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05

「み、巳亦……面白いのって言ったって、どこで囚人が暴れてるのかも分からないのに危ないだろ」 「大丈夫大丈夫、なんかあったときは俺が曜のこと守るから」 「う……それは……」 それは、助かるけどもだ。 つい返す言葉がなくなってしまう俺をいい事に、巳亦は「あれ?こっちになにかあるな」とか言いながら先を行く。 本当にこの人に付いていっていいのだろうか。不安になるが、今更個人行動する方が危険なことも違いない。 俺は、巳亦とはぐれないように慌ててその後ろ姿を追い掛けた。 「巳亦っ、待てよ……!」 「ああ、悪い悪い。ほら、曜、見てみろよあれ」 そう言って、巳亦が指さした先にあったのは崩れてきた天井によって塞がれた通路だ。 こんなところにも、と慄く俺の腕を引き、巳亦はその崩れた箇所に歩み寄りる。おい、とか、巳亦、とかなんか言いながら転ばないよう壁に手をついたとき。 足元でガラリと音がした。 崩れかけていた足元に気付き、慌てて飛び退く。丁度先程まで自分が立っていたその場所に大きな亀裂が入り、落ちていく。 「うおわっ!あっぶねぇ……」   「曜、ここから地下に行けそうだな」 「あ……確かに下になんか見える……」 「って、まさか」巳亦の言葉に嫌な予感が過る。巳亦はニコッ!となんとも人の良さそうに、無邪気に笑い返した。 「行ってみようぜ、曜」 「……本気で行ってる?」 「勿論。……それに、脱獄囚が目指すのは地上だ。案外地下の方が安全なのかもしれないしな」 ああ、なるほど、と納得しかけて、慌てて首を横に振る。好奇心旺盛というか、あまりにも奔放な巳亦に俺は最初からこのつもりだったんじゃないかと疑ってしまうくらいだった。最初から地下に行くために動いていたのではないか、そう勘ぐる俺の視線にも構わず、巳亦は「ほら、行くぞ」と俺の肩を掴み、自分の胸に寄せる。 抵抗する暇もなかった。巳亦に引き寄せられ、俺は更に地下へと落ちることになったのだが……。 浮遊感。 一フロア分の落下衝撃を予期し、構える。が、なかなか落下衝撃が来ない。 おかしい、と思った次の瞬間、巳亦に「舌噛むなよ」と囁かれた。へ、と聞き返すよりも先に、抱きしめられた巳亦の腕から衝撃が伝わる。ぐっと奥歯を噛み締め、息を呑む。 恐る恐る目を開けば、そこは、先程までとは打って変わっておどろおどろしい空間が広がっていた。 充満する血の匂いに、地面に広がる赤黒い染み。 そして破壊された扉と、天井に叩きつけられた肉片。 ぽたぽたと滴り落ちる赤い雫に、吐き気を堪えるのが精一杯だった。 「み、巳亦……ここって……」 「どうやら当たり引いたみたいだな」 「あ……当たり?」 「監獄だよ。扉ぶっ壊れてるみたいだし、脱獄囚の牢獄か?それとも、騒ぎに便乗したやつが脱獄したのかな」 「い、いやいやいや……!!」 思わず突っ込んでしまう。確かに、それも大切なのかもしれないが、他に突っ込むべき点は多々ある。例えば、そうだ、天井にこびりついた、赤黒いあれだ。 「巳亦、これ、何」と片言で天井のそれを指させば、巳亦は「ああ、それな、獣の肉だろ。匂いからして肉食獣の死体だろうな」と当たり前のように答えてくれる。 「肉食獣の死体が、なんでここに」 「お昼時だからな、支給された餌食べてたんだろ」 「ああ……なるほど……」 それなら安心だ、とホッとするが、よく考えたらそういう問題なのだろうか。人肉でないだけましな気もするが、血も滴る生肉を食べるようなやつが逃げ出してんだぞ。 もっと深刻にならないといけないんじゃないか。そう思ってしまうのは俺が人間だからだろうか。 巳亦は辺りをキョロキョロしては、何かを探してるようだ。「どうかしたのか?」と巳亦に近付いたときだった。 「……近いな」 「……何が?」と、そう聞き返そうとした矢先のことだ。 視界が揺らいだ。違う、視界が揺れてるのではない、この施設全体が揺れてるのだ。地震だ、と身構えたときだった。 その部屋の壁が吹き飛ぶ。 そう、文字通り吹き飛んだのだ。 瞬きした一瞬の間、あったはずの壁は全て破片となり、俺の横をすり抜け後方へ吹き飛ぶ。爆風、そして、衝撃。その勢いを受け止めることができず、俺はその場に尻もちをつく。 「ぁ ……う、うそだろ……」 後方、部屋の壁はその威力をもった破片を受け止めることができず、大きく崩れ落ちる。 1センチでも動いていれば首ごと持って行かれてたのではないかと思うほど爆発とその威力に、血の気が引いた。 よく当たらなかったな、と思ったが、その奇跡のタネはすぐに気付いた。俺の体を包み込むように張られた薄い膜のような光。それは、先程までなかったものだ。 「……危ないな、これが当たったらアンタでも死刑だぞ」 脱力のあまりその場に崩れ落ちる俺の肩を掴み、巳亦は支えてくれる。 一瞬、なんのことかと思った。