難しいのではないかと思うほど、あまりにも人間離れした体躯の彼らに呆気取られたが庇うように前に立っていた黒羽と巳亦のお陰でそれらをまともに受けずには済んだ。 が、連中の目は新しい仲間に向けるものではなく、明らかに捕食対象としてのそれだ。 突き刺さる視線の中、テミッドが俺の手を握りしめてくる。細い指をきゅっと絡められ、驚いた俺は思わずテミッドを見た。 「大丈夫です」と、その薄い唇が動いたような気がした。 「……誰も、君には手を出せません……」 「……え……っ」 「そ、そういう規則が追加されたんだ……今朝、だから、大丈夫……破ったら、地下牢に閉じ込められて拷問されるし……」 「……っ……」 それは、大丈夫なのか。 昨夜やってきたあの影の主も、捕まえたら罪になるのか。思ったが、俺は深く考えないことにした。 だからか、誰一人目を向けてくるものの直接的に関わってこないのは。 「本当人気者だな、曜は。こんなお出迎えがあるなんて」 そう、巳亦は笑う。周りの人混み……ならぬ魔物込みは道を作るように一斉に割れた。 俺たちへの配慮かと思ったが、そうではない。巳亦のその視線の先、そしてその出来た道の先にはゆっくりと近付いてくる人影が一つあった。 白髪に近いブロンドヘアー。それをオールバックで固めた、スーツを着込んだその初老の男。 「和光さん」 「やあ、昨日ぶりだね。よく眠れたかな?」 「え、ええ……」 目の前までやってきた和光に、黒羽は無言で頭を下げる。 テミッドは、俺の手をぎゅっと強く握り締め、巳亦は特に反応はしない。 それを気に留めるわけでもなく、和光は「それはいいことだ」と喜んでみせた。 「これから学校へと向かうんだろう。邪魔をして悪かった。……けれど、一度君には会っておかないと思ってね」 「……俺に?」 「ああ、この国の法を新しく追加した。『第167条。人間に害を及ばした者は長期に渡り地下牢獄へと幽閉し、罰する。』そう、人間とは君のことだ、曜君」 テミッドの言う通りだったということか。 現実味のない話だが、和光の言うことには重みがあった。ただの口からのでまかせではないようだ。和光を見る周りの目には明らかな恐怖、畏怖の念が篭っているのだ。 「そのことを伝えたかった。一応こちらも君の周囲には目を光らせるようにしているが、君も、何かがあれば私や黒羽に伝えてくれ。……君は我々魔界と人間界を結ぶ大切な絆だ、悪いようにはしない」 「……はい」 最後の一言は、俺にしか聞こえないくらいの声だった。 それでも、鼓膜に染み付いて離れない。 「制服、似合ってるね」と、和光は俺の襟を正し、笑った。 自然と背筋は伸びる。和光は、不思議だ。柔らかくて優しくて、暖かな光のような人にも見えて、同時に冷たく鋭くも感じるのだ。 「本当なら一から私が案内してあげたいところだったが、すまないね、予定があるんだ。……黒羽、頼んだよ」 は、と短く黒羽は答えた。その答えを聞く暇もなく、和光は「それでは、失礼するよ」とその場を立ち去った。 それと同時に人混みは散っていく。残された俺は、暫くその場を動けなかった。 気が付けば、制服の胸ポケットには真っ青な薔薇が一輪差さっていた。 「和光さんって、俺、生で見たの初めてかも」 「えっ、そうなのか?」 ぽつりと口にする巳亦に驚いた。 けれど、この国の王の側近となると早々出会える人物ではないということか。 そんな人に名前を呼ばれ、俺のための法ができるなんて、昔の俺は考えられただろうか。 「ぼ……僕、あの人、怖い……」 テミッドは、ぽつりとそんなことを口にする。 確かに、言い知れぬ圧のようなものを和光から感じることは多々あった。 そんな呟きすらも、黒羽は見逃さない。 「貴様、和光様を愚弄するか」 「ひっ……」 「っく、黒羽さん、別にテミッドは馬鹿になんかしてないって……ほら、常人離れをしたオーラというかかっこいいっていうか……な、テミッド」 なんとか誤魔化し、テミッドに同意を求めてみればテミッドも合わせてウンウンと何度も頷いた。 