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生徒の憩い場であるガーデンテラス。自然を一望し、その新鮮な空気を吸いながら食事を取ることもできる、生徒からは人気の施設だ。
勿論、それは前にいた学園での話だ。この学校となると、話はまた別になってくる。
ガーデンテラスとは名ばかりの、寧ろガーデンが見当たらないただのテラス。申し訳程度の観葉植物で緑要素を補ってるが、そこら辺に転がる吸い殻や空き瓶、そしてゴミ。誰か掃除しろよと思いたいくらいガーデンテラスへの入り口は荒れている。出入り口、その両脇には見張りらしき生徒が二人いた。どちらも俺よりも体格がよく、制服を着ていなければ高校生に見えないだろう。……いや本当に高校生なのか?おっさんにしか見えないが……。
なんて、遠巻きにガーデンテラスの入り口を伺っていたときだ。
「はーじめくんっ、なにしてるのぉ?」
鼓膜を溶かすような甘く、鼻がかった声。ふっと耳に息を吹き掛けられ、思わず飛び上がりそうになる。
「か、かぐ、神楽……っ!」
「あっ、大きな声出しちゃバレるよー?隠れてたんでしょ?」
にこ、と笑う神楽に俺はハッと口元を抑える。
というか、なんでこいつがここに。緊張する。
いつもと変わらない調子だが、俺はこいつに何をされたのか忘れたわけではない。慌てて距離を取れば、「あー」と神楽は名残惜しそうにする。
「何何? もしかしてーふくかいちょーに用事?」
「……まあ、そうだけど……」
「なら俺呼んできてあげようかぁ?」
「いいのか?」
「別にいいよぉ。てか、多分ここにいるんなら生徒会以外寄せ付けないからなぁふくかいちょー」
どういう意味だろうか。
なんとなく神楽の物言いが引っかかったが、それならそれで助かるのも事実。見張りをどうやって掻い潜るか考えていたのだが、手間が省ける。
「悪い、じゃあちょっと聞きたいことあるからって呼んでもらっていいか?」
「いいけどぉ、その聞きたいことって……もしかしてかいちょーに好きって言ったことと関係ある?」
そして、小首傾げる神楽の言葉に一瞬、耳を疑った。
今、こいつなんて。表情が強張る。目を見開く俺に、神楽はふっと目を細める。
「あ、その反応、まじなんだ。馬鹿五条が言ってたやつ」
「な……え……ッ」
「合成なのかなって思ったけど、あーあ……残念だなぁ、その反応さぁ、否定しようがないじゃん。……あれって本気なの?」
元君、と覗き込まれる。相変わらず軽い調子だが、だからこそ困惑した。神楽の性格を知ってるからだ。処女しか認めないこの男の偏執的な一面を。良からぬ勘違いをされて事を面倒にしたくなかった俺は、「違う」と声をあげた。
「違う、あれは……五条に切り抜かれたんだ、それっぽく会話を繋ぎ合わされて……」
「…………」
「だから、神楽が思ってるようなことはなくて……それで、五条を捕まえるため、能義のところにいるんじゃないかって思ってきたんだ……」
誤魔化す必要性はないと感じた。素直に言った方がいい。ただ、切り抜きではないが、この際は些細な問題だ。
俺の話を聞いていた神楽は、ふーんと少し考え込んで、それからぱっと微笑んだ。
「なーんだ! そういうことだったんだねえ! 心配して焦っちゃったよぉー!」
そう、無邪気に笑う神楽に安堵する。
その反面普通に信じ込んでくれる神楽が少し心配にもなったが、俺としてはただ助かった。
「よかったよー、かいちょーってば元君に対して本気っぽいところあったからヒヤヒヤしてたんだよねぇ……でもま、ならまだ俺にもチャンスがあるってことだよねえ?」
ぎゅっと手を握られ、驚く。驚いて、咄嗟に手を離した。神楽は嫌な顔をするわけでもなくヘラヘラと笑ったまま「五条ならここには居ないよ」と口にした。
「五条、あいつなら多分新聞部の部室の方だよ。多分、何か細工するつもりなんじゃないかなぁ」
「新聞部部室……」
以前足を運んだことがある。五条の城みたいな場所だ。あまりいい思い出はないが、やつがあそこに籠もってるとなるとどうせよからぬ企みをしてるに違いない。
けれど、それさえ別れば俺の行動は決まったようなものだ。
神楽に「ありがとな」とだけお礼をし、早速足を向かわせようと廊下へと飛び出したときだ。
