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「ここ最近は客入りがよくなって本当入れ食い状態で助かってるんて」 「それに、今日はネズミも数匹入り込んでたけど……こんなに上物がくるなんて」伸びてきた白い手に触れられそうになり、咄嗟に俺の前に出たテミッドは無言でその手を払い除けた。乾いた音が辺りに響く。 ヴァイスは興味深そうにテミッドを見下ろした。 「いくら人の形をした亡骸を使っても生きてる細胞とは勝手が違う。ああ……本当に助かるよ。僕はツイてるな。わざわざこの場所を用意した甲斐があったよ、勝手に研究材料は集まる」 「まさか、アンタがこの店の……」 「マスターは僕じゃないよ」 「まあ、正確には僕の下僕だけど」とヴァイスが口にしたとき、背後で扉が開く。そして現れたのは、辛うじて人の形を保った腐った死体だ。ゾンビ映画でしか見たことないようなそのゾンビは苦しげに呻いていたが、ヴァイスが指を鳴らせば意識を失ったように倒れる。 俺はあまりにもショッキングな光景に思わずテミッドの背中に飛びつきそうになった。 大丈夫です、とテミッドは俺の手を握ってくれる。そんな俺達を見て、ヴァイスは淡々と続ける。 「大丈夫。すぐに君も仲良くできるはずだ。まずは君の脳を覗かせてくれないか。生きている脳を模倣すればより生きた人間に近い動きを取ることができるだろう」 「っ、て、テミッド……俺、頭開かれんの?」 「……そんなこと、させません」 「……辞めておいたほうがいい。せっかくの綺麗な体が破損しては勿体無いだろう。若いグールの素体は貴重だ、もっと自分を大切にした方がいい」 ヴァイスの言葉を無視して、そのまま殴りかかろうとするテミッド。瞬間、その拳を受けるよりも先にヴァイスの姿は霧のように消える。そして、瞬きしたその一瞬の内にテミッドの背後に現れたヴァイスはその腕を掴んだ。 「っ、……ッ!」 「テミッドっ!」 「……力が入らないだろう?抵抗するアンデッドが出てこないようにこの敷地には予め力を奪う魔法陣を敷いているからね」 テミッドの力を知ってるだけに、まるで赤子の手を撚るかのごとく軽々とその拳を止めるヴァイスに血の気が引いた。テミッドで敵わないというのか。 けれど、このままでは俺もテミッドもこの得体の知れない魔法使いに実験体にされ兼ねない。そう思うと、いても立ってもいられなかった。 「やめろ、テミッドに手を出すな……っ」 震える手を握り締め、テミッドからヴァイスを引き離そうと体当たりすれば、「いてて」とヴァイスはずれた眼鏡をかけ直す。そして、踏ん張る俺の肩をトントンと撫でるのだ。 「何か勘違いしてるようだが、……大丈夫だよ、君たちが抵抗しないなら危険な目に遭わせるつもりはない。僕は、無駄な争いが嫌いだからね」 「……っう、そ……だって、実験するって……」 「ただ君の脳を見せてくれるだけでいい。……なんだったら君の検体データを貰えるならロヴェーレ君には手を出さないことを約束しよう」 「っ、いなみさま、聞く必要……ないです……っ」 「テミッド……」 「この人、嘘吐きだ……ッ」 テミッドに指摘されたヴァイスは怒るわけでもなく、ただ「残念だ」と目を伏せた。 そのとき、扉が開く。そして現れたのは先程の継ぎ接ぎの大男だ。 「レモラ、ロヴェーレ君……赤毛の彼を厨房へと連れていきなさい。グールの肉がそろそろ切れそうだっただろう」 「……わかった」 「っ、お、おい、待てって!待てよ!」 テミッドを抱える大男に咄嗟にしがみついて止めようとするが、びくともしない。岩のように硬く、分厚い体は抱きとめようにも腕が回らない。それどころか、大きく腕を振り回されればハンマーのような一撃を喰らい、俺はそのまま尻もちをつく。「伊波様っ」とテミッドが俺へと手を伸ばすが、レモラはそれを許さない。 「ロヴェーレ君、余計なことは考えない方がいい。レモラは特別に魔法が効かないように『造った』んだ、今の君では敵わないだろうね」 「……っう、が……」 くそ、どうしたら、と咄嗟に立ち上がろうとしたとき。 どこからともなくベルの音が鳴り響いた。 「……しまった、今日はあの方たちの予約が入ってるんだった。カインのやつが勝手に逃げ出したせいでフロアが回ってないみたいだね」 「……どうする」 「レモラはそのままロヴェーレ君を厨房に。フロアは僕が回そう。……カインのやつは見つけ次第調理しておいて」 「ああ」と、だけ口にしたレモラはそのままテミッドを担ぎ上げ、部屋を出ていこうとする。待て、と追いかけようとするが、それよりも先にヴァイスに腕を掴まれ、引き止められる。 「君はこっちだ、僕と来てもらうよ」 眼鏡を外し、そう微笑む白髪のウエイターに俺は逃げることすらできなかった。 「ヴァイス……っ」 テミッドを連れ戻してくれ、と訴えかけるがやつはどこ吹く風で。逃げようとしても細く生白い手にガッチリと掴まれた腕はびくともしない。それどころか。 「そう暴れない方が良い。君は僕から逃れることはできない。