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「けれど、随分と穏やかではない雰囲気だったね。……凪沙は少々、いやかなり厄介な性格してるからね、どうも誤解されやすい。……まあ実際、わざとそう仕向けてるのだろうけどね」  下の名前で呼ぶ寒椿にギクリとした。  あれ、この男岩片のこと下の名前で呼んでたっけ。記憶を掘り返すが、そんなことなかったはずだ。  深い意味なんてない、そう思い込めるほど柔軟な思考を持っていたらどれほどよかったか。 「……岩片のやつ、あっち行きましたよ。俺よりも向こうフォローした方がいいんじゃないすか」  言ってから後悔した。  これじゃ、嫉妬してるみたいだ。けれど一度口にした言葉は取り返せない。  俯く俺の頬に触れた寒椿はそっと指先で目元を拭う。  驚いて、慌てて離れれば寒椿はクスクスと笑った。 「何を言い出すんだ。泣いているバンビーナを置いていけるわけがないだろう」  俺はバンビーナ呼びであいつは凪沙呼びか。  この際バンビーナは置いておく。けれど。  「っ、岩片、あいつは、寒椿先輩のこと待ってますよ、きっと。喜ぶだろうし」  みっともないところを聞かれて、これ以上自分が嫌なやつになるのが嫌だった。  追い払おうとするが、寒椿はそんな俺の気なんて知ったこっちゃないと朗らかに笑う。  そして、 「はは、それはないよ。だって彼、僕のこと嫌いだし」  一瞬、意味がわからなかった。  え、と顔を上げれば変わらない王子様スマイル。見れば見るほど吸い込まれるような整ったその顔と見つめ合ったのち、寒椿は不思議そうに首を傾げた。 「あれ? もしかして凪沙から何も聞いていないのかい?」 「……なにが……」 「凪沙は僕の姉さんの息子だよ」  ああ、そうだろう。岩片は寒椿のお姉さんの息子……………………。 「………………………………は?」 「あ、本当に何も聞いてなかったのかい。……弱ったな、もしかして凪沙のやつ隠していたのかな。まあいいや、もう隠す必要もないからね」 「な、待っ……え……?」 「凪沙の地毛、見たことある? あの眼鏡の下。凪沙もクオーターだから本当は僕と同じ金髪なんだよ。昔は本当に天使みたいに可愛かったんだけど久し振りに会ったらあんな珍妙な格好してるしびっくりしたんだけど、やっぱり中身は変わらないな」 「……ま、えと……え?」  情報量が追いつかない。  岩片の地毛、地毛ってどれだ。いつもなにかしらズラ被ってるからどれが本当の姿かわからない。  けれど、顔立ちは確かによく見ると似てるかもしれない。……けど、え、待て待て待て、それじゃあ俺は……岩片から見たら相当滑稽なことを言ってたんじゃないか。  凍り付く俺に、寒椿は申し訳なさそうに眉尻を下げた。 「すまないね、秘密にしてて。凪沙に強く言われてたんだ、お前と血が繋がってると思われたくないから余計なことを言うなよだってさ。本当、わがままで困っちゃうよね」 「……じゃ、じゃあ……寒椿先輩と岩片は……」 「凪沙は僕の甥で、凪沙からしたら僕は叔父さんになるみたいだね」 「……………………」 「おや、マドモアゼル。随分と顔色がよろしくないみたいだけど大丈夫かい?気付の紅茶を用意しようか」 「い、いい……結構です……」  あいつは何一つ言わなかった。それこそ、俺にちゃんと素顔も見せたことないしどこまでが本当でどこまでが嘘なのかも知らない。  俺は本当にあいつのことを何も知らないんだ。  それを突き付けられたようで、途端に、今まで岩片と過ごして来たものすべてが全部空虚のようなそんな錯覚に囚われる。 「あ、は……そうなんすね、いや、俺すげー勘違いしちゃった。あいつが、寒椿先輩のこと……」  好きなんだって。  と、そこまで考えた瞬間全身が熱くなる。穴があったら入りたいとはまさにこのことだろう。  笑ってごまかそうと思ったのに、何一つ笑えなかった。  言葉に詰まる俺に、寒椿は「元君」と俺の手を握った。  初めてまともに名前を呼ばれた。なんて、思いながら顔をあげればそこには不気味なほど整った顔がそこにはあった。優しい眼差しがこちらを向く。 「凪沙のことを嫌いにならないでやってくれ。小さい頃から人に愛されて当たり前だったあの子が恐らく初めて自分から欲したんだと思う。……やり方は少々、いやかなり強引だがね」  「それしか知らないんだ、あの子は」触れた手を振り払う気はなかった。温かく、柔らかい指先、けれど骨格はがっしりとした男の手が俺の手を包み込む。不快感はなかった。  俺は、何も言えなかった。  この男に返答を求められてるわけでもないだろうし、何よりも、返す言葉がなかった。  動けなくなる俺に、寒椿は思い出したように小さく吹き出す。 「しかしまあ『従順で美しく、血統書付き』とはね。よく言うようになったよ、凪沙も。自画自賛、ここに極まれりだ」

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