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第2話 ⑤

 広がっている砂地の光景には見覚えがあった。 「これ……学校の運動場、か?」  悠利が住んでいたというアパートの近くには、田んぼに囲まれて小学校が建っていた。  どうやらその運動場に空間移動してきたらしい。 「おい、大丈夫か」 「……ああ」  悠利はすぐそばでしゃがみ込んでいた。答える声は弱々しく、顔を上げるのも辛いようだった。  ずっと部屋の中にいたせいで気づかなかったが、辺りはすっかり薄暗くなっていた。そのせいで気温はますます下がり、突然のことでコートを着る余裕もなかったので空気の冷たさが肌に染みてくる。  だが快の手が震えているのは寒さのせいではなかった。向けられた銃口があまりにも鮮やかに脳裏に焼きついて――……〝十一年前の事件〟がよみがえってくる。 (……駄目だ、こんなんじゃ)  悠利に気づかれないように、快は震えの止められない手をぐっと握りしめる。  気づかれないように快がそっと吐き出したため息の直後、はあ、と深く吐いた悠利の息がほのかに白く残った。 「少し動けるか」  快が悠利にたずねた。 「……動くのはいいが、どこへ行くんだ」 「校舎の中。そのほうがまだあったかいだろ」 「勝手に入っていいのか」 「そんなこと言ってる場合かよ」  下手に小学校の敷地から外へ出て、この状態でユキムラに会ってしまう方がまずいことになる。  快は悠利の腕を引いて立ち上がらせた。  昇降口のドアはまだ空いていたので、そこから中へ入ると一番近くの教室に入って入口のドアや窓をしっかりと閉めた。  窓の下に隠れるようにして座り込み、壁に背を預けた。教室の中も冷えていたが、風がないので外よりはたいぶましに感じられる。 「なんで学校に移動したんだ?」  少し潜めた声で、隣に座る悠利にたずねた。 「さあ。移動する場所まではコントロールできないからな」 「え、そうなのか」 「誰かを連れての移動では無理だ」  知らなかった。  超能力のような力、と亮次から聞いていたので万能な力であるかのように思っていたが、そういうわけではないようだ。 「一人なら行きたいとこに行けるのか?」 「ごく短い距離なら……」  悠利が額に手を当てて息を吐いた。 「あ、悪い。話してるとキツいよな」 「いや、平気だ」 「平気じゃないだろ。いいからちょっと休んでろって」  快が言うと、悠利は少し肩の力を抜いて頭を下げた。  目の前に見える窓の外はすっかり暗くなっていた。同じ机とイスが整然と教室内で、快はふと天井近くの壁に設置された丸い時計を見た。 (もうすぐ六時半か)  時間にはまだ余裕がある。  だがここからどうしたら安全に車までたどり着けるのか、今のところ何も思い浮かばない。 「……懐かしいな」  ぽつりと、独り言のように悠利が言った。 「だな。教室なんて、大人になると滅多に入る機会ないしな」 「それもそうだが……昔も、こうしてお前と夜の学校に隠れたことがあった」  いつの間にか顔を上げていた悠利は、遠いものを見ているかのような目で前を見つめている。 「それって、今みたいに誰かに追われてってことか?」 「ああ」 「同じ学校だった、ってことだよな」 「小学校がな。だが名前で呼ばれたのは初めてだ」 「ああ、名字はどっちで呼んだらいいかわからねえからそうしたんだけど、名字のほうがよかったか」 「いや、いい」  悠利は短く答えた。  それにしても幼い頃から苦労していたんだなと快は思った。そんな悠利と一緒に隠れていたという幼い頃の自分は、彼の事情を知っていたのだろうか。  悠利が幼い頃の思い出を大切にしているのだろうと知るたびに、覚えていないことが申し訳なく思えて。  暗い中なので顔色まではよくわからないものの、悠利の体調はだいぶ戻ってきているようだった。 「なあ、聞いてもいいか。さっきのやつが言ってた〝箱〟ってのが何なのか」  ユキムラだけでなく、サングラスの男も〝箱〟と口にしていた。 「初音家の本家で守っていた〝箱〟のことだ」 「お前はその、本家の人なのか」 「ああ」 「中には何が入ってるんだ?」  たずねると、悠利は少し黙った。 「ああ、悪い。言えないなら無理に言わなくても」 「いや。俺も中を見たことはないが……初音家以外の人間が〝初音の力〟を手に入れる方法がわかるものが入っているらしい」 「初音の力って、お前みたいに空間移動ができたり、物を浮かせたりできるようになるってことか」 「そうだ」  なるほどと、快は納得した。  