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04※
「っ、待っ、いわ……」
岩片、と言い掛けて、その続きは声にならなかった。
動じることもなく、岩片を一瞥した五十嵐は無表情のまま指にチェーンを絡め、引っ張る。
瞬間、胸に鋭い痛みと、それからチリチリと焼けるような感触に襲われた。
「っ、やめ、ろ……ッ! やめろっ!」
熱すら痛みと錯覚してしまう程、神経が尖っていたのだろう。
岩片がいる。岩片が見ている。なのに、止めない。そんなあいつに、自分が自分じゃないみたいに気が動転しそうになる。
芋虫みたいに身体を捻じり、逃げ出そうとすればするほど自分の首を絞めることになった。刺すような痛みに、五十嵐は「馬鹿だな」と低く吐き捨てた。
「さっきまで大人しかったと思えば……おい岩片、お前は邪魔らしいぞ」
「……ッ」
「へぇ、なんで? 今更だろ。今更恥ずかしがってんのか? ハジメ。……俺よりも、こいつと二人きりの方が良かったのか?」
「っ、意味わかんねぇ……意味わかんねぇから……ッなんなんだよ、お前……ッ!」
裏切られたわけではない。
だけど、助けてくれない岩片に少なからず動揺してる俺は期待していたのかもしれない。こいつなら、どうにかしてくれるんじゃないかと。
けれど、五十嵐と笑い合う岩片を見て、血の気が引く。
怒ってるのか。やっぱり、俺が、政岡と一緒にいたから。
汗が滲む。
目頭から熱いものが溢れそうになるのを、必死に堪える。
こいつの前で泣くような真似、絶対にしたくない。
みっともない姿なんか、尚更だ。
「……彩乃、ちょっといい?」
「おい、岩片……」
不意に、慌てたような五十嵐の声が聞こえたときだった。
いきなり伸びてきた手に首を掴まれる。
無理矢理上半身が引っ張られ、鋭い痛みに堪らず身を逸らした瞬間だった。
目の前に、分厚い瓶底レンズ。そこに映るのは自分の情けない顔と、その奥、微かにこちらを見下ろす岩片とほんの一瞬、確かに目が合った。
そして。
「……ッ」
ちゅ、と小さなリップ音を立て、岩片の唇が頬に触れる。
昨日とは違う、優しいその触れ方に驚いて、堪らず、必死に堰き止めていた一欠片が溢れ出した。
ああ、駄目だ、そう思うのに、拭うことも出来なかった。
岩片に見られたということよりも、それ以上に岩片の行動が理解できなかった。
それは、俺だけではなかった。
「おい……」
呆れたような顔をした五十嵐に、俺から手を離した岩片はやつの肩を叩き、何かを耳打ちする。
瞬間、五十嵐の眉間の皺が益々深く刻まれた。
「それじゃあ、嫌われ者は退散しますかね」
「……本当、いい趣味してるよ、お前」
ひらひらと手を振り、岩片はその場を立ち去る。
怒りを通り越し、何がなんだか分からない俺に五十嵐は俺の代わりに頬の涙を乱暴に拭った。
「……変態に好かれると大変だな」
そう言って、五十嵐は俺を縛り付けていたネクタイを解く。
え、どうして、と自由になった腕を見つめていると、五十嵐は呆れたような顔をした。
「俺の役目は終わった。……お前も帰っていいぞ」
「……はっ?」
「岩片凪沙、あいつは……ろくでもないな。あいつはお前が泣くところが見たかったらしい」
「…………………泣く、ところ?」
現在進行形でズキズキと痛む胸に頭が回らない。
今の俺は恐らくとんでもなくアホな顔になっていること間違いなしだろう。
愕然とする俺に、五十嵐は無言で頷く。
「泣き叫ばせろと言われていたが……なんだかんだあいつはお前には甘いらしいな。……本当、ただの痴話喧嘩に巻き込まないでくれ」
心底うんざりした様子だが、うんざりしたいのはこちらの方だ。意味が分からない。
なんだ、結局五十嵐は岩片の我儘に付き合わされて、結局それも自分の気分でやめさせたってことか?はぁ?
かつてこれ程ばかりの怒りを覚えたことがあっただろうか。どうでもいい、なるようになれと流されるがまま生きてきたが、今回ばかりは岩片の野郎をぶん殴ってやりたい気分になる。
「っ、なんだよ、それ……ッなんだよ! 五十嵐もっ、なんでそんなこと……付き合うんだよ……ッ!」
「お前が現抜かしてると聞いたから手を貸したまでだ。……けど、別にお前は本気であの馬鹿会長に惚れてるわけじゃないんだろう。見ればわかる」
「ならっ! なんで最初でやめてくれなかったんだよ……こんな、こんな……この……ッなんだこれ?! なんだよ、これ……ッ!!」
今更になって、二人に騙されてたんだと思うとすごい恥ずかしくなって、それ以上に五十嵐がまじで怖くて本当フリで安心した反面、何してくれんだ!って気持ちでいっぱいになってしまう。
泣くにも泣けない、こんなAVでしか見ないような道具まで付けられて……ってまじでこれ痛いし!まだ痛いし!
