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 それから数日後。少しずつ白鷹がいる日常にも慣れてきて、あと一週間足らずで三月になるという、二月二十三日、金曜日。  今日は一日、俺と白鷹の二人だけで店を回す日だった。大和は不安がっていたが、結局何の問題も起きていない。あとは片付けをして帰るだけだ。 「チカちゃん、そこの雑巾取ってくれる」 「はい」  新しくなった脚立に乗って、切れかけた電球を替える白鷹。俺はその下でマフラーに口元を埋め、ニット帽を目深に被り、寒さにぎゅっと身を縮こまらせた。閉店後は節約のために、店内のエアコンを切ることが義務付けられているからだ。 「……しかしこっちで働いてみて思ったんだけど。お前と大和、ほんと仲いいよな」 「俺ら、同じ高校だったんで」  新しい電球がはめられ、スポットライトが眩しく光り始めた。天井からぶら下がったスペースシャトルが、その光に照らされて白く輝いている。  白鷹が脚立を降りて言った。 「別に仲良しなのは悪いことじゃねえけど、ちょっと気を付けた方がいいぞ」 「何をですか?」 「今後のこと。特に大和、あいつ今は仕事できてても、チカ以外の奴と働くことになったら駄目になるパターンっぽいし」  具体的に何が言いたいのか分からなくて、俺は白鷹の顔をじっと見据えた。 「色々考えてるって言ったろ。今後、新店舗出すかもしれねえからさ」 「………」 「その時は、チカに副店長やってもらえたらいいなって思ってんの」 「えっ……」  思いがけないその言葉に、俺は一瞬固まった。  俺が新店舗の副店長。一体誰の下で働くことになるんだろう。だけどそうなったらGヘブンを離れる――即ち、大和と仕事ができなくなるということか。  いや、それよりも。  もし本当にそんなことになったら、大和の夢がまた遠ざかってしまうじゃないか。 「俺、まだ二十歳ですよ。上に立つ器じゃないし、人見知りするし、決断力もないです」 「年齢なんて二十歳越えてりゃ充分だ。それに、人見知りもすぐ直るって。決断力だってこれから鍛えればどうにでもなるだろ、そんなの」 「いや、俺には自信ないです……できません」 「まあまあ、まだずっと先のことだし、出すかどうかも分からねえしさ。良い経験になればいいやって、前向きに考えといてくれればってだけの話だから」 「………」  もういっそ、俺から何もかも白鷹に打ち明けてしまおうか。大和は怒るだろうが、このまま隠し続けていても何の意味もないように思える。 「白鷹さん、あの……」 「ん? ああ、そうだチカ。その古い電球、箱に入れてどっか裏に置いといてくれ。まだ熱いから気を付けろよ」 「は、はい」 「あとは……そうだ、店頭の電球も付け替えねえと。面倒だけど業者に頼むのは勿体ねえし。ああ、面倒臭せえなぁ」  ――大和、新店のこと知ったら何て言うだろう。 「でもやっぱ店頭の電球は明日にするか。チカちゃん待たせるのも申し訳ねえもんな」 「あの、白鷹さん……」 「なに?」  俺は唇を噛み、ポケットの中に入れた両手を握りしめて白鷹の顔を見た。 「そういう可愛い顔すんなよ。言いたいことあるなら、聞くけど?」 「あの、俺達……。俺と、大和は……」 「知ってるよ、デキてんだろ」 「え――」 「見てて分かる。ていうか、結構前から気付いてた」  ストンと浅い穴の中に落ちた気がした。あんなに必死に隠そうとしていたのに、白鷹にはとっくにバレていたのか。 「あれだけ大っぴらにアピールしてたら気付かねえ方がおかしいって、大和のアホに言っとけよ」 「………」  今から言おうとしていたことを、既に相手に知られていたというのは何だか恥ずかしい。俺は頬が赤くなるのを感じながらその場に突っ立って、白鷹の鋭い目を見つめた。 「それで? 付き合ってるから、なに?」 「それで……別に、何がどうという訳でもないですけど……」 「大和と離れたくねえんだろ」 「………」  思わず俯いた俺に、白鷹が素っ気なく言う。 