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第5話 ④

 いつもは運転席に乗っている車に、快は悠利と並んで後部座席に座っていた。  運転しているのは亮次だ。 「後ろの座席に乗るって、なんか不思議な感じがするな」 「そうか? 俺はお前らを乗せて運転してんのが不思議な感じだがな」  普段、一台しかない車は快が使っているので、亮次が運転しているところを見るのは久しぶりだ。  雑な生活態度とは裏腹に、彼は相変わらず丁寧な運転をしている。  三人の乗る車が向かったのは信用金庫の本店だった。  相変わらず午前十時半頃に起きる生活習慣は、深夜の仕事がなくても変わらず、アパートを出たのも昼を過ぎてからだったせいで、着いたのは信用金庫の営業が終わる直前の時間だった。  目的は、箱が入っているという貸金庫を開けるためだ。 「じゃ、お前ら行って来い」  窓口で手続きを終えると、亮次が言った。 「え、亮次さんは」 「俺は元々貸金庫に入るための登録がされてるわけじゃねえからな」 「そんなの俺もされてないけど」  ここにいる三人の中で貸金庫を開けられる者として銀行に登録されているのは悠利だけだ。 「お前はいいんだよ、一緒に行ってやれば。なあ悠利」 「俺は亮次さんにも来てもらって構わないんですが」 「あんまり多くの人間が見ねえほうがいいだろ。ついでに外で見張っといてやるから安心して行ってきな。ほら」  亮次が持っていた小さな黒い鞄を悠利に差し出した。 「こいつはお前の父親がうちの事務所に忘れてったもんだ。ずいぶんかかっちまったが、確かに返したぜ」 「……ありがとうございます」  鞄を受け取った悠利と快は、職員の案内で銀行の奥へと入っていく。  廊下を進んだ先に、貸金庫室、と書かれた三つのドアがあった。そのうちの一つを職員が開けると、小さな個室にイスが一つ。机の上にはタッチパネル式の機械が置かれている。 「こちらのタッチパネルを操作して取り出していただく形となります」 「わかりました」  悠利が頷く。 「では必要であれば中から鍵をおかけください。何かありましたらそちらの受話器から呼び出していただければ伺いますので」  軽く頭を下げて、職員が部屋をあとにする。  ドアが閉まると、すかさず快が鍵をかけた。  悠利はイスに座ると、タッチパネルを操作し始めた。 「なるほど。自分の貸金庫の番号と暗証番号を入力するんだな」 「ああ。これだな」  貸金庫の鍵についている札の番号を悠利が入力する。 「暗証番号はわかるのか」 「この鞄の中に書類が入っているはずだと亮次さんが言っていたが」  悠利が黒い鞄を開けた。そこには手帳のような小さなノートと、二つ折りの財布が入っていた。  財布を開いた中にはお金が残されていた。カード入れにもいくつかのカードが入ったままになっていて、悠利が引っ張り出した一枚は免許証だった。  悠利の父は、怒っているとも誤解されそうな厳格な顔で小さな四角の中におさまっている。 「こんな大事なもんを忘れてったんだな」  おそらく会ったことがあるのだろう悠利の父のことは、写真を見ても思い出せない。だが写真に写っている姿からは、財布や大事な鍵の入っている鞄を忘れるようには到底見えなくて、思わず快が言った。 「意外と抜けているところのある人だったからな」  悠利が免許証を元の場所にしまって財布を閉じた。そして今度は手帳を開くと、中には一枚の紙が挟み込まれている。 「これか」  紙は、貸金庫を契約したときの書類だった。そこには当時パスワードとして設定した英数字の羅列も書かれている。  入力して決定を押すと、部屋の中とは違うところで機械の動き出す音がする。 「合ってたみたいだな」 「……大事な書類をこんな無造作に」  悠利が呆れたように顔をしかめた。  たしかに貸金庫の鍵にしても書類にしても管理が甘いようには感じられるが、ずっとそうだったとは限らないと快は思う。 「もう箱を廃棄するって決めてたからだろ。亮次さんやお前に話そうと思ってたから持ち歩いてただけで、普段はちゃんと別で管理してたんだよ。きっと」  そうでなければ箱を守り続けることなどできなかったはずだ。 「お前は相変わらずだな」 「そうか? って、ほめてんのか。それ」 「ああ。一応な」  一応、という言葉が少し引っかかったが、話しているうちにタッチパネルの機械からピコンと音が鳴った。  貸金庫が届いたらしく、取り出し、というボタンが画面に表示されている。  悠利がそのボタンを押すのを、快は少し緊張しながら見ていた。  机の下の引き出しが、ゆっくりと開いた。中に入っていたのは、木製の長方形の箱だった。使われている木は上質なもののようだったが、古びてすっかり変色してしまっている。  悠利はそれを取り出して机の上に置くと、なぜか振り返ってくる。 