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それからしばらくして、ようやく辿り着いた。
部室棟にある新聞部部室前。
相変わらず他とは違う陰気臭い空気が漂っている。
能義は「行きましょうか」と俺達に声をかけ、そして先陣を切る。
そして部室の扉に手を掛けた能義は、「おや?」と訝しげに眉を潜めた。
「あの男……いっちょ前に鍵を掛けるなんてマネをして……」
余程不快だったようだ。舌打ちをする能義は、次の瞬間鉄製のその扉を思いっきり蹴る。べこっと音を立て大きく凹む扉を見て、俺と神楽はぎょっとする。
「五条! そこにいるのはわかってますよ! 今すぐ出てきなさい! さもなくばここに火を付けてキャンプファイヤーしますよ!!」
「ちょっ、それ俺らも巻き添え食らうやつじゃん!! ふくかいちょー落ち着いて落ち着いてぇー!!」
ガンガンと扉を殴る能義を羽交い締めにして必死に宥める神楽。この男ならば本気でやりかねないのが恐ろしい。
……それにしても。能義を扉から離した神楽を一瞥し、俺はそっと扉に触れる。すげえキック力だ。思いっきり扉ひん曲がってるし……と呆れながら手を伸ばせば、どうやら鍵の部分が壊れてしまってるようだ。歪な音を立てながらも、扉は完全に外れる。もともと古いのか、簡易的な鍵なのか、専門的な知識のない俺は何もわからなかったが唯一、能義を怒らせたくはねえなと思った。
「案外脆いものですね」
「絶対後から怒られるやつじゃん……俺一応止めたからねえ」
「何を言ってるんですか、一蓮托生ですよ。私と貴方たちの中でしょう、一人だけ助かろうなどと笑止」
「ええ?! 理不尽すぎでしょ~~!!」
神楽には同情するが、もしかしなくてもその「貴方たち」というのには俺が含まれてるわけじゃないよな?能義がニコッと笑いかけてくるのが不気味すぎる。
というわけで、俺達は新聞部の部室へと侵入する。
相変わらずそこには、写真集や書類、その他各部員たちの私物らしきもので溢れかえり雑多な空間が広がっていた。
そしてその奥。
「どこへ行こうとしてるのですか、五条」
見覚えのある男、いや、利己主義クソ守銭奴眼鏡が大きな風呂敷を抱えて天井裏へ梯子で逃げようとしてるところだった。
そしてやつは、現れた俺達……その先頭に立つ能義を見て露骨に青ざめた。
「ふっ、副会長様……」
「なにやら楽しそうなことをしてるようですねえ、五条。私にも教えてくれませんか」
「ええーと、なんのことですかね?」
「何をとぼけてるんです? あるんでしょう、私の命令よりも大切で優先させなきゃいけないほど楽しい事が」
「いやーあはは、そんなこと全然、寧ろどこかに楽しい事ないかなー! なんて!」
「そうか?さっきは随分と面白そうなことを言っていたよなぁ、『これがあれば副会長に……』とかなんとか」
指摘すれば、五条の表情が引き攣る。そして、表情筋を無理矢理動かしたような笑みを浮かべてみせた。
「聞き間違いじゃねえの?」
「聞き間違いなわけあるか! さっきの音声を渡せ! こっちはもう全部生徒会の連中にはネタバラシしてるから何企んでても無駄だぞ!」
「そうですよ、今大人しくデータを渡してくれれば顔面鉄槌で勘弁してあげますよ」
その妥協はなんなんだ。というか妥協なのかそれは。
「ふくかいちょーの顔面グーパンのお陰で整形することになった子いっぱいいるんだよー!手っ取り早く整形できてオススメだよー!」とか野次飛ばす神楽に末恐ろしくなる。
「確かにそれは魅力的なお誘いですけど、すみませんね副会長、俺にも譲れないものがあるんですよ……!」
譲れないもの?
