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また夢の中で悪夢を見るのではないか。そんなことを思ったが、今度はすんなりと眠ることができた。
夢は見なかった。ほんの数分の間気を失ったように眠り、そして俺は遠くから聞こえてきた物音に驚いて飛び起きる。
「な、なに?! なんの音……?!」
「……」
ベッドの側、佇んでいた黒羽が静かに動いたときだった。自室の扉が勢いよく開き、「曜くーん!」と明るい声とともにクリュエルとテミッドがやってきた。
「貴様、伊波が休んでいると伝えただろうが!」
「うっ、い、伊波様……ご、ごめんなさい……僕、心配で……」
「そーそー、そういうこと! 黒羽さんも融通利かないよね~!」
どうやら二人は俺の様子を見に来てくれたようだ。
慌ててベッドから起き上がった俺は、早速黒羽につまみ出されそうになっているクリュエルを助けることにした。「伊波様」となにか文句を言いたげなこちらを見てくる黒羽をどうどうと宥め、俺は「もう大丈夫だから」と頷いた。
「クリュエルも、夢の中ではありがとう。……あのあと大丈夫だったの?」
「まあ色々あったけど、アヴィド様は無敵だからね!」
「ま、待って……色々ってなにかあったのか?」
「うーん、まあ大したことじゃないけどねえ。この後に及んで逃げ出そうとしたあのクソ雑魚ナメクジ君がアヴィド様にやられてちょーっと廃人化しちゃったり?」
「……え?!」
さらっととんでもないことを口にするクリュエルに思わず俺は固まった。
黒羽は捕らえたとしか言わなかったが、まさかそんなことになってるなんて。
咄嗟に黒羽の方を見るが、黒羽は素知らぬ顔をしている。言う必要がないと判断したのだろうが、俺からはちゃんと聞きたいところだった。
「そ、それで……アンブラは大丈夫なのか?」
「ま、大丈夫じゃない? アヴィド様だからね、ただ使い物にしなくするだけの無能じゃないしね」
「ならいいけど……」
「それより、曜君は大丈夫なの?」
「え? 俺?」
「夢魔に頭の中入り込まれたんだもん、後遺症は大丈夫?」
「ああ、それなら大丈夫。……寝過ぎて疲れたって感じくらいだし」
「よ、よかった……です」
俺の言葉に、テミッドは胸を撫で下ろす。
夢魔に夢を弄られた後遺症か。ファンタジー漫画だったらそれこそ廃人化したりするのかもしれない。そう考えると、本当に運が良かった。
そう改めてほっと安堵した。
「それより曜君、さっきの約束覚えてる?」
戻ってきた日常……にはまだ遠いが、一先ず一件落着の気持ちでいたときだった。
こっそりと耳元に唇を寄せてくるクリュエルに「へっ?」と間抜けな声が漏れる。
「だーかーらー、さっきの夢の中での言葉だよ」
「まさか、忘れちゃったなんて言わないよねえ?」そうぷりぷりと怒ったようにスカートの裾を揺らし、クリュエルは俺にしがみついてくる。
「――僕の発散の相手になってくれるって話」
テミッドに聞こえないほどの声量で囁かれ、あっと息を飲んだ。そして顔が焼けるように熱くなる。
「く、クリュエル……それは……っ」
「良かった、その反応覚えててくれたみたいで安心したよ!」
そう先程までの妖しい雰囲気とは打って変わってぱっと明るく微笑んだクリュエルはそう俺から手を離した。
そしてそのまま部屋を出ていこうとする。
「あっ、クリュエル君……」
「そーだ、忘れてた」
そう呼び止めようとするテミッドに、クリュエルは思い出したようにこちらを振り返るのだ。
「元気になったらアヴィド様のところにも顔出してあげてね~! アヴィド様、なにか君に話があるようだったから」
「アヴィドさんが? あ、ああ……わかった」
「んじゃ、また“後で”ね」
「ばいばーい」と大きく手を振り、そのまま羽をパタつかせながらクリュエルは軽い足取りで部屋を後にした。
クリュエルが立ち去るのを尻目に、黒羽は深く溜息を吐く。
「全く……嵐のように騒がしいやつだな」
黒羽さんがそれを言うのかとは思ったが、まあここは目を瞑ろう。クリュエルが帰って寂しそうなテミッドの頭を撫でながら、俺は先程のクリュエルの言葉を頭の中で反芻した。