俺がフォローに入ると黒羽は何も言えなくなるらしい。眉間に皺を寄せた黒羽だったが、言いたいことを飲み込むように「ふん」と鼻を鳴らす。 ……俺のことならまだしも、和光のことまで地雷になるとなかなか手厳しいというか、厄介と言うか。 「曜も大変だな。狂犬のお目付け役は」 「誰が犬だ!」 「わっ、冗談だって、怒らない怒らない、皺増えるよ」 対する巳亦は黒羽の扱いに長けているようで、というよりも巳亦が真に受けていない様子だった。 「それじゃ、そろそろ行くか」 一頻り黒羽を弄り、満足したらしい。巳亦はそう言って、さっさと歩き出す。 マイペース、というか、なんというか。けれど、今このメンツではその巳亦のマイペースはムードメーカーにもなる。……このメンツにムードもクソもあるのかと言われれば甚だ疑問だが。 相変わらず頭上では月が笑っている。心なしか、ぎょろりと見下すその目は俺の方を向いているように見えた。 夜が明けないこの世界は、遠くから聴こえてくる鐘の音と時計の針でのみ判断している。だからか、施設内の建物、ほの至るところに時計が組み込まれ、そして、屋根の上には鐘が吊るされていた。 塔から離れれば、屋台がたくさん並んだ通りが視界に入る。 地面の上にシートを敷いただけのいかにもな露店もあれば、大破した車を改造したキッチンカー、他にも海の家のような簡易小屋を作ったお店、多種多様だ。 そこはたくさんの魔物たちで賑わっている。甘い薫りに、食欲をそそるようなソースの薫り、それらをぶち壊すような生ゴミの薫りが混ざり合い、混沌としていた。 例えるなら、お祭りだ。夜の闇を明るく照らすネオンと提灯のアンバランスな照明は逆に、この世界らしいとも思えた。 「ここはビザール通り。基本ずーっと開いてるからお腹が減ったときとか皆使ってるな。ほら、そのクレープ屋なら曜も気に入るんじゃないか?」 そう、巳亦は近くのキッチンカーを指差した。 そのカーの前には制服を着た女子らしき生徒たちがキャッキャッとはしゃぎながら山のようにえげつない色のクリームを盛ったクレープを食べていた。 どうやら甘い薫りの元はここのようだ。 カーに近づき、メニューを眺める。写真を見る限り、人間界とそう変わらないバリエーションだ。ときたまなんなのか分からない食材名があるのが気になるが。 「ここはなんか普通だ……」 「俺みたいな人間界暮らしが長かった連中御用達なんだよ。甘いのから惣菜系まで色々揃ってるから飽きないんだよな」 「へえ、そうなのか」 そう考えると、不思議だ。 キッチンカーの店主は、たしかに俺達とそう変わらない容姿をしている。人良さそうな店主は、俺と目が合うと「どうぞ、サービスです」とさっきの女の子たちが食べていたものと同じ形の、白い生クリームを盛ったクレープをくれた。 「ありがとうございます」とそれを受け取る。胸焼けしそうな量だが、一口食べた瞬間、食べたことのない甘みが口に広がった。嫌な感じはしない。胸がムカムカするあの感じもない。……美味しい。 「すげー、美味しい……!」 「お気に召してくれたようで安心した。あ、俺もいつものください」 ちゃっかり注文する巳亦。店主は「はいよ」と、予め用意していたのか?というスピードでクレープを用意した。そのクレープは俺のようにクリームモリモリになってはいないが、何かの肉がたくさん詰まっていた。 それもそれで美味しそうに見えてくるから困る。 夢中になってクレープを食べてると、テミッドがくいっと制服の裾を引っ張ってきた。 「い……伊波様、僕、あそこのドリンクショップ、おすすめです……美味しい……」 「ん?どこ?……って、あ、あれか……?」 「ん……美味しい……おすすめ、です……」 そう、テミッドは力強く頷く。 