43 / 103

07 浅葱side (副会長)

「あはは、思ったよりも綺麗になってるじゃん」  鈴音(転校生)から引き継いだ鷹司の部屋に上がり込み、まるで他人事のようにそう口にした。  まあ、ホントに他人事なんだけどね。 「ほっとけ」  最近、ようやく人間味が出て来た鷹司は投げやりにそう言って、ソファーに仰向いて身を沈める。その向かいに腰掛けたはいいが、 「キッチン借りていい?」  この部屋じゃろくにお茶も出て来ないことを思い出して、僕はおもむろに腰を上げてキッチンに向かった。  学生寮のキッチンの家電や調理器具、食器類は備え付けのものがあり、料理をする者はそれに好みのものを買い足して使っているらしい。僕は全く料理はしないから、専らお茶を淹れるためと飲み物を入れておくためだけに使っている。  意外にも鷹司は、生徒会の仕事を始めてから自炊するようになったらしかった。羽柴が使った後の部屋には茶葉があったけど……、 「あ、あったあった。鷹司のやつ、もしかして自分で買い足したのかな」  そう思って少し笑ってしまった。 「お待たせ。頑張ったねえ。床が見えてる」  一度、鈴音が使ってた頃に来たことがあるが、その時は足の踏み場もないほどに汚れていた。鈴音は僕と違って外食の他にもコンビニやスーパーマーケットでも買い物してるらしく、お菓子の袋やアイスのカップ、脱ぎ散らかした服やタオルが散乱していた。  鈴音はセレブとは程遠い仲間がいたから、外部生やそこそこの家柄の生徒が利用しているコンビニなんかも利用していたんだろう。  鷹司は、僕もだけど、実家にいると掃除することもない。掃除はハウスクリーニング専門の使用人が学校に行っている間にしてくれるし、間食も高級店の和菓子や洋菓子だったり、フルーツだったりがわざわざ言わなくても時間になると自分の元へ運ばれて来る。  そんなことがあり、いまだに僕はコンビニに行ったことがない。ペットボトルも僕の部屋にはなく、冷蔵庫の中には瓶入りのペリエやミネラルウォーターだけが入っていたり。  実家にいると喉が渇いたと言えば飲み物が運ばれて来るし、僕も鷹司も自宅のキッチンに入ったことがなかった。それが中等部になって寮生活になると、自分でしなきゃいけないことも出て来るようになり。  ただ、掃除はハウスクリーニングを頼めばいいし、洗濯物は特別棟一階ロビーのコンシェルジュに登校前に預けておくと、帰宅する頃にはクリーニングされたものを受け取ることが出来る。  外食は特別棟のロビーの片隅に高級料亭やそれなりに名の知れた店の出張所とも言える支店があり、和食から洋食、多国籍料理まで有名店の味を楽しむことが出来た。  それらはホテルのルームサービスのようにデリバリーも出来て、食べたものはそのままワゴンに戻して外に出しておくと取りに来てくれる。クリーニングと同じく自宅にいる時とは違って自分で手配しなきゃいけなくて、それが僕らエリート組の社会勉強のようなものになっていた。  因みにお会計は学食や行き着けの店と同じように、直接親に行くシステムになっているけど。  鷹司も生徒会の仕事を始める前は僕と同じだったのに、仕事を始めてから料理以外にも掃除や洗濯まで自分でするようになった。  洗濯機の存在さえ知らなかったお坊ちゃま(僕もだけど)の鷹司に影響を与えたのは外ならぬ羽柴で、今はデリバリーで食材を手に入れているけど、そのうちスーパーマーケットで自ら食材を選んで来そうな勢いだ。  そんな中、廊下の隅に積み上げられていたポリ袋が何個だったか思い出していたその時、 「あれ?」  リビングの窓の向こうに、あるべきものがないことに気がついた。 「鷹司、あれどうしたの?」 「あれ?」 「天体望遠鏡」 「ああ。あれか」  どうやら羽柴の部屋に置いて来たらしいと苦笑う鷹司に慌てた様子はなく、 「僕が羽柴の部屋に行って貰って来ようか?」 「いい。重いだろ、あれ」  そう言うと、見もしないだろうテレビをつけた。 「だってあれは……」  あの天体望遠鏡は僕らが出会う前、初等部に入学する前に鷹司がお父さんに買って貰った大切なものだ。  それは鷹司のお母さんの美佐子さんが病気で亡くなった直後のことで、世話役の前田さんから『奥様は星になられたんですよ』と教えられた鷹司が、星を見たいとねだって買って貰ったものだと聞いている。  確か当時の最新型のモデルで、月のクレーターもはっきり見える高価なものだ。それなのにそれを覗いた鷹司にお母さんの星が見たいと言われ、前田さんは一つの星じゃなく、美佐子さんの誕生日の星座がよく見えるように設定したらしかった。  その星の群の中の一つがお母さんの星だと教わり、毎日寝る前に鷹司は望遠鏡を覗いていた。それからしばらくして美佐子さんが病死したことを自覚した後も、鷹司は変わらず同じ星座だけを飽きもせず眺めていたっけ。 「羽柴が使えばいい。俺は見る暇もないが、今の羽柴には星を見る余裕ぐらいあるだろ」  そう言った鷹司はまた苦笑って、僕が淹れた紅茶にそっと口をつけた。

ともだちにシェアしよう!