その言葉に引っ掛かったときだ、五条が上着から何かを取り出し、それを床に思いっきり投げつける。
瞬間、何かが破裂するような音ともに辺りに夥しい量の白い煙が充満する。
「煙……?!」
「チッ! ……逃しませんよ!!」
「あっ、ちょ、ふくかいちょー!」
瞬く間に真っ白に染まる煙に包まれた部室内、下手に動こうものなら棚や机にぶつかりそうになるのにも関わらず、能義は浮かぶ五条の影を追ったようだ。
俺も後を追わなければ、と梯子を探すが、見当たらない。
「ふくかいちょー? 元くーん? どこー?!」
バタバタと天井裏から聞こえてくる二つの足音はあっという間に遠くなっていく。とにかくこのままでは埒が明かないと判断し、俺は窓を開けに行こうとした。瞬間、背中に何かが触れる。
「っ、おわ!」
「この声、元君だぁ」
言いながら抱き締められ、「おい!」と咄嗟に引き剥がした。
「待って待って!本当何も見えないからさぁ、掴むくらい許してよー!」
「何言ってんだよ、机でも掴んどけばいいだろ」
「あれぇ?元君冷たくなった?前まで優しかったのにさぁ……」
冷たい冷たくない以前にまだ俺は神楽にされたことを忘れたわけでも許したわけでもない。
今となっては後の祭りみたいなところあるが、だからこそ余計他人に触れられることに過敏になってるのかもしれない。
「いいからそこから動くなよ。今換気してこの煙どうにかするから」
「はぁーい……」
「……」
わざとらしく落ち込んだ声出す神楽。なんだかまるで俺が虐めてるようで引っかかったが、大人しくしてくれるならそれに越したことではない。
手探りで壁を探りつつ、なるべく慎重に足を進めていく。この部屋は散らかり放題で床になにがあるか分からない。
転ばないようにしなければ、と思いながら手を動かせば、指先に壁らしき感触が触れた。
よしきた、と蟹歩きになりながら窓を探そうとしたとき、横にあった机らしき物体に思いっきりぶつかり、「うっ」と声が漏れる。
「なんか今いたそーな声聞こえたけど大丈夫ぅ?」
「だ……大丈夫だ……」
「ならいいけど、それにしても五条のやつ完全に荷造りしてたねえ、逃げる気満々でしょあれ」
「……そうだな、能義のやつ、一人で大丈夫だろうか」
「ええ? 元君ふくかいちょーの心配してんのぉ?そんなのいらないって、あの人、逃した獲物は絶対に捕まえる人だよぉ? 寧ろ、五条がちゃんと生きて戻ってこれるかの方が心配だしねえ」
「……」
確かに、とあの気迫と般若のような表情を思い出す。能義からは何が何でも捕まえてやるという念というか殺気があった。
けれど相手はあの五条だ。こんな煙玉のようなものを持ってる五条のことだ、逃げることに関してはこいつも一級だ。
「……それにしても、窓ねえな」
「え? 元君、この部屋最初から窓ないよぉ? ……もしかして窓探してたのぉ?」
「……え」
「あははっ、元君ってたまに抜けてるよねえ。あ、俺ドア開けてくるよぉ」
もっと早く教えてくれ……。
一人間抜けな格好でひたすら窓探してたかと思うと顔が熱くなる。
この煙のお陰で神楽に顔が見られないことだけが救いだった。
そして、今までの時間はなんだったのか、神楽が扉を大きく開けたお陰で部屋に溜まっていた煙は薄れていく。
あれだけ真っ白だったそこには先程までと変わらないごった返した空間が広がっていた。
違うことといえば、部屋の中央、その床の上に落ちた梯子と、その真上部分、一部天井板が外された穴ぐらいか。
本当に忍者屋敷かよ、ここは。
俺は梯子を拾い上げ、天井裏へといけないか試みてみるが、能義が駆け上がったせいだろうか、大きくひび割れ、欠けたその穴にはきちんと梯子がかけられなくなっていた。
「うーん、机持ってくるか」
「まさか追いかけるのぉ? やめときなよ、天井裏って汚いよぉ、五条のことはふくかいちょーに任せてた方がいいって。……それよりも、俺達にはやらないといけないことがあるでしょー?」
「……やらないといけないこと?」
「そうそう、万が一、データが流出したときのことだよぉ」
神楽に指摘され、思わず青褪める。