なぜ悠利がこれほどまでに執拗に追われているのか気になっていたが、狙われているのは彼ではなくその箱ということだ。  だが彼は、箱のありかは知らないと言っていた。 「その〝箱〟って、お前が持ってるのか」 「……行方不明だ」 「えっ」 「六年前、〝箱〟を狙う者に家が襲撃されて両親が殺されてから、わからなくなってしまった」  なんとなく気づいていたことだが、やはり彼の両親はすでに亡くなっていた。  しかも、殺されていた。  こんな場所で簡単に話していいことではないはずなのに、話の流れだったとはいえ言わせてしまった。 「悪い。ちょっと聞きすぎた」  だが悠利に気にしている様子はなかった。 「今のどこにお前が謝る必要がある」 「え、いや話したくないことまで言わせたかと」 「お前に聞かれたくないことは何もない」  彼は意外と思ったことを素直に口にする。しかも平然としているので、言われた快のほうが少し照れくさくなった。  だけどこんなにも自分のことを思ってくれている人がいるというのは、なんだかほっとする。  生徒はもちろん教師もほとんど校内に残っていないのか、人の気配はなく静かだった。  見つからないからといって、いつまでもここにいるわけにはいかない。 「ここから帰るには、やっぱ車しかないよな」 「そうだな」  近くにバス停などは見当たらなかったし、電車の駅まで歩くのは遠すぎる。 「なんか車のとこで待ち伏せされてそうなんだよな」  どこに行ったのかわからない人を追いかけるよりは、確実に戻ってくるだろう場所で待っている可能性が高い気がする。 「いれば俺が何とかする」 「なんでだよ。俺がいる意味ないだろ」 「帰りも運転してくれればそれでいい」 「それじゃただの運転手じゃねえか。ていうか俺が守ってもらってどうすんだよ」 「俺なら銃を何とかできるかもしれない」  地面に落ちたままの銃を、ユキムラはきっと拾っている。 「お前が持ってるその力って、他に何ができるんだ」 「空間移動と念動力だけだ」 「念動力?」 「手を触れずに物を動かすことだ」  それなら見たことがある。鍵を浮かせたり、石を飛ばしたりしていたあれがそうなのだろう。 「それで銃を何とかできるのかよ」 「わからないが、お前よりは対処できるはずだ」  それは確かに彼の言う通りだ。  だが彼の持つ力について、快には気になっていることがあった。 「なあ、その空間移動ってやつのことだけど、二回はできないとかって……」  ふと視線を感じて、はっと顔を前に向けた快は、ぞくっとした。  いつの間にか窓の外から覗いていた顔と目が合った。  ユキムラだ。  快はとっさに悠利を庇うように前に出たが、彼の顔はもう窓の外にはなくなっていた。 「見たか、今の」 「ああ」  どうする。見つかった以上は逃げるべきか。だけど、どこに行けばいい。  迷っている快と悠利が立ち上がるよりも前に、突然目の前にユキムラが現れた。 「見いつけた」  暗い教室に立ち、笑いかけてくるユキムラは窓を開けて入ってきたわけではなかった。もちろんドアも開いていない。  本当に突然現れた。  まるで悠利の力のように。 「……なぜお前が空間移動を」 「さあ。なんでだろうね」  ユキムラの手に銃はなかった。どこかに隠し持っているのかもしれないが、今の彼はそれに頼るつもりはないようだった。 「もちろんこんなこともできるよ」  そばにあった机とイスにユキムラが軽く触れると、そのまま宙に浮いた。彼の背ほどまで浮き上がったその机とイスは、いつでも快と悠利のほうへ向かってきそうに見えた。 「どうする悠利。箱のありかを言うかい? それとも命削る覚悟で俺に対抗する?」  え、と、思わず快は声が出た。 「それってどういう」 「あれ? 君、知らないんだ。初音の力を使うと寿命が縮むって」 「なっ……」  快は思わず悠利を振り返った。 「お前っ、なんでそんな大事なことを隠して」 「隠していたわけじゃない。それに、ただの言い伝えだ。本当だという証拠はない」  だが空間移動をしたあとの悠利は明らかに体調が悪くなっている。 「お前、もう絶対に力使うなよ」 「そういうわけには」 「いいから絶対に使うな」  体調が悪くなるというだけでも使わせたくなかったのに。  本当かどうかわからなくても寿命が縮む可能性があるのなら、なおさら使わせるわけにはいかない。 「いいの? そんなこと言って。力が使えない君にとって、悠利の力がないのはまずいんじゃないの?」 「命に関わるかもしれないって聞いて使わせるわけないだろ」 「そう。