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食われる。今度こそ、まじで死ぬ。 まさか、登校日に死ぬなんて。せっかく俺のための校則ができたのに、なんて、薄れ行く意識の中そんなことを考えていた。 そのとき、カサカサと足を動かし近付いてくる蜘蛛に反応するかのように枝が緩み、拘束していたそれらは逃げるように奥へと散っていく。必然的に、吊るされていた俺の体は支えを失い地面へと落ちそうになったとき、代わりに辺りには白い糸のようなものが張り巡らされている事に気付く。そしてそれらは俺をクッションのように受け止めた。 痛くない。きつく縛られていたせいか手足に痺れは残るが糸は硬く頑丈だ。 こんなことなら、大人しくしておくべきだったんだ。俺が調子に乗って巳亦に着いていったから……。 複数の大きな目がこちらをぎょろりと見つめる。その目には情けない顔をした俺がいた。 蜘蛛は、俺の側までやってきた。 視界が陰る。それからは、よく覚えていない。気を失っていたようだ。ぺちぺちと頬を叩かれ、ハッとする。 ここが、天国か。俺はやっぱり死んだのか。そう、ふわふわとした意識の中目を開いたとき。 まず、視界に入ったのは、黒羽だ。こちらを覗き込んでいた黒羽は、「伊波様!」と声を上げた。 その声量に、更に飛び上がりそうになる。 「ご無事でよかった……、申し訳ございません、俺がいながら伊波様を危険な目に……」 「黒羽君黒羽君、曜ビックリしてるから落ち着いて」 「これが落ち着いてられるか……!伊波様、体に異常はありませんか?」 「……蜘蛛……」 「……なんと?」 「……俺、蜘蛛に、食べられたんじゃ……」 「蜘蛛?」と不思議な顔をするテミッドと黒羽。 一人、巳亦は何か思い当たる節があるのか、「ああ」と手を叩いた。 「通りで……変なところで寝てると思ったらそういうことだったのか」 「……?どういうことだ……?」 「その蜘蛛って、2メートルほどなかったか?それで、目は八個あって……」 記憶が混乱して目の数は思い出せないが、たくさんの目玉がこたらを向いていたことだけは思い出せた。頷き返せば、巳亦はそうかとひとり頷いた。 「多分そいつだな、曜のこと助けたの」 「……え?蜘蛛が……?」 「基本洞窟に篭ってるんだけど、多分まあ、そのうち会えるよ」 助けてくれた、と言われ、思い返す。もしかして蜘蛛の糸を張り巡らせたのは捕食のためではなく、俺の落下を塞いでくれたからか? だとすると、まともに怯えてお礼も言えなかったことが申し訳なくなる。 今度あったときにお礼をしないといけない。けど、俺、蜘蛛は苦手なのだけれど……。 「それよりも、今度こそ大丈夫なんだろうな。あの管理人、『登録したはずなのに』だとか『手違いで』とかばかり言い逃れしようとしやがって。懲罰房へとぶち込んであの性根を叩き直さなければ気が済まん」 「まあまあ、気持ちは分かるけどさ、落ち着いて」 「……伊波様、怪我……してる……血が……」 「っ、ぁ、本当だ……」 指摘され、制服に目を向ける。ところどころ破れたそこからは、皮膚が覗き、どうやら枝先で傷ついたようだ。シャツには赤黒い染みがところどころ滲んでる。 黒羽の目が余計引きつった。 「伊波様、お待ちください。すぐに手当を……」 そう、言いながら黒羽が大きな風呂敷から包帯やら何やらを取り出そうとしたときだ。 「貸して」と、横に座ってくる巳亦はひょいと俺の腕を掴み、持ち上げる。 「おい、何をし……」 してるんだ、と、黒羽が止めるよりも先に、大きな切り傷が入ったその腕に巳亦が顔を寄せる。瞬間、ぬるりとした肉の感触が触れた。時間が止まる。黒羽も、テミッドも、そして俺も一瞬全部が吹っ飛んだ。 躊躇いもなく傷口に舌を這わせる巳亦。その長い舌になぞられた傷口は熱く疼き、焼けるような錯覚を覚える。 「……っ、み、また……あの……っ」 昨夜の出来事が過る。他人の舌の感触。全身が泡立つ感覚。 それ以上に、驚いたのは、巳亦の舌だ。先端が二股に分かれた舌先は、各々意志を持ってるみたいに動くのだ。 独特の、その動きにはどこか、憶えがあった。 が、堪えきれず、腕を振り払おうとしたとき、唇を離した巳亦は「ほら」と笑った。 「これでもう大丈夫だろ」 そう、巳亦は笑う。言われて、傷のあったその箇所に目を向ければ、腕には傷一本ついていない。 何が起こったのか解らなかった。 「俺の体液は人間には薬にもなるんだよ、ほら、他のところも大分治ってきただろ?」 「……あ、ありがとう……」 まさか、治癒してくれたなんて。 邪なことを考えてしまった自分が嫌になるが、それ以上に、人間離れした巳亦の特技に脱帽した。 「貴様……」 「ちょっと、曜助けたんだからいいだろ?今のは多目に見てくれよ」 「その舌、治癒といい……カガチか」 黒羽の言葉に、巳亦の表情が固まる。それも、ほんの一瞬の出来事だった。瞬きをした間に、巳亦の表情には変わらない笑顔が貼り付けられていた。 「あまりその呼び名は好きじゃない。……そんな御大層なもんじゃないよ、俺はただの成り損ないだから」 カガチ、聞き慣れない単語だ。 どういう意味か気になったが、テミッドはというと二人の話が全く入っていない様子だった。完治した俺の腕を見てすごいすごいと目を輝かせてる。 黒羽と巳亦には、聞けなかった。巳亦が、聞いてほしくなさそうだったからだ。 それでも、俺にとっては巳亦に助けられたことには変わりない。 巳亦が何者であろうが、その事実は変わらない。

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