その視線の先には、ワゴン屋台が一つ。 ドロドロに溶けたようなクリーチャーのようなその魔物が店主のようだ。並んでる客が手にしてるドリンクを見ると、小さな目玉のようなものがたくさんドリンクの底に沈んでいて、それを太いストローで飲み干しているではないか。背筋が凍る。そして案の定、異臭の原因はそれだ。 俺たちに気付いたのか、店主は帽子を取って、ぺこりと照れたように会釈してくる。 「……あのお店の人、人間界の食べ物のファンだって……それでいっぱい独学で学んだって……言ってた……すごい……」 「そ、そうだな……」 いい人そうではあるが、明らかに俺向けではない。というか原材料俺たち寄りのものではないのか?というかその目玉はなんなのか?とか色々聞きたいことはあったが、恐ろしくて聞こえなかった。ちゃっかり二人分のドリンクを用意してきていたテミッドは、「ん」とそれを差し出してくる。 「……伊波様、きっと、気にいる……飲んで……」 「え、ええと……」 「……伊波様、もう、お腹いっぱい?」 なかなかそれを受け取れずにいると、テミッドは不安そうに小首を傾げる。少しだけ寂しそうなその目に、罪悪感がちくちくと刺激されるのだ。 郷に入れば郷に従えだ、ええいままよ!と半ばヤケクソにストローの中のそれを勢い良く飲み干した。 そして。 「っ、ぅ゛、う、ぐ、ッお゛ぇッ」 「い、伊波様、伊波様、大丈夫っ?」 「伊波様ッ!!貴様何を盛った?!」 「ひぇ……僕、何も、してな……ッ」 「あーあ、やっぱり曜の口には合わなかったか。ま、俺もそれ無理だもんね」 なら先に教えてくれ、と思いながら、俺は口の中で蠢く無数の何かを必死に吐き出し、真っ青な顔をした黒羽が持ってきた水で口を濯ぎ、半泣きのテミッドが持ってきてくれた口直しのオレンジジュースを押し込んだ。 周りの連中がクスクスと笑ってるような錯覚すら憶えた。舌先が痺れてる。何度も濯いでオレンジジュースで口直ししてるはずなのに、こびり付いた感覚はなかなか落ちそうにない。 店主には申し訳ないが、再チャレンジする勇気はない……。 多種多様な種族が生活してるこの世界、その中でもたくさんの種族が集まり、暮らすこの施設。 食にメインを置いたビザール通りは、俺にとってカルチャーショックの連続だ。 植物を食す種族に、よくわからない獣を食す種族、通りを行き交う種族は姿形バラバラで食べてるものもバラバラだが、皆楽しそうだった。 「伊波様、もう動かれて大丈夫なのか」 小声で黒羽に尋ねられる。何故小声なのか気になったが、黒羽なりの配慮なのか。 「大丈夫、なんとか収まったし……まだちょっと舌は痛むけど……」 「親睦を深めるためにと、無理に食す必要はない。ものによっては他の者の主食でも、伊波様には猛毒になるものもある。……ご自愛下され」 「うん、気を付ける……」 なんて、会話をしていたときだ。 ぴたり、と黒羽が立ち止まった。 「黒羽さん?」 「……い、いえ……なんでもありません……」 何故敬語。 慌てて誤魔化そうとする黒羽に、俺は気になって黒羽が反応した店に目を向けた。 そこには、夏祭りにあるような屋台が一つ。 岩のようなお爺さんが店主のようだ。カウンターに取り付けられた鉄板の上では、たくさんの肉が串に刺さって焼かれていた。 普通に焼き鳥屋なのかと思いきや、よく見ると中にはカエルやヤモリの姿焼きも見えるではないか。 俺はさっと視線を逸した。そして。 「……食べたいの?」 「決してそのようなことはありません」 即答だ……。 まるで子供のように意固地になる黒羽。何故隠そうとするのか分からない。 皆の前だから我慢してるのだろうか。 黒羽は頑なに認めようとしないし、埒が明かない。帰りにまた、寄ってみるかな。 俺たちはビザール通りを後にする。 ビザール通りを抜ければ、今度はまた毛色が変わった通りが広がっている。 淡いパステルカラーに、ファンシーなジュエルを散りばめられたような異空間。