――鬱憤を発散、か。
あのときクリュエルを止めるためだとはいえ咄嗟にそんなことを言ってしまった自分に後悔しないでもない。
というか、そうだ。あの夢の中での出来事はアヴィドにも筒抜けになっていたはずだ。
クリュエルにされたことやアンブラの悪夢のことを思い出して、まさかあれも全部アヴィドに見られていたのではと思うと途端に会うのが恐ろしくなってくる。
「い、伊波様……元気ない?」
「いや……大丈夫だよ、ちょっと色々考え事をして」
「おやつ……おすすめの用意してもらったので、食べて……元気になってほしいです」
そうこそっとどこから取り出した箱入りのお菓子を取り出したテミッド。
その箱には見慣れた文字が書かれていた。『ポテトチップス』……日本語だ。
「うわ、懐かしいな……俺がよく買ってたやつだ」
「人間の口に合うもの、ニグレド様に聞きました」
「ニグレド……」
ここまでくると尊敬の念すら覚えた。というか、わざわざニグレドに聞きにまで言ってくれたのか。
余程以前テミッドのおすすめのものを目の前で吐いてしまったのがショックだったのかもしれないと思うと申し訳ない反面、愛おしさのようなものが込み上げてきてひし……っ!と俺はテミッドを抱き締めようとし、黒羽に剥がされた。
「伊波様、握手までで留めてください」
「う、く、黒羽さんにもハグくらいするじゃん……親愛の証だよ」
「……それはそれ、これはこれだ」
心配性というか、大人気ないというか。
仕方ないので渋々テミッドの手を握れば、テミッドは赤くなりながらも「えへへ……」ととろけた様に微笑んだ。
「曜様、ゆっくり休んでください……です。お邪魔してごめんなさい」
「テミッド、もう戻るのか?」
「はい、また元気になったら一緒に遊びましょう。……ニグレド様も誘って」
すっかりニグレドに懐いてるようだ。少しヤキモチを覚えたが、俺が爆睡してる間テミッドに寂しい思いをさせずに済むならそれでいいのかもしれない、と複雑な感情になる。
それからテミッドは部屋を出ていく。黒羽の監視の元、俺は完全回復するまで部屋に軟禁され……そしてどれほど経っただろうか。
黒羽のバイタルチェックを受け、とうとう外出許可を得た俺は早速テミッドと朝食を取り、それからそのままの足でアヴィドの元へと向かった。
――ヘルヘイム寮・ラウンジ。
元々隔離されたそのラウンジには、アヴィドとクリュエル、そしてニグレドがいた。
クリュエルとニグレドを従えるように両脇に立たせたまま一人がけのカウチソファーに腰を掛けたアヴィドは黒羽とテミッドに挟まれた俺を見て「やあ少年」と笑う。
「アヴィドさん。すみません、挨拶するのが遅くなって」
「気にしなくてもいい。俺達は気が長い方だからな、数日ぐらい誤差のようなものだ」
これはもしかして吸血鬼ジョークなのだろうか。
どんな反応したらいいのかわからず狼狽えてると、構わず「まあそこに掛けると良い」とアヴィドは向かい側のソファーを顎で指した。お言葉に甘え、俺はそのままソファーに腰を鎮めるが黒羽もテミッドも座る様子はない。
少し寂しかったが、こんなことで落ち込んでる場合でもない。
「今回は君の協力のお陰で彼を捕縛することができた。改めて感謝しよう」
「あ、いえ……俺はただ寝てただけなので」
「そんなことはない。夢魔を引きずり出すことができたのは君の精神力の強さがあったからだ。低級とはいえど、悪夢から抜け出せぬまま囚われる人間は少なくはない。これは誇っていいだろう」
「……ありがとうございます」
殆どクリュエルのお陰なのだが、素直に感謝の言葉は受け取ることにする。なんだかむず痒いが。
というかアヴィドさんも普通通りだし、いちいち照れていた俺が気にし過ぎなだけかもしれない。
なんてほっとした矢先。
「それで、ここからは報告という形になるんだが……今はあの夢魔から尋問を行ってヴァイスの情報を探っているところなんだが、少々難航していてな」
「難航、ですか」
「ああ、君にじゃないと口を割らないなんて言う始末だ」
「……え」
アヴィドの口から出てきたのは想定外の言葉だった。
なんで俺だ。いや、もしかしてこれも罠だということか?
