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第5話 ⑥

 建物の二階部分は、明らかに職員のためのスペースとなっていた。そしてさらに上へと続く階段には、立ち入り禁止のロープが張られている。 「こっちが屋上か?」  快はひょいとロープをまたいだ。 「いいのか、勝手に」 「緊急事態だしな」  階段を上がった先に屋上へと出るためのドアがあった。快はドアノブを握って回すと、ぐっとドアを押した。 「お、開いた」  ただコンクリートの床が広がるだけの、フェンスすらないこの場所には冷えた風が絶えず吹き抜けている。  快が、下の様子をのぞいた。 「やっぱり車のところで張ってるな」 「何人だ」 「見たところ一人だな」  快たちが乗ってきた車の周辺をうろついている男の他に、怪しそうな人影はない。 「どうする? 車は置いてここを離れるか。それとも」  ふと隣に顔を向けると、悠利がじっと下にいる男を見つめている。 「どうかしたのか?」 「……あの男、どこかで見覚えのある気が」 「知り合いか」 「知り合い……」  悠利は少し悩むように黙り込んだが、結局答えは出てこなかったらしい。先ほど快がたずねた問いに答えた。 「さらに追っ手が来るかもしれないことを考えれば、車はあるにこしたことはないと思うが」 「だよな。じゃあとりあえず」  落下防止のフェンス代わりか、申し訳程度に一段高くなっている部分に快が足をのせる。 「まさか飛び移るつもりか」 「飛び移るってほどの距離じゃないだろ」  同じく二階建ての隣の建物とは、片足で軽く踏み切れば届く程度の距離だ。  ひょいと、快が隣の建物の屋上に飛び移る。そして足元に落ちていたコンクリート片のようなものを拾うと、下へと軽く放った。 「! おいっ……」 「悠利」  快が、悠利のほうへ手を差し出した。悠利は下にいた男の様子を気にしながらもその手をつかんで、隣の建物へと飛び移る。  下にいた男もそれを見ていた。屋上からコンクリート片が落ちてきたことに気づいて見上げたからだ。 「車のところにいた男がこっちへ来るぞ」 「やっぱり一人だけだよな」  たずねられて、悠利が再び下をのぞく。 「ああ。他には見当たらない」  男が車を離れて走っていく。おそらくこの建物に向かってきているのだろう。  その姿が二人の視界から外れて見えなくなったとき。 「よし、戻るぞ。急がないと逆にまずいことになる」 「……なるほど。そういうことか」  男がこちらへ向かってきているうちに、車へ乗り込もうという算段だ。  快と悠利は元いた信用金庫の屋上へ戻ると、階段を駆け下りた。そして裏口から外へ出ると、車の止めてある駐車場へ向かう。 「誰もいねえな」 「ああ」  二人は車に乗り込んだ。快はすぐにエンジンをかけて発進させる。 「どこへ向かうんだ」 「え、本家に行くんだろ」  たずねた悠利に、快が当たり前のように答えた。 「先回りされていたらどうする」 「ありえるけどな。とりあえず行ってみて車の中から様子を……見ようと思ってたけど、それどころじゃねえな」  快がバックミラーを見た。  先ほどの交差点からずっと同じ車がついてきているのは、どうやら思い違いではないようだ。 「ちょっとスピード上げるぞ」  ぐっとアクセルを踏み込んだ。急にスピードを上げた快たちの車にきっちりついてきた後ろの車の運転手は、どうやら先ほどの男のようだった。 「力を持っている人間かもしれない」  バックミラー越しに後ろの車の男を見て、悠利が言った。 「誰かわかったのか」 「いや。だが見覚えがあるということは親戚かもしれない」  目の前の信号が黄色に変わった。  止まろうと速度を落とした快に、すかさず悠利が言う。 「なるべく止まるな。今止まるとまずい」 「なっ、んなこと言われたってっ……!」  とっさにアクセルを踏んだ車は、赤に変わったばかりの信号機を通過した。すると後ろの車 も、赤信号だったにも関わらず躊躇なく追いかけてくる。  