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空の拳銃発砲して腔発狙う。 それは、一か八かの賭けだった。 下手すれば失敗して殺される。成功すれば、突破口になるかもしれない。 そんな分の悪い賭けだ。 瓦礫が散乱する足下、獄吏の魔銃で一番近いものに目をつける。 数メートル先、障壁の抜ければなんとか取れそうな魔銃がある。 しかし、銃を取り、発砲するまでのその間に気付かれれば終わりだ。 そんなことして黒羽と火威に言われるかもわからない。 二人に止められる前に行動する必要もある。 考える。汗を拭い、辺りを見渡す。 獄長は目前の相手を甚振ることに夢中になっている。 獄長の剣を受け流し、僅かに出来た隙きを狙って急所に刃を突き立てようとするものの相手が悪すぎる。獄長はいとともせず、それを正面から受け止め、瞬間空気が震動する。 ビリビリと震える皮膚。 ……今ならば、いける。 そう、直感する。考えてる暇もなかった。下手に躊躇すればそれこそ恐怖で飲まれそうになってしまう。 俺は考えるよりも先に黒羽を横に置いた。 そして、爪先に力を入れて駆け出す。 「ッな、伊波様?!」 「伊波君、危ない!」 黒羽と火威の声が聞こえた。それらを無視して俺は銃を目掛けて走っていく。獄長たちの様子を気にする余裕もなく、瓦礫を避けるように俺は魔銃を手にした。 見た目よりもずっと重く、冷たい感触はずしりと俺の掌に伝わる。腕の痛みを気にする暇もない。 撃ち方などろくに分からないが、とにかく撃たなければ始まらなかった。焦る思考の中、俺は留め具らしき部分を外す。 そして引き金を外せば……或いは。 見様見真似で銃の引き金らしき部分を探り当てる。 硬い。硬いけど、ビクともしないわけでもなさそうだ。 俺が銃を構えた瞬間、獄長がこちらを見た。目が、あった。俺は視線を反らし、そして奥歯を噛み締める。 「伊波君、あぶな……っ」 危ない、と。飛んできた火の玉もとい火威が声をあげたときだった。 ぐ、と引き金が動いた。 瞬間、音が消える。 黒羽と火威の声も、耳障りな金属音も、全部。 音だけではない、次に消えたのは視界の色だ。 薄暗かった部屋に真っ白な光が広がる。塗り潰される。どこが上でどこが下なのかすらもわからない。 そして、感覚。 痛みがなくなった。銃の重みもなくなって、自分が立っているのか吹っ飛んだのかすらもわからない。 ただ、焼けるように熱くなる首輪が辛うじて俺という意識を繋ぎ止めていたような、そんな気がする。 「伊波様……ッ!!」 ……けれど、その声だけは確かに聞こえた。 次の瞬間、実体を失ったかのように霧散していた体の感覚が蘇る。誰かに強く抱き締められたからだ。ふわりと薫るお香のような懐かしい匂いに、聴覚が戻ってきたのだとわかった。 真っ白な部屋の中に色が戻る。 影にも似たその色は、何者にも関与されない、漆黒。 「貴方は……何という無茶を……ッ!!」 聞こえてきたその声は焦燥しきっていた。 恐る恐る顔を上げれば、そこには青褪めた顔をした黒羽が俺を抱き抱えていた。 ……もふもふしていた黒羽ではない、人の形をした黒羽が、そこに。 何が起こったの変わらなかった。 黒羽の存在を認識した瞬間、視界が鮮明に戻っていく。 大きな爆発が起こったかのように崩れた部屋の中、黒羽は気付いた俺を見て渋面を僅かに緩めた。 黒羽が戻ってる。 そのことを喜ぶ暇もなかった。 黒羽の背後で黒い影が動いたと思った瞬間、俺を抱えたまま黒羽は袖の下から取り出したクナイを放った。 