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「な、なんで泣いて……」 「わ、分かってる……一度もお会いしたことはなかったし、ご自分のことは全然話してくださらなかったし、いろんな奴らからも言われてきた。お前は都合のいいように使われてるだけだって」  ぼろぼろとその瞳からこぼれる涙に、どうすればいいのかと考えている間に「ぐす……っ、ぐひ……」と本格的にしゃくり上げだしたぞ。  涙、鼻水、その他諸々で顔面をぐしゃぐしゃにさせるアンブラに、俺は地球に残したままのまだ幼い妹たちのことを思い出した。好物のオムライスの中にグリンピースが入っていたことに気付いたとき、双子の妹たちはよくこんな顔をして泣いていた。  今目の前にいるのは妹たちよりも遥かに年上で、おまけに悪魔の男ではあるもののだ。目の前でこんなにずびずびと鼻をすすられてみろ。というか夢魔も泣くのか、と思いながら俺は制服のポケットを探りハンカチを取り出す。  ほんの一瞬、その動作にびくりと震えていたアンブラだったが、そのまま「ほら、泣くなよ」とアンブラの顔を濡らす涙をそっと拭ってやる。 「っ、な、なに……」 「なにって、お前が泣いてるからだよ」 「……っ、」  てっきり「余計なお世話だ」などと振り払われるのではないかと思ったが、アンブラの反応は思ったよりも従順だった」。されるがままに大人しく顔を拭かせてくれるアンブラ。  なんだか犬みたいだな、と思いながらも「落ち着いたか?」とハンカチを離せば、ぐす、とアンブラは鼻を啜り小さく頷き返すのだ。  悪いやつではあるのだが、憎めないというか……頭で理解していながらもヴァイスに従ったアンブラのことを心の底から恨むことはできなかった。  危機感がないと黒羽に怒られそうなので口には出さないでおくが。 「アンブラにとっては、ヴァイスはいいやつだったんだな」 「……っ、お前は……俺の言うことを信じてくれるのか?」 「え? 信じるも何も、嘘吐いてるように見えないし……それに、ここにいない人間に対してそこまで想って泣くナイトメアを疑うことなんてできないだろ」  普通、と言い掛けてここが俺の知る『普通の世界』と違うことを思い出し、口を閉じた。  涙が止まっていたと思っていたアンブラの目がまたじわりと潤み出したが、それを堪えるようにアンブラは唇を噛む。 「……ヴァイス様とは、俺がこっちに戻ってきてから一度もお会いしていない。いつもなら俺が一人のとき、日付が変わるときにいつも声をかけてくださるのに……ここ何日もお声すらも聞けていない」  絞り出すようなアンブラの声が、冷たい懲罰房に響いた。  黒羽の方を見れば、目が合う。「初めて聞いた話だ」と黒羽が小さく俺に耳打ちした。 「なあ、アンブラ……それって」 「……わかってる。ここまで目を掛けてやったというのに、その役目すら果たせなかった役立たずに用はない。  ――そういうことなんだろ?」  ヴァイスに用済みと判断された。  それは俺も一瞬考えたが、ヴァイスのことだ。それならば速攻アンブラの口止めに来そうなものだが、今もこうしてアンブラが無事ということはアヴィドたちがいるから手を出せないのか。それとも他に理由があるのだろうか。  ……一番最悪なのが、ヴァイスが敢えてアンブラを泳がせている場合だ。  けど、アンブラは自分が捨てられたと思い込んでいる。……同情はするが、逆にこれはチャンスなのではないかと思った。 「……アンブラ、俺はお前の言ってることを信じるよ。ヴァイスが音信不通だってのも。確かに、それじゃあなにも言えないしな」 「……伊波」 「けど、このままじゃアヴィドさんもお前を……その、死刑にするつもりだ。それってお前にとっても最悪なことじゃないのか?」  オブラートに包むか迷ったが、ここは腹を割って話すべきだと想った。  アンブラ自身のこの先に関わる問題だ。静かに尋ねれば、アンブラは目を伏せる。 「……こうなることは分かってたし、失敗したのは俺だ」 「アンブラ、お前はこのままでいいのか? ヴァイスにも会えないままで」 「伊波様」と黒羽の隻眼が咎めるような視線を向けてきた。分かっている、黒羽が言いたいことはそれはもう嫌ってほど理解できた。  この際俺が見せられた悪夢については黒羽やアヴィドたちに嫌ってくらい罰せられているはずだ、ならば俺ができることをするしかない。  縛られたままのアンブラの手を掴めば、その暗い目が見開かれる。 「なあ、アンブラ。俺たちはヴァイスを探してる。アンブラもヴァイスにまた会いたいと思ってる――これって目的が同じだと思わないか?」 「……っ、な、なに……言ってんだよ、お前」 「俺たちに協力してくれないか、アンブラ。……本当にヴァイスがお前を利用するためだけに近付いたのか、直接聞きたいと思わないか」  右往左往、アンブラの視線が揺れる。ただでさえ血の気のない顔が更に真っ白になっていき、涙の次は冷や汗がアンブラの額から滲んだ。ナイトメアは汗も流すのか。 「お、おかしいだろ……なんで、そんな」 「おかしくはないだろ。確かにお前のしたことは悪いことだけど、それを反省して俺に話ししてくれたんだろ?」 「で、でもっ、……お、俺は……」 「アンブラ、お前はこのまま死んでも良いって思ってるのか?」  いつの日か、地下監獄でのやり取りを思い出す。あのとき目の前にいたのは不死でありながらも命を投げ捨てようとした男だ。  けれど、目の前にいるアンブラはやつの疲れ切った目とは違う。諦めた目ではない。まだ納得がいっていない、それでもどうすることできずに現状を受け入れることしかできない目だ。  唇をわなわなと震えさせ、アンブラは目をぎゅっと目を瞑った。そして、声を絞り出す。 「……っ、んなわけ……あるかよ」 「ヴァイスに会いたいか?」 「会いたいに決まってる!」  即答だった。弾かれたように声を上げるヴァイスはそのまま俯く。 「……まだ、お礼すらちゃんと言えてない」 「こんな俺をここまで育ててくれたお礼を」とぽつりと吐き出すアンブラに、俺はああ、と思った。師弟関係というにはあまりにも一方的なものではあるが、そこに確かに絆はあったのだ。  ヴァイスの考えてることはわからないが、その糸はアンブラにとって大きなものだった。  ――ならば、これ以上のやり取りは不要だ。 「じゃあ言おうよ、お礼」  そうアンブラの手をぎゅっと握れば、アンブラの目が大きく見開かれる。 「伊波様」 「黒羽さん、アヴィドさんに会わせてもらえるかな。アンブラを解放してもらうように頼みたいんだ」 「伊波様っ」 「……アンブラは大丈夫だよ、もう能力もないんだし――それに、ちゃんとお礼が言える人はいい人だよ」  ああ人ではないか、と思いながらも黒羽とじっと睨み合うような形になる。  そんな中、一人アンブラは「待てよ」と声を上げた。 「なんで、アンタは……そこまで俺に肩入れするんだ? お、おかしいだろ、だって俺……アンタに酷いことしたんだぞ」  言いながら、アンブラの語気が小さくなっていく。 「そっちだって、わかってて俺をわざわざ呼んだんじゃないのか?」 「それは……」 「だから俺は、それに応えたいだけだよ」  ――少なくとも、そのための親善大使なのだから。

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