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「助けるって……言われても……」 そもそも誰なのか名前すらも知らない相手だ。人間であるというだけで、戦闘能力や頭やらなにかが特別に秀でてるわけでもない。それなのに何故、俺なのか。そして、何から助けるというのか。何一つ分からない現状で、首を縦に振ることはできなかった。 「俺、別に何もすごいことできるわけじゃないし……俺じゃなくても……」 「あんたじゃないとダメなんだよ」 それは、即答だった。至近距離、いきなり距離を詰められぎょっとする。 「人間であるあんたじゃないとダメなんだ」 なんだろうか、この男に見つめられると落ち着かない。目を逸す。人間にしかできないのなら、確かに俺を頼るしかない。けれど、だ。なんとなく、信用できない。 黒羽ほどではないけれど、得体の知れない相手にホイホイ近付いて良いのか、まだ決め兼ねていた。 「そもそも……俺、お前のことよくわからないし、その突然言われても……」 「俺?俺のこと?名前ならリューグ。リューグ・マーソン。あんたのことなら兄貴たちから聞いてる」 「兄貴?」 「アヴィドって会わなかった?いけ好かない感じの、若作りしたおっさんと水色の馬鹿そうな蝙蝠。あれ、アヴィド・マーソン。俺の兄貴ね」 リューグはそう言いながら、笑う。今朝、校門前で出会ったアヴィドとクリュエルを思い出す。若作りしたおっさんには見えなかったが、たしかに落ち着いた人とは思った。アヴィドの弟と名乗るリューグはアヴィドとは対照的だ。サバサバしていて、年相応というか、そもそも年齢なんか知らないし俺よりも上だろうが、なんとなく子供っぽさがある。そして、派手。 「似てない……」 「あはっ、そうだろ?だって腹違いだしな」 「は、腹違い……」 「それで?あとは何が知りたい?俺のこと、知らないと引き受けてくれないんだろ?俺のお願い」 別に、そういうわけでは。 ない、とは言い切れなかった。黒羽の視線が痛い。早く離れろという目でこちらを見てる。それは俺も思うけれど、なかなかこう、人懐っこい笑みを浮かべられると突き放しにくいのだ。 「取り敢えず……あの、ちょっと離れてほしいんだけど……」 「あ、これもダメなんだ。難しいな、人間って」 言いながらも、リューグは俺から離れる。「それで本題なんだけど」と、リューグは手を叩いた。 「あんたの血を飲ませてほしいんだ」 今度こそ、飛び掛かりそうになる黒羽を抑えることでいっぱいいっぱいだった。 人間の血、俺の血。つまり、と、頭の中で血を抜かれてひからびる自分の映像が浮かぶ。血の気が引いた。 「別に、死なない程度だしかるーい気持ちで飲ませてくれるだけでいいんだって。ちゃんと貧血にならないようにケアもするし」 「……吸血鬼……?」 「あー、日本ではそういうんだっけ?ま、そんな感じ。俺たちのところじゃ、ヴァンパイアって言われてたけど」 ヴァンパイア。耳慣れない単語だ。それも、この目の前の男が。確かに言われてみれば牙が異様に長い。けれど、俺の中のヴァンパイアというと黒いマントにお城に住んでそうな紳士というか……。と、そこまで考えてアヴィドとリューグが兄弟であることを思い出す。 ということは、アヴィドも吸血鬼ということか。どちらかというと、アヴィドが吸血鬼だと言われた方が納得できる。 けれど、このなんでも世界では事実なのだろう。 「俺の血を飲んで、それがなんでリューグの助けることになるんだ?」 「あー……そうだよな、ちゃんと言わないと駄目か……」 「……」 「待てって、そんな目すんなよ、ちゃんと話すから。……けど、人目があるのはまずいんだよ。なあ、今から二人きりになれないか?」 「二人きりって」 「聞かれたくない話なんだよ。あと、そこの黒い人もどっかにやってさ」 「……」 あまり、気が進まないがそこまで気にしないといけないとなると深刻そうだ。俺は、黒羽に相談することにした。 「……ということなんですけど」 「駄目だ」 「うっ、そうだよな……」 「……と言いたいところだが、親善大使というお役目のことで俺には決定権はない。決めるのは伊波様自身」 「……」 「……だが、俺は何があっても貴方を助ける。それだけは誓おう」 黒羽の言葉は、実際に助けてくれている黒羽だからこそ余計心強く感じるのかもしれない。結局は、俺の判断次第。 親善大使なんてたいそれた真似、できるわけがない。そう思っていたが、俺にしか出来ないことならば。やるしかないのではないか。 