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「あ、あっあっ、はぁん」  安アパートの壁越しに女の声が聞こえる。先週の女は「もっともっと」とうるさかったが今日のはおとなしめだ。 「んっ、ああっツキヤぁ……」  隣に住んでいる男とは顔も会わせたことがない。知っているのは下の名前だけだ。  三、四ヶ月ほど前に引っ越してきて、ひっきりなしに女を連れ込んでいる。声の調子で同じ女でないことは分かる。 「またか、この淫乱め……」  旭日はスタンドの横に転がしてある百円均一の耳栓を手にした。ウレタンがぴったりと耳穴を塞ぐ密閉感が苦手だがいたしかたない。  声が聞こえないのを確認してもう一度ノートパソコンに向かうが、どうにも集中力が切れてしまった。こたつから立ち上がって手を後ろに組み下に伸ばす。鬱血した背中に血液が通っていく。そのまま膝を落としてスクワットに移る。  男が越して来た当初はかなり戸惑った。あまりにしょっちゅうなので外で勉強する事も考えたが、丁度いくら時間があっても足りない時期で、仕方なく耳栓を買ってきた。どうせこの部屋ともあと少しでおさらばだ。我慢するのも業腹だが今更揉め事はごめんだ。  スクワットの後は腹筋、ストレッチとみっちり体を動かして三十分近く時間をつぶした。  もう事は済んだだろうか。今までは大きな声がしても大概一回で終わっている。耳栓を外すとひんやりとした外気が流れ込んできた。汗ばんだ耳穴に冷気が心地いい。閉塞感は不快だがこの耳栓を外す一瞬の解放感は嫌いではない。  もう甘ったるい声は聞こえないが、まだごにょごにょと音がする。そのうち女のわめき声が大きくなった。男の声はない。 「いい加減にしろよ」  舌打ちしながらこたつに入りなおしてパソコンのスタンバイ状態を解除させた瞬間、ものが倒れるような大きな音がした。ついで鉄製の重いドアが乱暴に開け閉めされて、カツカツという高い踵の靴音が遠ざかっていった。  後は物音一つしない。  もう集中もくそもない。旭日はパソコンとこたつの電源を切るとベッドに倒れこんだ。

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