無駄な労力を費やすのは賢いとは言えないだろう」 「……っそんなの……」 「ロヴェーレ君のことがそんなに気に入っているのか」 「き……気に入ってるとかじゃなくて、テミッドは俺の友達だ!」 「ふうん、友達ね。……悪いがこういったことには興味ないんだ」 部屋を出て、どんどんと進んでいくヴァイス。階段を上がる音が響く。立ち止まって抵抗しようとするが、無駄だ。この細い腕のどこに力が入ってるのか気になるほどだ。 そしてやってきた地上。迷いもせず真っ直ぐにある部屋へとやってきたヴァイスはようやく俺から手を離してくれた。そこは倉庫のようだ。立ち並ぶ棚からなにかを取り出したヴァイスは、そのまま俺の着ていた制服を脱がそうとしてくる。 「ちょっ、待っ、なに……」 「何って、着替えないといけないだろう」 「……へ」 「フロアを回すと言っただろう。君を一人にしておくとネズミに嗅ぎ付けられそうだしね」 ネズミ、というのは巳亦のことか。それとも。 言いながらも人を脱がす手を止めないヴァイスに困惑する。やめろ、と抵抗しようとする暇もなかった。やけに慣れた手付きで俺を脱がしたヴァイスは先程用意していたらしいウエイターの制服を俺の体に押し当てた。すると、あっという間にその制服は俺の体に絡み付くように身に着けられるのだ。 「う、お……っ!」 「君ウエイターの経験は?」 「あ、る……けど」 「……あぁ、そうか。確か刑天閣で手伝いしてたんだっけ?」 「知ってるのか……?」 「ああ、勿論。商売敵のことは知っておかないと行けないからね」 商売敵、というにはあまりにも毛色が違う気もするが飲食店というものはそうなのか。なんとなくヴァイスのその反応が気になった。 「ここ最近は客足が遠のいていたようだけど、人の子……君を使うなんて奴らも考えたよね。お陰で、君まで僕の手中に落ちてきたのだけれど」 「……っ」 「それにしても……いい首輪だ。死神しか扱えない冥魂具か」 いい趣味をしているね、と曝された首元に巻かれた外れない首輪を指でなぞられ、ぶるりと悪寒が走る。慌ててヴァイスの手から逃げるように体を仰け反らせれば、ヴァイスは少しだけ目を細めた。 「っ、さわ、るな……」 「そう嫌わないでくれ。……僕は君と親しくしたいと思っているよ。それなりにはね」 もう、この男が何を言っても信用できない。胡散臭さを体現化したような目の前の魔法使いは、そんな俺に気付いてるはずだ。それでもさして傷付いた様子もなく、最後に俺のエプロンを腰紐を締めてくれるのだ。 「君は僕の側に立っているだけでいい。それと、逃げようだなんて考えないことだ」 「……」 「ああそれと、君の心臓に魔法をかけた。僕から1メートル離れたらその心臓が爆発する魔法だよ」 「え……ッ!」 「聞こえてこないかい?その心臓の音が」なんて、涼しい顔してとんでもないことを言い出すヴァイスに血の気が引いた。いつの間にかに、ノーモーションだったよな。言われてみれば心臓の音が先程よりも大きい……気がする。 「かっ、解除……しろよ……っ!早く……っ」 「そうしたら意味がないだろう。それに君が僕から離れなければいい話だ」 「……っ」 この男、人でなしだ。従いたくない、こんなことしてる場合ではないと思うのに、1メートル離れたときのことを考えると従わざる得なかった。渋々その側によれば、そこでヴァイスはようやく笑ったのだ。「ああ、それでいい」と、犬か何かを褒めるように俺の頭を撫でる。俺は咄嗟にその手を振り払った。 「俺の体が……バラバラになってもいいのか……っ?」 「死霊魔法なら任せてくれ。体と魂さえあればまた君を蘇生させることもできる。それに僕は君の体が欲しいとは言ったが、最悪死体でもいい。それでも材料は生きたままに越したことはないがな」 話せば話すほど理解できない。俺のことを一人の人として見ていないことがわかった。恐らく、この男にしてみれば命なんて些細なものなのだろう。よくて貴重なモルモットとしか思っていないのがわかってしまい、改めてゾッとする。 「……っ、お……お前だって、元々……人間だったんだろ?なんで……そんな酷いこと……!」 「人間……確かに魔力もない人間だった頃もあったかもしれない。とはいえ、僕と君は決定的に違う。君はまだこの魔界のことを知らない。だからそう生きることに固執するのだろうな」 「次期に君も慣れるだろう」そう続けるヴァイスの声はどこまでも冷たかった。 「さあ、そろそろ行くか。1メートルだからな」 「っ、ま、待って……」 「手を握るかい?」 「にぎ……らない……っ」 伸ばされた手を拒否すれば、ヴァイスは「そうか、これは失敬」と微笑んだ。柔和なのは物腰だけだ、演技臭い笑い方も、最初の戯けたような話し方も全部演技なのだろう。絶対にこの男の思い通りにならない。テミッドも、黒羽さんも助ける。そう決意した俺は、一先ずヴァイスから1メートル離れないようにその後を追いかけた。

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