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「何、言ってんだよ……本気で言ってるのか?」 ある程度、覚悟はしていたはずだ。 巳亦は巳亦で何か考えがあって行動に出たのだと。 けれど、実際面と面向かってそう言われるとガツンと頭をぶん殴られたようなそんな衝撃を受け、狼狽えずにはいられなかった。 巳亦を尊重したいとは思う反面、傷だらけの巳亦を放っておけないという気持ちもある。 「っ、そうだ、あの、巳亦……ここに来るまでに色々あったんだ。あの、獄長もいなくなったし……だから、今なら抜け出すこともできるんだ」 あのときとは状況が違う。 そう、巳亦に伝えてみれば巳亦はゆっくりと目を開いた。 食いついてきた。 「……獄長が?」 「……えーと、なんか……死神の人が獄長を人形にして連れて行ったんだよ」 「死神だって?」 巨大を大きく跳ねさせる巳亦に、地面が揺れる。思わず「おわっ!」と尻もち突きそうになれば、「ごめん」と慌てて巳亦はその身を竦めさせた。 動ける元気が残っていることがわかり安心するが、反応からしてあまりいい反応のように見えない。 「……そうか、通りでなかなか顔を出さないと思えばそういうことだったのか」 己を処刑する人間がいなくなったと聞いて安心するものと思っていた。けれど、巳亦のそれは真逆だった。 寧ろ落胆の色を濃く滲ませる巳亦。 「……巳亦……どうしてここに、最下層に残りたいんだ?獄長を怒らせて、わざと捕まって……なにか理由があるのか?」 俺には巳亦が何を企んでるのか分からない。 けれど、理由がないはずはない。聞けば、少しは巳亦のことが理解できるかもしれない。このままここに置いていって見殺しにするとしてもだ、知るのと知らないのとでは心構えが違う。 ……要するに自己満足だった。それでも、言ってほしい。そう思わずにはいられなくて。 巳亦、ともう一度その名前を呼んだとき、巳亦は困ったように目を瞑る。 「曜。……獄長の言ったのは全部本当だよ。俺はお前を利用したんだ。自分のために。……そんなやつのためにわざわざこんな危険な場所まで来るなんて、あまり賢いとは言えないな」 「確かに、巻き込んだのは俺だけど」と、静かに付け足す巳亦。子供相手にあやすような優しい声。けれど、やはり、違和感があるのはその言葉からは巳亦の本心が計り知れないからか。 言葉ばかりは優しいが、見えない分厚い壁が俺と巳亦の間にあるかのようなそんな確かな拒絶を感じるのだ。 「……俺は、巻き込まれたとは思ってないよ。寧ろ俺だって色々助けてもらったし、お陰で黒羽さんとも会えたんだ。そうだ、ちゃんと黒羽さんも元の姿に戻ったんだよ」 「そうか。……なら良かったな」 「……っ巳亦」 言葉では伝わらない。 焦れったくて、巳亦の体へと手を伸ばす。鉄格子が邪魔だった。腕の付け根までぐっと体を押し付ければ、伸ばした手の先に、湿った感触が触れる。 そっと巳亦の頬の辺りを撫でれば、巳亦はされるがままになるようにぐったりとしたまま俺を見据え、そして、お情け程度に俺に顔を寄せる。ひんやりと、冷たい。人の感触とは程遠い皮膚の感触だが、それでも、巳亦に触れてると落ち着くのだ。 蛇なんて怖いとしか思わなかったのに、不思議だ。 「曜……お前は最下層の奥にある断頭台を見たか?」 不意に、巳亦はそんなことを言い出した。 断頭台と言われ、一番初めに最下層に来てから見たあのギロチンを思い出した。 手から緊張が伝わったのか、巳亦は「見たんだな」と続ける。こくりと頷き返せば、巳亦は諦めたようななんとも言えないような表情を浮かべた。 「……あの断頭台は特殊なんだ。どんな魔物でもあの断頭台を使えば強制的に肉体と魂魄を切り離す。そして、剪除したその魂魄を封じることで生命活動を途絶させることができる」 「不死者の封滅は元来死神にしか出来ない芸当だけど、この地下牢獄でその死神と同等の役割を果たしていたのがあの男だ」聞き慣れない単語や小難しい話に混乱しそうになるが、巳亦が言わんとしていたことはなんとなく分かった。 獄長は、不死者を殺すことも可能だと。 そして、あのギロチンが死神の鎌と同じような役割だと。 何故巳亦がそんな話を俺にするのか。 その理由に気付いてしまった、あわよくば俺の考え過ぎならそれでもいい。それがいい。 「巳亦、お前……死にたいのか?」 声が震える。 巳亦は肯定しなかったが、否定もしなかった。 