「五十嵐……お前のこと、まじで恨むからな……」
「恨むんならお前の主人を恨め」
「お前も同罪だろッ!」
必死になってクリップを外そうとするけど、どこをどうすればいいのか全く分からず、それどころか下手に触る度にクリップの締め付けがきつくなっていく。あ、やばい。これ、感覚なくなってきてる。やばい。
「おい、何してんだ……」
「っ……五十嵐……これ、取り方わかんねえ……」
「はぁ?」
「と……っ、取って……」
敵にこんなことを頼むのも癪だが、これ以上はまじで千切れる。
恥を忍んで小声で頼めば、五十嵐が一瞬、硬直した。
そしてすぐ、更に顔を顰めた。さっきまでのどこぞの凶悪犯罪者のようなニヒルな笑みはそこに存在しない。
「…………お前、人が気遣ってんのが分かんねーのか?」
「いいから、つか、今更気とか意味わかんねーから。頼むから、後からなんも言わねーし、だから……っあの、まじで、早く……して……っ」
「………………」
暫く五十嵐が何かを考え込んでいたようだが、元はと言えばこいつのせいでもある。仕方なしといった感じで俺の胸元に手を伸ばす五十嵐。
容赦なく触れてくる指先が胸の突起に触れ、恐ろしいくらいに身体が震えた。
「……っ、んんぅ……ッ」
「おい、後から文句言うなよ」
「いっ、言わない……言わないから……ッ」
「……チッ」
近い、とか、そんなレベルではない。微かに屈み、胸元に顔を寄せた五十嵐は無骨な指先で小さなクリップに触れる。
そのまま引き千切られるかと思いきや、やつはその指でクリップを緩めるという以外にも繊細な真似をしてくれた。
けれど、必然的に胸元に五十嵐の顔が近付くせいで吐息がかなり至近距離で感じるし、何より、自分で頼んどいてあれだがこの間がかなり気まずい。
それ以上に。
「っ、ん、ぅ……んん……ッ」
締め付けが和らぐと同時に血液が一気にそこ目掛けて流れ込んでくるようなそんな感覚をより鮮明に感じた。
口を塞ぎ、なんとか堪えるが、それでも、皮膚の下を勢い良く這いずり胸部へと集まるその感触は中々、正直、やばい。今触られたらやばいんじゃないかと汗が滲む中、外されるクリップが突起を掠め、瞬間、言葉にならないような感覚に目の前が点滅する。
「ッ……ひ、ィ……ッ!!」
「……」
気持ちいい、とか、そんな段ではない。あまりにも強すぎる刺激に何も考えられなくなったのだろう。
それなのに、今まで中途半端に刺激されていたそこは再び突き抜ける刺激を求めていて、自分の手で触りそうになるのを必死に、服の裾を掴んで堪える。
「……こっちのも、外すぞ」
五十嵐の吐息が吹き掛かるだけで、空気を通じて伝わってくる低いその声に、反応してしまう。
今喋ると声が震えてしまいそうで、慌てて頷き返せば、五十嵐は空いた手でもう片方のクリップを外そうとし……次の瞬間、パチンと小さな音を立て外れかけたクリップが再び乳頭を挟んだ。
「っ、んぅうう……ッ!!」
瞬間、自分のものではないみたいに短く痙攣する身体。
細い針が刺すような尖った快感に、体内をぐるぐると巡っていた血液が焼けるように熱くなる。
生理的な涙が滲む。こいつ、と思い五十嵐を睨めば、やつの口元にさっきまでの嫌な笑みが浮かんでるのを見てゾッとした。演技かと思ったが、こいつ、これはこれで楽しんでやがる。
少しでも安心した数秒前の自分を張り手してやりたい。
「い、がらし……ッ」
「悪い……手が滑った」
絶対、嘘だ。こいつ、楽しんでやがった。間違いない。俺が言うのだから間違いない。
「っふざけん……ッ、んんッ」
「人に頼んでおいてなんだ? その態度は……気に食わないな」
ぐっ、とクリップごと引っ張られ、ぞくりと背筋に嫌なものが走る。声が溢れそうになり、寸でのところで堪えたが、涙が滲む。もどかしい痛みは最早、歯がゆさしかなかった。
「ぁ、や、めろ……ッ」
「やめてください、って言えよ」
「……ッ」
「さっきみたいに、可愛く言ってみろよ。やめて、って」
「……………ッ!!」
こ、こいつ……信じられない。人の足元ばかりを見て、そんなどこぞのAV男優みたいなことを……。
