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「こんなところにまで来て……何やら探し物をしていたようだが肝心の探し物は見つかったのか?」 「……っ!」 「……まあ、こんな場所にあるわけなかろうがな。貴様、『これ』を探していたのだろう」 そう、獄長は側にいた獄吏を呼び出した。そして、獄吏が持ち出した檻、その中に収まった毛玉に「黒羽さん!」と思わず声をあげた。 ……けれど、様子がおかしい。俺が呼べばすぐにでも反応しそうな黒羽さんなのに、丸まったまま反応はない。 「っ、黒羽さんから手を離せ!」 「口を慎め。……貴様はまだ立場が分かっていないようだな」 「っ、立場が分かってないのはお前の方じゃないのか……っ」 そう、堪らず言い返したときだった。獄吏に躊躇なく銃口を向けられる。威嚇行為だと思っていたが、その獄吏は躊躇なく発砲した。 視界が一瞬白く点滅した。やばい、と頭が追い付くよりも先に、体を抱き締められた。 「っ、リューグ君!」 人間にしては低い体温だが、それでも、微かに熱を持ったその体温に、ぎょっとした。 火威の悲鳴に、恐る恐る顔を上げれば、俺を抱き締めて庇ったリューグがいた。 「っ、な……」 「取り敢えず……落ち着け、今は分が悪い」 リューグ、と名前を呼ぶよりも先に、やつに耳打ちされる。肩に銃弾を食らったやつは、微かに不快そうな顔をして、それから自分の傷口から銃弾を取り除いた。制服に、赤い血が滲む。 「ごめん」と言い掛けるが、やつはそれを無視し、俺の前に立つ。 「それで?……わざわざこんなところに誘き寄せるような細工しやがって……今度こそ俺たちをいい部屋までご招待してくれるつもりか?……さっきみてーな魚くせえところは勘弁しろよ」 「そうしてやりたいところだが、こちらとお前らに構ってる暇もない。……全員分の墓なら用意してやらんこともないがな」 「……正気か?」 「脱獄どころか、獄長である俺に楯突くなどとは万死に値する。……獄長である俺自らがこの場で処刑やるんだ、感謝することだな」 別の獄吏から受け取った長身の銃を構える。 汗が滲む。リューグが火威たちに死という概念がないから大丈夫、とは思えなかった。やつの口ぶりからして、相応の凶器を用意したということには違いない。 「吸血鬼の心臓に何発銀の鉛弾を打ち込めば絶命するのか。……非常に興味深い」 黒羽を助けて、ここを抜け出して、この獄吏たちから逃げて、獄長をどうにかするしかない。けれど、どうやって。まずは目の前の銃口から逃げなければ、と思うが、それを考える余裕すらなかった。 リューグに向けられた銃口。その引き金を引くのとほぼ同時だった。 破裂音ともに、室内に光が広がる。 何かがおかしい、そう思ったのと、檻の付近が爆発したのはほぼ同時だった。 そういう弾なのかと思ったが、獄長の様子からして違うらしい。弾が、リューグに届く前に意図せず爆発したようだ。鉄格子がひしゃげる。立ち込める硝煙に、俺は、咄嗟に火威を振り返った。 「リューグ君!曜君!こっちだ!」 そう離れていない位置すらも見えなくなるほどの硝煙の中、火威の声が響く。 「小癪な真似を……ッ!視界が利くまで撃つな!連中の逃げ道は一つしかない、包囲を緩めるな、捕獲を優先させろ!」 ざわつく空気の中。響く獄長の声に獄吏たちが声を揃えて応える。リューグに引っ張られ、獄長たち側から引き離されたときだ。 何かが割れる音がした。「まさか」と息を飲んだ矢先、煙の中、影が動く。 そして次の瞬間だった。 天井が爆発する。そう、爆発だ。獄長達側とは逆の薬品倉庫奥の壁に穴が開く。落ちてくる瓦礫。かなり強引な真似をするが、毒薬が並べられたその棚の薬は撤去してたらしい、代わりに棚だけが爆発の被害を受けていた。 