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第1話 哀川至

 片桐直人(かたぎりなおと)が人生で最も愛した男、哀川至(あいかわいたる)は交通事故であっけなくこの世を去った。  享年三十四歳。  親族の前だというのに、片桐は人目もはばからぬほどわんわんと泣いた。片桐と哀川が恋人同士だと知っていた者は誰もいない。それだけに泣き喚く片桐を周りは好奇の目で見た。      ◇  西暦2069年。  AIが当たり前に普及している時代。  役所の窓口やコールセンター、大病院のトリアージに至るまで、人間の代わりにAIが配置されている。ほとんどの交通手段もAIによる自動運転によって操作されるため、交通事故は格段に減った。  家庭用AIも大量生産されたが、大半の国民には手の届かない代物だった。安い物でも車一台分はする。AIの普及に伴い多くの国民が職を失い、路頭に迷いつつあったため、家庭用AIを所有している国民は少数派であった。  さらにその少数派の中でも一握りの国民にのみ所有が認められる最高級のAIがある。それは禁忌とも呼ばれる忌み嫌われる所業であったが、同時に当人にとっては赦しの証でもあった。  その所業とは、死者をAIにして第二の人生を送らせること。  多額の金を用意すれば一般人にも可能だった。  もちろん、片桐にも。  片桐は哀川の死後、勤めていた多くのアルバイトを辞め、全財産を売り払い、哀川のAIを買った。      ◇ 「哀川さん……俺の声、聞こえる?」 《……ああ。聞こえているよ、片桐くん》 「よかった……」 《いつになく辛そうだけど、仕事で何かあったのかい?》 「哀川さん、俺はあなたにまた逢えて、嬉しくて……」 《嬉しいのに、どうして辛そうな声を出すんだい?》  小型のスピーカーから哀川のやや機械的な声が問う。  片桐の財力では哀川の声を蘇らせることで精一杯だったが、目覚まし時計ほどの小さな箱でも、哀川の魂が宿っているだけで片桐は幸せだった。 「哀川さんは俺のこと覚えてる?」  片桐が哀川を起動させてから、最初にした質問がこれだ。 《申し訳ないけど、事故の衝撃で記憶が混同していて、君のことはあまり……》  哀川の口調だ。  片桐は確信した。  成功だ。  哀川との思い出は全て片桐が保管している。ひとつずつ思い出していけばいいし、これから片桐自身が死ぬまで沢山の思い出を作ればいい。 「……哀川さん」 《片桐くん? どうして泣いているの?》  センサーでも付いているのだろうか。もしくは片桐のわずかな声の震えを感じ取ったのか、哀川が優しく声をかけた。 「俺には……あなただけです」 《僕?》 「あなたが俺にとっての全てだから……だから俺、俺は……」  哀川の葬式を思い出して、片桐は目頭を覆った。 《片桐くん、泣かないで。君には僕がいるじゃないか》 「哀川さん……」 《僕の身体って、全部君でできてるんだな》 「やっぱり、嫌ですか?」 《何が?》 「俺があなたをAIにしたこと」 《どうして? こうして、また君と話せるのに? 片桐くん、君が僕を作ってくれたから、僕は全然嫌じゃないよ》 「…………それを聞けてよかった。今日はそろそろ寝ます。おやすみなさい、哀川さん」  片桐は哀川の機能をオフにしてベッドに入って横になる。  これがいっときの幸せでないことを祈るしかなかった。

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