「快、開けるか」 「なんでだよ。どう考えたって開けるのはお前だろ」  しかしそれでも躊躇している悠利はめずらしく緊張しているようだった。  本来ならば本家の主しか開けることのできない箱。  そのふたに悠利が手を添えた。ゆっくりと開いた箱の中に入っていたのは紐で閉じられた ノートのような冊子が一冊と、一本の巻物。そして小さな皮の巾着袋だった。 「なんか、かなり年代物って感じだな」 「代々伝わってきたものだからな」  悠利が巻物に手を伸ばすと、閉じていた紐を外してするすると開いていく。そこにずらりと書かれている初音家一族の名前の多さに、快は思わず、うわ、と声を上げる。 「すごい人数だな。もしかしてこれ、全員お前みたいな力を持ってるのか?」  快はざっと目で追ってみたが、悠利と朋希、そして婿養子として初音家に入っている誠二郎の名前しか知っている名前が見当たらない。  悠利の両親の名前にも見覚えがなかった。元々知らないのか、忘れてしまっているのか。今の快にはわかりようがない。 「いや。力を持つ人間はほんの一部だと聞いている」  悠利は一緒に入っていた冊子に手を伸ばした。開くと、墨で書かれた文字が古い和紙のページを埋めつくしている。 「すごいな。いつ書かれたものなんだ」  横からのぞき込んだ快だったが、読めるようで読めない崩された文字がつらつらと並んでいて、二ページ目の終わりまでを目で追ったころにはすっかり気力がなくなってしまった。  一方の悠利は静かに本を見つめている。 「読めるのか」 「わかる文字もあるが、何が書いてあるのかは正直よくわからないな」  それでも一応最後まで目を通して、悠利は冊子を閉じた。そして家系図の巻物とともに箱の中へしまい直す。 「これはどうするんだ」  残った革の巾着袋を指差して快が言った。 「一応中を確認しておくか」  悠利は巾着袋を手に取って、そっと開いた。そして中をのぞくとすぐに紐の両端を引っ張って袋の入口を閉じる。 「中身入ってたか」 「ああ。ビニールの袋に入った茶色っぽい粉が入っていた。見るか」 「や、いいよ。見たところで木乃伊かどうかなんてわからねえし」 「そうか」  悠利は巾着袋を箱に戻すと、蓋を閉じた。 「で、どうするんだそれ。とりあえず貸金庫に戻しとくか?」 「いや。すぐにでも処分する」  悠利は迷いなく言って、持ってきた手提げのカバンに箱を入れた。そしてしっかりとファスナーを閉じる。 「できれば本家で」 「本家?」 「いや、どこでもいいんだが……父なら、たぶんそうしたのではと思ったんだ」  初音家のことは初音家の敷地内で。真面目で厳格だった悠利の父なら、きっとそう考えたのではないだろうか。 「じゃ、行くか。本家」  ずっと会わずにいた父の気持ちを思いやって行動しようとしているのなら、なるべく言うとおりにさせてあげたい。  だが悠利は思いのほか複雑な顔をした。 「自分で言っておいてなんだが、これを持って本家へ行くのは危険な気も」 「その箱持ってる時点で危険なんだから、どこ行ったって同じだろ。とりあえず本家に向かってみて、やばそうだったらまた考えようぜ」 「前向きだな」 「そうか?」 「ああ。安心する」  悠利がカバンを持って立ち上がった。  ドアを開けると、廊下では亮次が待っていた。 「確認できたか」 「うん、とりあえずな」  快が言うと同時に、悠利が持っていたカバンを小さく上げた。その仕草で、亮次は中に箱が入っていることをすぐに理解したようだった。 「じゃ、車に戻るか。詳しいことはあとで」  薄暗い廊下を、誰かが歩いてくることに気づいた。  窓口のあるほうからだった。スーツ姿のその男はどう見ても信用金庫の職員なのに、箱がこの場にあるせいかどうにも怪しく思えてくる。 「亮次さん、もし裏口から出られそうならそのほうが」  快の潜めた声が聞こえたはずはないのに、突然スーツ姿の男が駆け出してくる。  そして目の前で振りかざしてきた男の右腕を、亮次がつかんで止めた。その手にはナイフのような刃物が握られている。 「亮次さん!」 「いいから行け!」  一瞬、迷った。  二人がかりなら目の前の男を倒すことなどたやすい気もしたが、今はたとえ少しの間でも悠利のそばを離れられない。  ほんのわずかでも隙を見せるわけにはいかない。 「早く!」  亮次の声に押されるように、快は悠利の手をつかんで裏口へと駆け出していく。  だが階段を見つけて、快が突然立ち止まった。 「待った。こっちだ」  明らかに客が上るためのものではない階段だった。 「上に行くのか」 「裏口で待ち伏せてるかもしれないからな。いきなり出るのはまずいだろ」  迷わず階段を上がっていく快に、悠利も続いた。

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