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第2話 ④

 昼過ぎに出発したので、着いたのは夕方だった。  家よりも田畑のほうが目立つ田舎の町に、悠利が住んでいたというアパートは建っていた。 こんな綺麗な若い男性が住んでいるとは到底思えない代物だったが、だからこそ選んだのかもしれない。 「こんな所に住んでたんだな」 「一か月ほどだけだったが、なかなかいいところだった」 「へえ。中は綺麗なのか」 「いや」  悠利があっさりと否定する。 「入居が簡単だったんだ。しかも騒がしくても何も言われない。多少壊れても気づかれる心配がない」 「壊れたら言わなきゃだめだろ」  並べられた彼なりの〝いいところ〟の条件に、今までの苦労が透けて見えた気がした。  彼を狙ってやってくる人たちに散々迷惑をかけられてきたのだろう。  郵便受けの並ぶ壁のそばにある階段を上がっていく。カンカンという音に混じってぎしぎしと鳴っていたのは、金属製であるにも関わらず今にも折れそうなほど錆びついているせいだろう。  二階建ての二階、一番奥の角部屋が悠利の部屋だった。  鍵一本でドアが開いた。防犯面を心配してしまうほど、構造があまりにも簡素だった。  ぎい、と悠利がドアを開けた。  部屋の中は薄暗く、冷たかった。小さな玄関に靴は一足も置かれていない。  悠利が部屋の電気をつけた。 「なんか、何もない部屋だな」  言いながら、快は廊下に置かれた小さな冷蔵庫に手を乗せた。田舎に建っているせいか、1Kの畳の部屋は一人では持て余してしまいそうなほどに広かったが、その分あまりにも殺風景だった。  その中で、部屋の隅に積まれた数冊の本が妙に目立っている。 「家電は全て元々あったものだ」 「えっ、じゃあほんとにお前のものなんか何もないんじゃ」 「引っ越すときに面倒だからな」  悠利が押入れを開けた。  そこには衣装ケースが一つ入っていて、中の服はきっちりと畳まれた状態で収まっている。  もう一つ入っていたのは小さな三段の引き出しだった。一番上には鍵穴がついていたが、何気なく手をかけてみると簡単に開いてしまった。  中にはその辺の文具店に売っていそうなプラスチック製の印鑑ケースが入っていた。 「なあ、なんか印鑑入ってるけど。これも持ってくのか?」  衣装ケースから必要な服だけを紙袋に詰めていた悠利が振り返った。 「何を勝手に開けている」 「あ、悪い。鍵が開いてたからつい」 「開いてた?」  悠利は一瞬だけ眉間にしわを寄せたが、すぐに思い出したように、ああ、と呟いた。 「亮次さんがここへ来たときに荷物の整理をしたんだが、そのときに乗り込んできたやつがいてな。たぶんそのせいだ」 「亮次さん、ここに来たことあるのか」 「事務所に来るよう説得しにな」 「ああ、そうか」  その説得に応じたから、今、悠利は快の部屋に住んでいる。 「けど良かったな、盗られてなくて。大事なものなんだろ?」 「それは認め印だ。大したものじゃない」 「認め印?」  なんで認め印を鍵付きの引き出しに入れたのかという疑問は、印鑑ケースを開けたところですぐに解決した。  初音の印鑑だからだ。 「あのさ、聞いてもいいか? なんでお前が初音って名字を隠してるのか」  事務所にいることになった悠利を守ることになったが、彼が狙われている理由を快はいまだによく知らない。  知らなくても守ることはできる。だから悠利が自ら話すまでは別に聞かなくてもいいと思っていた。  けど、やはり気になる。 「初音家は、俺のように人とは違う力を持つ人間が生まれてくる家系だ。だから初音を名乗ると力を持っていることがわかってしまう」 「俺はわからねえけど」 「わかるのは一部の人間だ。それも、裏のな」  つまり悠利を狙っているのは、裏社会の人間ということだ。 (……思ってたより厄介だな)  つい、快は思った。  裏社会の人間となるとどんな手段を使ってくるかも、どんな武器を持っているかもわからない。  印鑑を引き出しに戻そうとしたが、中にはまだ物が入っていた。 「ミニカー?」  引っ張り出してみると、パトカーのミニカーだった。 