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第30話 招かれざる客

 オルテガが王宮に戻ってしばらく、平穏な日々が続いた。  スゥエンは久しぶりに男らしい格好---シャツとジャケットという出で立ちで日々を過ごしていた。もっとも、ラウルの着替えを借りてのことで、シャツもジャケットもだいぶ大きかったが、多少なりとも自分に戻れたようで嬉しかった。  柄物を持つことは、さすがにヴェーチェが許さなかったが、一日のうちの僅かな時間だが、ラウルに体術の稽古もつけてもらえた。 「だいぶ鈍っちまった---」 「大丈夫ですよ。すぐに戻ります。」  情けなさそうにポツリ---と言うスゥエンの頭を、ラウルがくしゃくしゃ---と撫でた。  エントランスのあたりが、急に騒がしくなったのは、オルテガの不在にスゥエン自身がだいぶ慣れた頃だった。  ラウルとの稽古を済ませ、中庭から部屋に戻ろうとした時、見慣れぬ馬車がエントランスに横付けされているのが見えた。立派な外装から地位の高い人物であろうことは推察されたし、何よりヴェーチェが馬車の主と何やら問答しているのが見えた。 ーまさか---。ー  バスティア王家の誰かであろうことは分かった。スゥエンがここにいることを知っている人物---バスティア王か?  スゥエンは思わず身を固くした。  その背にラウルがそっと手を触れた。 「お気になさらず------。ヴェーチェ殿にお任せいたしましょう。」  スゥエンは頷いて、自室に戻った。汗を流し、着替えて図書室から持ってきた本を開く。 ラウルの届けてくれたあの本は、古ナヴィア語で書かれており、読み解くのにたいそう時間のかかる代物だった。同時に、エラータからの手紙で、 ーお気持ちが定まってから開くように。ー と綴られていて、スゥエンは今少し躊躇っていた。  騒ぎはまだ続いていた。------と部屋の扉が無造作に開けられた。  背後から、ヴェーチェの声が、慌てて止めようとしたが、時すでに遅し---といったところか。 「オルテガの嫁は、こちらか?」  覚悟を決めて、ふっと、声のする方を見る。スゥエンは思わず息を飲んだ。美しい、これまでスゥエンが見たこともない美しい麗人がそこに立っていた。  長い黄金の髪を揺らめかせ、肌はオルテガと同じ褐色で、菫色の瞳をしていた。スレンダーな長身、立ち姿は指の先まで優雅だ。  中性的なその美貌は、まるで神のようだった。まだ見たことは無いけれど---。 「お控えください。ラトゥールさま。」  傍で入室を阻もうとするヴェーチェの顔は何故か蒼白だった。麗人は、ぽかん---として見上げているスゥエンに再び声を掛けた。 「そなたが、オルテガの嫁になる『Ω』か?名はなんという?」  麗人は、鈴を鳴らすような声で、到って冷たい口調で、スゥエンに詰め寄った。ヴェーチェの顔がさらに青くなる。スゥエンは気を取り直して、すっ------っと頭を上げた。 「私は、スゥエン-ラドリック-ナヴィア。ナヴィア国王の第二皇子です。和平の交渉のために、こちらに伺っています。」  結婚するなんて---決めた憶えはない。スゥエンは、胸を張り、精一杯の矜持を示した。  麗人は、一瞬きょとん------とした顔をしたが、次の瞬間、さも可笑しそうに腹を抱え、くっくっくっ----と喉を鳴らして笑った。 「ラトゥールさま------」  憮然とするスゥエンと麗人の間で、ヴェーチェは完全に硬直していた。 「何が可笑しい?」  いきり立つスゥエンに、麗人はニヤリと口元を歪め、わざとらしく会釈をして言った。 「元気の良い『Ω』だ。成る程、ヤツが惚れ込むのも、分からなくはない。」  にんまりと笑む顔は不遜この上無かった。しかも、オルテガを『ヤツ』と呼んだ---スゥエンは知らぬ間に眉をしかめていた。 「そう怒るな、スゥエン殿。不興であれば詫びを言おう。」  麗人は、す----と身体を起こし、チラ----とヴェーチェを横目で一瞥して、言った。 「私は、ラトゥール-シモン-----オルテガの義兄だ。」 ーオルテガの兄上---。ー  スゥエンは驚き、目を見張った。が、その次の言葉に、今度はスゥエンが固まった。 「庶腹の---『Ω』の義兄だ。------」 ーバスティアの『Ω』の王子---。ー    スゥエンは言葉を失った。 「番が、弟の嫁の躾に苦労していると聞いて、見物に来た。」 「え?」 「ヴェーチェは、私の番だ。」

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