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5.その男、予想外につき
自己嫌悪で眠れない夜が明けても、まぁ通常運転しなきゃいけないのが大人ってやつだよな。
それがむしろ現実逃避になったりもするし。
「ハァ……」
それでもそんな大人だってため息位は許して欲しい。
ほんと、メンタルやばいから。
「……ふむ。ため息つくと幸せが逃げる、と言う」
「!? に、丹羽先生、いつから?」
「まァ、さっき、だな……ン」
職員用トイレから出て、鏡の前でため息をついていたら突然声と共にぬっとデカい図体が現れて肝を冷やした。
……っていうかなんかこの人とはトイレが重なるんだな。偶然なんだろうが何か微妙な気分だ。
「大丈夫か」
「え?」
「幸せ、逃げてないか」
「ぇ……ど、どうでしょう」
なんなんだ。不思議系なのか。まぁ美術の人だからかな。
それにしても。
「あ、あの……?」
「ン」
「えぇっと……」
「ン」
なんでじっと見つめてくるんだ……。
橘と違うベクトルで感情が読めないんだけど!?
「な、なにか」
「疲れが顔に出ているな」
「あー。そうですかね」
確かにそうかも。昨夜はほとんど寝れなかったから。
一人の生徒の家庭訪問で不眠症とは笑えない。
「何かあったか?」
「ええっと。まぁちょっと手のかかる生徒がいまして」
手がかかりすぎて、脅迫して性的関係を迫ってくるんですよ……なんて言えないけどな。
「ふむ。担任を持つと大変だな。……よし。少しじっとしてろ」
「え? ……っ!」
突然抱きすめられた。
大きくて逞しい腕が二本伸びてきて、がっちりと身体をホールドする。
「ちょっ、に、丹羽先生!? な、何して……っ!」
「よしよしよし。落ち着け落ち着け。よしよし」
「ぅわ!」
今度はそのまま頭をワシワシと少し雑に撫で回される。
まるで愛犬家が犬撫でてるみたいに。
「抱きしめられると、脳内物質や自律神経に変化を来たしてリラックスする……らしい」
低い声でそう言う彼は、恐らく本気でそれを実践してるだけなのだろう。
行動が突拍子もなくてびっくりしたが、まぁ悪気も他意もないのはなんとなく分かった。
「それ、誰に聞いたんですか……」
「生徒だ。『だから抱きしめてリラックスさせて』って言われてな」
おいおいおい。待てよ。それって……。
「それで抱きしめちゃったんですか!?」
「いや。顔色は悪くないし、至って健康そうだから『君には必要ないだろう』と断ったぜ」
「あー……なるほど」
この人、やっぱり天然なんだな。
だって明らかにそれってハグしてもらいたいがための下手な口実じゃないか。
それをマジで受け取って、こうして実践してるのか。
なんだかそれを思うと、おかしくなってきた。
「ははっ。……丹羽先生、ありがとうございます」
「うむ。役に立てたなら良かった。俺にはあんたの苦労は共感してやれないからな」
変な人だけど、優しい人だ。この人は。
ここまで純粋で不器用な優しさに触れたのは久しぶりかもしれない。
悩んで荒んだ俺の心には、かなり響くものだった。
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