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 二人の女が旭日の部屋の畳の上に立っていた。 一人は臙脂色のブーツを履いて、もう一人は先の尖った渋い金色のパンプスだ。  缶コーヒーを自販機に買いに行く、ほんの五分ほどだからと鍵をかけていなかったのも悪い。  だからって勝手に土足でずかずか上がりこんでいいという法はない。 「あの……どちらさんで……」  理屈の上では旭日が正しいはずだが、あっけにとられておびえたような声しか出せなかった。 「私?私はツキヤの彼女よ!」 と臙脂のブーツが叫んだ。 「あんた!一回寝たくらいで彼女面しないでくれる?!」 「私はトクベツなの!」 「頭おかしいんじゃない?いい?特別なのはあ・た・しよ!」 「うるさい!ストーカー」 「ストーカーはあんたでしょ!犯罪者はさっさと家に帰れ。このブス」 「ブスにブスって言われたくないわ!ブスブスブスブス」 「言ったわね!ドブスドブスドブスドブスドブス!」  女たちはつかみ合いの喧嘩を始めた。 「ちょ、ちょ、ちょっと落ち着いて!」  ツキヤ、ツキヤと名前が出るところを見ると、この珍客は本来隣に行くはずだったのではないだろうか。 「ツキヤだったら隣だよ!」  女たちに負けぬよう目一杯大きな声を張り上げると、女たちはきょとんとした顔をして同時に旭日を見た。 「……となり?……ここ一〇五じゃないの?」 「ここは一〇六!」  どういうわけだか、病院でもないのにこのアパートは四号室がない。入居時に「変なの」と思った程度で今まで特に困った事もなかったが、ここでまとめてドンと来た。それにしても部屋の中に入っても気づかないとは、相当頭に血が上っているらしい。  燃え上がる炎に水をぶっかけられた女達は黙り込んだ。 「……あ、そう」  金色のパンプスの方が動揺を押し隠すようにそっけなくつぶやいて玄関に向かった。 「待ちなさいよ!」  臙脂のブーツは旭日に一言も無く、後を追った。 「やれやれ」  謝罪なんていらない。いなくなってさえくれれば。  が、五分もしないうちに女たちは戻ってきた。今度は土足ではないが、また勝手に上がりこんでくる。 「なんなんだよ!隣だって言っただろ!」 「鍵かかってんのよ!寒いからここで待たせてよ!」 「そんな勝手な……」 「この寒い夜に女二人おっぽりだそうっての?!ひとでなし!」  臙脂の言葉に乗っかって、金色が言いがかりをつけてくる。言いがかりでもそう言われると反論のしようもない。  ということで何故か三人でこたつを囲むことになってしまった。 「びびって居留守つかってんじゃねぇのか」  最初は「どちらさん」とやや丁寧な物言いにしていたが、もう言葉遣いなど気にする気もしない。 「窓から見たけど、いないみたい」 「こそこそ居留守使うとか、そういうタイプじゃないし」 「働いてんなら、職場とか」 「今日は来てないって」 「ケータイは?」 「……繋がんない」  早く追い返したい一心で色々可能性を述べてみたが、無駄だった。  強気な事を言っていたが、こたつに入って落ち着いてくると二人とも伏目がちになり黙り込んだ。互いに牽制しあっているからか言葉にはしないが不安が顔からにじみ出ている。  金色は二十代半ばくらいで、臙脂は二十歳くらいだろうか。どっちも派手な化粧をして、ゆるくパーマをかけて同じような髪形をしている。まるで姉妹の様だ。声までそろって甲高い。  昨日の女はもうちょっと声が低かった。  ふと、この女達の声も聞いたことがあるのだろうか、と思ってしまった。実に気まずい。  妙な沈黙が漂ったまま、十分、三十分、一時間と過ぎてゆく。静寂がゼリーになって部屋をみっしりと固めてしまったようだ。  息をするのもはばかられるような静けさの中、鍵をがちゃりと開ける音がした。  二人の顔が同時に上がった。 「……ツキヤ」  弾かれたように立ち上がって再び玄関に走る。 「今度こそ、やれやれ……か?」  こたつの上には臙脂の方が握り締めていたピンクの携帯が残されていた。 「いつになったら厄介払いできるんだ」  旭日は顔をしかめながら携帯を手にとり女たちの後を追った。  女たちは廊下でツキヤと話し込んでいた。いや話しているのはほとんど女たちだけだ。ツキヤと呼ばれた男はぼんやりと女たちを見つめている。  ツキヤは旭日がイメージしていたのとはちょっと違った。どうせチャラっとしたワルい感じのチンピラだと思っていた。髪型や服装は確かに真面目そうだとは言えない。前髪を左右非対称の長さに垂らして、耳には金の細い鎖がしゃらっとぶら下がっている。  だがいわゆる「不良」と呼ばれる者たちにありがちな不貞腐れた虚勢がない。背もあるしそんなに貧弱な体型でもない。女たちが取り合うのもわかるような整った顔立ちだ。しかしどこか頼りなげで「男」と言い切るには少しためらいを感じるような少年っぽさが残っている。  女たちはツキヤにどちらを選ぶか詰め寄った。  旭日は「どちらか」ではすまないことを知っている。女達の名前すら知らないがちょっとだけ胸が痛んだ。  ツキヤは無表情に「同じ女とは寝ないって、言ったろ」と涼やかな落ち着いた声で言い放った。  女たちは絶句した。  ツキヤは何も無かったかのように自室に入っていった。  ドアがガチャンと閉まると臙脂の方がわぁーっと泣き始めた。 『なんちゅう奴だ……』  知らん顔していればよかった。ピンクの携帯を振り上げた腕が行き場を失って踊った。 「うるさいっ!」  金色が臙脂の足を、その尖った足先で蹴りつけた。 「なにすんのよ!」 「泣くな!」  そういう金色の方も顔が崩れている。洟が出てくるのか手の甲で鼻をこすると 「帰るよ」 と何故か敵であるはずの臙脂を促した。  臙脂は金色の顔をじっと見て、泣き止むと黙って後をついていった。 「おー……い……」  旭日の手には携帯が残された。

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