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06
――大変なことになってしまった。
黒羽とマオの飲み比べ対決により、あれよあれよと俺たちは広間の中央、巨大な丸いテーブルまで案内される。
暴力沙汰になるよりかは幾分まし、なのだろうか。
アホみたいに盛り上がる周囲は酒を掻き集めてくるみたいにどんどん酒を注文し始める。
丁度注文された料理を取りに行っていた玉香は、戻ってきたときの騒ぎ、そして取り囲まれている俺たちを見つけ呆れたような顔をして近寄ってきた。
「ちょっと、どうしたんだい。なんだいこの騒ぎは、それにアンタたちもなんでここに……」
「ええと……これには深い訳があってアルな……」
「おー!いいところに姐さん!ちょっと今からこの店にある酒全部持ってきてほしいんだけど」
酒を運んできた玉香を見つけると、その瓶ごと手にしながらマオはニッコリと笑う。人好きそうな笑顔であるが、玉香はイヤな予感とばかりに唯一露出された口元を引き攣らせた。
「マオ、アンタまた無茶苦茶なことしようとしてんじゃないわよね」
「まーまー。ちゃんと金は払うから。な、昔のヨシミと思って頼むよ!」
「……少しでも残したら料金十倍にするわよ」
聞いたことのない玉香の冷ややかな声にこちらまでゾットするくらいだった。けれど、対するマオは怖がるどころか「流石姐さん」と手を叩いた。
とんでもないマオからの注文を承った玉香は、俺たちの方へと向き直る。
「ご覧の通りさ。悪いけどホアン、酒を用意するのを手伝ってくれないかい?勿論金は出すよ」
「仕方ないアルな。……そういうわけアル、ヨウ、少しの間待ってるアルよ」
「え、あ、俺も……」
「大丈夫だよ。アンタは、あの人のところにいた方がいい」
「友達なんだろう」と、黒羽を一瞥する玉香に俺は慌てて頷けば、玉香は「ならここに残っておやり」と優しく微笑む。
それから玉香とホアンはその広間を出ていき、酒を取りに向かった。
俺は、円卓へと座らされてる黒羽のところへと向かった。
「黒羽さんっ」
「伊波様……」
「あの、マオっていう人……相当飲む気でいるみたいだけど……その、黒羽さんってお酒とか……」
「……ご心配は無用。こちらは産まれたときから修行してる身、その過程には酒によって自我を呑まれぬ修行もあった」
「……だから、安心していい」そう、黒羽さんは片目を細め、微笑んだ。心強い。けれど、相手は得体の知れない妖怪だ。どうにもあの男がなにかを企んでるような気がしてならないのだ。
「……ごめんなさい、こんなことになってしまって」
「貴方は何も悪くない。……全てあの男がしたことだ。それに、あの男の金で久し振りに酒が呑めると思えば悪くない」
黒羽なりに俺を気遣ってくれてるのだろう。
それにしても黒羽が酒を呑むイメージはないが、ここにいるだけでも酒臭さで具合悪くなる程なのだから強いものが来るのだろう。
魔界の強い酒って人間界の酒でいうとどのくらいになるのだろうか。気になったが、酒を飲んだことがない俺からしてみれば未知の世界だ。
「いやー楽しいね、楽しいな。やっぱりこうでなくちゃな、酒の場は。なあ、そこの黒いお兄さん」
上機嫌なマオは既に酒気を帯びてるようだ。
飛び上がるようにひょいと椅子に腰を掛けたマオは、黒羽を見てニコニコと笑う。
「そういや、自己紹介――してなかったよな?君たちはオレのこと知ってるようだったけど、改めて挨拶しよう。オレは、マオ。マオって呼ばれてる。……君たち、名前は?」
「……あ、俺は……曜。それで、この人は黒羽さん」
「曜君と黒羽君」
黒羽君と呼ばれ、黒羽の眉間がぴくりと反応したが敢えて口にはしない。馴れ馴れしいというか、人懐っこいというか、距離感が掴めないというか、マオという男は独特の空気の男だった。
「黒羽君が勝てばエンブレムを返すよ。そんで、オレが勝ったら――曜君、俺に一晩付き合えよ」
さらりと何かを言い出すマオに、黒羽が椅子から立ち上がる。その勢いのあまり椅子が転げ落ち、その音の方にびっくりした俺は「黒羽さんっ」と慌てて釣られて立った。
「貴様……ッ」
「ああ、待て、ちょーっと待ちな。黒羽君なんか勘違いしてるって。一晩ってのは普通に一晩、別に疚しいことなんてなんもないから」
……まあ、そうだよな。一部の連中のせいで毒されていた思考は紛らわしいマオの物言いに思わず良からぬことを考えてしまったが、その言葉に安堵する。
マオの釣り目がちな眼がこちらを見た。
そして、笑みを浮かべる。
「人間の子と酒飲む機会なんて早々ないからな、色々外側のことを教えてほしいんだよ」
「それだけで、いいのか?」
「それだけときたか。……まあ物事の価値っていうのは人それぞれだしな。オレからしてみれば、エンブレムよりも本体の君のが価値あるって話だ」
「勝手に話を進めるな」
「そう力むな力むな、頭に酒が登りやすくなるぞ。それに、アンタが勝てばいい話だろ?」
「黒羽君は自信がないのかニャ?」なんて、戯けたフリして煽るマオに、黒羽の額にビキビキと青筋が浮かんだ。
いけない、マオはわざと黒羽を煽ってるんだ。
