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紆余曲折あったが、樹園を抜け、長い坂を登り、ようやく見えてきた。
塀の側からはあんなに大きく見えたのは坂の上に聳え立っていたからか、それでも、下手すりゃドーム程あるのではないかと思うほどのその和洋折衷混沌とした建物には、たくさんの物の怪たちが出入りしていた。その光景は、大きく開いた口に吸い込まれているかのようにも見える。
どす黒い靄のようなものに覆われたその建物は、俺でもわかるほど、嫌な気で満ちていた。
国立カルネージ学園。
人ではならざるものが暮らす施設。
「……っ、……」
今になって、緊張してきた。
どくどくと心臓の音が加速する。俺は、ここでやっていけるのだろうか。不安になるが、胸に刺さった蒼い薔薇を見ると、不思議と気持ちが落ち着く。
「よし……っ」
行くぞ、と一歩踏み出そうとしたときだ。
「お待ちしておりました、伊波君」
凛とした声が、響く。顔を上げれば、豪奢な校門前、そこには一つの影が佇んでいた。
その姿を見て、一番に反応したのはテミッドだった。「シャル様」と、震える声でその名前を口にする。
目を惹くのはプラチナブロンドの髪、そして、人形のような真っ白な肌に長い睫毛。華奢な手足は同じ人間と思えないほど長く、繊細で。対象的な漆黒の制服に身を包んだその青年は、俺の前までやってくると恭しく頭を下げた。
「僕はシャル。この学園の生徒会長をしております。以後、お見知りおきを」
シャル、と名乗る青年は、人間と同じ構造をしているものの人間離れをしていた。俺の浅い知見でものを言うならば、童話の王子、否もっと手の届かない存在……まるで天使のような、そんな美青年は白い手袋を嵌めた手を俺に差し出してくる。
「……よ、よろしくお願いします」
断われなかった。というか、体が勝手に動くみたいに、気付けば俺は彼の手を取っていた。
直視し難い。けれど、目を離すこともできなかった。
ロボットみたいにぎこちなく動く俺に、シャルはくすくすと笑う。その笑顔もやはり、人間のそれとは違う、どこか無機質で。
「そう肩を張らないで。……挨拶も終わったことだし堅苦しいのはよそう。本当は理事長が来るはずだったんだけどどうも腰の具合がよろしくないみたいでね、この僕が代わりに君を出迎えさせてもらうことになったんだ」
「でも、怪我の功名というやつかな。こうしていち早く君に会えることが出来るなんて役得だな」流暢な日本語に聞こえるのは、和光の施しのお陰だろう。
シャルは無邪気に笑い、そして俺から手を離す。俺は、その笑顔から目が逸らせずにいた。
「堕ちた天使が生徒会長とは……この学園も程度が知れてるな」
その言葉に、ハッとする。一部のやり取りを見ていた黒羽はそんなことを口にしたのだ。
堕ちた天使、ということは、シャルが堕天使ということか。やはり元天使だったのかと思う反面、ここが魔界の最も混沌とした場所だということを思い出した。ああ、そうだ、ここは言わば吹き溜まり。そこの頭ということは。
「ふふ、そう思うだろう?僕もそれは思ってるよ。僕のような若輩者が頂点なんて任されていいのかなんてさ。けど、あくまでこの学園の元の校則は『弱肉強食』だ。この意味が分かるかい?そこの黒い君」
「なんならここで君を消すことも出来るけど?」そう華が咲いたように笑いながら、シャルは腰に携えていたホルダーから細く尖ったレイピアを引き抜く。それを見たテミッドは、慌てて仲裁に入る。
「しゃ、シャル様……いけません……」
「……冗談に決まってるじゃないか。それに、無益な殺生はナンセンスだからね。弱い者いじめほど詰まらないものはないよ、僕のレイピアが鈍ってしまう」
そう、シャルは鞘にレイピアを戻す。が、それが本意かどうかは解らなかった。
一方、抜刀された黒羽の態度も堂々としたもので。