どちらにせよアンブラの様子は気になっていたが、廃人化だとかっていうのはまさかそれも関係してるのか。
「このままだと手掛かりも手に入らないまま処分せざる得なくなる。それだけは、君の頑張りを無為にするような真似だけは避けたい」
「は、はあ……」
「そこでだ、少年。君に直接アンブラの尋問を行ってほしい」
話の流れからなんとなく想像ついていたが、本当にこうなるとは思わなかった。
黒羽の口添え効果もあったのかわからないが、俺からしてみれば願ったり叶ったりというやつだ。
それに、下手すればこのまま処分なんて物騒なことを言われたら断れるはずがない。
「分かりました、俺は構いません」
けれど、と隣に仁王立ちになった黒羽の方をちらりと見れば、黒羽もなにも言わなかった。
普段ならば「任せられない」と言ってきそうなものなのに、廃人化してるから大丈夫ということなのだろうか。改めてアヴィドに向き直り、俺は「やります」と続ける。
「そうか、助かる。なら早速彼を収監している地下の鍵を渡しておこう」
そう、上着から古びた鍵を取り出したアヴィドはそのままそれをこちらへと手渡した。
ずしりと重みのあるそれをしっかりと受け取れば、ひんやりと金属特有の冷たさが手のひらに広がった。
「地下って……」
「監獄なんて大層なものではないが、どの寮にもあるんだよ。“問題児”を一時的に隔離して躾け直すための部屋が」
「そしてそれはそこの鍵だ、落とさないように気をつけてくれ」そう笑うアヴィドに、俺は慌てて黒羽にそれを預けることにした。
「まあそんなに気張る必要はない。あれは既に無力化させてあるからな、君はただ話を聞くだけでいい」
アヴィドの声がやけに冷たく聞こえるのは錯覚からではないはずだ。
無力化、という言葉に嫌な想像が過る。
「あ、あの、一つだけいいですか?」と思わず尋ねれば、アヴィドは「ああ、なんだ?」と微笑む。
「もし……もし、俺が聞いてもなにもならなかったり大したこと聞けなかったらアンブラはどうなるんですか?」
アンブラの方から俺に会いたいと言い出したとは言えどだ、そのことが気になった。
黒羽の視線を感じたが、ここははっきりと聞いておいた方がいい。そう思ったのだが。
「地下監獄が沈没した今、仮設の監獄の部屋には限りがある。――低級魔物如きに貸す部屋はない、ということだけ伝えておこうか」
「……分かりました」
“処分”と先程アヴィドは口にした。
今度は言葉を濁したようだが、つまりはそういうことなのだろう。
この学園での罪人の扱いについてはこの目でも見てきただけにある程度覚悟していたが、実際に聞くと嫌なものを覚える。それはアンブラに対する同情の念とはまた違う。
「懲罰房への行き方は黒羽に伝えてある」
「いい報告を待っているよ、少年」口角を持ち上げ、笑いかけてくるアヴィドに背筋が冷たくなる。
――あんなに心強く感じていたアヴィドが怖く感じるなんて。
俺は「分かりました」とだけ答え、黒羽とともに
ラウンジを後にした。
「……黒羽さん」
――ヘルヘイム寮・通路。
隣に並ぶ黒羽に声をかければ、いつもと変わらない様子の黒羽が「なんだ」と答えてくれる。
「アヴィドさんのさっきの話からして、やっぱりアンブラってその……殺されるってこと?」
そして改めて黒羽に尋ねれば、黒羽はそのまま無言で目を閉じた。
「伊波様、やつに肩入れする必要はない」
断言しないが、その言葉は肯定と同じだ。俺のことを考えて言葉を濁してくれているのだろう。
おまけに、心の中まで読まれてるなんて。
「う、わかってる……わかってるけど……」
