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 二発目抜こうとする五条を部屋に置いたまま飛び出した俺は真っ先に洗面台へと向かい、口を濯いだ。  そして、居間へと戻ってきた時。 「よっ、お疲れさん」 「……」  いつもと変わらない様子の岩片と、お通夜みたいな五十嵐が向かい合うようにソファーに座っていた。  五条にカルチャーショックを受けたらしい五十嵐にはこの際触れない方がいいだろう。俺は岩片に詰め寄る。 「岩片、お前、どこから企んだよ」 「企みぃ? はいい? なにそれ。しんねーけど。お前からやったんだろ、全部」 「ま、ハジメ君にしてはなかなかいい判断だったな。自分をネタにするのは」にやにやと笑いながら手元のグラスに口を付ける岩片。  分かりやすいくらいのしらばっくれにムカついたけど、この様子じゃなにを言ったところでずっとこの調子なのは目に見えてる。  いつもそうだ。こいつはどこからが本気でどこまでが作戦なのかわからなくなる。一番一緒にいる俺でも、だ。  なにも言えなくなって、でもなにか言い返してやりたくて、「どーも」なんて言いながら岩片から離れようとした時。手首を掴まれた。 「でも、いつからそんなに淫乱になったんだろうな」  するりと手首裏に伸びた指先に血管をなぞられ、ぞくりと寒気にも似た感覚に背筋が震えた。  分厚いレンズ越し、向けられた視線に全身に、なんか嫌なものが走る。  先程、こいつに押し倒されたときの記憶が蘇り、落ち着きかけていた脈がまた乱れ始めた。 「……っ、ばーか。全部真似に決まってんだろ。くねくねしたやつらは前の学校で嫌ってほど見てたからな」  なるべく動揺を悟られないよう、笑いながら岩片の手を振り払う。  こいつはすかした顔してんのに、こっちばかりが狼狽えさせられるのは面白くない。 「ふーん」と呟く岩片はあっさりと俺から手を引き、グラスをテーブルの上に置いた。  ちゃんといつも通りできたかわからなかったけど、なにも言って来ない辺り大丈夫なはずだ。……ただ単に興味がないだけかもしれないが。 「それより、五条祭は?」  ふと、思い出したように顔を上げた岩片。  その言葉に、俺は部屋に置いてきた五条がまだ現れないことに気付く。  あそこには扉以外出てこれる場所はないし、恐らくまだ部屋に篭ってるのだろう。考えたくないが。 「ああ、今取り込み中」 「あんま目え離すなよ」 「言われなくてもわかってる」  しかし、今はあいつの顔は見たくない。本当なら俺も五十嵐の隣でお通夜モードに入りたいくらいダメージ受けているのだ。 「……俺は戻るぞ。また改めて顔を出す」  なんてやり取りを交わしていると、ようやく立ち直ったらしい五十嵐はソファーから立ち上がる。 「ああ、わりーな。わざわざ手伝わせて」 「構わない」  そして、そのままふらふらとした足取りで部屋を後にする五十嵐を視線だけで見送った。  無口な五十嵐が退出したところで部屋の空気は然程変わらないが、やはり、なんとなく気まずくなってしまうのは俺が岩片を意識しすぎているせいだろう。  しかし、それ以上に手伝わせて、という岩片の言葉が妙に引っ掛かった。  と言うことは、やはり五十嵐があのタイミングで部屋にやってきたのも仕組まれていたということか?じゃあ、岩片が、怒ったのも、全部。……考えれば考えるほど思考回路がショートしそうだった。  全てあいつの掌の上で転がされていて、こうして一人悶々と悩んでいるのも全て岩片に筒抜けになっていると思ったら、途端にこうして真剣に考えているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。  もういいや、岩片の頭は俺にも理解できない。よしおしまい。もう考えるのをやめよう。終わらない自問自答で知恵熱が出る。  思考を止め、五十嵐が座っていたソファーの自分の定位置に腰を掛け直したとき、「ハジメ君、それ片付けといて」と床を指差した岩片は命じる。  はいはいわかりましたよと無言で答えながら岩片の足元に座り込み、甘ったるい匂いをぷんぷんさせるコーラの零れたあとを拭き取る。  空になったグラスを片手に立ち上がった時、ぽつりと岩片が呟いた。 「やっぱり、誰かに食われる前に俺が貰っとくかな」 「は?」 「ハジメ君の処女」 「おい……」  いきなりなにを言い出すんだこいつは。  