「おいおい、曜がそんな顔するなよ。……俺は別にこの世を憂いてるわけでも悲観してるわけでもないんだから」 「なら、なんで……そんなこと……」 「いい頃合いだったから」 「な……っ」 「火取り魔はいる、曜もいる……獄長も出てきた。あの男がああやって自ら前に出ることは早々ないんだよ。ずっと地下に籠もってるからな。……要するに、曜たちの言葉で言うなら『タイミングが良かった』ってところかな」 暗にその言葉は巳亦自身の自殺願望を示唆している。 巳亦のような存在の場合のそれが自殺と言うのがあってるのかどうかはわからないけど、俺からしてみれば理解し難い感情だった。 俺は死ぬのは怖いと思ってるし、あのギロチンを見て想像しては恐怖しか込み上げてこなかった。 けれど、死という概念がなく、永遠にも等しい時間を生きてきた巳亦からしてみれば終止符を打つようなものなのか。 ……わからない、恐らく俺が一生理解するのは難しい問題だろう。なにがあってそう考えるようになったのかもわからない。 けれど、これだけは言えた。 俺は、巳亦に二度と会えなくなるのは嫌だ。 「巳亦、俺、難しいことわかんないし……巳亦の事情とかそういうのもわかんないけど……巳亦とお別れしないといけないのは、嫌だ」 「……曜」 「……まだ死にたいって思ってるのか?気は変わらないのか?……我儘だってわかってるけど、俺は巳亦と一緒にいたい。まだ全然この世界のことわかんないし、巳亦がいると、すごい楽しくて……もっと色んなこと知りたいって思った」 子供じみた稚拙な言葉しか出てこない。 けれど、全部本心だ。 以前、聞いた妖怪は人間の思想や信仰心との結び付きが強いという話。それを思い出した俺は、思いの丈を巳亦にぶちまける。信仰心なんてご大層なものとは程遠いが、それでも俺は巳亦に在り続けてほしい。そう思うのは本心からだった。 「……曜」 巳亦に触れた手が、微かに暖かくなる。 ぽかぽかと陽気に包まれてるような心地の良さ。手だけではない。巳亦の体の傷が治っている。ボロボロだった掛けていた鱗もいつの間にかに元に戻り、艶を取り戻していた。 あとは、巳亦の体に穴を開けるあの突き刺さった数本の杭だけだ。 「……本当に、馬鹿だな。俺なんかよりも黒羽さんとか、テミッドとか……あいつらの方がよっぽど信用に値するよ。それなのに、俺を助けてどうなるんだよ」 「そんなこと言ったら、巳亦だって俺のこと助けてくれただろ。俺なんか何も出来ないし、巳亦みたいなすごい力があるわけでもない。……それなのに助けてくれたのはなんでだよ。こんな真似しなくても、さっさと俺を丸呑みにしたら和光さんに殺されることができるんだろ?」 「………………」 そこが、ずっと引っ掛かっていた。 巳亦はあくまで俺に友好的だった。結果的に利用されたのだとしてもだ、巳亦は直接的に俺を傷付けるような真似はしなかったし寧ろその逆だ。俺の傷を癒やし、獄長からも助けてくれた。 巳亦からしてみれば俺を殺すなんてこと虫を殺すよりも容易いだろう。それなのにそうしなかったのは、巳亦がまだ人間のことを好きだったから。……そう思いたかった。 「巳亦……」 「……やっぱり、人の子には敵わないな」 そう、巳亦が口にしたときだった。巳亦の体に刺さっていた杭が砕ける。破裂音とともにガラスのように破片と化したそれを振り払うようにしてゆっくりと体を起こした巳亦は鉄格子へと体を這いずるように近付いてくる。 「み、また……杭が……傷は……?」 「曜が俺のこと好きだって言うから、せっかく底付きかけてた魔力が戻ってきたんだよ」 そう、口にしたときだ。目の前の大蛇はみるみるうちに小さくなり、そしてまばたきをした次の瞬間には見慣れた人の姿の巳亦がいた。見たところ怪我もなければ具合も悪そうではない。 「曜」 名前を呼ばれる。こっちに来てくれ、と言うかのように手を伸ばす巳亦。その指先が頬に触れ、そっと輪郭を撫でるように髪を掻き上げる。 「……子供体温だな、曜は」 「俺は子供だよ」 「そうだな、お前は子供だ。だから真っ直ぐなんだろうな……純粋で、汚れを知らない目をしている」 後頭部へと回された手に寄せられ、鉄格子越し、額がくっつくほど巳亦の顔が近づく。至近距離で覗き込む赤みがかった目。その目に見据えられると、体が石になったみたいに動けなくなる。 けれどこれは恐怖というよりも緊張に近い。真剣な表情の巳亦が別人みたいでむず痒くなる。 