そんなこと、あってはならない。嫌な想像してしまい、血の気が引いた。そんな俺を見て神楽は笑った。
「俺さぁ、いいこと思いついちゃったんだよねえ」
「なんだよさっきからニヤニヤと……勿体ぶるなってば」
「ふふ、元君も聞きたい? 俺の天才的アイデア!」
その発言がちょっと頭悪そうだが、聞いといて損はないだろう。猫にも手が借りたいというのはこのことを言うのかもしれない。俺は、まさに猫のように笑う神楽に頷き返す。
よしよし、と満足そうに頷き、神楽は俺の耳元に唇を寄せる。
「もしもかいちょーに好きって言ってる音声が出てもー、こうしたらいいんだよ」
「だから、その肝心な部分を……」
「俺ともスキャンダル流せばいいんだよ」
伸びてきた手が腰に回され、そのままぐっと抱き寄せられる。丁度神楽の話を聞こうと体勢をとっていた俺はバランスを崩しそうになり、慌てて近くの壁に手をついた。
「神楽、何馬鹿なこと言って……」
「えー? 俺はちょー真剣なのになぁ、だってそうでしょ? 俺ともいい感じになってたらかいちょーの噂なんてどーでも良くなっちゃうって絶対」
「名案じゃない?」と、耳に息を吹き掛けられ、全身が泡立つ。
こいつ、薄々気付いていたが前回から何も学んじゃいねえし反省もしてねえ。
「いい加減にしろ」と神楽の腕を引き剥がそうと掴めば、柔らかい感触が耳朶に触れる。そのまま生暖かい舌をぬるりと這わされ、堪らず「神楽!」と声を荒げた。
「やだやだ、ちょっとそんなに本気で怒んなくていいじゃん……ジョーダンだってば、半分」
だとしたら、もう半分はなんなんだ。
強引に神楽を引き剥がせば、神楽は「ごめんね」と少しだけしゅんとした。
「本当は元君には優しくしたいんだけどねえ、かいちょーばっか贔屓するんだもん。正直、俺妬いてるんだよお? ……本気で元君がかいちょーのこと好きにならない可能性だってないわけだしね」
「……ならねえよ、心配しなくても」
そもそも、俺が好きなのは女の子だ。柔らかくて、花のようにふんわりとした、少なくとも政岡のように筋肉の塊のような俺よりでかい男は恋愛対象ではない……はずだ。
それに、好き嫌い以前に、俺にはあいつが何考えてるか分からなくなっていた。
「……元君」
「けど、まあ、確かに……神楽のアイデアは使えるかもしれないな」
神楽は極端だったが、発想を変えれば全く使えないものでもない。信憑性か。確かに、他の人間の好意を向けなかった相手が特定の相手にのみ好意的な発言をしたとなればそれは特別な意味合いを感じる。
けれど、逆に、日頃から周りの人間に好意的な言動を繰り返していたとなると、たった一つの言葉でも軽いものになる。
他のメンバーを勝たせるということはしたくないが、五条のデータが偽装だということを晴らすことができなければ最悪その手段もあるわけだ。……本当に最終手段ではあるが。
俺の言葉に、ぱっと表情を明るくした神楽は「でしょでしょー?」と嬉しそうに抱き着いてくる。俺はそれを引き剥がし、一旦部室から出ることにした。
五条のことは能義に回し、俺は、一度教室に戻ることにした。
これ以上は岩片に変な勘繰りを入れられると判断したからだ。それに、政岡の行動も気掛かりだった。
岩片には一番政岡とのことを知られたくなかった。
万が一のことを考え、岩片にも手を打っておかなければならないな。
そうあれやこれやと考えてはみるが、どう足掻いても最悪の展開しか見えてこないのだから気分が晴れるわけがなかった。
岩片のことを考えるだけで頭が痛くなる。
ずっと一緒にいることが当たり前になっていた俺にとって、こうやって岩片に会いたくなくなるのは致命的にも等しい。
晴れない気分のまま、教室の扉を開けば、いつもの見慣れた席に岩片はいた。
「腹、治ったのかよ」
席に着こうとしたとき、岩片に声を掛けられた。
怒ってる、わけではなさそうだ。
眼鏡のせいで表情はわかり辛いが、その声はいつものような軽薄なそれとは違う。
低い声に昨夜を想起させられ、つい、目を反らしてしまう。
「お陰様で」皮肉を込めてそう返せば、岩片は「そりゃ結構」と鼻で笑った。
「尾張君、体調は大丈夫なんですか?」
椅子に腰を下ろせば、続いて岡部に声を掛けられる。