せっかく考えるのをやめたというのにわざわざ人を掻き乱すような発言をする岩片に、俺は眉を寄せた。 「なんだよ、その顔。まさか本気にした?」 「お前が言うと冗談に聞こえねえんだよ……」 「だって冗談じゃねーもん」 「あ? ……って、おいっ」  どういう意味だと詰め寄ろうとしたとき、ソファーから立ち上がった岩片はそのまま俺を避けるように玄関へと歩き出した。 「岩片、どこ行くんだよ」 「俺がいるとムラムラしちゃって気が散るだろ?」 「な……っ」 「ってのは冗談で、用事。ちょっと遅くなるかもしんねーからハジメ君は五条祭と親睦深めとけよ」 「あっ、おい!」と俺が止めようとするのを無視して、岩片は部屋を出ていった。電子音とともに施錠がかかり、とうとう一人になってしまう。  ――なんなんだよ、あいつ。なんの用事かくらい言ってくれたっていいじゃないか。ボディーガードはいらねえのかよ。  ……って、か弱くないもんな、あいつ。  でも、なんかこのタイミングで出掛けるって、避けられてるみたいじゃん。そもそも、弱くねえならなんで俺を用心棒にしようとするんだよ。  …………意味分かんねー。  一人でいたら余計なことばっか考えてしまい埒があかないので、気を紛らわすためにも俺は五条の篭る空き部屋の扉を開いた。 「五条」 「はわわぁっ! びっ、びっくりした……ノックぐらいしろよ!」  あまりにも気持ち悪い驚き方をするので俺の方がびっくりした。 「ああ、悪い……ってか、お前自分の立場わかってんのかよ」  ノックもなにもここ俺の自室であって五条のプライベートルームではない。  まるで自分の部屋かなにかのように寛いでいやがる五条はベルトを締め直しながら、乾いた笑いを漏らす。 「尾張がそれ言っちゃうわけ?」  くそ、五条のくせに痛いところ突きやがって。  確かに、先ほどのやり取りで一番大痛手を食らったのは俺だろう。つーか俺だ。俺しか居ない。  だけど、五条とはあくまでも同じ立ち位置でいなければならない。  だからといって舐められてしまえば食い物にされるだけだ。  なので、調子に乗っている五条に少しだけ強気で出て見ることにする。 「取り敢えず、約束を守ってもらうために一応これから監視させてもらうからな」 「俺を? 二十四時間?! あんなところやこんなところまで隅々監視するわけ?! リアルタイム中継無修正ナマ配信で?!?!」  いきり立つ五条に、うわこいつそういやこういうやつだったと今更ながら気付く俺だが五条の鼻息は止まらない。と言うかリアルタイム中継ってなんだ、ヤツの中でなにが起こってんだ。 「……俺から逃げようとしてもぜってえ捕まえるからな、馬鹿なことは考えんなよ」  このままでは格好つかない。  掴みが肝心だ、とあまりにも手に負えないに五条に早速挫けそうになる自分を励ましつつ、そう脅してみるが怯えるどころか五条はおかしそうに笑う。 「はははは! 馬鹿なのは尾張だろ!」 「あ?」 「こんな美味しい餌から俺が逃げるわけねえだろ」  真っ直ぐに見据えられ、真正面から視線がぶつかる。  口元は笑ってるのに、その目は笑ってなくて。  本気だ、と直感した。そしてすぐに、俺は小さく口の中で舌打ちする。  ――やっぱり、こいつ苦手だ。  喋り方とか性格とかそんなんじゃなくて、本能的に警戒してしまう。 「ああ、でもわざと逃げ出して怒った尾張にボロ雑巾みたいに甚振られるのも気持ち良さそうだな……!」  黙り込む俺を他所に、一人盛り上がる五条はどこまでも楽しそうで。 「とにかく、妙な気だけは起こすなよ」と横目でやつに視線を向ければ、五条は戯けるように肩を竦めてみせた。 「わかったわかった、そんな熱い視線で見詰めんなよ。……勃ちそう」  ぼそりととんでもないこと呟く五条。  おいなんでお前微妙に腰引いてんだよ、冗談だよな、なあ。おい。五条。  …………。見なかったことにしよう。  一旦イカ臭い部屋を換気するため、五条を部屋から引っ張り出した俺は居間のソファーに腰を下ろし、五条と向かい合っていた。 「取り敢えずさ、俺はこれからどうすりゃいいわけ?部屋に戻っていいのか?」 「ああ、そうだな……」  問い掛けられ、考え込む。  そういえばそんなこと考えてもいなかった。  ……何か、五条祭から目を離さなくて済むようないい方法はないだろうか。 「そういえばあんた、盗撮盗聴が趣味だったな」 「おわっ、人聞きわりいな。新聞部のネタのための調査だっての、あと取材」 「本人に無断でな」 「なに? 