「黒羽さん、マオのことは気にしないでいいよ。……俺、黒羽さんが勝つって信じてるから」
とにかく、落ち着かせよう。そう、黒羽の腕を掴めば、黒羽の周囲を渦巻いてドス黒い怒りが幾分和らいだ。
黒羽は己を落ち着かせるように息を吐き、それから「すまない」と目を伏せた。
それからすぐに、広間に運び込まれる大量の酒。
改めて黒羽は椅子に腰を掛け、マオとテーブルを挟んで向かい合う。
そしてその席を囲うように並べられた大量の酒と、観衆たち。その中にはホアンと玉香もいた。
無数の好奇の視線の中、マオは一本の酒瓶を黒羽の前に置いた。
「これがこの店で一番、極東一強い酒『妖怪殺し』だ、オレが知ってるやつでこれ飲んで無事だったやつはいない。一舐めすれば舌は爛れ、無理やり流し込もうものなら器官の粘膜は焼け落ちる。意識が飛ぶか肉体が駄目になるかのどちらかだ」
「景気づけの一杯目はこれからだ、黒羽君」マオが合図すれば、玉香が馴れた手付きで酒を注ぐ。
見た感じは透明の液体だが、周囲の空気が明らかに変わるのがわかった。……というか、俺だけなのだろうか。近くにいるだけで、酒を飲まされてるような目眩を覚える。
「――乾杯!」
しゃん、とどこかで鈴の音が響いた気がした。
マオの掛け声を合図に、両者は躊躇いなくグラスの酒を口にした。
始まった黒羽とマオの飲み比べ対決。
一発目から危険な酒を持ってきたマオに俺はハラハラしていたが、ぐいっと喉奥へと流し込んだ黒羽はすぐにグラスを空にした。
そしてほぼ同時に黒羽とマオは空になったグラスを叩きつけるように中華テーブルに叩き付ける。
「何が極東一だ、ただの水ではないか」
「言うねえ。その大口がどこまで叩けるか楽しみだ」
変わらない調子で言い合う二人に周りも「行けマオー!」やら「天狗の兄さんもいいぞー!」と盛り上がる。中にはどちらが勝つかに賭けている者もいるようだ。
それぞれのグラスにどんどんと継ぎ足される酒に、暫く睨み合っていた二人は更にペースを上げる。
どんどん酒を進めていく二人に、俺は掛ける言葉もなくホアンの隣でヒヤヒヤしながら黒羽を見ていた。
「だ、大丈夫かな……黒羽さん」
「安心するヨロシ。どうせ長くは保たないアルよ」
「……どういう意味だ……?」
「そのままの意味アル。いいアル?極東一の酒アルヨ、おまけにこんな飲み方をしてみろアル。……全く、こんな飲み方をするなんて罰当たりアルね」
そう、ぷりぷりと怒るホアン。
やはり相当やばい酒なのだろうか、それにしても二人共顔色は変わらないが……。
それどころか少し目を離した隙にどんどん二人の横に空いた瓶が置かれていく。
相変わらず表情が変わらない黒羽と、マオの方は僅かに顔が赤くなってるようだ。元が色白だから余計そう見えるのだろうか。
「ホアン……俺の目にはマオが大分やばそうに見えるんだけど気のせいか?」
「気のせいではないアルよ。……さあ、そろそろ来るアル」
どれほど二人が飲み進んだのかはわからなかったが、明らかに異変が起きたのはマオの方だった。
ガシャーン!と音を立て、持ってたグラスを落とすマオに、黒羽は訝しげに目を細め、そして口元に不敵な笑みを浮かべる。
「どうした、手が止まってるぞ」
「んん……これはぁ、ちょっと手が痺れただけ……だニャ」
テーブルの上、突っ伏していたマオは近くの酒瓶にしがみつき始める。
「おい、ふざけてるのか貴様ッ!まだ酒瓶二十本も開けていないぞ!」
「んニャ……酔ってない……ニャ、俺はまだイケるニャ……」
大分語尾も目も怪しいマオだが、猫のようにぐぐぐと背伸びすれば頭からはぽんっと猫の耳が現れる。
そして、ゴロゴロしていたマオはハッとする。
「玉香の姐さん、妖怪殺しもう一本持ってくるニャ!」
「あんた、耳と語尾から猫が出てるわよ」
「ニャ……じゃなくて!オレはまだ全然平気だ、姐さん。ほら、見ろよこの目をッ!」
「酔っぱらいの目アル」
「ホアンっ、給仕のくせにうるせえぞ!」
「妖怪殺し!妖怪殺しじゃなきゃ嫌だ!」とジタバタするマオに黒羽も俺もそろそろ察していた。
この男、めちゃくちゃ酒弱いぞ。
「話にならんな。貴様のようなシラフがいてたまるか。……約束通りエンブレムを返してもらうぞ」
「待って、待って、ストップ!確かにオレ気持ちよくなってるけどここからだろ酒って?な?オレが酔っぱらいかどうか決めるのは早すぎるんじゃないか?」
「…………」
今までに見たことないほど黒羽が冷たい目をしていた……。
しかし、何かを思いついたらしい。浮かしかけていた腰をふたたび椅子に鎮める。そして。
「……給仕、妖怪殺しを持ってこい」
近くにいた玉香に命じる黒羽に、俺は素直に驚いた。黒羽ならこれ以上の滞在は無用だと判断すると思ったのだが……。とそこまできて気付いた。
「店にある分全てだ。……全部この男のツケで頼む」
黒羽の目も据わっている。
そしてここまで臭うほどの酒の匂いに俺は黒羽が既に正常ではないことを察した。察せずにはいられなかった。
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