岩片から俺のことを聞いていたようだ。
心配そうな顔をする岡部に「ああ、もう大丈夫だ」と返せば、岡部はほっとしたように頬を綻ばせる。
「でもタイミング良かったですね、さっきまで大変だったんですよ、なんか尾張君を探してるって人たちが来て……」
何気ない世間話のような軽い調子で切り出す岡部に、俺は思わず「え?」と聞き返した。
「俺を探してるやつって、何だよ、それ」
「多分あれ、生徒会長さんの舎弟ですよ。尾張君がいないってわかったらすぐどっかに行ったんで良かったですけど、あの調子じゃまた来そうですね」
……政岡。
あいつが俺を探してるのか。
嫌な汗が滲む。ちらりと、岩片の反応を伺うが、岩片は何も言わずに岡部の話を聞いていた。
相変わらず何を考えてるのかわかんねえ……。
いつもの岩片ならなふてぶてしく笑うだろう、だからこそ余計、岩片の無反応が不気味に思える。
何か変なこと考えてないよな。そう、岩片の横顔を盗み見ていたとい、不意に岩片がこちらを向いた。
そして、
「腹いてーんなら大人しく部屋で寝てた方がいいんじゃねえの」
椅子の背もたれに肘をかけ、体全体をこちらに向けてくる。相変わらず偉そうな座り方だと思ったが、それよりも珍しく心配してくるような発言する岩片にぎくりとした。
「別に、腹はもう大丈夫だから」
「……」
そう一言返せば、岩片は何も言わずに俺を見た。
分厚いレンズからはどんな顔をしてるのかわからないが、恐らく不躾な目を向けてるに違いない。絡みついてくる視線がなんとなく嫌で、俺は敢えてそれ以上何も言わずに顔をそらした。暫く感じていた岩片の視線も、すぐに離れる。沈黙。
……なんだよ、この空気。
余所余所しいその場の空気に耐えきれなくなったときだった。そばにやってきた岡部にそっと制服を引っ張られる。
「……尾張君、岩片君と何かあったんですか?」
そして、小声で尋ねてくる岡部。
単刀直入。核心を抉られ、口から心臓が飛び出しそうになる。俺は動揺を誤魔化すように咳払いをした。
「何かって、別に……どうしてそんなこと聞くんだよ」
「なんか、岩片君の様子がおかしいんですよ。別に機嫌が悪いとかじゃないし、寧ろいいのかなー? って感じてはあるんですけど……生徒会長の名前出すと雰囲気が怖いっていうか……」
残念ながらそれは機嫌が悪いんだよ。
言いたかったが、そんなこと言えば余計勘繰られそうだ。
岡部は変なところで目敏いから下手に悟られるような真似はしたくなかった。
俺はやつの心配を解消するため、取り敢えず笑った。後ろめたいことがあっても朗らかに笑っておけば大抵の人間を騙すことができる。経験上、そう知っていた。
「……悪いな、心配かけて。あいつならほっといても大丈夫だから、そういうときは無視しといていいから」
「そうですか……?」
励ましてみれば、それでも不安そうな岡部だったが渋々納得してくれた。
触らぬ神に祟りなし。
あいつは神でもなんでもないが、面倒なあいつに近寄らないのが正解だ。
そう、次の授業の確認をしようとした矢先だった。
「おい、ハジメ」
いきなり、岩片に呼ばれる。
肩を掴まれびっくりしたが、なるべくそれを顔に出さないようになんだよ、と答えれば岩片は「便所」とだけ短く答えた。
「はあ?」
「お前もこい」
「それくらい一人で……っ、て、おい、引っ張るなって!」
無理矢理椅子から立たされ、引っ張られる。
こいつ、なんでこういうときだけ力強いんだよ。
本気で振り払うこともできず、引き摺られる俺を見て岡部は『頑張ってください』と口パクする。
岡部、確かにほっとけとは言ったけど、こういうときは助けてくれてもいいと思うぞ。
結局、教室を出て廊下まで引っ張られる俺。
何も言わずに歩いていく岩片だが、当たり前のように便所を通り過ぎて歩いていくやつに「おい、トイレじゃないのかよ!」と思わず声を上げた。
「なんだよ、ハジメお前本気で俺と連れション行きたかったのか?」
「っ、そ、そいうわけじゃねーけど……」
別に本気にしてたわけではない。
あの場にいたくなかったのだろう、じゃなければこんなに強引に連れ出す理由がない。……と思うのだが、気まぐれで自分勝手な岩片が俺の常識通りなはずもない。