破壊された魔法陣、代わりにその棚の下から現れた隠し通路に、リューグと火威は顔を見合わせる。 「……イナミ、行くぞ」 「っ、待って、黒羽さんが……!」 「あれは偽物だろ。反応なかったしただのぬいぐるみだな。……恐らく、本物はこっちだ」 「っ、……!!」 「リューグ君たちは先に降りて、僕は、道塞いで行くから」 「あぁ、頼んだ」 行くぞ、と俺の腕を引いたリューグは躊躇いなくその地下へと続く階段を駆け下りていく。引っ張られるように階段を降りていくが、進めば進むほど当たりは暗く、下手したら転んでしまいそうだった。 人一人が通れるような隠し階段は長い。 火威を残していくのが不安だったが、すぐに地上の方から爆風を感じて、別の冷や汗が滲んだ。 「っ、大丈夫か、火威……」 「大丈夫だろ。……つーか、今は自分の心配しろよ」 言ったそばから頭上から崩れ落ちるような音が響く。 宣言通り、爆発で道を塞いだのだろう。辛うじて見えていた光もなくなり、俺の目にはもうなにがなんなのか判断つかなくなっていた。 こうなったらリューグに着いていくしか無い。 あとは、ここを抜けて黒羽を見つけ出し、火威と合流することが出来れば完璧のはずだ。 けれど、どれだけ待っても上から人が降りてくる気配はない。獄長や獄吏は勿論のこと……火威の気配すら。 「……っリューグ……」 余計な心配をするな。 そう言われたばかりなのを思い出し、言い掛けて言葉を飲んだ。リューグは、俺の表情から何か汲み取ったようだ。 何も言わず、言葉の代わりに俺の頭をぺしっと叩いた。 「痛……っ、おい、なんで叩くんだよ!」 「悪いなぁ。下見たら叩きやすそうな位置に叩きやすそうな頭があったもんでな」 「このやろ……っ」 暗闇の中、リューグの声がする方を睨もうとしたとき。 不意にリューグが足を止める。 そして。 「……ここだな」 すん、と鼻を鳴らしたリューグは俺を下ろした。俺には何も見えないが、やつの夜目には確かに扉が映ってるのだろう。 ろくに目が利かないこの状況、やつが離れるのが不安で咄嗟に俺はリューグの手を掴んだ。やつは無言でそれを握り返し、そして扉を押す。 瞬間、臭ってきたのは濃厚な鉄の匂い。 獣のような匂いに混じって、形容詞がたい悪臭が漂うそこに吐き気を催した。 扉の隙間から射し込む赤く照らされた部屋の中。 「……まじですげーいいセンスしてるな、あの男」 ……皮肉るリューグの顔色も流石に悪くなっていた。 黒いレースのカーテンで飾られたその部屋の中、壁に飾られたのは様々な種族の頭部の剥製だ。まんま獣の剥製のものもあれば、およそ『顔』にも見えないようなものもある。 そして部屋の中央には大人十人以上は容易に寝転がれそうな寝台があり、その枕元周囲を敷き詰めるようにやけに精巧な作りのぬいぐるみが並べられてる。 ……いや、違う、ぬいぐるみと思ったそれは生き物だ。四肢をだらんと垂らし、力なく横たわるそれらを見た俺は、あの男の能力を思い出し、ゾッとした。 「な、んだよ……これ……っこんなところに、本当に黒羽さんが……」 そう、リューグに向き直ったときだった。 「っ、伊波様!」 どこからともなく、懐かしい声が聞こえた。 聞き間違えるはずのない。低く、骨太な声は俺に安心感を与えてくれるそれだ。 咄嗟に声のする方に目を向けた。 瞬間、視界の片隅、天井から何かが落ちてくる。 巨大な泥の塊……それには見覚えがあった。 獄長のペットのクリーチャー……確か、レーガンとかいう大層な名前だったそれは、何かを頭の上に乗せている。 「伊波様、何故ここに……っ、というより、何故貴様がここにいる!!」 泥で汚れたそれは黒羽だった。 リューグの姿を見るなり、黒羽はいつもの調子で噛み付いていく。