「おい。あまり勝手に触るな。そこはあとでやる」 「ああ、うん」  鍵付きの引き出しにミニカーなんて、なんだか意外に思いながらも一度引き出しの中に戻そうとしたとき、奥に二つ折りにされた白い紙が入っていることに気づいた。 (ん? なんか、快って書いてあるような……)  開きかかった紙の隅に自分の名前が書いてあるような気がして、つい出して開いてしまった。  メモ用紙のようなその紙は、手紙だった。  おれのたからものやるからもう泣くなよ  快  明らかに幼い子供の文字でそう書かれていた。 (快って、もしかして俺?) 「! お前、勝手に触るなと何度も」 「わっ、悪い悪い! つい……なあ、これって俺が書いたのか?」  快が、手紙を悠利に見せた。 「……そこに書いてあるとおりだ」  つまり快が書いたものということだ。  大切なもの、というのは、きっとこのミニカーのことだ。そう思ったのは同じ引き出しに入っていたからだけでなく、パトカーのミニカーだったからだ。 (パトカー、か)  大切にしていたその理由を快は覚えていないけれど、想像はついた。自分は幼い頃から刑事だった父親に憧れていたと、亮次から聞いていた。  快が両親について残っているのは〝十一年前の事件〟当日の記憶だけだ。それ以前の記憶は、両親のことも含めて全て失くしてしまった。 「お前は手伝いにきたんじゃないのか」 「運転手兼ボディガードで来たんだよ。なあ、お前が泣いてたってここに書いてあるけど」 「なぜ余計なことを書く」 「いや知らないって。覚えてねえし。でもこうやって取っておいてくれてるってことは、仲が良かったってことなんだよな」 「さあな。自分で思い出せ」 「だから思い出せねえんだって」  ピンポーン、と。  昔ながらのチャイムの音が部屋に響いた。 「なんだ? 誰かと会う約束でもしてたのか」 「ここの住所は誰にも教えていない」 「誰にもって、元の職場の人とか」 「履歴書は適当な住所を書いた」 「おいおい、よく採用されたな。名前も偽名だったんだろ」 「アルバイトだからな」  もう一度チャイムが鳴った。  訪問販売や勧誘かもしれないが、彼を狙っているやつが外に止めてある車を見て訪ねてきたとも限らない。 「ちょっとここで待ってろ」  快は立ち上がると玄関へ向かった。  すると悠利も後ろからついてくる。 「だから待ってろって」 「もし知り合いなら俺が確認しないとわからないだろう」 「ドア開けたときに奥の部屋から見ればいいだろ。だいたいお前、誰にも住所教えてないって」 「いきなり開けるな。先に確認してからだ」  言われて、快は鍵を開ける前にドアスコープから外をのぞいた。 「……なんかサングラスかけた男が立ってるけど」 「サングラス?」  今度が悠利がドアの外をのぞく。 「……知らない顔だ」 「サングラスしてるのにわかるのか」 「ああ」  悠利がドアから離れたときだった。  ドン、と激しくドアを蹴ったような音に、快はとっさに悠利を背にかばった。 「いるのはわかってんだ! 開けねえならこのドアぶっ壊すぞ!」  怒鳴り声はドア一枚を隔てていても大きく耳に響いた。 「どうすんだよ」 「ドアを壊されるとさすがに修理代を請求される」 「そりゃ確かに困るけど、そういう問題じゃないだろ」  男は外からガンガンとドアを蹴り続けているようで、このままでは開けることもできない。 「待て。今開ける」  それほど大きくはなかった悠利の声がしっかりと聞こえたようで、ドアを蹴る音がぴたりと止んだ。 「部屋に戻っていてくれ」  悠利がドアの鍵を開けようと伸ばした手を、快がつかんで止めた。 「俺が開ける。お前は部屋に隠れてろ」  だが彼は部屋に戻ろうとしない。 「おい、隠れてろって」 「お前を置いてか」 「は? いやだって狙われてんのはお前なんだから」 「それはできない」 「なんでだよ」 「どうしてもというなら俺が開ける」 「はあっ? だからなんでっ……」 「おい! 開ける気ねえのか!」  ガアンッ、と先ほどまで以上に激しくドアが蹴り飛ばされた。  このままだと薄いドアに穴が開きそうなので、快は仕方なく鍵を開けてドアノブに手をかけた。  