快はなるべく信号のない道を選んで走った。すると本家への道からは外れ、山のほうへと向かって行ってしまう。  このままずっと走り続けているわけにはいかない。 「出るか」  悠利が伸ばした手を、快がつかんだ。片手でハンドルを操作し、前を向いたままで言う。 「荒っぽいことしてもいいか」 「どうするつもりだ」 「後ろの車にこの車をぶつける」  車は山道へ差しかかっていた。急なカーブが多くなり、曲がるたびに乗っている体が揺れる。 「そんなことをするのなら俺が」 「いや。俺に任せてくれ」  正直、うまくいくとは言い切れない。  それでも。 「どうしようもなくなったら頼るかもしれねえけど、今は」  できる限り、彼の力に頼ることはしたくない。  そんな決意にも似た快の思いは、隣でその横顔を見つめる悠利にもはっきりと伝わっていた。 「わかった」  彼が箱の入ったカバンを抱えて頷いた。  快は後方を見た。目の前に迫る曲道、その先に車がいなければ――……。  急カーブの先が見えたところで決断した。 「行くぞっ」  ブレーキを踏んだ車のタイヤがキキィッと甲高い音を立てて急停止すると同時に、快はバックにギアを入れた。  そして思いきりアクセルを踏み込む。  車のトランク部分が追いかけてきていた後ろの車に当たった瞬間、想像以上の激しい衝撃が襲った。  だが快はアクセルを離さなかった。    二台がガードレールにぶつかって止まったところで、快は半ば叫ぶように言った。 「降りるぞ!」  快と悠利はそれぞれ車を降りた。後ろの車の運転席のドアはに、快たちの乗っていた車の後方部分が当たっていて開かなくなっていた。助手席側のドアもガードレールに塞がれていて、今のところ中にいる男が追掛けてくる気配はない。  道路の向かいには一か所だけガードレールの途切れている場所があり、車一台が通るのもやっとな細い道が続いている。  どこへ向かうかもわからないその道に、二人は躊躇なく駆け込んだ。周囲は木々に囲まれているだけだった。どこへ向かっているのかはわからない。ただ、下っていることだけは確かだ。  後ろから追いかけてくる様子はなかったが、いつ先ほどの男が追い付いてくるかもわからない。  二人は狭い道路を外れて、木々が生い茂っている林の中へと入った。普段なら人が入ることはないだろうその場所は、足場が悪く、同じ景色ばかりでどこを歩いているのかわからなくなりそうだった。 「このまま下ってったら知ってる道に出るよな。亮次さんとも連絡取らないと」 「快」  少し後ろを歩く悠利が、快を呼んだ。 「箱の中身、処分しよう」  快が立ち止まって振り返った。 「今か?」 「この状況ではこのまま持ち帰るのも、本家へ向かうのも難しいだろう。それならすぐにでも処分してしまったほうがいい」  悠利はその場にしゃがみ込むと、カバンから箱を出して開いた。  そして快を見上げる。 「ライターを貸してくれないか」  ためらいなく言う悠利に、快もその場に座り込むとポケットからライターを出した。 「本当にいいんだな」 「ああ」  悠利がライターを受け取った。  土と枯れ葉の冷たい地面に、悠利は箱の中に入っていた冊子と家系図を置いた。そこに小さく灯したライターの火を近づけるのを、快は静かに見つめていた。  火はすぐに燃え移った。日が傾き始めている上に、周囲も空も木に囲まれて薄暗い中で、炎はひときわ明るく冊子と家系図を燃やしていく。 「煙がのぼっているな」  ぽつりと悠利は言った。 「そんなに目立たねえだろ。それより外の箱は燃やさないのか」 「ああ、一応な。こんなものを見つけた」  悠利が箱の蓋の裏側を快に見せた。そこには墨で書かれた文字が敷き詰まっていた。  全て初音の姓を持つ名前だった。その中には、本人の字と思われる悠利の父と伯母の名前も書かれている。 「歴代の箱を受け継いだ者の名が書かれているらしい。伯母が受け継いでいたのは知らなかったが」  誠二郎の妻であり、悠利の父の姉である伯母の名前は、悠利の父の名の前に書かれている。