安心した……けれど、心なしかその羽毛は濡れただけではなく縮んでる気がしてならない。 「っ、黒羽さん、待ってて!今助けるから……」 「ちょお、待てってこの脳筋おバカ!」 「貴様、伊波様になんて事を……!」 首根っこを掴まれ、強引に引き止められたとき。 黒羽がジタバタと体を動かしたときだ。リューグは「おい、毛玉」と黒羽を睨む。 「……お前さぁ、それ、もしかして、取り込まれたのか?」 そう、目を細めるリューグに黒羽は動きを止める。 取り込まれた。 早々耳にする単語ではない。けれど、リューグの言わんとしたことは理解できた。 それは違和感だった。不自然な形での再会、そして、捕まったままの黒羽。蠢くレーガンに、嫌な想像が膨らむ。 「っ、不甲斐ない……気付けば、この化物に食われた後だった」 よく見れば、黒羽の体は薄い膜のようなものに包まれている。だから小さくなったように見えたのだろう。 目の前が真っ白になる。全身の血が焼けるように熱くなり思わず駆け寄りそうになったが、それよりも早くリューグに引き止められる。 「お前にあいつを助けることはできねーだろ、普通に考えて。おまけに……細胞融合体か、融合までに時間は掛かるみたいだが、これ以上待ってるとどうしようもねえな」 「っ、リューグ……」 「お前、俺との約束忘れたのか?……助けてやるっつったろ」 何もないところから細身の短剣を取り出したリューグは笑う。 俺は、素直に驚いた。だってこの男が素直に俺に協力してくれるのが意外だったからだ。けれど、何度も身を呈して助けてくれたところを見る限り、本気でこいつは。 「……頼む、黒羽さんを助けてくれ」 「最初からそう素直に言ってりゃいいんだよ」 言い終わる前にレーガンに向かって駆け出すリューグ。 やつの手際は恐ろしいほど良かった。 躊躇なく突っ込み、レーガンの体に短剣を突き立てる。レーガンは溶け切った巨体を大きく震わせ、そして咆哮を上げた。 膨れ上がるレーガン。リューグは口を緩め、そして、突き立てたそれを思いっきり横に割いた。 瞬間、大量の砂が傷口から溢れ出す。 それがレーガンの血のように見えたのは気のせいではないはずだ。リューグはそれを真正面から被り、それでも躊躇いなく手を突っ込む。 リューグを飲み込もうとレーガンの体がリューグへと伸びる。腕を飲み込むレーガンに、リューグは空いた手で更に刃物を走らせた。 そして、浮かんでいた黒羽の体を捕らえたらしい。そのまま黒羽の体を鷲掴んだリューグは力任せに腕を引き抜いた。 「リューグ!黒羽さん!」 地面に放り投げられそうになる黒羽を間一髪、抱きとめる。 「黒羽さん、黒羽さん」ぐったりとした黒羽さんの砂を払い、俺はその名前を呼んだ。腕の中の丸い烏は、小さな嘴から砂を吐き出した。 「っ、黒羽さん……!」 「伊波様……」 良かった、無事だったみたいだ。濡れた羽毛を裾で拭ってやる。黒羽は何度か瞬きをし、それを受け入れていた。 そんな様子を一瞥し、レーガンから腕を引き抜いたリューグは、大量の出血(血なのか?)により萎んだレーガンの体を捕らえた。 骨もない体のはずだが、へにゃりと力なく床に張り付くその体の中心辺りに浮かび上がる異物を逃さなかった。それに狙いを定め、リューグは強く短剣を突き立てる。瞬間、鼓膜が破れそうなほどの悲鳴が響く。声というよりも、それは超音波に近い。 空気が震え、振動する。塩を掛けられたナメクジのように急激に体を縮み込ませたレーガンは、二度と動くことはなかった。 「し、んだのか……?」 「この手の融合体は核さえ壊せば再起不能になんだよ。……核が一個で助かったわ、本当」 砂を払いながら、片手で短剣を引き抜いたリューグ。瞬く間に短剣は姿を消し、リューグは核と呼ばれた割れた石を更に踏み潰し、砕いた。 