まあ悠利が箱のありかを言えばそれで解決するんだけどね」  ユキムラは、知らないという悠利の言葉をはなから信じるつもりはないらしい。 「……知らないものを教えることはできない」 「まだそれ言うんだ。いい根性してるね。本家の生き残りの君が知らなくて他に誰が知ってるっていうんだよ」 「どこにあるのかは知らない。六年前に家が襲撃されて以来、行方不明だ」  悠利が先ほど快に説明したのと同じようにユキムラにも伝える。  だが当然のように、彼は信じようとしない。 「どうしても口を割らないつもりだね。まあ初音家の本家の人間としては正しいと思うよ。だけど」  に、とユキムラが笑った。 「君のその冷静さを崩す弱点、丸わかりだよ」  その言葉が合図であるかのように、ユキムラが浮き上がらせていた机とイスが快と悠利へ目がけて飛んでくる。 「使うなよ悠利!」  叫んで、快はその両腕で飛んできた机とイスを受け止めた。  後ろの悠利に当たることは何とか避けたものの、右腕の骨に響くあたりに強く机が当たったせいで息が止まるほどの痛みが走り、思わず腕を抑えてうずくまる。 「快っ!」 「っ……大丈夫だからお前はそこにいろ」  めずらしく声を上げた悠利を見て、ユキムラが満足げに笑う。 「いいねえ、それだけ動揺したら力も上手くは使えないよね」  このまままともにユキムラと対峙しているのはまずい。  何とか隙を見て教室から出られないかと、快は前を向いたままでそっとドアに手を伸ばした。だが気づいたユキムラが、そのドアにイスを飛ばして激突させる。 「ここからは出さないよ。どうしてもっていうなら悠利に空間移動してもらえば?」  それだけは絶対にできないし、させない。  いちかばちか、快はそばに落ちた机をつかむと同時にユキムラへ向けて思い切り投げつけた。 「っ!」  突然のことに驚いたユキムラがのけぞっているうちに、快は悠利の腕をつかんで立ち上がるとドアを開けて廊下へ駆け出した。 「走って平気か」 「ああ」  悠利は多少無理をしているかもしれなかったが、全力で走る快にしっかりとついてきている。 「何者なんだ、あいつ」 「さあな。それより今空間移動をすれば確実に逃げられ」 「絶対だめだ。やりやがったらアパートの部屋追い出すからな」  昇降口の入り口はさすがに閉まっていた。  おそらく鍵も閉められている。昇降口の鍵を開けようなんて一度も考えたことがないのでわからないが、簡単に開けられる構造になっているだろうか。 「なあ。動揺すると上手く力が使えなくなるのか」 「そうだ」  つまり不意打ちに弱いということだ。  あれくらいのことで諦めるはずがない。ユキムラは必ず追って――。 「無駄だよ」  もう少しで昇降口のドアにたどり着くはずだったところで、ユキムラは目の前に現れた。  あと数センチで触れる距離で、彼は隠し持っていた銃を突きつけてくる。  だが近い距離に彼が移動して来てくれたことも、至近距離すぎてかえって銃がよく見えなかったことも快には好都合だった。 「君が悠利に力を使わせない限り逃げられ……っと!」  快は銃を持つユキムラの手をぐっとつかんで天井に向け、背後に回り込んだ。そしてそのがら空きの首筋に肘で一撃を食らわせると、低く呻いてその場に倒れ込んだ。  快は少し安堵した。彼は他の人たちと違って意識を失ったりしないのではと思ったが、さすがにそんなことはなかった。  手にはユキムラが離した銃が残ったが、その冷たく硬い感触に全身がぞっとしてすぐに離してしまい、ガツンと昇降口の床に落ちた。 「無茶をしすぎだ」  はっと見た悠利の顔は心配しているように見えた。  冷や汗が流れるような感覚を覚えた快の顔色は青ざめていたかもしれなかったが、夜の暗さに紛れて気づかれていないと信じて普段通りに振る舞った。 「二度目はたぶんこう上手くはいかないけどな。警戒されるだろうし」  初対面で、快のこの物騒な特技を知られていないからこそできたことだ。  目を覚ます前にここを離れなければと、快は昇降口の鍵を開けた。一方で悠利が銃を拾い上げていたのを見て、どきっとする。 「持ってくのか、それ」 「こんなところに置いたままにするわけにはいかないからな」  悠利がすぐに銃を服の下に隠したのは、これ以上、快の目に触れさせないようにするためだった。  昇降口から外へ出た快は夜空を見上げて息を吐いた。  もし〝事件〟の記憶さえも忘れていたのなら、銃に対してこんな恐怖心を抱くことはなかったのだろうかと、そんなことを思ってしまった。

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