70 / 109
ep.4 一歩下がって二歩曲がる
岩片と揉めたことは一度二度ではない。
根本的に違う俺達に取って言い合いは珍しいことでもなく、それでも、ちょっとやそっとじゃ折れない岩片のことを知っている俺がいつも折れていた。
だけど、今回は。
折れる折れないではなく、ただ単純に、岩片との距離を感じた。
近付けたと思っていた岩片は俺に背を向けていて、俺から離れていく。
そんな岩片に無理矢理近付けるほど、俺も図太い神経を持ち合わせていない。
その日、結局岩片と一言も言葉を交わすことはなかった。
一人で部屋を出ていく岩片のあとを追う気にもなれず、風呂に入って俺は寝た。
疲れたのですぐ寝れると思っていたのだが思っていた以上に眠りは浅く、些細な物音で途中目を覚ましては岩片が帰ってきたのだろうかと扉を確認してしまう。
岩片はとうとう帰ってこなかった。
別に珍しいことでもない。そう自分に言い聞かせるものの、気にしないということは出来なくて。
結局、ろくに寝れないまま朝を迎えた。
岩片のやつ、どこで過ごしたのだろうか。
そのことが気掛かりだったが、昨日の今日だ、顔を合わせ辛いというのもある分、内心ホッとしている自分もいた。
制服に着替える。岩片がセクハラ染みた邪魔をしてこない分すぐに用意は出来た。
そろそろ出るか、と時計を一瞥した時。
部屋の扉がノックされた。
「はーい……っと」
「あっ、お、尾張君?」
「……岡部?」
扉の前、同様制服に身を包んだ岡部直人は俺を見るなり驚いたような顔をする。
「よかった……無事だったんですね」
「あー……お前の唐辛子スプレーのお陰でなんとかな」
というか、ただの爽やかな香水スプレーだったわけだけれど。
もっというと無事ではないのだが、心配してくれている岡部に当たっても仕方ない。
「でも、本当よかったです……。あの後岩片君戻ってきてすぐに追い掛けたんですけど、間に合わなかったらどうしようかと」
「そうか、お前が岩片に伝えてくれたのか。ありがとな」
「いえ、俺はなにもしてないです。……尾張君のことを伝えたらすぐに岩片君が走って行って、俺は見てるだけしか出来ませんでしたので」
「俺よりも岩片君にお礼を言って下さい」と照れ臭そうに笑う岡部。
岩片が駆け付けてくれた。
その言葉は俄想像出来るものではなかったが、もしそうだとしたら。
慌てて駆け付けた岩片があんなに怒っていたのは政岡の態度のせいだけではないということだろうか。
『お姫様ごっこは楽しかったか?』
「……」
「……尾張君?」
「っと、や、別に大したことねえんだけど……」
益々気まずくなってきた。
なるべく岡部に変な心配させないよう笑って誤魔化す。
それが効いたのかは知らないが、岡部は何かを思い出したように「そういえば」と話題を切り出した。
「岩片君はいないんですか?」
「え?」
てっきり、昨夜は岡部のところに無理矢理押し掛けたのではないのだろうかと考えていた俺にとってその言葉は予想だにしていなかったものだった。
「一緒じゃないのか……?」
「え?俺ですか? ……いえ、迎えに来たんですけど……」
「……」
「……」
まさか、とデジャヴを覚える俺たち。
だが今回はきったねぇ字の果たし状もなければ部屋も荒らされていない。
状況からして、岩片がひとり勝手にフラフラしてるのは明白だ。
「わりぃな、わざわざ迎えに来てもらったのに」
「いえ、そんなことはないんですが、……それなら尾張君、一緒に教室までどうですか?」
「……そうだな、腹も減ってきたしそろそろ出るか」
一人でいては余計なことをネチネチ考えてしまいそうで、それなら岡部と一緒にいた方がましだ。
そう判断した俺は岡部とともに部屋を後にした。