「黒羽君、この子はこの通りまだ若いからね、怒ったらだめだよ」
「馬鹿馬鹿しい。……こんな餓鬼の言葉を真に受けるやついるのか?」
フォローしてくる巳亦に、まるで真に受けていない黒羽は寧ろ面倒臭そうに息を吐いた。
その餓鬼と言う単語に、シャルのこめかみがぴくりと反応する。
「餓鬼餓鬼って、年下に負けるのが怖いのか?年功序列を嵩に着て、真剣勝負から逃げる。やれやれ、時代錯誤の妖怪連中は本当臆病だね」
天使のようなのは、顔だけだったようだ。
自信満々な言葉の端々から滲む傲慢さは拭えない。けれど、気が長くはない黒羽がこれほど煽られても反応しないということは余程若いのか、それとも。
と、そこまで考えたときだ。いきなり、視界が暗くなる。続いて聞こえてきたのは、羽撃きだ。
「相変わらず口ばっかはよく回るみたいだな、クソガキ」
無数の肉同士がぶつかるような音に混じって聴こえてきた、大きな声。
顔を上げれば、大量の蝙蝠が空から振ってきていて、俺達の間に集まってきた蝙蝠たちはやがて二つの影へと変化する。
現れたのは派手な長身の青年と、少女だった。
青年は、甘栗色の髪に青白い肌をした、貴族のような洋装をしていた。真っ赤な目は怪しく光り、色素を失った唇には笑みが浮かんでいて。
「なるほど、アンタが親善大使様か。まだ小便臭い青二才じゃないか。……こんな子供を生贄に寄越すとは、人間界もなかなか酷なことをする」
すぐ目の前、俺の前までやってきたその男は頭のてっぺんからつま先までを品定めするなり、哀れんだように口にした。
そんな彼の隣、同じく喪服にも似たデザインの真っ黒なミニスカートのゴシックドレスを身につけた少女は目を輝かせながら俺の腕を取る。
薄く、淡い水色の髪を耳の後ろで結んだ、所謂ツインテールヘアーは彼女の動きに合わせてぴょこぴょこと揺れた。
「ホント、シャルと親善大使君、小便臭い同士が乳繰り合っててかわいー!ねえねえ、アヴィド様、僕この子ほしーい!」
「クリュエル、お前悪趣味がすぎるんじゃないか?」
「えー?そんなこといってアヴィド様ヤキモチ妬いてるんじゃないの?ねえ、君、名前なんてーの?僕はね、クリュエル。クリュエル=ヴァローネ!ねえ、君の名前を教えて?」
クリュエル=ヴァローネと名乗る少女は、そうぐっと顔を寄せてくる。淡いピンクの瞳に至近距離で見詰められ、心臓がどくりと反応した。まるで、ぐっと心臓を握りしめられたような。
「お、俺は……」
それもほんの一瞬、黒羽に腕を掴まれ、すぐにクリュエルから引き離される。「あっ」と名残惜しそうな顔をするクリュエルはすぐに不服そうな色を滲ませた。
「ちょっと、無礼じゃない?僕、まだ彼に挨拶してる途中だったんだけどー?」
「何が挨拶だ?術を掛けようとしていた無礼者がよく言う」
「あ、バレた?」
威嚇する黒羽に、全く動じもせずクリュエルは舌を出して笑う。
「……クリュエル、お前は本当に懲りないやつだな」
「だって、人間でしかも生粋の童貞処女だよ?それも、肉付きのよくて性欲も旺盛な若い肉体。ご馳走じゃん?据え膳食わぬはインキュバスの恥だよ!」
「恥の塊のようなやつがよく言う」
「あー!アヴィド様ソレ言っちゃだめなやつじゃーん!」
アヴィドと呼ばれる青年は、クリュエルの態度にも慣れている様子だった。
……というか、今、インキュバスって……。
何かの本で読んだことがある、インキュバスは確か男の……。
「……お、とこ……?」
どう見ても女の子、それも美少女に分類されるレベルの目の前のそのドレスの少女を指差せば、クリュエルは不思議そうに小首を傾げ、そしてにっこりと笑った。
「そうだよ。僕は一応雄だけど君のご要望ならアナルでここの君の初めてをもらってもいいよ?」
言いながら自分のスカートの裾をたくし上げ、クリュエルは俺の下腹部を思いっきり握ってくる。
俺がその衝撃に耐えきれずに「あふっ」と情けない肥を漏らしたと同時に、黒羽の蹴りがクリュエルに放たれた!