部屋に、空気に静けさが戻る。 「……リューグ」 俺の腕の中から体を起こした黒羽は、まだ感覚を取り戻せていないようだ。ふらつきながらも、歩み寄ってくるリューグを見上げる。 その態度から察したようだ。黒羽の言葉を遮るように、リューグは手を振った。 「おいおい、アンタが俺の名前呼ぶなんて気持ち悪いな。……まさか、礼をしようってわけじゃないだろうな。やめろよ?」 「なんだと?」 「俺は別にアンタを助けたわけじゃねえしな。それに、貸しならこいつに返してもらうから今回はチャラだ」 それはチャラというのか? と呆れる俺を他所に、黒羽は聞き捨てならないといった様子で「どういう意味だ」と威嚇する。 「どうもこうも……こういうことだよ」 リューグの手が伸びてくる。 その指先に顎を捕らわれ、「へ」と目を見開いたのと唇が触れ合うのはほぼ同時だった。 真っ白になる黒羽、青褪める俺、一人楽しそうなリューグ。俺は、反応するよりも先に慌ててリューグの胸を押し返した。 リューグはあっさり俺を離した。 「何考えてるんだ」と唇を拭いながら恐る恐る黒羽の方を見ると、口を開けたまま黒羽はわなわなと震え……恐らくクナイを取り出そうとしたのだろう、そしていつもとは使い勝手が違う体であることを思い出し、絶望していた。 「きっ……ころ……ッ」 「く、黒羽さん……ここから抜け出せたら全部説明するから、取り敢えずひとまずここは抑えて……!」 「そーいうことらしいぞ、黒羽サン」 「貴様が俺の名前を気安く呼ぶな!!」 ……完全に玩具にされている。 が、一まずはどうにかなったようだ。……予期せぬことはあったが、黒羽を見つけることができたのが何よりだった。 けれど、このあとのことを考えると頭が痛くなる。 この部屋の中に入り口以外の扉は見当たらない。 完全にレーガン専用の部屋だったらしい。よく見ると、溶けかけた肉塊がチラホラと落ちていた。食べては吐き出したのかもしれない。 一歩遅かったら黒羽も同じようなことになっていたと思うと生きた心地がしなかった。 「やっぱり、上に戻るしかないみたいのか……?」 「そーだな。……けど、このままノコノコ出ていったところで蜂の巣にされるのが見えてる」 「……なぁ、火威遅くないか?」 「…………」 リューグも同じことを考えていたらしい。 火威がいればまた壁を壊してもらって……と思ったのだが、本人はというと後で合流すると言ってまだ戻ってこないのだ。 嫌な予感を覚えずにはいられなかった。先程の爆発に巻き込まれたのか、それとも……。 「……こうなったら、腹括るしか無いな。……上の状況にもよるけどあいつ、無闇やたらに乱射しなかったってことは撃ったらまずいものがあったってことだ。もしかしたら使えるかもしれねえな……一旦戻って正面突破するか」 そう、まるで簡単に言ってのけるリューグ。 そんなことできるのだろうかと不安になったときだ。 「その必要はない」 聞こえてきた不遜な声に、全身が硬直する。 咄嗟に振り返った瞬間、黒衣の男の脇に構えていた獄吏たち、その脇に抱えた銃が火を吹いた。それを読んでいたのか、俺達の間に巨大な影の集合体が障壁となって現れる。リューグだ。 「っ、普通さぁ……ここに自分からわざわざ突っ込んでくるとはアホじゃねッ?自分の私物ぶっ壊されてヤケにでもなったのかよ、なぁッ!」 「袋の鼠を殺すのは当然のことだろう。……俺の庭にいるのなら尚更だ」 二人の言葉は銃声により掻き消され、聞き取ることはできなかった。 乱射される弾をまともに喰らい続ける障壁に亀裂が入る。 リューグの横顔に微かな焦りが滲んでるのを見逃さなかった。 嫌な予感はしていた。リューグに頼りっぱなしの現状、負担を軽減しないとと思うが、俺にできることなどたかが知れてる。 