開いた先にいたサングラスの男は、快を見て眉間にしわを寄せた。 「あ? 誰だお前。ここには初音悠利って男が住んでるんじゃねえのか」 「何かご用ですか」 「だからお前じゃねえって……後ろのやつがそうだな」  隠れているわけでもなく、ただ快の後ろにいただけの悠利を見つけた男が威圧的に告げてくる。 「そこをどけ」 「そんな言い方されたらどけませんね。話ならそこでもできるんじゃないですか」  無理にでも押しのけるべきか、男は少し悩んだようだった。だがそれをすることなくたずねてくる。 「箱はどこだ」 「箱?」  快が思わず聞き返した。 「初音の箱のことだ」 「俺は知らない」  後ろで悠利がきっぱりと言った。 「嘘つくな。初音悠利、お前なら知ってるはずだろ」 「嘘など言っていない」 「とぼけるなよ。さっさと箱のありかを言えって言ってんだ」 「だから知らないと言っている」  会話は平行線のままで交わる気配がない。  悠利が本当に知らないのか嘘をついているのかはわからないが、目の前の男は、知らない、では納得しそうにない。 「どうしても言わねえつもりか」 「知らないって言ってんだからそれ以上どうしようもないだろ」  見かねて快が会話に割り込んだ。  いらつき始めていた男が、サングラスの奥から快をにらみつけてくる。 「邪魔するならどきやがれ」 「だからどけねえって」 「どかねえと後悔するぞ」  上着の内側に手を入れた男が出したのは銃だった。  その銃口を向けられた途端、快はどくんと心臓が跳ね上がって動けなくなった。 恐怖を感じるよりも先に押し寄せてくる〝事件〟の記憶に支配されそうになった快の前に、飛び込んできたのは悠利の背中。 「! 悠利っ……」 「痛ってぇ!」  はっとして叫ぶと同時に聞こえた、男の叫び声。  見ればいつの間にか男の背後に立っていた人物が、男の銃を持つ手をひねり上げていた。  そのまま銃を奪って男に向けたのは、黒いニット帽を被った男だった。 「困るんだよね。その人に銃なんて向けられたら」 「て、てめぇ」 「早く去りなよ。じゃないと撃つよ」  軽いのに容赦のないニット帽の男の物言いに、男は悔しげに舌打ちしながらも立ち去っていく。 「やあ、こんにちは。君、初音悠利だよね。後ろにいるのは誰かな。ま、いいや誰でも」  銃を下ろして振り返ってきたニット帽の男がにこりと笑いかけてきた。人当たりの良さそうな若い男だった。 「俺、ユキムラって言うんだけど、箱の場所を教えてほしくて来たんだよね」 「俺は知らない」  先ほどのサングラスの男と同じ目的できたらしい目の前の男に対しても、悠利の返事は変わらない。 「それじゃあ困るなぁ。あの人が知りたがってるから、どうしても聞いて帰らないと」 「知らないものは知らない。知りたければ他を当たれ」 「君以外に知ってそうな人なんかいないでしょ」 「なら自分で探せばいい。何度も言うが俺は知らない」 「ふうん、そう。ねえ、君がそんな風に庇ってるってことは、後ろの彼はきっと大事な人なんだよね」  ユキムラと名乗った男が、先ほどの男から奪った銃をこちらへ向けてくる。 「けど君がどんなに庇おうと、俺は確実に君じゃなく後ろの彼に当てられるよ。……試してみる?」  本当にためらいなくその引き金を引いてしまいそうな目に、快はまた身がすくみそうになる。 (っ……だめだ、思い出すな!)  ぐ、と堪えるように歯噛みして、前にいる悠利の腕をつかんだ快は自分の後ろへと引っ張った。  同時に銃を持っているユキムラの手を蹴り飛ばすと、銃は彼の手から離れて手すりを越え、下の地面に落ちて音を立てた。  一度は銃を目で追ったユキムラだったが、焦ることも慌てることもなくただ快の方へ顔を向けて、笑った。 「へえ、なかなかやるなあ。榎本快」  名指しされて、ぞくりとした。  直後、悠利が思いきり快の腕をつかんだと同時に、部屋から二人の姿が消えた。  一人残されたユキムラは驚いた顔をすることなく呟いた。 「知ってるんだよね、俺。空間移動じゃ遠くへは行けないって」

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