すぐそばにいた気配に気付かず、俺はそこにいた人影にぶつかってしまう。いつもなら、まあ、耐えられたのかもしれない。けれど、現在絶賛体にガタがきている俺はその反動に耐えられず、転びそうになったところを背後の神楽に「元君!」と抱き止められた。
「おや……すみません、余所見をしていたせいで……大丈夫ですか?」
透き通る、鈴のような耳障りのよい声。そっと手を取られ、顔を上げれば、そこには本来俺が会いに来た男が立っていた。
……能義は、俺と神楽を交互に見て、それから「朝から元気ですね」と微笑む。なんだろう、会いたいとは思っていたはずだが、神楽と能義、この二人に囲まれると途端に不安になってくる。他の生徒とは違う妙に独特の空気を持ち合わせる二人だからだろうか。圧迫感に、緊張してしまう。多分それは俺が本調子でないから、後ろめたいから、それも関係あるのかもしれない。
「ちょっと、ふくかいちょー危ないよー元君怪我したらどうするの!」
「すみませんでした、けど会計、貴方はちょっと怪我した方が丁度良くなると思いますが?」
「むーっ、どういう意味ぃ? それぇ?」
一見和やかな二人だが、俺は一刻も早くこの場から離れたかった。腰に絡まったままの神楽の手をそっと外し、「それじゃあ俺はこれで」と口にしようとして、「あ、ちょっと待って?」と神楽に抱き寄せられた。
項に鼻先を押し当てられ、その感触にぎょっとする。冷や汗が滲む。「おい、神楽」と体を捩ったときだった。
「元君、今日いい匂いするねー? なんか、甘い匂いする」
すんすんと鼻を鳴らし、動物じみた行動を取る神楽に血の気が引く。シャンプーを変えたわけでもなければ香水を使った記憶もない、けれど、神楽の口にした《変化》には身に覚えがあっただけに、生きた心地がしなかった。
「っ、多分……それ、制汗剤変えたからかもしれねーわ」
嘘だ、制汗剤は今日使ってないはずだ。けれど、神楽は「なるほどねー」と納得したように頷き、俺を解放した。
「けど俺、この匂い嫌いだなぁ」
「甘すぎて、女の子の匂いみたいだ」元君には合わないよ、と何気なく口にする神楽に、正直俺は、自分がちゃんと普通の顔をすることができているのかどうか不安で仕方なかった。
女の子、と口にされ、昨夜、ベッドの上俺を女にすると言った岩片の顔が過ぎった。指先が、震える。いや、まさかな、そんな変化聞いたことない。多分、岩片の匂いが移っただけだ。そうに違いない。そう思いたいが、それもそれで最悪だと自己完結に至る。
「会計、不躾ですよ。無闇やたらと他人の匂いを嗅ぐものではありません。……すみません、尾張さん」
「い、いや……別に俺は……」
神楽を引き離す能義に、ほっとする。ただのド変態野郎と思っていたが、そこら辺の常識はあるらしい。
「それにしても、会計を擁護するつもりはありませんが……見ない内に雰囲気変わりましたね、尾張さん」
と、安堵した矢先だった。
能義にじっと顔を見詰められ、息が詰まりそうだった。
なんだ、なんなんだこいつら。なんでこういうときに限って妙に勘が鋭いんだよ。
「ふ、雰囲気……? ち、違うか……?」
「なんというか……悩ましげというか……色気が出てきたというか……」
「色気……っ?!」
「あーわかるー! 元君なんかちょっと表情柔らかくなったよねぇ」
な、何を言ってるんだこいつらは……。
信じたくない。到底認めたくないものだった。もしかして、岩片とのあれこれのせいで表情筋にまで影響が出たということか?だとしたら、最悪だ。百害あって一利なしじゃないか。
「き、気のせいだろ……」
というか、表情が柔らかくなるわけないだろ。寧ろガッチガチだ。自分がちゃんとまともな顔できてるかどうか分からないってのに、いやだからこそか。
「まあ……いいでしょう。新聞部部室に行かれるんですよね。私もご一緒しますよ」
「え、なんで知って……」
「そんな大きな声で密談されてたら嫌でも耳に入りますよ」
「そーそー、なんかまた五条が企んでるみたいでねえ、なんかこのままだとかいちょーの一人勝ちになりそうなんだって」
あっけらかんとした調子でそんなことをペラペラ言い出す神楽にぎょっとする。 別に隠してるわけではなかったが、ここで言うのか?!と驚愕する俺に、神楽は差して気にした様子もなく「ねー」と同調を求めてくるぐらいだ。