「いいじゃねえか、同棲してんだし」 「そ、そんなことまでバレてんですか」 「まあ、大和と相談してよく考えといてくれ。俺も取り敢えず色々考えとくからさ」 「はい。……じゃあ、お疲れ様でした」 「……ん」  店を出ようとした俺の腕が、次の瞬間、急に後方へ引っ張られた。 「え。な、なに……?」  慌てて背後を振り返る。視線の先には、俺の腕を掴んで不敵に笑う白鷹の姿があった。 「白鷹、さん……?」 「お前さ。大和から何も聞いてねえのか?」 「何を……」  一瞬の震えは、恐らく寒さによるものだ。俺は白鷹に腕を掴まれたまま、コートのポケットに入れた手を温めるように強く握りしめた。 「お前と大和、同じ高校だったんだろ。実は、俺もなんだわ」 「そうなんですか……」 「大和が一年の時、俺は三年だった。それで、部活も同じ剣道部だった。まぁ俺は滅多に部活には出てなかったけどな」  どこかで聞いたことのある話だと思ったら、俺と大和のそれと全く同じじゃないか。  もしかして、この二人は。 「それで当時、俺達付き合ってたんだわ。大和が三年に上がるまで、な」  頭の中で結論を出すよりも早く白鷹に答えを突き付けられ、俺の体は硬直した。 「別に……付き合うくらい、構わないです。だって今の大和と白鷹さんは、普通に先輩と後輩として接してるでしょ。昔のことに嫉妬するほどガキじゃないですから、俺」  それが精一杯の虚勢だった。内心では衝撃が強すぎて、心臓が早鐘を打っている。  ――聞いていない。大和と白鷹が付き合っていたことなど、ただの一度も。 「それが、そういう問題じゃねえんだよな」  白鷹の目が妖しくぎらついている。まるで獲物を捕らえる瞬間の狼のような目だ。俺はその目を直視できなくて、思わず白鷹から視線を逸らした。 「今、お前らが住んでるあのアパート」  しかしどんなに視線を背けたところで、白鷹の声は容赦なく俺の耳に入ってくる。 「あの部屋も、使ってる家具も、家電も。全部、俺が大和のために用意してやったモンなんだよ」 「……当時、あのアパートで一緒に住んでたってことですか」 「まあな。そんで大和と別れた時、それにかかった金を返したいって言われてよ。俺はいいって言ったんだけど、どうしてもって言うからさ。名義も俺から大和に変えて、二年前から少しずつ返してもらってんだ。男らしい奴だろ、あいつ」  そうだったのか。  だから大和は、今まで殆ど休み無しで働いていたのか……。 「金だの何だのって返してくれるのはいいんだけど、少しずつ大和が俺から離れてくってのが分かって、なんか寂しい気もするんだよな。それで……これは俺の想像なんだけど。大和、お前連れて別の店持ちたいとか言ってねえか?」 「………」  俺の沈黙を肯定の証とし、白鷹が続けた。 「完済したら、本格的に動こうとしてるんだろうな。俺への返済とは別で、随分前から金溜めてるみたいだし。あいつアホのくせに、夢だけはいつも一丁前だから」 「白鷹さんは、反対ってことですか」 「いや。逆に嬉しくもあるんだぜ。大和が俺の手を離れて、チカと二人で力を合わせて生きていきたいってことだもんな。あのハナタレの大和が大きくなったモンだって、感慨深いものがあるのも事実。俺としては心から応援したくなるよ」 「じゃあ……結局、何が言いたいんですか」  すると白鷹が不敵に笑い、上目に俺を見つめて言った。 「彼氏に任せっきりで、お前は何もしねえの?」 「………」 「仕方ねえか、チカちゃんは大和の大事なお姫様だもんな」  その言葉にムッとなって、俺は顔を上げ、まともに白鷹の目を睨みつけた。だけどそれだけだ。反論なんてできるはずもない。  事実、俺は何もしようとしていないのだ。それどころか大和が秘かに努力していたことも知らず、心のどこかで「どうせ無理だ」なんてことすら思っていた。 「……俺は……」  大和は俺のことも考えて動いてくれていたのに。俺は。俺は……。

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