尾張俺のこと責めて楽しい? 詰って楽しい? 俺もすげー楽しいよ」 「部屋になんか取材に必要な道具とかあるのか?」 「はい無視いただきましたー! 相手するのも面倒くさいと語りかけてくる冷めた眼差しあざーっす!!」 「五条、あとで遊んでやるから質問に答えろ」 「んー……まーそうだな、半々だな。最低限必要なのは部室に置いてるし」  変わり身はええな。  俺の一言で一気に平静を取り戻す五条にそれはそれでどうなんだ男としてと内心引きつつ、「なるほどなー」と適当に相槌を打つ。 「それがどうかしたのかよ。もしかして、尾張、俺のことが……?」  はわわと口を手で覆う五条に「どういう飛び方だよ」と突っ込みつつ、俺は「ならさ」と軽く手を上げた。 「お前、これからもここで過ごせよ」 「へ?」 「一緒にいたほうが都合いいだろ。色々」  考え抜いた結果、ここに置いておくのが一番都合がいいと落ち着いた。  拘束具なら岩片が無駄に揃えているし、ここなら目を離すこともない。我ながらいい案だ。 「部屋、なんか大切なもんあるならこっちまで一緒に運ぶの手伝うけど」  なんて早速引越しさせようと立ち上がったとき、血相を変えた五条に引き止められる。ちょっとビックリした。 「ちょっ、ちょちょちょ、タンマ! ……それ、まじで言ってんの? 冗談抜きで?」  青褪めた五条の拒否っぷりは尋常ではなく、だらだらと冷や汗を滲ませる五条にはっとした。  ……そういやこいつ、岩片が嫌で逃げ出したんだっけ。  ならば、やはり別の方法を考えるしかないか……。  そう脳味噌をもう一働きさせ、すぐに打開策を閃いた。 「それか、五条の部屋に俺が行くか」 「え?」  ……なんだそのリアクションは。  目を丸くし、意外そうにこちらを見つめてくる五条の反応があまり面白くなくて、そんなに変なこと言ったっけと小首かしげた時、俺は自分が置かれた状況を思い出す。 「あ? ……って、あ……」  自分の言葉を思い出し、かあっと全身の血液が顔面に集まった。  ……これじゃ、どうぞ好きにしてくださいって言ってるみたいなものじゃないか。 「やっぱ、今の無しな」今更堪らなく恥ずかしくなって、慌てて逃げるように訂正する。  しかし、すぐに手首を掴まれ五条に引き止められた。 「いや、それちょーいい。それでいこう」 「いや、いやいやいやいや! いいってば、まじ、俺が悪かったから」 「男に二言はないんだろ?」 「……そういうときも稀にある」 「いやない!」 「ある!」 「なあああい!!」 「あるっつってんだろうが!!」  お互いに一歩も引こうとしない俺達は、結論の見えない言い争うに無言で睨み合う。  しつこさなら五条の圧勝だろうが、俺だって譲れないものがあるわけで。 「……尾張ぃ、お前さっきの王道君との約束忘れたんじゃないだろうな」 「はあ? なんのこと?」 「あーっ! あーっ! あーっ! すっげーしらばっくれてる! サイテーだこいつ、無かったことにしようとしてる!」  くそ、やはりなんとかやり過ごすという方法はこいつには効かないか。  岩片との約束を持ち出されると、圧倒的に俺の立場が弱くなるのは一目瞭然なわけで。 「うるせえな、わかってるよ」  喚く五条に嫌々頷き返せば、落ち着きを取り戻した五条は眼鏡のレンズをきらーんと光らせる。 「なら、俺のお願い聞いてくれるよな?」 「なんだよ、お願いって」 「俺の部屋においでよ」  あまりにもど直球な五条の誘いは、俺が上手く避ける隙すら与えてくれなかった。  だけど、往生際の悪さだけが長所の俺はこのままはいはいと引き下がる訳にはいかない。 「……っあのなあ」 「お互い一緒にいたほうが好都合なんだろ?なら、いいじゃねえの、それくらい」  五条の言い分はよくわかった。  ややこしいことを抜きにして、確かにそれがいい。  でも、岩片が。ルームメイト兼暴君のご主人様の存在はやはり俺の中では大きすぎて。 「わかってると思うけど、お前に拒否権ないらしいから」  どうしたもんか、と悩んでいるところに釘を刺され、俺は深く息を吐き出す。  わかってるよ、それくらい。  今、岩片と一緒にいてねちねちと悩むよりも五条と一緒にいて貞操の危機を感じている方が自分にとっていい気分転換になるということもわかってる。  一応、岩片に連絡だけ入れとくか。見るかわかんねーけど。

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