悠利の父が箱を受け継ぐ前に、少しの間伯母が管理していた期間があったらしい。 「一応、残しておくべきかと思ってな」 「そっか。巾着の中身はどうするんだ? 燃やさないのか?」 「燃やしてもいいと思うか」 「お前がいいなら俺は別に」 「燃やすとその煙や灰が周りに影響を起こしそうだと思ったんだが」 「ああ……なるほどな」  巾着の中の粉が木乃伊なのか今の時点では確認のしようがないが、この粉が初音家が不思議な力を得る要因となったものなら、たしかに安易に燃やさない方がいいような気がする。 「いつになく無茶な行動をしていたな」  燃えるものがなくなり小さくなっていく火を見つめて、悠利が言う。 「うん、そうかもな。わるい、巻き込んで」 「そもそも巻き込んでいるのは俺のほうだ」 「別にそうは思ってねえけど、まぁでもよかったよ」 「何がだ」  怪訝な顔をした悠利に、快が笑う。 「変な力を使わなくても何とかなるってわかってさ」 「何とかなっていたのか」 「なっただろ。捕まらずに逃げてこれたし」 「ぎりぎりだな」 「まあな。ぎりぎりだったけどな」  冊子と家系図を燃やし尽くし、そばにあった枯れ葉を一部焼いたところで、ひゅっと吹いた風にあおられて火は消えた。  黒い灰がぱらぱらと舞っていく。そこに書いてあった文字を知ることはもう二度とできない。 「行くか」  悠利が立ち上がった。 「ああ。そういや亮次さんはどうしたんだろ」  携帯電話の画面を確認した快は、げ、と思わずうなった。 「五回も着信が着てる」 「気づかなかったのか」 「着信音消してたんだよ」  快が電話をかけ直すと、亮次はすぐに出た。 『おう、快。二人とも無事か』 「無事だよ。車は無事じゃないけどな」 『まじか。まあお前らが無事ならいいや。で、どこにいるんだ』 「あー……どこって言えばいいんだ。なあ、ここどこだ」 「さあな」  辺りを見回して見ても、目印どころか木が生えている以外には何も見当たらない。 「そういや、箱は燃やして処分したけど……って、言ってよかったよな」  話してしまってから確認した快に、悠利が頷く。 『そうか。悠利がそうするって言ったんだな』 「ああ、もちろん。けど巾着袋に入ってた木乃伊の粉かもしれないってやつの処分に困ってさ」 『そっちは燃やさなかったのか』 「燃やしたら煙とか灰とかから影響が出そうだからって」 『あー、なるほどな……え? ああ、巾着袋の中身の話だ』  亮次が、明らかに快ではない誰かに対して言葉を返している。 『快。そいつの処分ならいい方法があるって言ってんだが、とにかく一度落ち合わねえか』 「それはいいけど、誰と話してるんだ?」 『ああ。誠二郎さんがな』 「え」  思わず短く声を上げた快の隣で、携帯電話の向こうからの声が聞こえていた悠利も顔をしかめる。 「誠二郎さんって、なんでそんなことになってんだ? ていうか大丈夫なのかよ」 『ん? ああ、平気平気』 「本当かよ」 『心配すんなって。それよりどうする。事務所……はまずいな。実華子の家でどうだ。あいつ、今店に出てていねえはずだからちょうどいいだろ』 「わかった。けど時間かかるかも」 『遠いのか?』 「や、遠いかどうかはわからねえけど、車がないから」 『そういやそんなこと言ってたな。ま、なんかあったら電話してくれりゃ迎えに行くから』 「わかった」  電話を切った快は、悠利のほうを向いた。 「聞こえてたか?」 「大体な」 「なんかよくわからねえけど、亮次さん、今誠二郎さんと一緒にいるらしいんだ」  おそらく実華子の家にも一緒に来るだろう。  亮次は心配するなと言っていたが本当に大丈夫なのかと、そんな快の不安を見透かしたように悠利が言う。 「あの人に対しての俺の印象は、そんなに悪くない」 「そうなのか?」 「仕事に真面目で、優しく穏やかな人というイメージだったからな。むしろ亮次さんに怪我を負わせたことに驚いたくらいだ」  悠利の言うその姿が、誠二郎の本質なのかもしれない。