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階段までもが薄暗い。 薄暗いだけならまだいいが、おまけに段差を降りれば降りるほど匂いは強くなるばかりで、俺は口呼吸を心がけながら一歩一歩、前を歩いていく巳亦についていく。 「う、うぅ……暗……」 「大丈夫か?転ばないように足元気をつけろよ」 「うん……ありがと」 転んだら巳亦を下敷きにしてしまう。そうならないように気をつけつつ、しばらく階段を降りた先。 どうやらようやく辿り着いたようだ。地下に降りれば、そこにはまた鍵のかかった扉。わかってますよという顔で巳亦はすぐに持ってた鍵で解錠してくれる。 そして扉を開ければ、くるぞ、さっきの強烈な匂いの襲来。予め予感して両手で塞いでいたが……あれ?なんかおかしい。……臭くない? 「臭くないな……」 「階段が一番臭かったってこと?……へ?なんで?」 「……もしかしたら、偽装するためかもしれないな」 「偽装って、なんで」 「地下はただの食料庫ですよって」 「…………」 露骨にがっかりしてるテミッドはさておき、言われてあたりを見渡す。……確かに、上とは違い明るいそこは清潔感に溢れているというか……なんだここ。広い通路に人気はない。掃除も行き届いているようだ。鍵がかかってることから一般の客は出入りしない場所だろう。 「……これ」 不意に、屈んだ巳亦は足元、カーペットをじっと見た。赤黒いカーペットにはなにやら幾何学的な模様が書かれている。俺にはなんのことかわからないが、これがアンティークというやつなのだろうか。 「なんの模様だろ、これ」 「そっちは専門外だからわからないけど……なんか嫌な予感するな」 「専門外って?」 「魔法陣だな、これ」 「え」 「あっ、あの、だれか……来ます」 魔法陣、なんの。という言葉はテミッドの言葉に掻き消される。俺たちは咄嗟に近くの通路の影に隠れる。そして、聞こえてきた。大きな足音だ。恐る恐る覗いてみれば、そこには巨大な体躯の男がいた。あの男も従業員なのだろうか。テミッドと同じ制服を着ているが、なんというか着る人間でここまで印象が変わるのかと驚く。 制服の上からでもわかるほどのはち切れんばかりの盛り上がった筋肉、黒羽と同じくらいか、それ以上の大きな体。あの手で頭を掴まれたら握りつぶされるんじゃないかと思うほどだ。遠目で見る限り、全身皮膚の色が斑だ。死体のような色、といってしまえばそれまでだが、凡そ生きてるようには見えない。 「あれは……」 「従業員か……でも、白髪じゃないってことは……ヴァイスじゃないな」 「お、おっかないな……」 「…………人造人間」 「え?」 「……あの人から、死臭、します。色んな死体の匂い……混ざってる」 「……」 どすん、どすんと。大きな足音を立て、そのまま通り過ぎていく大男をしばらく俺は見ていた。……まあ、吸血鬼やキョンシー、鬼がいる世界だ。人造人間がいてもおかしくはないはずだ。そう思いたいが……。 男は鈍い動きで進んでいくと、そのままどこかの部屋へと入ったみたいだ。いなくなったのを確認して俺たちは移動しようとした。そのとき、近くの扉の奥。どすんと床が揺れるような音が響いてきた。 「な、なんだ、今なんかすごい音が……」 「ここ、からみたいです……」 「……二人とも、ちょっと下がってろ」 俺とテミッドは扉から離れる。そして巳亦が扉を開ければ、そこには広めの部屋が広がっていた。けれどなにもない、代わりに部屋の中央、床から天井へとぶち抜かれた柱には見覚えのある二人組がいた。 上の階で巳亦が助けていた大きな脂肪の塊みたいな魔物と、骨のように細い魔物の客だ。 二人はぐるぐる巻に縛られていた。そして相変わらず丸々した魔物の方は気絶してるらしい。細い魔物の方は、俺達に気付いたようだ、もがもがと何かを言ってるようだが、猿轡を噛まされているお陰か何言ってるのか聞こえない。けれど、異常事態だというのはわかった。 「っ、だ、大丈夫かっ?!」 慌てて俺は魔物たちの拘束を解く。猿轡の縄を外せば、痩せた魔物はぷはっと顔を上げた。そして。 「た、助かった……アンタら、どうしてここに……」 「ちょっと知り合いを探してたんだ。それにしても……何が遭った?」 「わからねえ……気付いたときには縛られて身動き取れねえし、おまけに……なんだここ……」 「……ここ、あのバーの地下……です」 「なんだと?なんでこんなところに縛られてんだ」 どうやらあのあとトイレで消えた彼らは記憶を消すなり眠らされたなりしたのだろう、そして、目が覚めれば拘束されてるなんて……俺一人だったらもしかしたら俺も同じ目に遭ってたかもしれない。そう考えるとぞっとしない。 