そもそもさっきと言われる程の時間内に何かを可愛くいったつもりなんてないが、どうせ、俺が嫌だと言っても『なら自分でしろよ』とか言って丸投げするのだろう。
そう考えるなら、プライドなんてあるだけ無駄だ。人間、痛みには逆らえない。
「や……ッ」
逆らえない、はずだが。
「やめ……ッ……」
言葉が、出てこない。恥ずかしさと居たたまれなさが相俟って、口が上手く回らない。
恥ずかしくなれば余計辛くなる。分かっていたからこそ、さっさと降参した方がましだって思ったのに。なんだ、この口は、この体は。
「や……、だ……ッ」
舌が回らない。子供みたいな駄々の捏ね方をしてしまう自分を殴りたくて仕方なかったが、それでも、五十嵐のお気には召したようだ。
こちらを見下ろしていた五十嵐の口元に微かだが笑みが浮かぶ。
「よく出来ました」
ぐっ、と、後頭部を雑に撫でられ、その首筋に顔を埋めた五十嵐は笑う。吐息が掛かり、その近さのあまりに慌てて五十嵐の肩を掴んだとき、クリップを外される。
締め付けていたものが急になくなり、止まっていた血が勢い良く巡り始めるのが分かった。
「っ、……ん、ぅ……」
妙に感覚が残ったそこが嫌で、自分で乳首を触りそうになり、堪えた。五十嵐がいなければ思いっきり掻きむしって感触を消したいところだが、仕方ない。
「あ……ありがと……」
五十嵐、と言い掛けたときだった。
腫れたそこをきゅっと摘まれた瞬間、「くんんぅ!」と犬みたいな声が出てしまい、血の気が引く。
「っ、も、もう……終わっただろ……!」
「触ってほしいのかと思ったけど……違うのか」
「っ、ち、ちが、そんなわけあるわけねーだろ!」
恥ずかしさに耐え切れず、俺は、力いっぱい五十嵐を押し返した。確かに、我ながらとんでもないお願いを五十嵐にしてしまったと反省したが、それでも、これは、これはだめだろう。
「そうか……それじゃあ、これはなんだ」
瞬間、股の間、差し込まれた膝に思いっきり足を開かされる。いつの間にかに勃起した下半身が目につき、かっと顔が熱くなった。違う、なんだこれは、いや寧ろ本当になんだこれは。
「こ、これは……その、条件反射で……」
「条件反射……乳首挟まれての条件反射か?」
ぐり、と膝頭で勃起したそこを刺激され、思わず壁に凭れ掛かる。下手したら座り込んでしまいそうだった。
「………………」
「今度はダンマリか。……お前、処女だったな。確か」
「っ、な、何……つか、いきなり……じゃなくて、いいから離れろって、馬鹿五十嵐……ッ!」
「俺が、お前の処女を破ってやろうか」
俺が女だったらぶん殴って、警察に突き出していただろう。男だからと言ってもその悪質すぎるこのセクハラクソ男の質の悪さは全くもって問題だが、それよりも、そんな五十嵐の言葉に、頭が真っ白になった。
腰が重く疼き、見下してくるその目から、視線が逸らせなかった。
何よりも、「誰もそんなことを頼んでない」と即答できない自分が、相当やばいことに気付いてしまった俺は、考えることをやめた。
「ッ、じょ、うだんじゃねえ……ッ!」
辛うじて、応える。
このままでは確実に道を踏み外す、そう悟った俺は防衛本能のままに声を上げた。
五十嵐はそんな俺を見て、ふっと鼻で笑う。
「そうか」と、興味深そうに口にするやつの目が何よりも嫌で嫌で堪らなくて、俺は、「離せよ」ともう一度五十嵐の腕を引き剥がそうとする。
しかし、離れない。がっしりとホールドされた身体は、ちょっとやそっとじゃ離れない。それどころか余計抱き寄せらるではないか。
「俺は、これくらいで『堕ちた』なんて思わないぞ。その気になったらいつでも相手してやる」
耳朶に寄せられる唇に、掛けられた言葉に、怒り諸々を飛び抜けて呆けた顔をした俺はそのまま五十嵐を見上げる。
五十嵐がなんの相手のことを話しているのか分かり、次の瞬間、顔が焼けるように熱くなる。
俺は、五十嵐の肩を思いっきり殴った。
この学園はまともなやつはいないと思っていたが、こいつもこいつだ。まともそうな顔をして、中身は岩片レベルのドスケベ野郎じゃないか。
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