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「許せるわけねえよな? 今でも思いだしたら腸煮え繰り返そうになる。俺以外の野郎にリードを持たせたんだ、お前は、俺の言うことは絶対だと言いながら。その口で、あいつと俺を裏切ったんだ。……許せると思うか?」 「っ、……」 「ああ、何度も言ってやるよ。俺はお前が好きだ。けれど、お前が俺以外を選ぶのは許さない」  言葉の鎖で雁字搦めにされるような圧迫感、息苦しさに目眩を覚えた。  やっぱりそうだ、少しでもこいつの性格が変わったのだと思った俺が馬鹿だった。  何一つ変わってない、それどころか、自己中さには磨きがかかっている。 「……お前、無茶苦茶だ」 「そんなこと、とうに知ってたはずだ。それでもお前は俺を選んだ」  そうだろ?と顎の下を撫でられ、その不快な感触に堪らず手を払いのける。けれどやつは怒らない。怒るどころか、不気味な笑みを携えて俺の手を掴んだ。手首、その裏側に浮かぶ血管をなぞるように這わされる指に全身が粟立つ。 「……ッ、触るな」 「……お前は自分で自分を理解してないだけだ。お前だって実際必要とされたいだけだろ。お前じゃなきゃだめだと言われたいだけだ。だから、俺を選んだんだ」 「なに、言って」 「あのときだってそうだ。お前は相手は誰でもよかった、自分を必要としてくれるんならどんなクソ野郎でも」 「違うっ、俺は……」 「違わねえよ。俺を自己中最低ナルシストオナニー野郎っていうんならお前はなんだ?お姫様願望のある奴隷体質ドマゾワンちゃんか」  砕かれる。いつもの笑みを浮かべて、容赦なく尊厳すらも踏み荒らすこの男に、怒りよりも強い羞恥を覚えた。  触れられたくない部分を無理矢理抉じ開け、中を荒らされる。見られたくない部分を、自分でも認めたくない部分をこいつは容赦なく突き付けてくるのだ。  凍り付く俺に、岩片は笑ったままゆっくりと目を細めた。 「政岡との恋愛ごっこは飽きたんだろ?だから、俺を探した。お前を本当に必要としてるのが誰かわかってるからだ」   そんなはずない、俺は他の連中がお前のことばかり言って煩いから、それと文句の一つや二つ言ってやろうと思って会いに来ただけだ。  そう言い返せばいい、思うのに、こいつはそれを許さない。反論の隙きを与えず、捲し立てる。 「……そうだよな、あいつは俺とは違う。あいつはお前のことをなんも理解してない。上っ面だけだ。悲劇のヒロインぶったハジメを見つけて、それを救おうとするヒーロー像に酔っただけの偽善野郎」 「そりゃ満足できねえよな、あいつが見てるのはお前を助けてる自分だ。お前のことなんて見てねえよ」お前と一緒でな、そう鼻で笑う岩片に、気付けば俺はやつの胸倉を掴んでいた。岩片はそれを避けようともせず、抵抗もせず、顔が近付く。すぐ目の前に冷たい目があった。  笑みを浮かべてるのに温もりも何も感じさせない、目だ。 「……っ、俺のことはいい。あいつのこと、政岡のことを悪く言うなよ……っ! お前よりもよっぽどマシだ、この自己中野郎っ!」 「自己中なのはお前もだ、ハジメ。俺達ウマが合うんだよ、相性がいい。……体の相性もな」 「っこの……ッ!!」  するりと伸びてきた手に尻を揉まれた瞬間、カッと顔が熱くなる。最低最悪のクソ野郎、わかってたはずなのに。こんなやつに抱かれた自分が恥ずかしくて、情けなくて仕方ない。  拳を硬め、振り上げた手を掴まれる。そのまま壁に押し付けられれば、すぐ目の前にはやつの顔があって。  鼻先同士がぶつかるほどの至近距離。やつは俺から一寸も目を逸らさずただこちらを見るのだ。 「……ハジメ、いつまで臍を曲げてるつもりだ?いい加減理解しろ、お前を本当の意味で必要としてるのは俺だけだ。お前の性格も、知られたくない部分も全部全部知ってるのも、受け入れられるのも俺だ。  ――お前が、俺を受け入れてくれたようにだ」  皮膚を這う指先はゆっくりと手の甲へ重なり、指を根本から絡め取られる。蛇のように締め付ける指先を振り払おうとしてもびくともしない。  俺はお前を受け入れたつもりはない。  どうでも良かった。お前がどんなクズでも、あのときの俺には選んでる余地もなかった。  最高とは言い難い出会いだった。それでも、あのときのことは昨日のように思い出せる。 「……お前も知ってる通り俺は懐は広い。またお前が俺の元に戻ってくるなら誰とどこで何してようが許す。けれど、もしお前が本気で俺以外のやつを選ぶというなら……」  岩片はその先は口にしなかった。けれど、口よりもその目が雄弁に語っていた。  ――そのときは、わかってるだろ?  そう、クイズを出すみたいなそんな目で、俺を試そうとする。 「……お前は、最低だ」  こいつとまともにやりあっても無駄だ。わかっていた、それでも、はいそうですかとこいつの元に帰るのは癪だった。ここまでコケにされ、馬鹿にされ、今度はなんだ?許してやるから帰ってこい?自分の手元離れそうだったからわざわざ好きと言ってやった?  考えれば考えるほど沸々と怒りが込み上げてくる。 