能義は「なんですって?」と眉間に皺を寄せる。恐ろしいほど整ってるからだろう、妙な迫力に気圧される。
「どういうことか説明してもらってもいいですか」
能義の視線が突き刺さる。どうやらまだ五条に出会っていないようだ。能義の肩に腕を回した神楽は「実はねー」とコソコソ話をするフリをして説明をする。
正直一刻も早くこの場を離れたいところだが、神楽の説明次第では余計面倒になりそうだったので俺はおとなしく二人のやり取りを待つことにした。その間の能義の視線がチクチクと痛かったことだけはよく覚えてる。
「……なんというか、まあ、そんなことだろうとは思いましたが……厄介ですね」
神楽から話を聞いた能義はそう溜息を吐く。
正直、俺の立場では何を言い返すこともできない。能義の視線がチクチクと痛む。
「悪かった、まさか盗み聞きされるとは思ってなかったんだ」
おまけにそれを録音だなんて。今思えば、あの場面を五条に見られてたと思うと生きた心地がしない。
「……恐らく五条のことです、加工してそれらしく偽装してくることでしょうね」
「そんなもの皆に見せつけられたらさぁ、面倒だよねえ。事情知ってる俺達ならまだしも」
「う……」
「厄介ごとの種は早めに摘み取るに越したことはありません。……それに、あの男はここ最近調子に乗ってますからね、私の命令をすっぽかしてどこかに消えたりと……」
「ああ、思い出しただけで腹が立ってきました」と能義。
確かに、と一時期五条が姿を消していたときのことを思い出す。用事があるという置き手紙だけを残していなくなった五条。そのあと色々あって、それどころではなくなっていたが、その裏で五条が何をしていたのかも気がかりだった。
それにしても、能義の頼み事もほったらしていたというのはなかなか意外だ。五条は生徒会役員の中でも、勿論生徒会長補佐のあの性悪凶暴双子が一番のお気に入りだろうが、それでも二人を除いた中ではもっとも繋がりがあるのは能義だと思っていた。そんな能義よりも優先させたとなると、やはりあの双子絡みか?
「まあいいじゃんそんなの、直接あの変態眼鏡君に聞けばさぁ」
「そうだな。……新聞部部室か、場所、あんま覚えてねーんだよな」
「それなら案内しますよ」
「おう、悪いな」
というわけで、能義の案内とともに新聞部部室まで向かうことになったのだけれど……。
向かってる途中、携帯端末が震え出す。驚いて、慌てて取り出せばそこには岩片の名前が表示されていた。それを見て、少しだけ緊張する。
携帯手にして立ち止まる俺に「出ないのですか?」と能義に聞かれた。
無視して気付いていないフリをするという選択肢もあったが、また昨日のようにキレられたら堪ったものではない。俺は少しだけ躊躇ったあと、その電話に出る
「……もしもし」
『お前今どこ?』
第一声がこれだよ。「学校の中」とだけ言えば、岩片はへえ、とさして興味もなさそうに返事をする。機嫌が悪そうなわけではない。声からして、なんとなく、という感じなのだろう。
『お前さ、今日教室こないつもりか?』
「……いや、一応顔を出す予定だ。ちょっと今腹の調子が悪いから、少し休んでいく」
ベタすぎたか?と思ったが、電話の向こう側の岩片は意外なことにそれをすんなりと受け入れるのだ。
『そうだな、昨夜あんなに中に出してやったんだ。……腹も下すわな』
なんて、笑う岩片に俺は言葉に詰まる。
せっかく忘れようと思ったのに、張本人から掘り返され、収まりかけていた熱が一気に広がる。
こいつ、他人事だと思いやがって。腸が煮え繰り返そうになる。ぐっと堪え「そういうことだから」と一方的に通話を切った。
「おや、尾張さんお腹の調子が悪いんですか?」
「……ちげーよ、嘘に決まってんだろ」
とは言ったものの、体に違和感あることは違いない。微熱のような状態が続き、下腹部がまだ何か入ってるようなそんな気持ち悪い感覚が残っていた。せっかく気にしないようにと務めていたのに、これも全部岩片のせいだ。
……それにしても、なんだったんだあいつ、わざわざあんなセクハラするために電話掛けてきたのか?
少しは心配するような発言が出るかと期待した俺が馬鹿だった、思い返すだけでムカムカしてくる。
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