が、すぐにそれが自分に向けられた言葉ではないのだと気付いた。 部屋の中、充満した土埃が薄れる。そして、壊れた壁の向こう、佇むその影が一歩踏み出した。 息を飲んだ。 現れたのは、巨大な化物でもなければ筋骨隆々の男でもない、一人の獄吏だ。 「それはお前たちの地上での話だろう。ここは俺の城だ。俺が法律だ」 いや、違う。獄吏たちと似たような黒衣を身に纏っているが、その雰囲気は量産されたロボットのような連中とはまるで身に纏う空気が違う。触れただけで切り裂かれそうなほどの鋭利な刃物のような鋭さ、そして、体温を感じさせない絶対零度の眼差し。 漆黒の男は、能面のような無表情を貼り付け、巳亦を見た。睨まれていない俺でも動けなくなるほどのその鋭い視線を前に、巳亦は顔を引き攣らせた。 「……しかしきな臭い害獣の匂いを追ってきてみたら……巳亦、お前がいるとはな」 「それはこっちのセリフですよ。……獄長、あんた出掛けてたんじゃなかったのか」 獄長、という単語に、息を呑む。 この男が。人形のようにすら見える不気味な程整った顔は人間離れをしてる。 数多のモンスターを収監してるこの施設を管理する人と聞いて、もっとゴツくてどんな物怪よりも物怪らしいものを想像していただけに驚いた。 が、人形も同然の獄吏たちを従えてるその長と聞くと納得がいった。 「ああそうだ。だが、我が城で問題が起きたとなれば戻ってくるのが通りだろう。……なるほどな、貴様、測ったな」 そう言うなり、獄長は指を鳴らす。瞬間、天井が崩れ、大量の鎖が生えてきた。黒羽とリューグを襲ったあの鎖だ。 蛇のように腹這いになってそれは俺たちに向かって襲い掛かってくる。 俺の脇腹を掴み、そのまま抱えた巳亦は「危なっ」とか言いながらひょいとそれを避けた。 そして、空いた手を地面に着けた瞬間、メキメキと地面が波打つ。同時に、ぼごりと音を立て地面から生えた岩壁で鎖たちと隔てるように壁を覆った。数秒のことだった。一気に形を変えた部屋に、俺は驚く暇もなかった。 巳亦すごいだとか、何だ今のとか、いろいろ聞きたいことはあったが、そんな場合でもなさそうだ。 「脱獄の手助けをしたな、巳亦。小便臭いガキを連れて、欺騙のつもりか。……小賢しいのは変わらないな、そんなにここが恋しかったか。一生磔にしてやってもいいぞ」 きへん、ってなんだ。この人が言ってることはよくわからないが、小便臭いガキというのは俺のことで間違いないだろう。 表情も感情もない獄長の言葉にぞっとする。何か色々なものが噛み合ってない。というか、巳亦が脱獄の手助けするわけ無いだろう。 だって巳亦はずっと一緒にいたんだから。 そう言いたかったが、それよりも先に天井と床から再度湧き出た鎖たちに慄く。無尽蔵か、この男。 逃げたところで行く手を阻む大量の鎖たち。そしてそれを操る能面の男。八方塞がりとはまさにこのことだろう。 「巳亦」と、助けを求めるように目の前の巳亦を見上げたとき、その赤い唇が歪むのを見た。 「そりゃ、随分と魅力的なお誘いですね」 否定も肯定もせず、巳亦は笑う。そのときだった。伸びてきた一本の鎖が巳亦の腕に絡みついた。それと同時に、獄長の頭上、その天井に亀裂が入る。またあの地震だ、こんなときに。と舌打ちしたときだ、先程までの地震と違うことに気付いた。 地鳴り。そして続いて聞こえてくるのは、獣の唸り声のような、轟音。その正体はすぐに分かった。割れた天井部分から勢いよく水が吹き出す。 「っ、え」 獄長の目が頭上に向いたその隙を狙って、絡みつく鎖をもぎ取った巳亦はそのまま俺を捕まえる。 「み、巳亦、水が!たくさん出てる!やばい!溺れる!」 既に膝まで溜まってる水は数分もしないうちに上半身まで浸かってしまうだろう。焦りのあまりに再度片言になる俺に巳亦は「大丈夫だよ」と笑う。どこが大丈夫なのか、と問い詰めようとした矢先に、体を抱き締めた巳亦は、俺を巻き込んで自ら水の中に潜る。 溺れる、溺れる、沈む! 濡れる衣服は鉛のように重くなる。口からごぼりと空気の玉が溢れ、息苦しさに藻掻いた。水の中。何がなんなのかもうわからない。自分がどこにいるのかも、ここがどこなのかも。ずっと地震が起きてるような気がした。深く、どこへいくのかもわからぬまま巳亦は水中その奥へと俺を引きずり込む。 ジタバタする俺を抱き締めた巳亦の腕の感触だけは確かだった。 「おぼ、ごが……ッ」 流石に息が続かない。それでもどんどん深くまで泳ぐ巳亦に、視界が掠れる。泥や土で汚れた水の中。意識が遠のいていく。 和光は俺が仮死状態にあるといっていた。けれど、今度ばかりは本当に死んでしまうのではないかと思った。 視界が黒く染まる。最後に見えたのは、驚くような巳亦の顔だった。 辛うじて口の中に残っていた最後の酸素は泡となって消えていった。

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