「巳亦……?」 伸ばしかけた手を握り締められる。蛇の肌とは違う、乾いた手のひら。けれど、体温のなさは蛇のときと同じだ。伸びた指先はするりと谷間をなぞり、そのまま俺の手のひらごと絡め取る。 「……お前の心も温かいな」 なんか、なんだろうか、腹の奥がムズムズする。 巳亦に触れられた箇所が熱くなって、体温が徐々に上昇していくのを感じた。 巳亦は俺の手を引っ張り、そして自分の頬へと寄せる。自然な動作で手の甲に軽く唇を這わせる巳亦にぎょっとする。 巳亦、と咄嗟に名前を呼べば、巳亦は硬直する俺に気づいたらしい。目だけを動かしこちらを見る巳亦。 「……曜は好きな子はいるのか?」 「へっ?な、何言って……」 「人間界に曜の友達や家族はいたんだろう。……想い人はいなかったのか?」 突然そんなことを聞かれて、顔がカッと熱くなる。 確かに、クラス替えする度に好きな子はできていた。 とはいえ、「この子かわいいなー」とか「いい匂いするなー」って感じの理由ばっかで、愛だとか恋だとかのそれとは程遠いものだ。 こんなタイミングでそのことを思い出し、余計自分の幼さが露呈し恥ずかしくなる。 「……いたのか?」 俯く俺に何か勘違いしたのか、微かに目を細める巳亦に慌てて俺は首を横に振る。 「い、ない……悪かったな……どうせ俺は彼女もできたことないガキだよ」 自然と言葉じりが自虐っぽくなってしまう。 巳亦は微かに笑い、「何を恥ずかしがってるんだ」と慰めるように俺の頭を撫でた。 「別に責めてるわけじゃないよ。ただ、曜が好きな子いるんだったら……って思ってね」 「どういう……」 意味だよ、と言い掛けた矢先だった。顎を掴まれたかと思った矢先、鉄格子越しに唇を重ねられる。 一瞬、何が起こったのかわからなかった。 混乱する頭の中、咄嗟に鉄格子を掴んだとき、唇をなぞる二股の舌先が割って入ってきて慌てて俺は顎を引こうとするが長い舌先はそんな抵抗も意図ともせず強引に入り込んできた。 「っ、ん、っぅ……ッ!」 「……っ、曜……」 「待っ、ぅッ、む、ぅ……」 吐息混じり、真っ赤な舌先が、先割れした舌が覗く。唾液を啜られ、咥内中の粘膜を舐られ、喉奥まで入り込んでくるその舌に根本から舌を絡め取られる。 酸素ごと貪り尽くすような執拗で強引な口付けに何も考えられなかった。鉄格子を握り締めていた手が震え、腰が抜けそうになる。 「っ、み、まは……」 舌が麻痺したかのように呂律が回らない。視界が滲む。巳亦の体は冷たいのに、粘膜に包まれた舌は焼けるように熱くて。 巳亦とキスしてるという事実が俄信じられなかった。こんなの可笑しいと思ってるのに、抵抗できない。逆らえない。開いた口から唾液が垂れ、巳亦はごく自然にそれを舐めるのだ。 「……これ、邪魔だな」 濡れた音を立て、舌を抜いた巳亦は鉄格子を掴んだ。いとも簡単にそれを押し曲げる巳亦にギョッとする。 「え、嘘だろ、こんなぶっといの……」 「曜のお陰かな」 「な、何言って……」 当たり前のような顔して牢から抜け出す巳亦に狼狽える暇もなかった。 巳亦に抱き締められる。遮るものはなにもない。隙間がなくなるほど抱き締められ、身動きが取れなくなる。 「……曜が俺のことを必要としてくれたからだよ」 ありがとう、という巳亦の声が心臓に落ちるように響く。じんわりと胸の奥が熱くなって、素直に嬉しく感じた。 ……と、その喜びで浮かれうっかりそのまま流しそうになり、ハッとする。 「って、待って。巳亦、今、なんでキス……」 「ん?」 「ん?じゃなくて……」 「もしかして、曜は接吻したことなかったのか?」 「そ、そういうわけじゃないけど……」 「へえ……好きな子はいなかったけど接吻は経験あるのか」 心なしか巳亦の声が低くなったような気がしない。 というかそもそもキス自体この魔界に来てからで相手は人間ですらないが、そんなことはどうでもいいのだ。 「なんで……っ、んんぅ……っ」 言った側から唇を舐められ、至近距離で見詰められる。 「……曜はこれ、嫌い?」 「好きとか、嫌いとかじゃなくて……っ……俺、男だし……というか、なんかおかし……」 「問題ないよ。……男児でも俺の卵産むことは出来るから」 「え」 さらりととんでもないことを言い出す巳亦に、そこで俺は巳亦との思考に致命的なレベルの齟齬が起きてることに気付いた。

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