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 それから、俺たちはアンブラの懲罰房を後にした。  念の為、アンブラには見張りをつけてもらうように黒羽に頼めば黒羽は自分の使い魔のカラスをアンブラの房に残してくれた。  無論、アンブラが逃げないかを見張るため――ではなく、アンブラの身に危険が起きたときに対応できるようにだ。  寮へと続く階段までやってきたとき、黒羽は「伊波様」とこちらを振り返るのだ。なにも言わなくともその目からありありと黒羽が言いたいことは伝わってくる。 「……なあに、黒羽さん」 「これからアヴィドに会いに行くおつもりですか、アンブラを釈放してくれと」 「うん、アヴィドさんならきっと分かってくれると思うよ」  アヴィドは合理的な人だ。敢えてアンブラを餌にしてヴァイスの動向を探る名目、そしてアンブラに協力してもらうという前提があれば納得してもらえるだろう。  と、考えていると「伊波様」と腕を掴まれる。 「わ、黒羽さん……なに?」 「貴方がお優しいことは自分も知っている。……が、あの者に肩入れするのは危険だ」  てっきり『甘いぞ』と怒られるのかと思ったが、黒羽の反応は俺が想定していたものとは違った。 ――お優しいのはどちらというのだろうか。  俺は黒羽の手にそっと触れる。アンブラとは違う、硬質な皮膚の感触。そしてその下に流れる血液の熱を感じた。……熱い。 「ありがとう黒羽さん……けど、大丈夫だよ。俺も結構、魔界では痛い目見てきたからね」 「ほら、アンブラを懲罰房で孤立させるよりも近くで見ていた方がわかりやすいだろ?」アンブラが聞いていたらまた泣くかもしれないな、と思いつつも一先ず黒羽を安心させようと言葉を続ければ、黒羽の眉間に僅かに皺が寄る。  ……あれ、余計怒らせてる? 「……黒羽さん?」 「――いや、分かっているならそれでいい。それに、伊波様の提案自体には俺は異論はない」  そう黒羽の手が離れた。  伏せられる黒羽の視線がなんとなく引っかかったが、黒羽は俺の視線から逃げるようにそのまま歩き出したのだ。慌ててその広い背中を追いかけ、階段に足をかける。  二人分の足音が辺りに響いた。 「黒羽さん、もしかして……怒ってる?」 「怒っていない」 「え、でも……眉間に皺が」 「これは生まれ付きだ」  それはそれでちょっと問題じゃないのか、とか、どんな赤ちゃんだったんだ、とか色々言いたかったが、黒羽の背中から話しかけるなという圧を感じてしまい俺はそのまま口を閉じた。  ちゃんと黒羽に相談しなかったから怒ってるのか。いや、でも本人は怒ってないと言ってるし……。  なんて一人悶々しながらも歩いている内に長い階段も終え、俺達は再びアヴィドと落ち合うためにラウンジへとやってきていた。  そして、ラウンジに置かれたビリヤードのような玉の代わりに球体の爆弾転がして遊んでるアヴィドとクリュエルに先程のアンブラとのやり取りを報告することになった。  俺はアヴィドに下でのアンブラとの会話、そして聞いたこと、それからアンブラを解放してほしいというを提案する。それをキューを片手に弄りながら聞いていたアヴィドは、ビリヤード台に腰をかけたまま「いいんじゃないか」と口にした。 「え、いいんですか?」  あまりにもあっさりすぎて逆にアホみたいな声が出た。アヴィドは「何故君が驚くんだ、少年」と口角を持ち上げ、笑う。 「俺たちの要望通り、あの夢魔の口を割らせたのは君だ、曜。そんな君がそうした方がいいと思うのならその選択は正しいのだろう」 「え、でも……俺が嘘言ってるかもしれないんですよ? 信じるんですか?」 「はは、嘘を言ったのか?」 「い、言ってません……けど」  例え話が下手すぎた。アヴィドとクリュエルに笑われ、顔がじんわりと熱くなる。 「問題があるなら、俺に話させる前にそこの君のお目付け役が口を出していただろうしな」 「あ……」 「それに、人間の嘘くらい見抜ける。君は嘘は吐いていない」  流石吸血鬼、ということなのか。それともただ単に俺の嘘が下手だと言われているのか。真意はわからないが、一先ずアンブラに承諾を得られたことにただほっとする。 「しかしまあ、今すぐにはアンブラを君の元に付けさせるわけにはいかない。こちらにも色々段取りというものがあるからな。――そうだ、また今夜、準備が終え次第君の元へ伺うとしよう」 「それまでにあの夢魔の牙は完全に折っておいてやるから安心するといい」なんて本気とも冗談とも取れない爽やかな笑顔を浮かべ、ネクタイを締め直すアヴィドに背筋がぶるりと震えた。 「えー、アヴィド様もう行っちゃうの?」 「ああ、お前は遊んでていいぞ」 「やったー! じゃあ曜君に遊んでもーらおっと!」  きゃっきゃとはしゃぎながらくっついてくるクリュエル。問答無用で黒羽に引き剥がされていた。 「……それと、黒羽君」  クリュエルと揉み合いになっていた黒羽は、クリュエルの首根っこを掴みながら「なんだ」とアヴィドを振り返る。  丁度ラウンジを出ていこうとしていたアヴィドは扉に手をかけたまま「少々話がある、少しいいだろうか」と静かに続けるのだ。  アヴィドの表情は変わらないはずなのに、なんだろうか。なんとなくその雰囲気が恐ろしくて、俺は思わず黒羽に目を向けた。  黒羽さん、とその腕に触れようとしたとき、「ああ」と黒羽は小さく応えるのだ。 「伊波様、少し外す。――おい、そこの淫魔。伊波様に余計な真似をしてみろ」 「しーまーせーんーっ! ほらさっさとアヴィド様のところ行っちゃいなよ~!」 「いーっ!」とベロを出してぱたぱたと背中の羽を羽撃かせるクリュエル。これはクリュエルなりの威嚇行為なのだろうか、黒羽は舌打ちをし、そしてそのままそっと俺の手を離した。  それから「すぐに戻る」と耳打ちし、そのままアヴィドの後を追いかけていく。  一人残された俺は「よちよち、曜君泣かないで~僕がママになってあげるからね!」とぎゅーっとクリュエルに抱きしめられた。思いの外柔らかさよりも硬さが勝る感触……って、まじでぐるじい。ギブギブ。

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