「とにかく、そこのお友達連れて逃げた方がいい。この店はどうやら何か隠してる」 「あ、あぁ……そうだな。……アンタらはどうするんだ?」 「俺達は探し人いるから、もう少し探してみるよ」 縄を切った巳亦に、ようやく自由が利くようになった痩せた男は「悪い、恩に着る」と頭を下げる。そして、でるんでるんになっていた片割れの大男をぺしぺしと叩いた。 「いつまで寝てるんだ!ほら、行くぞ!……おい!」 「んがっ、あ、あれ……?ここどこ……?」 「いいから、ほら、また捕まる前に帰るぞ!」 「捕まる……?俺、捕まってたのか……?」 「いいから来い!」 ぽやぽやとした大男を引き摺るように出ていく細い男を見送る。大丈夫……そうだな。それにしても、よかった。 この店が何をしようとしているのかわからないが、助けられたことには違いない。 「それじゃ、俺たちも行くか」 そう、静まり返った部屋の中。気を取り直した巳亦に頷き返し、扉から出ようとしたときだ。 「あれ?何してるの?」 その声は、部屋の奥から聞こえてきた。魔物たちが抜け出した柱の傍、佇むのはこの店の制服を身に着けたひょろっとした男。そして、眩いほどのふわふわの白い髪。 落ちている縄を拾い上げたその男は、ゆっくりとした動作でこちらを振り返る。 「あ、あれ、お客さん?けど、おかしいなぁ……ここ、確かアンデッドだけしか入れないはずなんだけど……」 中性的なその男は、不思議そうに小首を傾げる。耳障りのいい柔らかい声、血を失ったような透き通るような白い肌。間違いない、この男が――。 「ヴァイス……ッ!」 「あれ?なんで僕の名前知ってるの?」 不思議そうに笑う白髪の男、もといヴァイスは俺を見るなり目を見開いた。そして。 「って、君……もしかして」 「……っ、へ、な、なに……」 「わ、本当に人間っ?それも仮死状態の生きてる体だっ」 ほんの一瞬のことだった、目の前まで迫ってきたヴァイスから逃げる暇もなかった。気付けばぎゅっと手を握り締められ、氷のように冷たい指先に背筋が震えた。……そして、キラキラと輝く子供のような純真無垢な瞳。なのに、なんでだろうか。嫌な予感しかしないのは。 距離感の近さに、思わず反応に遅れそうになる。 「おい、離れろ」と、俺とヴァイスの間に入った巳亦は半ば強引に俺からヴァイスを引き離した。そして。 「ヴァイス、俺達はアンタに用があって来たんだ」 「僕に?……ええ、君たちみたいな知り合いはいないはずなんだけどな」 「……数時間前、顔に傷がある男が来たはずだ。その人は今どこにいる?」 巳亦の言葉にヴァイスは人差し指で顎を撫でる。考えるような仕草。そして「もしかしてあの人かな」と思い出したように口にした。 「大きくて、右目に傷を負ってる彼だね」 「っ!そ、その人……!」 「そうだねえ、彼ならちょっと話して帰ったよ。もしかしたらまだ上で呑んでるかもしれないね」 ヴァイスはそうニッコリと笑うのだ。どこか作為的な笑顔。だからこそ余計、言葉と相まって一瞬にして目の前の男が胡散臭く映る。 上のフロアには黒羽はいなかった。……はずだ。 もしかして見落としたのだろうか、そう考えたとき、見兼ねた巳亦が呆れたように息を吐く。 「……アンタ、嘘吐きだな」 「ええ、やだな……僕が嘘吐きだなんて。僕は知らないって言ってるんだよ、それなのにそんな言いがかり……傷付くなぁ」 「巳亦、そんな言い方は……」 いくら胡散臭い男だとしても決めつけるような言い方をしては喧嘩を売ってるようなものだ。よくない、と巳亦に視線を向けたとき。 「『嘘吐き』は君の方じゃないか?――不法侵入の蛇が」 そう、冷たく吐き捨てるヴァイス。瞬間、先程まで人良さそうな顔をしていたヴァイスの顔には別人のように冷ややかな笑みが浮かぶ。 「レモラ」そう、ヴァイスが口を開いたときだ。 背後、その扉の向こうで巨大な影が動いたと気付いたときに遅かった。 さっき通路で見かけた人造人間だ、あの男が、そこに立っていた。扉を塞ぐその巨大な影に、血の気が引いた。 「どうやら『ネズミ』が入り込んだみたいだ、掃除は頼んだよ」 「ああ、それと。そこの黒髪の少年は丁重に扱うように」まるで自分の手足のようにそう命じるヴァイスの言葉に、レモラと呼ばれた人造人間は確かにこちらを向いた。濁った瞳に睨まれた俺は文字通り縮み込みそうになり、そして巳亦に手を掴まれる。 「曜、テミッド、逃げるぞ」 どこから、ここから出るためにはあの人造人間を倒すしかなさそうだが。そう、咄嗟に辺りを見渡そうとしたときだ。 突然、床が黒く光りだす。部屋全体に幾何学的な模様が浮かび上がり、幻想的な光景に目を奪われるのも束の間。 「残念ながら、それは無理だ」 そう、ヴァイスは微笑んだ。