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この年になってお漏らしなど、死にたい以外の何者でもない。獄長の醒めた目絡みつく。顔を見られたくないのに、隠すことも許されないのだ。
強烈な射精感に耐えられず、肩で息を繰り返していたとき、獄長に首元に繋がる鎖を引っ張られる。
強引に頭を下げさせるような体勢に、首が締まる。
「何を呆けた顔をしてる。貴様の粗相だろうが、後始末をしろ」
え、と思った次の瞬間、開きっぱなしの口、その中に指を突っ込まれ、舌を引きずり出された。
「舐めて綺麗にしろと言ってるんだ」
その一言に、後頭部がガツンと殴られたような衝撃が走る。
正気か、こいつ。呆れたが、それよりも、無抵抗のまま床に這いつくばろうとする自分にぎょっとする。
嘘だろ、おい、ストップ、ストップストップ、正気かよ、そんなのきたねーだろ普通に考えて。
叫び、必死に自分を止めようとするが俺の声は届かない。伸縮自在の鎖のお陰で首の息苦しさはどうにかなったが、今となってはそれが仇となる。
己のものとは言え、そんな不衛生極まりない真似をするわけにはいかない。鉄板の床、その上の水溜りが近付く。そして、舌を付き出そうとする自分に声にならない声を上げそうになった、その瞬間だった。
部屋を照らしていた蝋燭の火が消える。
辺りに闇が広がり、体が動きを止めた。
日の差し込まない地下牢獄では、照明代わりである灯りがなくなれば何も見えない。
それは人間である俺だけのようだ。
暗闇の中、バチバチと無数の羽撃き音が響く。
もしかして、と思った次の瞬間だった。天井から巨大な鎖が生えてきて、天井をぶち破る。上のフロアから射し込む明かり。そこでようやく俺の目は利くようになった。
そして、息を飲む。
どこから現れたのか、牢獄内には大量の蝙蝠がそこにいた。
そして、その中央。俺と獄長の間に立つのは、先程まではいなかったはずの長身の影。
「……どうやってここまで来た」
「まあ誰かさんが俺のために極上の食事を用意してくれてたお陰でね」
そう、笑うリューグは俺の体を抱き抱える。
手首と首元の鎖に引っ張られそうになったときだ、リューグは鎖を引っ張り、まるで玩具か何かのように引き千切った。
「獄長、こいつはもう俺専用の餌だからさ、玩具なら別の探してよ。あんたには勿体無いだろ」
「成り損ないが笑わせてくれる」
そう、獄長が笑った瞬間、天井から大量の鎖が伸びる。向かう先はリューグではない。俺だ。
手足に伸びる鎖に、リューグは「おお」と驚いたような声を上げ、飛び退く。揺れる視界の中、リューグの顔が目に入る。その目は光の加減からか、赤く光っているように見えた。
「かっこいいな、それ、俺にもやり方教えろよ」
その一言に反応するかの如く影が蠢く。違う、影かと思っているそれはひしめき合っていた蝙蝠だ。耳を劈く羽撃き音ともに、大量の蝙蝠が獄長へ向かって飛んでいく。舌打ちし、獄長はそれを薙ぎ払うが、まさに有象無象。
何十、何百もの蝙蝠は振り払われても逃げようとしない。衣類越しに歯を立てる蝙蝠に鷲掴み、握り潰す。
可哀想、などと思ってる暇もない。
「ああ、言い忘れてたけどそいつら毒持ってるから気をつけろよ、遅効性だけどな」
「貴様、小癪な真似を……」
「あんた可愛い生き物好きだろ、精々可愛がってくれよ、俺の子供たち」
そう手を上げ、リューグは軽々と壊れた天井へと登る。
最後、獄長のいた部屋を振り返れば大量の黒で塗り潰されているのを見て、ゾッとした。
体が動くようになっていることに気付く。
「リューグ」とやつの名前を口にしたとき、やつはこちらを見下ろし、そして笑う。尖った牙が覗いた。
「っ、ふ、ん……ぅ……ッ!」
あ、と思ったときにはもう遅い。
そう離れてはないはずの通路、足を止めたリューグは躊躇なく俺の唇に噛み付いた。甘皮を突き破る牙は滲み出る血液を啜るように舐め、しゃぶりつく。
まだぼんやりとしてる頭の中、執拗に血液を舐め取るリューグになすが儘になった。
「っ、りゅ……ぐ……」
「随分といい格好してるな、イナミ。……すげー甘い臭いがする」
「ちょっ、おい、ここで……ッ」
「……さっきので大分使い果たしたお陰でわりと今体力ギリギリなんだよ」
だから補給させろ、と言わんばかりのリューグだが、それに抵抗する術もないし、確かにリューグに助けてもらえたのも事実だ。
「……ちょっとだけなら」
「そりゃどうも」
最初からこいつは俺の意見など聞く気はなかったのだろう。躊躇いなく首筋に顔を埋め、歯を立てる。皮膚を突き破るその痛みに体が震えるが、それを抑え込んで首を掴んだリューグは溢れる血液を音を起てて吸い出す。
ちょっとだけと言ったのに、食い付いたこいつは離れようともしない。指先から力が抜けそうになり、頭の中がじんわりと熱くなる。何も考えられなくなり、噛まれた箇所に甘い快感が走る。
射精したばかりにも関わらず反応し始める己の下腹部に死にたくなるが、幸いリューグは吸血行為に夢中になっていて気がついていない。が、下腹部が密着するほど抱き締められれば、顔が熱くなる。あろうことかこの男、人の血を吸いながら勃起してるのだ。
「っ、リューグ……も、これ以上は……」
「っ、なに……?イナミを助けてやったのはどこの誰だよ」
「リューグ、だけど……っ、ぉ……ほんと、これ以上は……まじで無理……っ」
「じゃああと少しだけ」
言いながら、勢いよく血を吸われた瞬間、頭に電流が走ったみたいに体が痙攣する。
「ぁ、ぐ……ッ、ぅ、んん……ッ」
瞼の裏が点滅する。血を抜かれる感触は射精感に似ていると思った。力がはいらない。今は、リューグの手助けが必要なのも事実だ。癪だが、俺一人ではどうしようもない。体を抱き込まれ、首筋に当たるやつの髪の感触が酷くこそばゆくて、身じろぐ。血の一滴までを吸い尽くしたリューグは、真っ赤に染まる唇を舌で舐め取った。
「……はー、最っ高」
うっとりと笑うリューグに、ゾクリと肩が震えた。
やつの目が俺の体に向けられるのを見て、耐えられず「もういいだろ」とやつから逃れようとした。
「やっぱりイナミの血は最高だな、ずっと飲んでられる」
「……普通に死ぬから」
「そうだな、お前に死なれるのは困る。あんなやつに嬲られて殺されるのもな」
リューグに肩を抱かれ、暫く俺はやつから目を反らせなかった。血を飲んだお陰か、さっき水槽前で出会ったときよりもかなり顔色は良くなってる。
「約束は約束だ。気に入らねえけどあいつら助けるんだろ?手を貸してやるよ、イナミ」
「その代わり、ここから出たらまた血飲ませろよ」信用に値しないが、敵に回すと厄介なリューグが味方になってくれると心強いのも事実だ。
言いながら俺の唇に残っていた血を舐めるリューグに、俺はこの男の手を借りたことが本当に正しいのかどうかわからなくなっていた。
が、一人では即死する未来しか見えない。
不本意ではあるが、俺はやつと一時的に同盟を結ぶことにする。
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