そんな誠二郎に慮時を攻撃させたのは、箱の中身と六年前の事件だ。 「そっか。お前がそう言うなら大丈夫そうだな」  どちらにしても待ち合わせている場所へ向かわないわけにはいかない。  まずは知っている道へ出ることを目指して、快と悠利は道なき道を下っていく。  木々に囲まれた林のような場所から道路へ出て、道なりに進むとすぐに見覚えのある景色に出た。  実華子の家まではそれほど距離があるわけではなかったが、それでも三十分以上は歩いてたどり着くと、亮次はすでに着いていた。 「快、悠利」  門の前で亮次が手を振っている。 「二人とも無事みてえだな」 「亮次さんこそ」 「ま、こいつのおかげでな」  亮次が後ろにいる誠二郎を親指で差した。 「悠利君」  悠利に呼びかけた誠二郎の声は、彼が言っていたとおり穏やかなものだった。 「巾着の中に入っていたものは処分しなかったと言っていたね。他はもう燃やしたのかい?」 「はい。すみません勝手に」 「いや、いいんだよ。私もそうしようと思っていたからね。それより巾着のことだが、本家に箱を処分するために使うはずだった場所があるんだ。処分に困っているのならそこを使うといい」  誠二郎に、悠利の持っている巾着袋を奪おうとか、そういう気のないことは隣で見ている快にもわかった。  ユキムラを使って快や悠利を襲ったり、亮次と実華子を攻撃してまで箱を手に入れようとしていた人とは到底思えない。  悠利も同じ疑問を抱いていたようだった。 「箱を処分したあと、あなたが何をしようとしていたのかをユキムラから聞きましたが」  探るように悠利がたずねた。  すると誠二郎が、ああ、と軽く頷く。 「私たち初音家の人間が皆いなくなれば全てを終わらせられると考えていた話のことだろう?」 「そんなこと考えてたのかよ、お前」  呆れた顔で亮次が誠二郎を振り返る。 「考えていたよ。だって事実だからね。正直に言うと、そのほうがいいんじゃないかと思う気持ちが完全になくなったわけじゃないんだが……ユキムラ君に説得されてね。そのユキムラ君を説得したのは君だそうだね。快君」 「俺は別に、大したことは」  自分の言いたいことをそのまま言っただけだ。  だが、一緒に生きることを考えてみるとユキムラは言っていた。その言葉通りに考えた結果、彼はどうやら生きることを選ぼうとしてくれている。 「誠二郎さん。これを」  悠利がバッグから空になった箱を出した。 「箱は処分したんじゃなかったのかね」 「外の箱だけはまだ処分しませんでした。この内側に、父と伯母が名前を書いていることをご存知でしたか」 「詩織が?」  誠二郎が目を見張った。 「いや、知らなかったよ。だから箱は処分しなかったんだね」 「ただ名前が書いてあるだけですが、伯母が書いた文字を誠二郎さんに見せずに燃やしてしまうのはと思ったんです。ご覧になりますか」  箱を差し出した悠利に、誠二郎が小さく笑った。 「……ああ。ありがとう」  誠二郎が空の箱を受け取ろうとした、そのときだった。 「誠二郎さん!」  響いた声は、ここにはいないはずのユキムラのものだった。突然誠二郎の背後に現れたユキムラの前には、なぜか先ほどまではいなかったはずの朋希が立っていた。 「まいたと思ったのに、さすがはユキムラさんですね」  ユキムラがその場に膝をついた。そのまま地面へと倒れた彼の脇腹には、深くナイフが突き刺さっている。 「ユキムラ君!」  動揺する誠二郎の手から、朋希が箱を奪った。そして立ち去っていこうとする彼が、ちらりと悠利を見たその目が切なげに揺れたのは、おそらく気のせいではない。 「快! そこの電柱の住所見てくれ!」  携帯電話で119番にかけながら亮次が叫んだ。  電柱に表示された住所を確認しに行く傍らで、そうか、と悠利が思い出したように呟いた。 「俺たちを追ってきた男は、朋希の家系の人間だ」

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