「人間界での死と魔界での死の意味合いもその重さも違う。低級魔物とはいえどその亡骸は薬に使われることもある――罪人とはいえど多少なりとも世の中の役に立つこともあるだろう」
黒羽らしいというか、妖怪も魔物も皆そんな考え方なのだろうか。
それでも冷たいと感じるのは人間だからなのか、俺にはよく分からないがそこまで割り切れることはできない。
アンブラに対して怒りはあるが、それでも死んで当然だとは思えないのだ。やはり、黒羽が言う通りは俺は甘いのか。
「……俺も、死んだら魔法の材料になるのかな」
「伊波様を死なせない」
「わっ、……た、例え話だよ」
それに、逆に考えるんだ。本来ならばアンブラは処刑される立場なのをわざわざ一介の人間である俺に声をかけてくれたのだ。
「……っ、よし」
「伊波様如何されたか、いきなり自分の頬を叩くなどと……ッ」
「あ、これは気合注入っていうか……その、おまじない?」
「呪いだと?」
「えーと、『よっしゃ! がんばるぞ!』……って感じのやつです」
なんとなく誤解して険しい顔をする黒羽に説明しつつ、俺はこれからのことを考えた。
が、やはり会ってみなければどうすることもできない。
「それじゃあ黒羽さん――早速ですけど、その懲罰房? ってところに案内してもらっていいですか?」
足を止め、そう改めて黒羽に向き直る。
黒羽は少しだけ考えて「ああ、わかった」と頷いた。
「予め伝えておく。……これ以上の対話は無意味だと判断したときは自分が直接手を下す許可は頂いてる」
「え、黒羽さんが?」
「ああ。これも貴方を守るためだ、伊波様」
「……わ、分かった」
……これは、もしかしたら一筋縄ではいかないかもしれない。
黒羽の逆鱗に触れさせないようにしつつアンブラから話を聞き出す、こんな高難易度なクエストがあっただろうか。
アンブラが収監されているという懲罰房は地下にあるようだ。地下というものにあまりいい思い出はないのだが、ここは我慢だ。
ただの変哲のない扉だったが、先程黒羽に手渡した鍵に反応するかのように扉そのものはぐにゃりと変化する。そして現れたのは重厚な鉄の扉だ。
それを開き、先頭をいく黒羽の後をついていく。階段は然程長くない。もしかしたら今まで無駄に長い階段を登らされたり降りさせられてたからそう思うだけかもしれないが。
それよりも階段を降りている最中、先程から黒羽の口数が少ないのが気になったがのんびりと会話を楽しむような空気でもないのは確かだ。
俺も気を引き締めなければ。そんなことを考えているうちに、階段の終わりが見えてくる。
階段の果て、長い通路が広がっていた。そこにいくつかの扉が見える。内装は寮内と然程変わらない、小綺麗な空間が広がっていた。
「懲罰房っていうからもっと酷い場所かと思っていたけど、思ったよりも綺麗だね」
「……伊波様」
「わ、分かってるよ。……頑張るから、話し合い」
「……」
黒羽はなにか言いたげだが、やはり何も言わなかった。なんだろう、俺が眠ってる間になにかあったのか。
いつもなら口煩いくらいの黒羽が静かだとそれはそれで不安になってくる。
……いけない、今はアンブラのことだけに集中しよう。
重たい、地下特有のひんやりとした湿った空気の中、二人分の足音が響いた。そして一番奥の扉を再び鍵で解錠する黒羽。扉を開けば、そこには大きな鉄格子が目に入る。そして鉄格子で仕切られたその奥、鉄製の柱にぐるぐる巻に括り付けられるようにして床に座り込んだ人影を見つけた。
アッシュグレーの乱れた髪、見るからに満身創痍であるその男は間違いない――アンブラだ。
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