幼い女の子が好みそうな愛らしい建物が並ぶその通りは、お菓子屋からドレスショップ、そしてアクセサリーショップといかにも女子向けな店が並んでる。 「因みに、ここはグリッター通り。見てわかるように女しかいないから一人で歩く時は気を付けてな」 「と、通っていいのか?……なんか今店の看板に男子禁制見たいな文字あったんだけど……」 「本当はダメだけど、どうせすぐに通り抜けるから大丈夫大丈夫。それに、こっからの方が学舎まで近いんだよ」 ……いいのか……? 魔法使いみたいな恰好した女の子達が今にも殺しに掛かってきそうな目で睨みつけてくるんだが……。 というか、すごい黒羽さん居心地悪そうだ……。 妹を連れてきたら、はしゃぎ回るだろうな。宝石のような菓子細工が飾られたショーウィンドウには、女ではない俺も心を奪われる魅力がある。 女子たちからの視線から逃げるようにあっという間に抜けたグリッター通り。 とにかく早くこの場を立ち去らなければという一心で足を動かしていたお陰で、あまりゆっくりと楽しめなかったが、俺は嫌いではない。 「因みに、デートスポットに人気らしいよ。白梅たちも放課後来てるから気を付けろよ」 気を付けるってどういう意味だ……。深く聞くのも怖かった。 グリッター通りの門を抜ければ、またもや視界は一転する。目の前には生い茂った木々が無造作に生えていた。道であろう場所は木々に遮られている。 「ここって、通れないんじゃ……」 「問題ない、こいつらには意志がある」 「そう、門番なんだよ、この木も」 そう、巳亦は阻む木々へと近付いた。瞬間、木の枝は大きくうねり、柔らかい針金か何かのようにアーチ状にどんどん変形していく。 「うちの学園のセキュリティの一つで、生徒ひとりひとりの体温とかそういうのを覚えてるわけ」 「……すごい……」 「感動するのはまだ早いと思うけどな」 それなら俺も、と巳亦の後を追うように、一歩踏み出したときだ。先程までアーチ状にくねっていた木たちが一斉に蠢き始める。 黒羽と巳亦が同時に「あ」と口にしたときだ。 無数の枝の切っ先が、こちら目掛けて飛んできた。 「……へ?」 何故、と思考する暇もなかった。手足に巻き付く太い幹。 勢い良く持ち上げられた体は木々へと飲まれていく。 「い、伊波様ッ!」 「もしかして、曜、生徒として認識されてねーのかな」 「呑気に言ってる場合か!管理者を呼べ!早くしろ!」 「わかったって、曜、あんまり刺激したらだめだからな!そいつら、セキュリティ対策ばっちりだから!」 黒羽と巳亦の声が遠くなる。視界は、既に木の枝によって遮られていた。骨が軋む。早く、戻らないと。そう手足をばたつかせればばたつかせるほど、手足に食い込むの枝は太さを増し、より締付けられる。軋む関節、骨。全身の器官さえも押さえつけられ、息苦しい。 「っ、ぐ……」 もしかして、刺激しない方がいいって、こういうことなのか。骨を折る勢いで締め付けてくる木に、血の気が引く。気が動転してるせいか、痛みは感じない。けれど、これは。 大人しくするにも、苦しすぎて体に力が篭もる。それに反応するかのように伸びてくる蔓に体を雁字搦めにされ、また苦しくなっての悪循環。 「っ、ぁ、が……ッ」 まじで、早く、助けてくれ……。 気が遠くなる。服の裾から細い枝が滑り込み、尖った枝先に引っ掻かれ、体が熱くなった。 昨日の今日で、なんでこんな目にばかり。と、泣きそうになったときだ。 急に木々が動き始める。道を明けるように、アーチ状に変形していく木たち。もしかして、黒羽たちだろうか、と目を開いたときだった。 視界を覆い隠すようなほどの漆黒。俺の顔よりも大きな目、そして、口があるであろうそこには鎌状になった鋏角が飛び出していた。そして、先端が鋭く尖った太い八本の足。 俺の体よりも大きな蜘蛛が、そこにいた。

ともだちにシェアしよう!