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06

気を失っている間、恐ろしい夢を見た。 大きな口の獣に食われる夢だ。真っ暗な空間の中、体は唾液まみれになり、そしてそのまま消化される。 それは間違いない悪夢だ。 そしてこの俺の意識も次第に薄れそろそろ本格的に死ぬのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていたとき、頬にべろりと何か触れる感触があった。 なんだ、なんか、生暖かいというかこれはむしろ……。 「……ぬるぬる……?」 そんなアホみたいな寝言を口にしたところで意識が覚醒する。ゆっくりと鉛のように重たい瞼を持ち上げた。 そして、硬直した。 視界いっぱいに広がる、黒。鱗状の皮膚は光に照らされ怪しく光り、鼻のないのっぺりとした表面には二つの巨大な目が俺を睨んでいた。大きく開いた口からはチロチロと真っ赤な舌が覗く。 それは、巨大な黒蛇だった。 「ッ、ひ……ッ!!」 まるで俺の体を包み込むようにとぐろ巻いていたそれに、言葉も出なかった。慌てて飛び退こうとしたが、伸びてきた尾に体を絡め取られ、動けなくなる。 「た、食べないで……っ!俺絶対美味しくないから……!」 そう、最後の抵抗として腕で顔をガードしたときだ。 俺の顔を覗いていたその黒蛇はきょとんとして、そして、目を細めた。 「曜、俺だよ、俺……巳亦だよ」 「……へ?」 どこからか、巳亦の声がした。この蛇に捕まってるのかと思い辺りを探るが、水浸しの洞窟の中、それらしき影はない。そう、俺とこの黒蛇以外には……って、え、まさか。 「み、巳亦……?」 恐る恐る、巨大な蛇を見上げたとき、蛇は答えるようにチロチロと舌を出す。そして、俺の顔に鼻先を押し付けるようにすり寄ってきた。 俺は、状況を把握するのに大分時間かかった。 どうやら、巳亦は能力を酷使したせいで一時的に人間の姿が保てなくなったという。 そして、獄長、あの男は水が苦手なのだという。だから、あのとき巳亦は地震に見せかけて上階、地上の井戸と繋がる貯水槽を破壊し、地下の水没を狙ったという。一時的になんとか逃げられたが、それもどれほど持つかはわからないという。 蛇から巳亦の声がするのはなんだか変な感じだが、最初はあれほど恐ろしかった蛇でも巳亦と分ればなんだか愛嬌があるように思えてくる。……しかし、巳亦が蛇だとは思わなかった。そういえば以前黒羽さんが巳亦をカガチと呼んでいたが、それと関係あるのだろうか。 「……けど、巳亦、さっき獄長さんが言ってたのって本当なのか?……その、脱獄囚の手伝いをしたとかっていうのは」 「曜は信じるのか?」 「そういうわけじゃない、だって脱獄囚が現れたときだって巳亦は俺達といたんだし、アリバイだってあるだろ。……けど、だとしたらあの人はなんでそんなにお前を疑うのか気になって……」 「アリバイ、ね。……曜って本当面白いよな、ここがどこだか分かってる?」 「まあ、それでも俺を信じてくれてるのは嬉しいけど」と、黒蛇は軽薄に笑う。否、表情は変わらないものの、聞こえてくる声は楽しそうなものだった。 指摘されてから、気付く。確かにここは魔界だ。人間界での大凡の常識は適用されない。 けれど、そうとなると。 「でも、まさかあいつが帰ってきてるのは予想外だったな。……もっと上手くいく予定だったんだけど」 あっけらかんとした様子で巳亦は白状する。 それは肯定としかとれない言葉だった。俺は、あまりにも普通に答えてくれる巳亦に呆気にとられる。 「ほ、本当なのか……?巳亦が、脱獄囚と共犯って……」 「共犯って言い方はちょっと違うな。……俺がやったのは監獄を震源地に地震起こしたくらいだし。偶然、そこの監獄に爆発を起こせるやつがいたってだけだ」 「……なんでそんなことをしたんだよ」 「あれ、何、もしかして俺……責められてる?だって、曜が黒羽君に会いたいって言ったじゃないか。だから、その手助けをしようと思ったのに……冷たいな」 心外だと言わんばかりの巳亦。 俺は、何も返せなかった。 俺のためにしてくれたのか、全部。 ……本当に? 疑いたくはないが、俺には巳亦という存在がわからなくなっていた。信じていいのか、分からない。けれど、俺のことを心配してくれていたという言葉には嘘は感じない。 慈しむように頬を舐められ、『怒ったのか?』と心配そうに首を引く巳亦に、俺は首を横に振る。 「怒った……わけじゃないけど、まだ、混乱してる……。こんなことして、獄長さんにだって逆らう真似までしたんだ。巳亦がまた、危険な目に遭う可能性だってあるんだろ」 そう、それだ。それがあるから、俺は巳亦の善意も受け入れることができなかった。 黒羽さんのように可愛い姿になるだけならまだいいが、巳亦がしたことは俺にでも分かるほど大罪だ。 生きた心地がしない。濡れた体に寄り添うように、巳亦は俺の首元に顔を埋める。ひんやりとした、湿った皮膚の感触が変な感じだった。 「ごめん。卑怯な言い方したな。曜、俺のことは気にしなくてもいい。……最初から、お前と会ったときからずっと考えていたことだから、こうなることは踏まえた上だった」 え、と顔を上げたとき。赤い蛇目が俺を見つめる。 出会ったときからって、なんだ。嫌な予感がして、思わず俺は巳亦から体を離そうとした。 