「それにしても岩片君、どこに行ってるんですかね」
「さぁ? あいつのことだからその辺ほっつき歩いてんじゃねえのかな」
「だと良いんですが……」
「……」
通常ならば、岡部の反応が正常なのだろう。
けれど俺にとって今、岩片がいないことが助けだった。
あいつを前にしたとき、どういう顔をしたらいいのかわからない。
いつも通りでいいと分かってるけれど、いつもがどういう風だったのか分からなくなるのだ。
「尾張君?」
「へ?」
「……どうかしたんですか? さっきから元気なさそうですけど」
岡部に勘付かれるとは、相当分かりやすかったのだろう。
上手く取り繕うことすら出来ない自分が情けなくなると同時に、岡部にまで気を遣わせてしまうことに申し訳なくなる。
「いや……ちょっと疲れが溜まってるみたいでさ、悪い、気にしないでくれ」
「ですが……」
「それより岡部、お前もう飯食ったのか?」
「いえ、俺はまだですが……」
「そっか、なら食い行くか」
「……そうですね、行きましょう」
変に空振っていないか気が気ではないが、岡部は何も言わずに俺についてきてくれてる。
つくづく格好悪い自分がイヤになってくる。
歩いている間、せめて岡部に気を遣わせないようにこっちからあれやこれや話題を振ってみるが喋れば喋るほど中身がなくなっていく感じがした。
そしてやってきた食堂前。
飯を食えばこの気分もいくらかマシになるのだろうか、そんなことを思いながら入り口を潜った時だった。
「お……おい! 尾張元!」
突然、呼び止められた。
大きな声、その微かに震えてる気がしないでもないその声には心当たりがあった。
声のする方を振り返れば、案の定そこにはやつがいた。
「お……おはよう!」
「……政岡」
まさかこんなところで出会うとは。
怒ってるのかと思いきやそうではないらしい政岡に、つい釣られて笑いそうになってしまう。
「あぁ、おはよう」
「なんだお前、一人か?」
「いや、一人じゃないけど」
「こいつも一緒だ」と、隣の岡部を振り返る。
歩み寄ってくる政岡に思いっきり顔を顰めていた岡部は、俺に示されると慌てて「どうも」と頭を下げる。
岡部から嫌って程感じる警戒心に政岡も気付いたようだ。
「へぇ、誰、こいつ」
「クラスメートの友達」
「へぇえ?」
至近距離からジロジロと岡部を睨む政岡。
そんなんだから岡部に警戒されるのではないだろうかと思わずにはいられなかったが、このまま無視するわけにもいかない。
「政岡、お前、食堂行くんじゃないのか?」
「あぁ、そーだけど」
「早く入らねーと食べる時間無くなるぞ」
と、遠回しに岡部を庇ってみる。
一旦岡部から離れた政岡だったが、今度は何やら言いたそうにもじもじし始めた。
「なぁ……尾張」
「何んだよ」
「良かったら、俺と一緒に……」
一緒に?
ご飯を食べようと言うことだろうか。と、政岡の言葉の続きを待った時だった。
「あーーー!! かいちょーが抜け駆けしてるー!!」
緊張感のない、この脱力するような声は、まさか。
全身から変な汗が溢れ、恐る恐る振り返ろうとした矢先。
ずどん、と主に上半身に衝撃が走る。
「お、尾張君……」
「やだやだやだー! 俺もっ、俺も元君と抜け駆けしたいー!」
衝撃の発生源もとい抱きついて来た神楽に、恐らくこの時の俺は魂が半分ほど口から飛び出していたに違いない。
「か……神楽……っ」
「ん?どうしたのー? そんなに怖い顔してさぁ?」
まるで何事もなかったかのようにヘラヘラ笑う神楽麻都佳に怒りを通り越して呆れ果てる。
だってそうだろう、あんな真似しておいてこんな態度。……いや、それなら政岡だってそうだ。……俺がおかしいのか?