「取り敢えず……話だけ、聞かせてもらってもいいか?」 リューグは笑った。派手な容姿とは裏腹に優しく笑うところはなんとなく、アヴィドに似ていると思った。タレ目がちな目元のせいだろうか。余計、そう感じた。 というわけで、俺はリューグとともに別室に移る。 黒羽には第Ⅳ教室で待機してもらったままだ。何かがあったときのため、俺はポケットの中でしっかりと懐中時計を握りしめていた。これがあればいつでも、黒羽を呼ぶことが出来る。離れていても、懐中時計の存在のお陰で心細さはなかった。 第Ⅳ教室横、そこは倉庫のようだった。高く積み上げられた骨董品と、本。少しでもぶつかれば全てのバランスが崩れ、飲み込まれるだろう。そう思えるほどの圧迫感だった。 「やっぱ、親善大使に選ばれただけあって優しいな、あんた。俺の言うこと聞いてくれるなんて。普通なら突っぱねると思うけど、面倒だからって」 「……伊波曜」 「んぁ?」 「俺の名前。……言ってなかったから」 「……イナミ」 リューグは、少しだけ片言だったが、俺の名前を呼んだ。 「イナミ」ともう一度リューグは口にする。くすぐったいが、悪い気はしない。 「イナミ君、ありがと」 「まだ、決めてないから……話ちゃんと聞いてないし。その、どうして俺の血で助かるんだよ」 人目がない今、まどろっこしいやり取りの必要はないだろう。単刀直入に尋ねれば、リューグは「うーーん」と唸った後、少しだけ変な顔して、それから決心したように息を吐く。 「……俺さ、産まれて一度も人間の血を吸ったことないんだよね」 どんな話が飛びだしても驚かないつもりであったが、リューグの言葉は俺の予想の斜め上をいっていた。 「す、吸ったことないって……なら今までどうやって……」 「獣の血とかメインで、それっぽく加工されたジュースとか飲んで凌いできたんだけどさ、やっぱ駄目らしいんだよ。ちゃんと人間の血の飲まないと栄養不足だってさ、そのせいで力が出ないって親父からも怒られて……」 「けど、人間の血なんて早々手に入るもんじゃねーし、人間界行くのもやだったし、別に俺、立派な吸血鬼になんてならなくてもいいしーって思ってたんだけど……最近になって余計調子悪くなってきたんだよな」そう、リューグは続ける。やっぱりどこか他人事感はあるが、その覇気のなさというか、他の魔族たちからは感じる圧をリューグから感じないのは親しみやすさではなく、そういうことなのだろうか。 「そんなこんなしてるうちにこんな場所に閉じ込められるし、皆からも出来損ないって後ろ指指されたままヨボヨボになって死ぬとかやだなーって思った矢先、あんたがやってきたってわけ」 「それで、俺の血で助かるってことか」 「そういうこと。ま、ものは試しだと思ってすこーし血を飲ませてくれるだけでいいんだって。な、少しだけ」 頼む、と頭を下げられると、調子が狂う。 リューグが嘘吐いてるようには思えない。それにリューグの気持ちは分からないでもない。魔界のルールは元々弱肉強食と聞いていた。恐らく、力を発揮することができなかったリューグは色々大変だったのではないだろうか。それは計り知れない。 そんなリューグを、俺の血を少し飲ませるだけで助けられるなら、それが最善策なのではないだろうか。 リューグの話を聞いたあとは、既にそんな思考が俺の頭を支配していた。 「……少し、だけなら……」 「……いいのか?」 「全身の血抜くってわけじゃないんだろ?死なないなら、いいよ、別に……」 「……兄貴の言ったとおりだな」 「え?」 「聞いてたんだよ、今回の親善大使ならお前の悩みを聞いてくれるんじゃないかって、兄貴に。やっぱり、兄貴の言った通りだ。あんたは、お人好しだ」 口調はきついが、褒められてる、のだろうか。 リューグの手が首筋をなぞる。驚いて飛び退こうとすれば、「ストップ」と停められた。 「動くなよ。間違えて違う脈切ったら血ィ止まんなくなるから」 「ちょ、ちょっと、待って、待てって、……今?もう?」 「だって……気が変わんないうちのがいいだろ?」 確かにそうかもしれないが。いつの間にかに壁際へと追い込まれていて、心臓が煩くなる。今から血を吸いますよって言われたはずなのに、ゆっくりと襟のファスナーを降ろされ、首元を開けさせられた。 「あの、リューグ……っ」 「何?」 「何っていうか……首、からなのか?指とか……」 「指に傷作ったら支障出るだろ。ほら、動くなよ」 なんか、うまく言い包められてる気がしないでもない。けれど、俺の静止を聞く前に、リューグは俺の首筋に顔を埋めた。 