そんな中、黒羽の姿が見当たらないことに気付いた。 先程まで側にいたのに、まだ本調子ではないこの状況でもしも弾に当たったらと思うと血の気が引いた。 辺りを見渡したときだ、視界の隅で何かが飛んでくる。 それは、生首だ。 「っえ?!」 ぎょっとして振り返ったとき、壁の側に立った黒羽さんはポイポイと壁に掛かっていた剥製を連中に向かって放り投げるのだ。 なるほど、獄長のお気に入りらしいものを投げて発砲の手を緩ませようという魂胆か。 俺はこそこそと移動し、黒羽の横から引き剥がした剥製を獄長目掛けて投げる。 思いの外その重量感は腕にきた。 獄長はコートから取り出した銃で躊躇いなくその頭を撃ち抜いた。 乾いた音ともに木っ端微塵に吹き飛ぶ剥製。 獄吏たちの弾が剥製に当たろうが、獄長は発砲の手を緩ませない。 「躊躇なしかよ……ッ」 けれど、以前の無表情とは違う。 赤く照らされたその顔は無表情ではない。今にも破裂しそうな程の怒りに顔を歪ませた獄長は、小さく唇を動かした。破裂音でその声は掻き消される。なんと言ったのかわからなかったが、その唇は確かに……「やれ」と、動いた。 瞬間、獄吏たちの構えが変わる。止むどころか張り巡らされる弾幕に視覚はない。部屋のコレクションが吹き飛ぶのもお構いなしだ。本気で殺すつもりなのか。 弾切れという概念がないのか、無尽蔵のそれからは大量の弾が吐き出され続け、それをまともに受け止め続けていた盾も蜂の巣状の弾痕が痛々しいくらい残っていて。 「クソ……ッ、あいつらの魔力どうなってんだ……!化物かよ……!」 「どうしよう……このままじゃ……っ」 「……ジリ貧だな」 「……っ、火威……」 リューグがそう、その名前を口にしたときだった。盾に大きな亀裂が走った。 そこの亀裂を更に広げるかのように弾を撃ち込む獄吏たちに、リューグが舌打ちをする。 その額に冷や汗が滲んでるのを見て、俺は咄嗟に落ちていた瓦礫を掴み、掌で切り裂いた。赤い血が流れるのを見て、黒羽が「伊波様!」と青褪める。 ……どうやらまだリューグの血は俺の体内に残ってるようだ、幸い痛みはなかったが、思いの外大量の血が溢れた。 「伊波様、何を……」 多分、現状リューグに残された体力は少ない。このままでは追い込まれておしまいだ。ならば、と俺は血で濡れた掌をリューグに差し出した。 「リューグ」と、名前を呼んだとき、俺の手首を掴んだ。そして躊躇なく掌の傷口、そこから溢れ出す血に舌を這わせる。血で顔が汚れるのもお構いなしにリューグは俺の掌に舌を這わせた。 「っ、な、何を……」 「っ、黒羽さん……後で説教は聞くんで」 ショックのあまりにぷるぷると震える黒羽だが、状況画状況なだけに汲み取ったらしい。言葉を飲み込み「了解した」とだけ告げる。 そして、指の先まで滴る血まで舐め取るリューグ。 間に合うだろうか、と障壁に目を向けるが、回復する兆しはない。 まだ足りないのだろうか、もっと、出さないと。 犬のように舌を這わせるリューグの頭部を見詰めながら焦れたときだ。やつの口が離れた。 「……お前にしては、やるじゃん」 なんて、真っ赤に染まった唇を歪め、リューグは冷ややかに笑った。瞬間、リューグの影が浮かび上がる。 影かと思っていたが黒い物体は大量の蝙蝠だった。悲鳴に近い甲高い鳴き声とともに、蝙蝠たちは一斉に部屋の中を飛び回る。 毒牙を持った蝙蝠に噛まれた獄吏たちの銃口は逸れる。懐から細身の剣を取り出した獄長は自分に近付くそれらを切り捨て、「小癪な」と吐き捨てた。一瞬のことだ、バラバラになった蝙蝠たちは黒い霧となりそのまま消える。 「有象無象が……ッ足止めにもならん!」 「……別に最初からなるとは思ってねえよ」 銃声と羽撃き音、混沌とした喧騒の中、リューグは俺の肩を叩き、「奥にいけ」と耳打ちした。 