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甘い誘惑
『初めまして、長谷川 樹 です。
今日から皆さん、よろしくお願い致します。』
にっこりと愛らしく微笑み、新入社員である彼は小鳥が囀 ずるみたいな愛らしい声で、挨拶の言葉を述べた。
小柄な体に、大きな茶色の瞳。
肌は色白なのに、頬と唇はほんのりピンクがかっていて...。
あまりの可愛らしさに、目を奪われた。
礼儀正しく、品行方正。
目上の者をちゃんと敬いながらも、その会話はウィットに飛んでいて。
...俺が彼に惚れるまで、時間は掛からなかった。
とは言え俺と樹は、男同士な訳で。
この気持ちを彼に伝えるつもりなんか、微塵も無い。
三十路にほぼ両足を突っ込んでいる俺に何故かよくなつき、天使かコイツってくらい無垢な笑顔を浮かべ、彼はいつもいつもすり寄って来る。
嬉しい反面、苦しくもあり...年甲斐もなく恋愛感情なんてモノに振り回され、もて余す俺。
そんな葛藤に全く気付く事なく、彼は今日もまた俺の側に駆け寄り、無邪気に笑って誘うんだ。
「柏木 センパイ!
今日もランチ、一緒に行きましょう。
すっごく美味しいお店、教えて貰ったんです。
パスタ、お好きでしたよね?」
***
「ねね、センパイ!
たまには二人で、飲みに行きません?
僕あまりアルコールって強く無いんですけど、そこの居酒屋、すっごい唐揚げが美味しいらしくて。
でも一人でそういうお店って、入りづらいじゃないですかぁ...。」
軽く唇を尖らせ、ちらりと上目使いで言われた言葉。
あまりにも愛くるしいその表情に、言葉を無くす俺。
「センパーイ?聞いてます?」
目の前で手をぷらぷらと揺らし、至近距離から顔を覗きこまれた。
くっ...、ホント何なの?この可愛い生物。
...コイツは一体俺の事を、どうしたいんだ。
終業後に彼と二人で出掛ける機会なんて、これまで一度も無くて。
...正直、戸惑いが隠せない。
「柏木センパイ...駄目ですか?」
更に追い討ちとばかり小首を傾げ、俺の顔を見上げて言われた言葉の破壊力と来たら。
はぁ...ホント俺、どうなっちゃうの?
こんなの、ゲイへの道まっしぐらじゃないか。
とは言え樹にはその気なんて全くないはずだから、勝手に気持ちの悪い感情を膨らませ、拗らせているだけな訳だけれど。
惚れた弱味、ってヤツだろうか。
これ以上近付くのは危険だって分かっている筈なのに、喜びの方が大きくて。
俺に残された選択肢なんか、ひとつしか無い。
「いいよ。
なら今日仕事が終わったら、行こっか?」
「わーい、ホントですか?
じゃあ僕、頑張って定時には終わらせますね!」
ふにゃりと笑うその表情の可愛さは、もはや凶器レベル。
メチャクチャに鳴かせて、狂わせてやりたいだなんて物騒な事を俺が考えてるだなんて、全く気付いてないんだろうなぁ。
俺はちょっと苦笑して、あぁ、とだけ答えた。
***
居酒屋に着くと、俺は生ビールを。
樹はアルコールは弱いって言っていた癖に、甘めのチューハイだか何だかを頼んだ。
「あは...、美味しい。
センパイ、たまにはこういうのも良いですね。」
そんな風な事を言いながら、居酒屋のテーブルに伏せるみたいにしてこちらを見上げ、にこにこと笑う彼。
「うん、そうだな。
でもお前はその一杯で、止めとけよ?
...もう、ヘロヘロじゃん。」
思わず手を伸ばし、彼の柔らかな猫っ毛に触れた。
「えー...、やですよ。
センパイだけ飲むとか、ズルいじゃないですか。
...僕も、飲みたい。」
ぷぅ、と頬を膨らませ、軽く俺の顔を睨み付けてくるそんな仕草までも、可愛くて。
...こんなの、ホント反則だろ。
結局この一杯のみで酒は取り上げたと言うのにコイツと来たら、店を出る頃にはふらふらの、へべれけ状態で。
ちゃんと真っ直ぐ歩く事すら出来ない彼に、途方にくれる俺。
「センパーイ?...あそこ、寄っていきません?
あのお城、超可愛い!
僕もう、歩きたくなーい!」
ふへへと笑いながら俺に寄り掛かり、彼が指差した先は、いかにもって雰囲気の、THE ラブホテル。
...コイツ、マジか。
彼はいま、メチャクチャに酔っている。
だからあそこがどういう場所なのかすらも、把握出来てはいないのかも知れない。
「ホントどうなっても、知らないからな。」
...俺の中でブツンと、何かが切れた瞬間だった。
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