影もとい獄長は、目に見えない速さで飛んでくるそれをいとも容易くそれを剣で弾く。 「時間切れにはまだ早いはずだが……せっかく愛らしい姿にしてやったというのに。今度は二度と戻らんようにしてやろう」 「ほざけ」と吐き捨て、黒羽は俺を庇うように交代し、そして何かを口にした。瞬間、辺りに黒い霧が広がる。 そして、生き物のように意思をもって動き出す影が獄長の足下に集まる。次の瞬間、蛇のように現れた影は獄長を地面に縫い付けようとした。 「小癪な真似を……」 躊躇なく絡みついてくるそれを踏みつける獄長。 潰れたそれは手応えのないスライムのように変形し、尚も獄長を束縛しようと縄のように絡みついた。 鬱陶しそうにそれらをひと振りで薙ぎ払おうとしたときだ。まるで剣先が別のものに向くその瞬間狙ったかのように、霧に乗じて現れた無数の煌き。 「……おっせーよ、オッサン」 獄長の頭上。現れたそれは先程リューグが使っていた短剣だった。十本、宙に浮いたその剣の切っ先は全て獄長に向けられていて。 リューグが笑ったと同時に、それらは一斉に獄長の上半身に向かって飛んだ。 縫い付けられた足を引き剥がすことに間に合わなかった獄長は透かさず前方から飛んでくる剣を防くが、背後にまでは手が回らなかったらしい。 一本の剣が獄長の背中に突き刺さる。 それを皮切りに残りの剣が腹を突き破る勢いで獄長の背後に突き立てられる。音もなく、僅かに逸れた上半身、獄長は己の体に突き刺さる剣を見て、笑った。 「ッ、は……」 傷口から血の代わりに溢れるのは黒い瘴気のような靄。 苦しむ素振りはない。それどころか、獄長は自分の背中に突き刺さるそのうちの一本を引き抜き、そしてリューグに向かって投げ返す。それを弾いたリューグは「化物かよ」と笑う。 血は出ない。痛がるわけでもない。 どうすればこの男を止めることができるのか。そう、考えるよりも先に黒羽がクナイを投げる。それを手袋が嵌められた手で止めた獄長にぎょっとした瞬間。 クナイだったそれは縄へと形を変え、獄長の手、体へと一気に形を伸ばし、一瞬にして捕縛する。 瞬きの内に全身ぐるぐるに拘束する縄に、獄長は顔色を変えるわけでもない。それどころか、愉しむ気配すらあった。自ら剣を手放した獄長。手から離れた剣は空気中に溶けるように姿を消した。 「天狗らしい面白い玩具を持っているではないか。……しかし、俺を拘束したところで無駄だ」 「それはこちらが決めることだ」 黒羽を睨む獄長だったが、すぐに首の上まで伸びてきた縄によって視界を遮られる。容赦なく絡みつく黒い縄は口を塞ぎ視界すらも奪い、文字通り『捕縛』した。 半壊した室内に静寂が戻る。 「……す、すごい……」 そして、その沈黙を破ったのは火威だった。 「す、すごいね!すごいね君!あんな見事な捕縄術見たことないよ!し、し、しかもっ!獄長相手に!というか君ただの烏じゃなかったんだ?!」 黒羽の周りを興奮気味に飛び回る火の玉だったが、すぐにやってきたリューグに握り潰されていた。 「……おい、どういうことだよこれ。あんた勝手に変身の術解けたのか?」 「こっちが聞きたいくらいだ。……伊波様に危機が迫ってると思った瞬間体が熱くなって、それで、気が付いたらこれだ。失っていた魔力が一気に戻ってきたような……」 こちらを見た黒羽はそのままそっと俺をおろし「伊波様、お怪我は」と俺の手を取った。 あまりの出来事に頭から吹き飛んでいた。 そういえば怪我をしていたと思い出すが、黒羽に触れられても直接痛みを感じることもなければ、麻痺していた指先も動くようになっていた。 「あ、あれ……?」 「どうされましたか?」 