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 学園敷地内、学生寮付近。  ちゅんちゅんと鳥が囀ずる爽やかな朝の空気に包まれ、俺はあのトイレの裏までやってきた。  一本の樹の枝に制服が引っ掛かっているのを見つけるのに然程時間はかからなかった。  もしかしてまだトイレの中に五条がいるかもしれないとなるべく警戒したが、いたとしてもあの小窓からこちらに来ることも危害を加えることも出来ないはずだ。  というわけで俺は引っ掛かったままになっている制服をなんとか回収し、携帯電話とカードキーの無事を確認する。  制服だけはなかなかのダメージ加工が施されているが、まあ修復不可能というわけではない。買い換えようと思ったが、これならまだボタンを付ければ着れるはずだ。  わざわざ注文して取り寄せるなんて手間を掛けたくないし、後でボタンを探しに行ってみるか。確か購買に売ってるはずだ。裁縫なんてしたことないが、まあ糸巻いとけばなんとかなるな。  このまま教室行こうかと思ったが、岩片に制服のことで余計な勘繰りをされるのは面倒だったので先に制服の修復をすることにした。  どちらにせよもうとっくに遅刻扱いになっているだろう。携帯電話を開けば、岩片からメールが入っていた。『マサミちゃんが拗ねてる』とだけ書かれたその文の他に俺への安否や心配しているという主旨の文はない。  一瞬どこの女子かと思ったが恐らく担任のホスト教師・宮藤雅己のことなのだろう。  もう少し遅くなるからなんとかフォローしといてと岩片にメールを返信し、そこでようやく俺は一息ついた。  取り敢えず、早めに教室に戻るか。メールの文面からして岩片は俺が遅いことを気にしてないようだが、流石に遅くなりすぎてもまずい。  携帯電話をしまい、一先ず俺は学生寮内にある購買へと足を向かわせた。  ――学生寮、一階ロビー。購買部はロビー横に設置されていた。  さっそく中に入り、ボタンを探す。そして、すぐに目的のものを見つけることはできた。レジの近く、一セット五個入りのボタンが置いてあった。丁度最後の一つらしく、俺は自分の運のよさに思わず頬を緩める。  そしてそのままそれを手に取ろうとしたとき、ふと伸びてきた手にボタンの入った袋を横取りされた。  掴んだと思ったはずの手の中は空で、まさか横取りされるとは思ってもいなかった俺は目を丸くして背後を振り返る。  そこには、どこか既視感がある生徒が仏頂面で立っていた。色を抜いたような銀髪にいかにもな服装。一瞬なにかのコスプレかと思ったがどうやら私服なのだろう。見知らぬ、しかしどこかで見たことのあるようなその強烈な印象を与える男子生徒に俺は一瞬硬直する。  すっげぇ頭だな。ズラか? なんて呆気取られそうになったが問題はそこではない。 「あ、おいそれ……」  銀髪の手の中にしっかり握られたボタン。確かそれは最後の一つだったはずだ。 「……なんか文句あんのかよ」  そう声をかければ、銀髪はそう不愉快そうに顔をしかめ吐き捨てる。  初対面相手にこの態度。素晴らしい。しかも横取りしてこの態度。素晴らしい。  政岡五条と連続で起きたトラブルに若干荒んでいた俺は掴みかかりそうになるのを必死に堪え、あくまで穏便な対応を取ることにした。 「それ、丁度俺も買おうと思ったんだよな。すげー偶然」 「だからなんだよ」 「悪いけどさ、譲ってくんね? 残り一つなんだよ、それ。今度入ってきたらそれ奢るから」 「…………」  そう笑いながら交渉に持ち込めば、銀髪は訝しげにこちらを睨んでくる。  やはり、どこかで見覚えがある顔だ。インパクトが強い分普通なら忘れるはずがないだろう。どこで見たんだっけ。  思いつつ、銀髪の反応を見る。