まじか、まじか……っと一人、テンパりながらも抑える。皮膚を舌で濡らされ、そして、鋭い犬歯が首筋に刺さる。瞬間、噛まれた箇所から熱がじわりと広がった。 「っ、ん、ぅ……ッ」 舐められる。吸われる。首筋から聴こえてくる水音に、頭が真っ白になる。痛みはなかった。それ以上に、首筋の感触がどんどん鋭くなっていく。リューグの舌の動きが、唇の感触が、牙の鋭さが、鮮明になっていくのだ。 「っ……リューグ……も、そろそろ……」 いいだろ、と、リューグの肩をやんわりと押し返そうとするが、手首ごと掴まれ、そのまま角度を変えて傷口を吸われる。こいつ、と思ったときには遅い。傷口を広げるように噛まれ、ぴりっとした痛みが走る。それ以上に、腹の奥から得体の知れない熱が込み上げてくる。噛み口が酷く甘く疼いた。執拗に血液の一滴までも残さない勢いで皮膚をしゃぶられ、品のない音が辺りに響いた。鎖骨に流れる血液。それをねっとりとリューグは舌を這わせた。 そして。 「ん、……やっぱ……人間の生血って最高……っ」 吐息混じり。リューグはとんでもないことをさらっと口走った。 「っ、今、やっぱって……何、お前、人間の血、飲んだことないって……」 「え?言ってたっけ、そんなこと。覚えてねーや」 は。ふざけるな、こいつ、話が全然違うじゃないか。 嘘吐いたのか?それともまじで覚えてないのか?それすらも分からない。頭が回らない。ふざけるなと拳を作りたいのに、力が入らない。血がドクドクと溢れ、その度に頬を紅潮させたリューグは啜る。その感触に、体が反応した。 「も、やめろ……これ以上は……っ」 「気持ちよくなっちゃう? 「っ……何か、したのか……」 「俺は、何もしてないよ。ただ、どうやら俺の唾液ってあんたらが痛くならないように作られてるらしくてね、気持ちよーくなるんだって」 べ、と舌を出したリューグはそのまま俺の頬を舐めた。 汗が滲む。そんな馬鹿なと思ったが、現に、霞がかった思考でもわかるほど俺の体はおかしかった。もっと吸われたいなんて思う筈がない。半分以上血を抜かれたら生命活動にも支障をきたすという。そんな血をどんどん受け渡して、喜ぶなんて、そんな。 「……っ、離せ……って、ば、おい……」 「イナミの血、いいね。濃厚で、まろやかで……全然飲み足りない」 「っ、く……」 こうなったら、と、懐中時計を取り出そうとするが、両腕を片腕で拘束された。視界が陰る。口を塞がれ、今度は唇を噛まれた。咥内いっぱいに広がる鉄の味に吐き気を覚える。けれど、リューグは躊躇いなく、それどころか美味しそうに俺の唇を甘く噛み、直接傷口から血を飲むのだ。 「っ、ん、ぅ、む……ッ!」 目の前が、白く霞む。頭の奥が痺れ始め、指先から力が抜ける。血を抜かれすぎたか、それともリューグが言っていた訳のわからない唾液の効果か知らないが、勘弁してほしい。 「っ、ふ、……ぅ……ッ」 口元から首筋、シャツまでべっとりと赤く汚れたリューグはそれでも構わず、俺の血を啜るのだ。月に照らされたリューグの目が金色に光る。その目に見据えられるだけで、心臓が、鼓動が加速した。 おかしい、何かが、なにもかも。 腰を抱き締められ、体が震える。押し退けたかったのに、まともに体を動かすこともできなかった。心臓の音が耳元で響くようだった。 「イナミ、気持ちいい?」 「そんな、わけ、ない……」 「ふーん、言う割に、イナミの血はどんどん甘くなっていくんだけどな」 くにくにと耳朶を揉まれ、そのまま耳の穴を擽られれば変な声が出そうになる。片方の耳を舐め、甘く噛まれれば、体の熱はどんどん増す。血を、血を吸うだけだって言ったのに。話がまるで違う。 このままではまずい。黒羽に助けを求めないと、そう、口を開いたとき。 「う、ぁ……ッ」 呂律が、回らない。先程まではまだ確かに発音することができたはずなのに、舌が、思うように動かない。舌だけではない、全身に毒が回ったみたいに自由が効かなくて、倒れそうになった体をリューグに抱き締められた。 「……ようやくか。やっぱ。鈍ってんなー」 耳元で、独り言のようにリューグは口にした。そして、優しく俺の額、頬に真っ赤に染まった唇を落とす。 「それじゃあ、いただきます」 真っ白だった歯は真っ赤に濡れ、同様赤く染まった舌で舌なめずりし、リューグは笑う。その目には殺意によく似た、それ以上に獰猛な色が滲んでいた。

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