「ずっと一緒にいて今更か?」 「っ、……俺はお前のそういうところが嫌いだ、脅せば俺が自分の言いなりになると思ってるだろ」 「思ってるし、ハジメは自らそう望んでる。だってそうだろ、他の野郎じゃお前は満足できない。なんたって連中はお前じゃなくてゲームのターゲットという立場から持て囃してるだけだ。お前自身にだーれも興味なんかないんだからな」  何が、俺の中でガラガラと音を立てて壊れた。  ほんの少し、ほんの少し期待してなかったといえば嘘になる。こいつが本当に俺のことを好きだと言ってくれたのなら、考えもまた違っていたのだろう。  けれど、こいつの言葉は告白なんて生易しいものではない。俺の気を引くためだけの道具だ。  そうわかった瞬間、気付いたときには鈍い音が響いていた。拳に伝わる衝撃。目の前の岩片は軽く首を傾げ、殴られた頬を気にすることもなく俺をただじっと見ていた。 「……なんで泣く?」 「お前には一生わかんねえだろ、人の気持ちなんて」 「何言ってんだ? 俺以上にお前の本質を理解してるやついねえだろ」 「……ああそうだろうな。お前ほど頭が働いて人間を理解するやつはいねえよ。だから言わせてもらう、お前がやってるのは詐欺師と同じだ」 「お前がやってるのは恋愛でもなんでもねえ、相手を追い込んで傷付けておいてその口で慰める。そんなもん、ペテン師野郎の手口と同じじゃねえか」わかっていた、こいつの手口は痛いほど。ずっと傍で見てきたからだ、言葉で捲し立て、自分の掌の上を誘導する。  最初から逆らう気なかった俺にそんなことをする必要はないと思っていた。けれど、ここにきてこんな強引な真似をするのはそれしか考えられない。  侮辱し、怒りでもなんでもいい。強い感情で相手の気を向けさせようとする。思考を塗り替え、自分の思い通りに相手の行動をコントロールする。一種の洗脳だ。  あいにく俺はそんなことされなくても傍にいることを選んだ、だからこそ、すぐにこの男の違和感に気付けた。  皮肉なものだと思う。相手が俺でなければきっと今頃ベッドイン出来てたのだろう。  不毛だと思った。こいつに何言っても無駄だとわかっていた。どうせまたいつもの無茶で捻じ伏せられる。  そう思ったのに、岩片は。 「――……っ」  なんで、お前が傷付いた顔をするんだ。  俺の言った言葉なんてどうでもいいんだろう、気にせず自分勝手なことするくせに、なんでそんな顔をするんだ。  まるで殴られた子供みたいな目を見てしまった瞬間、血の気が引いた。  けれど、それも一瞬のことだった。 「あぁ……そうかよ。クソ……勝手にしろ!」  岩片の手が離れる。  長い前髪を掻き毟った岩片はそれだけを吐き捨て、踵を返した。聞いたことのない声だった。  普段大きな声で笑うことはあっても俺に怒鳴ったりすることはなかった。だからこそ一瞬、反応に遅れてしまう。 「っ、おい、どこに行くんだよ!」 「嫌いなやつがどこに行ってもいいだろ。どうでもいいんだろ、こんな勘違い野郎」 「っ……ああ、そうだよ、どこにでも行ってこいよ。俺には関係ねえからな」 「あーそうかよ、勝手にしろ」  岩片はこちらを振り返りもせず、その場を立ち去る。  岩片がこんな態度取るとは思わなかった。だからこそ余計、内心動揺した。  けど、言ってやった。今まで言いたいことを言えた。  それなのに、何一つスッキリしない。  するどころか、胸の中のどす黒いもやもやとしたものは余計大きくなるばかりで。  ……なんだよあいつ、いつもなら笑ってるのに。なんであんな傷ついた顔するんだ。  ……なんなんだ。  あのときの岩片の目が、瞼裏にこびり付いて離れない。  言い過ぎた、なんて思いたくなかった。あいつだって、俺のことをボロカス言いやがったし。  ……けれど、やっぱり言い過ぎたかもしれない。  そんなことを気にしては、岩片が立ち去ったあともその場から動けなかった。  そんなときだ。  風紀室の扉が静かに開いた。そしてそこから現れたのは。 「随分と派手な痴話喧嘩をしていたみたいだけどもう出ていっても大丈夫そうかな?」 「っ、寒椿……先輩」  と、慌てて付け足す。  もしやと思っていたがやはり聞こえていたようだ。  あの会話の内容を聞かれていたと思うと普通なら顔向けできないのだが、今の俺はなんかもうどうでも良くなっていた。多分、むしゃくしゃしてるのだ。  俺の寒椿は落ちていた岩片の眼鏡を拾い上げる。そして、ふっと微笑んだ。さながら王子様の眩しい笑顔。 「ここ、案外壁薄いから気をつけないと子猫ちゃん。……僕に盗み聞きなんてはしたない趣味はないけれども不可抗力だったんだ、許してくれ」 「……別に、いいっすよ。それに、寧ろこっちこそ、すみません。……騒がしくして」 「中には僕しかいなかったんだ、別に構いやしないよ」  寒椿のフォローが余計痛む。  変な人だけど基本は優しい、ちょっとずれてるけど。  ……俺とは大違いだな。  なんて岩片の皮肉を思い出してはまたムカムカしてきた。

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