「まあ、その反応は正解だな」と巳亦は自嘲的に笑う。そして、次の瞬間、その姿はよく見知った青年の姿へと戻った。しとどに濡れた黒い髪の下、赤い目はどこか寂しそうに俯いた。 「……巳亦、どういう意味だよ、それ」 「お前を利用したのは本当だ、ってこと」 「……どうして、そんな真似……」 「俺には俺のやりたいことがあった、それだけだよ。……あながち失敗したわけでもなさそうだしな」 そう、巳亦が笑ったときだった。その背後に、大量の鎖が現れる。あ、と思ったときには、遅かった。首、腕、両足と伸びる鎖に雁字搦めになる巳亦はそのまま岩壁へと磔にされる。 「少しは更生したかと思いきや、全く変わっていないようだな」 背後、聞こえてきたその地を這うような声に、息が止まる。そして、逃げるよりも先に伸びてきた手に首根っこを掴まれた。 「っ、巳亦を離せ……この……っ!」 「……愚かな人の子が、まだ分からんのか。お前はこの蛇に騙されたんだよ、利用され、体のいい盾にされた」 「……っ」 「……何故今更庇う必要がある」 音を立て、巳亦を拘束する鎖は壁へ埋まっていく。巳亦は抵抗する気もなさそうだった。俺にはそれがわからなかった。 さっきまではあれほど獄長に抗っていた巳亦が無抵抗のその理由が、俺には。 「曜、お前は少しは周りを疑った方がいいよ」 そう笑う巳亦。その周囲に、大きな口のような穴が開いた。その奥に広がるのは闇だ。何もない。塗り潰された亜空間が広がるばかりで。 「巳亦、施設破壊に脱獄の補助、そしてこの俺に逆らうった罪により……お望み通り死刑にしてやる」 汗が滲む。待ってくれ、と、咄嗟に俺は闇に吸い込まれる巳亦の体に縋りつこうとする。が、獄長の手からは逃れられなかった。首が締まるほどの力で体を引き戻され、そのまま地面へと投げ付けられる。 ろくに受け身も取れず尻もちをつき、気が付いたときには既に巳亦の体の半分が消え掛かっていた。 「巳亦……っ!!」 名前を呼ぶ。その声に反応するかのように最後、目があった瞬間、巳亦は笑った。 それはあっという間の出来事のようで、非常に長い時間のことのようにも思えた。 俺は、巳亦が消えたその先の壁に向かって駆け寄るが、先程の奇妙な入り口は現れない。 ただそこには無骨な岩壁があるだけだ。 何度叩いても、指で掻き毟っても、なんの変哲もない。ただ痛みだけが支配する。 「無駄だ。最下層への門は俺しか開けることはできない」 最下層。極刑囚がそこに収監されると巳亦は言っていた。 だとしたら、今消えたというわけではないのか。 安堵するのも束の間、遅かれ早かれ死刑を下されるというのならなにも変わらない。 「……っ、確かに、巳亦がしたのは良くないことだけど……それくらいで死刑を決めるのは酷いんじゃないか……!!」 いても立っても居られなかった。俺は、目の前の男に掴みかかろうとして、すぐに手首を掴まれる。白い手袋の下、鉛のように冷たく固いその感触にぞっとする。そして、こちらを見下ろす醒めた目にも、体の芯まで冷え切るようだった。 「……それくらいで死刑か。……人間らしい、ぬるま湯に浸ってぬくぬく育ってきた者だから言える、幸せな言葉だな」 獄長は色のない唇を歪め、笑う。その目に見詰められた瞬間、心臓を握り潰されたかのように息が止まった。 「均等も保つには絶対的支配者が必要不可欠だ。力で捻じ伏せ、抜きん出る者を許さない存在。そうしなければ秩序は崩れる。秩序も法も意味を為さなくなったとき、国は崩壊する。弱者は食い破られ、強者がのさばる。無法地帯となった国は次は隣国を狙う。……そうなれば、次に連中はどうするかわかるか?」 「戦争が起きる」至近距離、獄長の声は冷たく、重く、胸の奥に響く。 獄長の言葉は理解できた。けれど、今この男がしてることは独裁政治そのものだ。争いの芽を摘むことにより、平和を保つ。力で捻じ伏せ、権力にものを言わせてるこの男こそ、強者と同じではないか。 「この地下監獄での王は俺だ。……何人足りとも逆らうやつは許さない。人間、お前もそうだ。俺に逆らうというならば容赦するつもりはない」 本気だ。目が笑っていない。 剥き出しの殺意に充てられ、息が詰まりそうになる。今は、黒羽さんもテミッドも……巳亦もいない。 一人だけだ。助けてくれるやつも、俺以外にはいない。 「生意気な目だな。……いいだろう」 そう言って、獄長は俺の前髪を掴んだ。瞬間、無数の細い鎖が俺の周囲に生えてきた。意思を持って生き物のように蠢くそれに、血の気が引く。 慌てて逃げようとして、足首に絡みついた鎖に引っ張られた。 「ぅ、ぐ……ッ」 慌てて起き上がろうとついた右腕に鎖が絡みつく。それを剥がそうとした左手首にも鎖は絡み、制服が汚れるのも構わず、腹這いになる俺の腰に太い鎖が巻き付き、地面へと縫い付けた。 骨が軋む音がした。冷たく、頑丈な鎖はちょっとやそっとじゃ離れない。それどころか、暴れれば暴れるほど体に食い込む。息が漏れる。地面の上、強制的に腹這いにさせられたとき、視界が陰る。え、と思った瞬間、硬質な革靴にこめかみ部分を思いっきり踏みつけられた。 「その体に……脳に、俺が直々に教えてやろう」 感謝しろよ、人間。そう、やっぱり無表情のまま吐き捨てる獄長に、今度こそ俺は青褪める。

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