羽撃き音、噛まれ、砂のように消えていく獄吏たちに混ざって飛び回っていた蝙蝠が奥の階段へと消えていくのを俺は見た。どういう意図があるのかわからないが、それでも従わずにはいられない。俺は黒羽さんを抱き抱え、そっとベッドの裏側へと移動する。それと同時に、周囲を覆っていた障壁は一層濃さを増した。先程までの亀裂も全て修復している。 「防戦一方とは……逃げ隠れることしか出来ない卑怯者めが」 「そういうアンタは、随分と楽しそうだな。人形遊びじゃストレス解消にはなんねーもんな。……寧ろ、感謝してくれよ」 「よく回る口だな。……舌に魔力回さず少しは溜め込んだ方がいいのではないか?そのままだと、すぐに底付きるぞ」 「……そりゃ、ご心配どーも」 気付けばあれだけたくさんいた蝙蝠たちもかなり数が減っており、数匹の蝙蝠が天井付近を飛び回っていた。獄吏の数も気づけば減っている。床に落ちた獄吏の死体を踏んだ獄長。瞬間、獄吏の体は砂のように崩れ落ち、獄長に吸い込まれた。……そう、俺の目には映った。 やつの全身に纏う空気が一層冷たく、重厚なものとなる。どす黒いプレッシャーに気圧されそうになったとき、黒羽に「やつを見るな」と耳打ちされた。 「っ、黒羽さん……」 「やつは奇妙な術や召喚を好んで使うが、やつが最も得意とするのは……剣術だ」 鈍色に輝く刀身から滲むドス黒い瘴気。まるで見えない鎖に全身を雁字搦めにされてるかのような息苦しさを覚えた。 「出てこい、リューグ。貴様も分かってるんだろう?このままでは押し負けると」 「……ッ」 「剣を出せ。どうせ足掻くなら俺の心の臓を壊すくらいの意地を見せてみろ」 「罠だ」と黒羽が声を上げる。 露骨な獄長の挑発に、珍しくリューグは口を閉じていた。まさか、と嫌な汗が滲んだとき、リューグは短剣を取り出した。 「リューグっ、駄目だ」 「……なに?俺が雑魚だっていうわけ?……あいつより弱いって?」 「そ……じゃなくて!……今は、危険だ……」 「悪いなー、売られた喧嘩は買う主義なんでな」 バカリューグ、人のことをバカバカ言ってる割にお前だって単細胞じゃないか。 呆れ果てる俺を無視して、リューグは自ら障壁の向こうに出る。障壁は俺たちの方を守ったままだ。流石に出たばかりのところを速攻で狙ってくるような真似はしなかったが、それでも、だからこそやつの余裕が伺えて嫌だった。 「く、黒羽さん……どうしよう……」 「気持ちは分かるが……自殺行為に等しい……しかし運良く致命傷を追わせることが出来れば」 運どうこうの話になってるくるのか。 辺りを見渡す、こうなったら俺が囮になって……とも考えたが、囮の役目を果たす暇もなく斬り捨てられるのが見えている。 「随分と心許ない得物だな。それでは、剣身に当てるよりも先にうっかり腕を切り落としてしまいそうだ」 「……」 得策はあるのか。リューグは短剣の扱いに慣れているようだが、それでも、やはりこちらの分が悪いように思えるのはその圧か。 リューグも、何を考えてるんだ。今まで見てきたところ、リューグは正面から堂々などといった正攻法が得意ではないように見えた。 対する獄長は黒羽の言う通り、憮然とした態度のままその剣を構える。赤く染まった視界の中、最初に切り込んだのはリューグだった。背を低くし、相手の懐に潜り込んだリューグは短剣を左手に持ち替え、胴体めがけてそれを走らせた。獄長はそれをなんなく刀身で受け止め、弾き返す。金属同士がぶつかり合い、甲高い金属音が響いた。 攻め込むリューグだが、一振りの威力が違う。 攻撃を受け流し、守りに入っていた獄長だったが、それを苦にしてる様子もない。それどころかまるで、つまらなさそうに笑い、受け止めた剣を弾いた。その反動によりリューグの胴体ががら空きになるのを狙ったかのように、獄長は剣を振るう。 