「そうそう、ご飯食べに行くんだよねぇ。いいねいいねぇ、俺も一緒に行っていい?」
「ダメに決まってんだろうが、先に尾張をさっ、誘ったのは俺だからな!」
「えーいいじゃんそんなのー!かいちょーのケチー!」
それを言い出したら元々は岡部が先約なのだけれど。
突然現れた喧しい生徒会役員二名に隠そうとしないほど嫌な顔をした岡部に、「なんか悪いな」と声を掛ければ岡部は慌てて首を横に振る。
「いえ、俺は別にいいんですけど……尾張君は大丈夫なんですか?」
正直、お断りできるならお断りしたい。特に神楽。
けれど、このまま断ったところでこの二人はついてくるだろうし無駄に騒いで時間の無駄にしては授業に間に合わなくなる。
「俺は別に構わないけど」
「ほら、尾張だっててめぇの顔を見ながら飯食いたくな……え?」
「わーい! さっすが元君! 話分かるぅー」
「おっ、おい、いいのか?」
「ああ、どうせどこで食ったって一緒だろ。なら、好きにしろ」
「やった、元君大好きだよそういうところ」
俺は嫌いだけどな。
今は下手に刺激して事をややこしくしたくない。
という一心で行動したつもりだが、政岡にとっても俺の行動は予想外のものだったらしく。
今思えば岩片の目もない状況下、半ばヤケクソになっていたのかもしれない。
という訳で、俺、岡部、政岡、神楽という奇妙なメンツで食卓を囲むことになったわけだけれども。
「おい、尾張、お前全然箸進んでねえじゃねえかよ。ほら、俺のケーキやるよ!」
「元くぅーん、かいちょーのケーキより俺のウインナー上げるよー。ほら、ジューシーだよー美味しいよー」
「……」
「……」
上から政岡、神楽、岡部、俺。
どんどんと寄せられるお供え物もとい貢物に正直食べる気になれない。特に神楽。
「や、俺はいいからさ、自分で食えよ」
「うっわー俺のこと考えてくれるなんて元君すっげー優しい」
「てめぇの箸つけたものなんて食えねえっつってんだよ尾張は、分かれよ!」
「はぁ? かいちょーだってどうせそのイチゴ舐めまくって、それ元君に食べさせる魂胆のくせに!」
「んなわけねえだろ! てめぇと一緒にすんなよ!」
それにしてもこの騒がしさ。
食堂自体、様々な生徒がいるだけあって煩い場所だけれどここの席はその中でも一番だろう。
こんな煩い二人を前にして黙々と食べている岡部の神経の図太さには尊敬せずにはいられない。
と、思いきや箸を置いた岡部。どうやら全て平らげたようだ。
「岡部、お前もう食い終わったのか?」
「ええ、ご馳走様でした」
「早いな、食うの」
「元々早食いみたいなんですよね、俺。予定がある時とか詰め込んで食うから癖がついちゃって」
岡部の言う予定というのは以前言っていた撮影会がどうたらってやつなのだろうか。
俺としては羨ましい癖だった。特にこの場から逸早く立ち去りたい今とか。
「岡部、これいるか?」
「え? サラダいらないんですか?」
「なんか食欲ねーから」
「それなら頂きますが……ありがとうございます」
「えっ、なにそれ俺も欲しい! 元君のサラダ欲しーい!」
「俺は岡部にやったんだよ。それに……お前ら喋ってばっかしてねーでさっさと食えよ。遅刻するぞ」
「遅刻とさぁ、気にしなくていいってここでは。本当元君ってば真面目だよねぇ。ゆっくりでいいんだって。……ね、かいちょ……え?!」
「ほうらな……ほはひほひふほふひは、ひほふはほふはひ」
いつの間にかに全て平らげている(口に詰め込んでる)政岡に俺と神楽は驚愕する。
別にそこまで慌てなくてもいいのだが、というか最早何を言っているのか分からない政岡だがどうやら俺に賛同してくれているようだ、なんかうんうん頷いていた。
というわけで、俺と岡部(と政岡)はまだ食べ終わっていない神楽を置いて食堂を後にした。
その数分後、先程の政岡みたいになった神楽が「はっへー」とか言いながら走ってきたのは言うまでもない。
ともだちにシェアしよう!