「……なんか、寧ろ調子良くなってます」 「本当ですか」 「ほら、指もちゃんと動きますよ」 そう両手でグーとパー交互に作ってみれば、黒羽は渋面を更に顰める。 「……ならばいいのですが」と口にするが、原因が不明なだけになんだか釈然としない。 何が起きたのか分からないのは俺も同じだった。 黒羽も訳のわからないことを言っていたし、それに、と和光から貰った首輪に触れる。まるで生き物のようにバクバクと脈打つそれはまだ熱い。 違和感といえばこれもだが、今ここで悠長にしている場合ではない。 「まー良かったってことで……それじゃ、逃げられる前にこいつにトドメ刺しとくか」 言いながら、新たな一本の短剣を取り出したリューグは自由を奪われた獄長にその剣先を向ける。耳は聞こえてるはずだろうが、獄長はたじろぐことはない。 本気か、と驚いたが、リューグの言い分もわかる。けれど、それはまずい。獄長にはまだやってもらわないといけないことが山ほどあるのだ。 「おい、リューグ!」 「待て」 ストップ、と俺が止めるよりも先に黒羽がリューグの手を掴み、静止した。 「この男にはまだやってもらわなければならないことがある」 そう一言。 感情のない声で静かに告げる黒羽は腰から忍刀を抜き、それを獄長の口元、猿轡となっていた縄を切った。 口だけ自由になった獄長は、薄い唇に笑みを浮かべる。 「……随分な扱いだな」 「今すぐ殺してやりたいところだが、どうせ簡単には死なんのだろう。……その体も挿げ替えが利くようだしな」 「そこの吸血鬼よりかは少しは賢いようだな」 「最下層の門を開けろ」 「従わなければ、貴様を国賊として我が王へ付き出させてもらう」両刃のそれを首筋に押し当て、黒羽は冷たく吐き捨てる。 獄長はその脅しに怯える風でもなかった。「烏ではなく犬だったか」なんて、揶揄するように笑い、そして……。 「従う義理はない。……突き出したければ好きにすればいい。その前に、貴様らを殺すだけだ」 黒羽が獄長の首を掻っ切るのと開いた扉から多数の獄吏たちが現れたのはほぼ同時だった。 舌打ちをし、すぐに戦闘態勢に入るリューグと慌てて隠れる火威と俺。 そして、獄吏たちの背後から覗いたのは――赤。 「とうっ」 なんて、気が抜けるような声とともに現れた獄吏たちが壁まで吹き飛び、そのまま瓦礫の中につっ込んだ。血の代わりに砂が飛び散る部屋の中、砂埃とともに現れたその少年を見て、俺は目を見張った。 「っ、て、テミッド……?!」 「……お待たせ、しました……遅くなってごめんなさい、伊波様」 血のような紅髪も乱れ、白い肌は赤黒い返り血で汚れている。緑の瞳を細め、テミッドは申し訳なさそうに項垂れた。 無事で良かったとか、怪我は大丈夫なのか、とか色々言いたいことはあった。けれど、すぐにそれは吹き飛ぶ。 「待て、待つんだお前たち!!」 テミッドの肩の上、もぞもぞと何かが動いたかと思えばそれは勢いよく飛び出し、そして、獄長の前までやってきた。 洋装を身に纏う丸々太った鼠は獄長を庇うように短い腕をいっぱいに広げ、獄長を庇うかのように俺達の前に立ちふさがった。 この男……否、雄鼠には覚えがあった。 「鼠入……先生?」 鼠入が無事だったことに安堵するのも一瞬、獄長を庇うように立っている鼠入に困惑する。 それは俺だけではないらしい。  この学園の講師が獄長を庇うという図に流石のリューグや黒羽も困惑してるように見えた。 そしてそんな中ただ一人。 獄長だけは鬱陶しそうに舌打ちをした。

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