が、黒羽の蹴りがクリュエルの脇腹を抉るよりも先にその漆黒の影は無数の水色の蝙蝠となって形を崩し、黒羽から離れた場所でクリュエルは現れる。
「っちょ、ちょっと!僕が下級悪魔だったら死んでたでしょー?!」
「貴様、このお方に手を出すことがどれほどの大罪か知らんのか」
「えー?だってあれさぁ、曜君に痛い思いさせなかったらいいんでしょ?だから、気持ちよくなっちゃえば合意だよねー?」
そう、悪魔のような不気味な笑顔を貼り付けるクリュエル。どうして俺の名前、と考えて、もしかして術を掛けるためなのかと理解する。背筋が凍るようだった。それ以上に、先程見せつけられたスカートの下の光景を思い出しては顔が熱くなる。
「本当、下品で野蛮な魔族の考えることだよ。品性を疑うね。伊波君、悪いことは言わない。彼らとは付き合わない方が良いよ」
「根性曲がり切った腹黒堕天使様は言うことが違うな。自分を棚にあげるとはな、下品で野蛮はお前だろう、シャル」
「気安く僕の名前を呼ばないでくれないか。汚れる」
「お高く止まった小鳥は相変わらず釣れないな。……まあいい。俺はアヴィドだ。今日は、わざわざアンタの顔を見に来たんだ。……さっきは俺の使い魔が失礼をしたな」
アヴィドは、クリュエルとは対照的で落ち着いた人だった。悪い人ではないのだろうかと思ったが、クリュエルを使い魔にしてる時点でその考えは憚れる。
クリュエルとはまた違う、得体の知れない空気を纏った人だ。見据えられると動けなくなる。例えるなら、和光や京極に似た……。
「伊波……曜です」
「……イナミヨウ、良い名前だな。何か困ったことがあれば、そこの蛇や烏や木偶、小鳥よりも俺を頼るといい。悪いようにはしない」
アヴィドは、俺にだけ聞こえる声でそう耳打ちする。
近くで見れば見るほど、整っている。
彫りが深く、鼻筋が通ったその顔立ちは西洋の血が流れてるのだろう。俺が女子ならば卒倒してるに違いない。
俺は「はい」というのが精一杯で、黒羽が何か言おうとしてすぐにアヴィドは俺から離れた。
「行くぞ、クリュエル」
「えー?もう帰っちゃうのー?もっと曜君と遊びたかったのになー!」
「どうせ、制服を着ていないと校舎からは弾き出されるだろ。それともお前だけ着替えに帰るか?」
「それもいいけどぉ、学校行ったら曜君と遊べなくなるから意味ないじゃーん」
「そういうことだ」
どういうことかよくわからなかったが、クリュエルは納得したようだ。最後までぶーぶー言っていたが、アヴィドに頭を軽く叩かれると文句言いながらもアヴィドの後についていく。そして瞬きと同時にたくさんの蝙蝠へと変化し、蝙蝠と化したアヴィドたちはどこかへと飛んでいった。
「本当、いけ好かない連中だよ。……曜君!友達は選んだ方がいい。そう、僕みたいなね」
シャルが何か言っていたが、蝙蝠の羽撃きによって掻き消されていた。
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