俺を睨んでいた銀髪は視線を落とし、俺の腕に抱えていた制服を見た。 「…………それ」 「あ?」 「それに使うのか?」 「ボタンのこと?」  そう聞き返せば、銀髪は無言で頷く。どうやら話は通じるようだ。 「ああ、まあな」  これはチャンスかもしれない。そう言いながらわざとらしく政岡によってダメージ加工が施されたシャツを広げ、ちらりと銀髪の様子を伺う。 「全部ボタン取れちゃってさー、予備足んねえわで困ってんだよね」  言いながらそう困ったように笑ってみせる。すると、銀髪は再び俺に視線を戻した。 「替えは?」 「ない。要らねえかと思って注文してなかった」  嘘はついてない。どうせ岩片のことだからすぐに転校するだろうと思って長居するような準備はしてなかった。どうやらそれが裏目に出たようだ。肝心の岩片は長居する気満々だ。つまりまあ俺の判断ミスというところだろうか。 「…………」  暫く黙りこくっていた銀髪だったが、やがて諦めたように息を吐いた。渡す気になってくれたのだろうか。  そう期待するように銀髪を見れば、銀髪はなにも言わずにレジへと歩いていく。 「え、ちょっ……」  この流れで普通買うか。食い付いてきた銀髪にてっきり譲ってくれるものかと思っていた俺は慌てて銀髪の後をついていく。すると、雑にカードを取り出した銀髪はそれを使って雑に支払いを済ませた。そして、袋から一つのボタンを取り出した銀髪は残り四つのボタンが入った袋を俺に押し付けてくる。 「え? あ? なに、くれんの?」 「自分がくれっつったんだろ」 「うわ、まじ? ありがと。まじで助かるわ」  見た目からかきっとこいつも日本語が通じないタイプなのだろうなと偏見を持っていただけに驚いた。不幸中の幸いに頬を緩ませる俺は銀髪からボタンを受け取る。しかも買ってもらえるとは。もしかして結構いいやつなのかもしれない。  ものを奢ってもらったくらいで掌返す自分に呆れつつ、俺は「ありがとな」と何度目かのお礼を口にする。 「そのくらい別にいい。……それより、ちょっとそれ借せよ」  相変わらずの仏頂面。  お礼の代わりに銀髪が要求してきたのは、無惨なことになったワイシャツだった。なんでそんな要求してくるのかまるで理解できなかったが、渋る理由もない。そのまま俺は銀髪にワイシャツを手渡す。それを受け取った銀髪は、見事ボタンが千切れたその襟に興味を示しているようだ。 「おい」そして、再び銀髪に声をかけられる。 「お前、これ自分で縫うのか?」  ワイシャツを握り締めたまま、銀髪はそうどこか目をキラキラさせながらそう尋ねてくる。補修のことを言っているようだ。 「ん、ああ、まあそうなるな」 「なぁ、やらせてくれないか」 「えっ?」  考えながら頷けば、銀髪はそう言いながら詰め寄ってくる。  一体なにを言い出すんだこいつは。詰め寄ってくる銀髪に思わず後ずさる俺。背中に変な汗が滲む。 「ちょっ、待った。待った」 「……ダメか?」 「いやダメっつーか、俺お前のこと全く知らねーし」 「遠慮すんなよ。時間ならかけないから」  しかし一歩後ずされば後ずさるほど銀髪もまた一歩近付いてきて、いつの間にかに壁際まで追いやられた俺は鼻先に迫る銀髪の強面に顔を引きつらせた。そして、銀髪の薄い唇が微かに動く。 「好きなんだ、ボタンを縫うの」  はい?  本当、世の中には様々な人間がいる。改めてそう思った。  安治と名乗った銀髪に引っ張られ、というか制服を取られ仕方なく俺は安治の部屋までやってきた。変なやつだなとは思ったが、裁縫が不得意な俺からしてみればまあありがたい。予想外の展開に戸惑う反面、手間が省けたとほっとする。

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