瞬間、耳を劈くような音が金属音が部屋に響いた。 「……っ、見た目に依らず、激しいこと」 「喋る余裕はあるようで安心した。……弱者を一方的に嬲り殺すのはつまらんからな」 間一髪、肩に向かって振り下ろされるそれを短剣で受け止めるリューグに獄長は笑う。 張り詰めた空気の中、繰り広げられる剣闘を見てることしかできなかった。 何か、リューグが獄長の相手をしている間にできないだろうか。二人を見てると、肝が冷える。自分が戦ってるわけではないのに、力んでしまう。焼けるほどの熱量に圧倒されそうになる。 「……火威」 そう、恐る恐るその名前を呼んだ矢先だった。 「……よ、呼んだ?」 あまりにも焦っていたようだ。俺はとうとう火威の幻聴まで聞くようになったらしい。ここに火威の姿はないというのに……大分俺も精神的にやられてるようだ。 「……そ、それにしても、この戦い、圧倒的にリューグ君が不利だね……けれど狭さを利用すればあの獄長の動きを封じ込めることもできるかもしれない」 幻聴にしてはよく精巧な幻聴というか、めっちゃよく喋る幻聴だな……。そう思いながらちらりと声のする方を見れば、なんてことだ。俺は目を疑った。ふよふよと黒羽の周囲を飛び回っていた火の玉は「……だ、だけど、やっぱり力量的にも獄長が圧倒的に上だね、リューグ君には悪いけど」とうんうんと頷くように揺れる。 「………………………………いや、待て待て待て」 「……ど、どうしたの、曜君」 「っ、火威なんでここにいるんだ?!」 「えっ?!ご、ごめん僕お邪魔しちゃってた?!」 あわあわと焦ったように揺れる火の玉は間違いなく火威だ。ライターの火ほどの小さな火の玉だが、火威の声はしっかり届いてきていて。 「い、伊波様……なんだこいつは」 「えーと、説明するとややこしいんだけど……簡単に言うと、リューグの友達」 「あ、えと、初めまして、僕は火威って言うんだけど……」 と、そんな場違いなやりとりをしてる矢先にリューグの呻き声が聞こえてくる。獄長の剣を防ぎきれず、肩を負傷したらしい。溢れる赤い血に、裂かれる制服に、血の気が引く。 「火威……っ、リューグが……!」 「……そのようだね、助けたいのは山々なんだけど……残念ながらさっきの爆発で力全部使っちゃってさ……い、今こんな成りでしか動けないんだよね……ご、ごめんね……役立たずで……」 火威が戻ってくることが出来れば、もしかしたら逆転することもできるかもしれない。そう期待していただけに目の前が真っ暗になる。火威も頼れないとなると……、とそこまで考えて、俺はふと閃いた。 火威は、火や火薬を餌にすることで力を得ることができるといっていた。 ならば、と辺りに目を向ける。床に転がる獄吏たちの抜け殻と、そして、放り出された銃。 俺の済んでいた人間界の常識が通用するならば、あれで、少しでも火種を作ることはできるのではないか。 「っ、黒羽さん、あの銃って……どういう仕組みになってるのかわかる?」 「魔銃の類は、持ち主の魔力を弾へと変換して使う魔道具だ。銃自体は魔力なき者が持ったところで弾切れ扱いになるが……それがどうした?」 「弾切れの状態で発砲したら、どうなるのかな」 「……無論、暴発し、逆に使用者がダメージを受けることになるだろうな……って、伊波様、何を考えてる」 ……ファンタジーじみた世界でも、その辺の理論は現実世界と同じようだ。乾いた唇を舐める。万が一のことを考えると血の気が引いたが、このまま獄長に殺されるのならば、同じことだ。 ……一か八か、やるしかない。 幸い、まだリューグの血の効能は続いている。

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