そしてその手には魔法の杖、ではなく、モップ。ヴァイスがその棒を動かした瞬間、床の魔法陣から黒い靄が溢れ出し、それは足元から胴体まで這い上がってくる。 「う、わ、わ……っ!なんだこれ!」 「曜っ!」 「っ、いなみ、さまっ」 やばい、引っ張られる。床に、どうして、混乱する。デジャヴ。咄嗟に魔法陣から抜け出そうと宙に手を伸ばした瞬間、何かが指先に触れた。そして、強く手を握り締められる。そのときには既に視界すらも塗り潰されていたあとだった。見えない、けれど手を握り締める手の感覚だけは残っていた。 そして、闇から抜け出したと思った瞬間、体が投げ出される。 「う、ぐえっ!」 受け身を取り損ね、べちっと腹這いに倒れたとき。体の下で硬い感触が触れた。恐る恐る目を開けば、赤。血のように鮮やかな赤髪に、睫毛に縁取られた透き通る深い緑の瞳が映り込み、思わず飛び上がる。 「っ、て、テミッド……悪いっ、俺……」 「ん……大丈夫、です。それよりいなみさま、怪我は……っ?」 おずおずと伸ばされた手がよしよしと俺の頭を撫でてくる。夢……じゃない、テミッドだ。大丈夫だ、と頷き返せば、テミッドは嬉しそうに微笑んだ。けれど、それはほんの一瞬のことだ。 「……巳亦は?」 「……見当たらないです、それに……気配も感じません」 「……そんな……」 さっきの妙な魔法陣のせいでどこかに飛ばされてしまったようだ。一度テミッドの上から退きながら、俺たちはどうしたものかと顔を見合わせる。 「……あいつ、魔法使いです……厄介、です」 「……魔法使い?ヴァイスってやつが?ってことは、人間……?」 魔法使いってことは、人間ってことか?けど、俺以外に生きてる人間いたのか、この魔界に。いやそもそも魔法使いは人間なのか?と混乱する俺に、テミッドはゆっくりと首を横に振る。 「違います。……あいつは、リッチ……生きてたとき力を持っていた魔法使いのことを、ここではそう呼んでます。……普通の魔法使いは死んでもただのゾンビ、けど、リッチは……魔法が使える、から……厄介です」 たどたどしいながらも俺にわかるように教えてくれるテミッドに、なるほど、と俺は頷いた。……ってことは、幽霊?ゾンビ?どっちでもいいが、厄介なことには代わりなさそうだ。……というか、俺ももしかしたら魔法使えるのかもと思っただけに特別なのかとちょっとがっかりした。 「でも、リッチは……特別。なんで、こんなところに……」 「そ、そんなにすごいのか……?」 「……そう、授業で習いました。この学園だったら、たしか……グレア先生ともう一人だけ……」 「グレア……随分と懐かしい名前だね」 その瞬間だった。何もなかったはずの部屋の奥、現れたヴァイスに俺もテミッドも凍りついた。黒いローブに分厚いレンズの丸眼鏡。一瞬、誰なのかわからなかった。けれど、柔らかい声とその得体の知れない空気を纏った男のローブの下、混じりけのない白い髪が覗くのを見て息を飲む。 「ヴァイス……ッ!」 「さっきはちゃんと挨拶できなかったね。改めて自己紹介しよう。ヴァイス・フォルトナー。……人間ってことは、君が噂の伊波曜君か」 「そして、赤毛のグールはテミッド・ロヴェーレ君だね」レンズの下、ヴァイスが微笑んだのが確かにわかった。 名前を呼ばれたテミッドのその顔から血の気が引く。俺はまだしも、なぜこの男がテミッドのことを知ってるのか。 「なんで知ってるのか。……そう言いたげな顔だね。僕はなんでも知ってるよ、君のことも君がどうやって産まれたのかも」 細い指先がテミッドの首を捉えようとしたのを見て、咄嗟に体が動いていた。咄嗟に掴んだヴァイスの手首は見た目よりもがっしりしていた。 「っ、テミッドから離れろ!」 「いなみ、さま」と、目を丸くしたテミッド。そして、笑みを深くするヴァイスは愉しげに喉を鳴らした。 「いいね、優しい子は好きだよ」 「あんた、なんなんだよ、何企んでんだ……っ」 「僕はただのしがない従業員だよ。……先日、趣味の研究に使うための材料の仕入先が水没してしまってから仕方なくこの店を利用させてもらったんだ。けど、ここに来て正解だったよ。まさか生きた人間の子供が手に入るんだからね」 穏やかな笑顔、楽しげな声。うっとりとしたその目を向けられれば、全身が岩になったみたいに硬くなる。 というか、待てよ。水没? 「仕入先ってまさか……」 「話のわかるユアン君もいない。政府の邪魔が入ったせいで一時期研究も儘ならなかったが……災い転じて福と為すとはこのことだね」 思い出したくもないあの軍服の男が脳裏を過る。 そして、直感した。この男は関わってはいけないタイプの男だと。

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