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 ……。  …………。  ………………。  浅い眠りの中、ゆさゆさと揺らされるような浮遊感。  まるで誰かに抱き締められているようなそんな感覚だった。 「んん……?」  訳もわからず気を失っていた俺はゆっくりと瞼を持ち上げ、そして目の前の光景に目を見開いた。  廊下だ。俺は廊下を移動していた。  指先すら動かしていないのに勝手に動く視野に何事かと狼狽えたときだった。  不意に、臀部でなにかがもぞりと動く。  そう、まるで手のような……手? 「うわ……ッ」  徐に尻を撫でられつい反射で俺を抱えていたそいつの頭を掴む。  そしてそのまま腹に膝をめり込ませた。 「いきなり鳩尾ッ!」  俺を肩に担いでいたその人影の腕から逃れ、床に着地した俺はそのまま踞る人影の姿に更に驚愕する。  派手なフレームの眼鏡に黒い髪。その容姿には見覚えがあった。 「って、五条!」 「俺ってわからないで膝蹴りとか素晴らしいな」  口許を押さえたまま青い顔をして立ち上がる五条。  まさかこんなところで遭遇するとは思っておらず心の準備が出来ていない。 「お前、今までどこに……」  とにかく落ち着け。  そう自分に言い聞かせ、五条に歩み寄ろうとしたときだった。 「あー! なにやってんだよ!」 「ちゃんと捕まえとけって言ったじゃん!」  声変わりしていない子供のような甲高い声が前方からした。  今度はなんだと顔を上げれば、目の前にはちんまい人影が二つ。  ふわふわで柔らかそうな明るい栗色の頭髪。  同じ顔をしたその少年二名は「「この役立たず!!」」と声を張り上げた。  双子なのだろうか、素晴らしいハモり具合。  また面倒臭そうなやつが出てきたな。しかし、こんなやつに構ってる暇なんてない。  思いながら五条を捕まえようとしたときだった。  ちんまい双子の片割れが目の前に立ち塞がる。 「おはよう尾張元、君って結構タフなんだね」 「頑丈なやつは嫌いじゃないけどさあ、目覚ますの早すぎだよ」  いいながら、もう一匹のちんまいのも片割れにくっついてくる。  なんか無視しにくいな。  なんて思いながらなにやら意味深なことを言い出す「はあ」と曖昧な返事を返したときだった。  双子の片割れはぶかぶかの制服のポケットからそれを取り出しニコリと無邪気な笑顔を浮かべる。 「起きたすぐのところで悪いけどもう一回眠って貰おうか」  片割れの手の中に握られたそれに全身が緊張した。  手のひらサイズのスタンガン。それを見た瞬間、先ほど自分が気絶する直前体内に流れた大量の電流のことについて思い出す。  まさか、こいつらの仕業だったのか。  可愛い顔には似合わない無骨な機械を手にした双子に身構える俺。 「じゃぁーん、改造スタンガン百万ボルトくーん!かっこいいでしょー」 「おい、そんな物騒なもん人に向けんなよ。玩具じゃないんだぞ? ほら、怪我する前にこっちに渡せよ」 「むう、子供扱いしないでくれる?」  不満そうな顔をするスタンガンを手にしたちんまいのは頬を膨らませ、そしてにやりと嫌な笑みを浮かべた。 「っていうかー僕たちよりも自分の心配したら?」  その言葉に気付いたときにはもう遅く、すぐ側にまで双子の片割れが迫っていた。  その手には双子が持っているものと同じタイプのスタンガン。  まさか二人ともスタンガン常備しているとは思わなかっただけに、焦った。 「っ」  そして目の前までスタンガンが迫ったとき、俺は側にいた五条の制服を掴み双子に投げ付ける。 「ほら来たやっぱりぃ!」という五条の悲痛な声とともにバチリと凄まじい音が鳴った。  五条、成仏しろよ。  五条を盾にした俺はそのまま駆け出した。 「あっ! こら!」 「糞っ、追い掛けるよ結愛!」 「そんなこと言われなくてもわかってるもん!」  すぐに背後から双子の足音が響いてくる。  なんなんだあいつらは。  訳もわからぬまま追われ、逃げる。  あのちんまい双子もなかなか足が速かったが、生憎俺も逃げ足には自信がある。  目を覚ましたばかりでまだ完全に機能していない全身を無理矢理動かし、俺はひたすら走った。 「こらー! 待てー!」  確実に距離は開けているはずなのだろうが、双子も双子ですばしっこい。  なかなか離れない双子のしつこさに舌打ちをした俺は、適当に撒くことにした。  瞬間、廊下を曲がれば目の前には大きな扉が視界に入る。  双子はまだ離れている。  よし、ここにするか。そうと決まれば足は止めない。  そのまま扉を大きく開いた瞬間だった。  そこは見覚えがあるゴミ屋敷が広がっているではないか。  床を埋め尽くすように散乱した書類。割れたティーカップ。  そしてヤニで煤けた薄汚い壁には大きな『生徒会最強』の文字。  たまたま逃げ込んだそこは生徒会室だった。しかもなにやら騒がしい。 「貴方微妙に私とキャラ被ってるんですよ! 少しは遠慮しなさい脇役のチョイ役風情が!」  ふと部屋の奥から聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえてきて、何事かとそちらに目を向けたときだった。  副会長の能義有人は手に持っていたティーカップを目の前に立つ寒椿に投げ付ける。  そして「おっと」とか言いながらひょいとかわす寒椿。  狙いを外したティーカップはそのまま扉の前にいる俺の目の前までやってきて、顔面クリーンヒットを避けるため咄嗟にそれを掴んだときだった。 「あ?」  ばしゃりと。  カップを手に取った代わりに溢れた紅茶はそのまま俺の頭部にぶっかかる。  頭部を中心に上半身を濡らす香ばしい熱湯。  硬直する俺に、室内にいた全員の目が集まった。 「お、おおお尾張元……っ!」  部屋の奥。  何故かいつもよりはだけている政岡零児は俺の姿を見るなり目を見開き、顔を赤くした。何故そこで照れると突っ込みたいところだが、それどころではない。 「随分と楽しそうだな」  ポタポタと髪から滴が垂れ、肩を濡らす。  はわわわわと手で口を押さえる能義に全身の筋肉が緊張し、あまりの仕打ちに笑みが引きつる。  込み上げてくる訳のわからないイラつきにぎゅっとカップを握り締めれば、俺の手の中のカップはパンッと小さな音を立て粉砕した。  ぱらぱらと破片になって落ちるカップだったものにその場にいた全員が凍り付く。  静まり返った生徒会室内。  五条を引き摺りながら俺を追ってやってきた双子も合流し、生徒会室には生徒会役員と風紀委員、それと俺や岩片を含む第三者が揃っていた。  五条を見付け殴り掛かろうとする岩片に政岡を見付け「連れてきたよー」と笑う双子を速攻捕獲する風紀委員。  なぜ岩片がこんなところにいるのか。そしてもじもじしながらこちらを見詰めてくる政岡の視線の鬱陶しさといい、混沌が混沌を呼び、五条と双子の乱入で再び騒がしくなってきた生徒会室内にはあっという間にカオス空間が出来上がる。

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