「目的を離せよ。お前、何考えてるかわかんねーからこっちも困るんだよ」
「本当に分かんねえの?」
「……はぁ……?」
何を言って、と言いかけた矢先だった。
岩片に腕を掴まれる。
そのままぐっと引っ張られ、やつの顔がすぐ鼻先に迫った瞬間、全身の筋肉が緊張した。
心臓がドクドクと警報を鳴らす。
「お前、俺に隠し事してるだろ」
たった一言。その一言に、思考停止する。
何か答えなければならない。そう咄嗟に判断するが、至近距離、岩片の目にじっと覗き込まれると何も考えられなくなる。
絡みついてくるそれを振り払い、俺は慌てて口を開いた。
「別に、隠し事なんてして……」
「嘘つくな。……顔色悪いし、唇の色も良くない」
「腹、治ってねえんだろ」するりと伸びた親指に唇を触れ、咄嗟に後ずさりそうになるが、逃れられない。
バレたのか、と身構えたが、そうではなかった。
岩片、こいつは俺の顔色が悪いのを腹痛のせいだと思っているらしい。
一先ずほっと反面、原因は違えど異変をすぐに察する岩片に心の底から安堵することはできなかった。
「虚勢張るのは勝手だけど、今のお前、隙だらけ過ぎて見てるこっちがヒヤヒヤすんだよ」
「それは、お前が勝手にそう思ってるだけだろ。……俺はいつも通りだよ」
「いつも通りのお前なら、こんな簡単に俺に捕まんねえだろ」
その鋭い指摘にハッとする。
距離を詰められたまま、そのまま岩片の腕に収まっていた自分が恥ずかしくなり、慌てて俺は「退けよ」と岩片の肩を押し返す。
けれど、岩片はびくともしない。それどころか、益々冷えたその視線にぞっとする。
「……やっぱ無理だわ」
「は……何言って……」
「帰るぞ」
そう一言、俺の二の腕を掴んだ岩片は、そう言ってまた歩き出した。
突拍子なくて、自分勝手で、おまけに馬鹿力。
最悪じゃないか。
「なんだよ、それ、おいっ」
「本調子じゃねえお前放ったらかしにしてたら使い物になんねーどころか余計なことになりそうだしな、今日はサボる」
「なら……巻き込まれたくねーならお前だけ部屋に戻ればいいだろ。お前に迷惑かけなきゃいいんだろ」
このまま休むなんてとんでもない。
おまけに岩片の目があると能義たちとも連絡取りようがない。
どうにかしてそれだけは免れなければと抵抗してみるが、返ってきたのは「はぁ」というクソでかい溜息一つ。
「……人がお前のため思って言ってやってんのに分かんねえのかよ」
「……は?」
「……俺がここまで言っても分かんねえのか、ここまでくるとお前の鈍感クソ野郎っぷりもすげえな」
「っ、誰が……」
誰が、鈍感クソ野郎だよ。
あまりにも勝手な言い分に流石に温和な俺もカチンときたときだ。視界が何かに覆われる。陰った視界の中、唇に何か柔らかいものが触れた。
ちゅ、と小さなリップ音とともに離れる岩片の唇に、自分がキスされたのだと気付いた瞬間、今度こそ脳味噌が活動を止めた。
「いいから来い。……体調も万全じゃねーんだろ」
文字通り思考停止する俺に、岩片はそれだけを言って歩きだす。手を離さないあいつは俺を大人しく解放させるつもりは鼻からないらしい。
さっさと歩く岩片に、言いたいことは色々あった。ふざけるなとか、何様なんだとか、あまりの横暴にそう文句言ってやりたい気持ちになるがそれよりも、それ以上に、あの岩片が私利私欲のためではなく俺のことを気遣ってくれてるということが未だに信じれなくて、思わず抵抗するのも忘れてしまう。
今更優しくして何を企んでるのか。
それも気まぐれなのか。俺の反応見て楽しんでるのか。
考えれば考えるほど未だにこいつの言葉が信じれないが、手首の傷に触れないように傷のない箇所を掴んでくる岩片の手が熱くて、何も考えられなくなる。
こんなことしてる場合ではないのに。
そう思うのに、こいつに逆らえないのは既に体の芯まで染み付いてるこいつの犬だと擦り込まれたせいだろう。
……考えたところで埒があかないので、そう思うことにした。
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