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お義父さん

 ある日、なんの心構えもない状態で突然我が家を訪ねて来たのは、ライザックの父親だった。奥さんであるハロルド様と折り合いが悪く、愛人を作って家を出たという話だけは聞いていたのだが、ライザックからは父親の話など一度も出た事がなかったし、そんな人が急に訪ねてくるなどと思っていなかった俺は困惑を隠せない。  彼はどこまでもにこにこと愛想がいい。確かによくよく見ればその笑みは穏やかなライザックの笑みによく似ていた。 「で、孫は?」  俺は戸惑いながらもシズクの元へと彼を案内すると、彼は慣れた手つきでシズクを抱き上げ、満面の笑みでシズクの瞳を覗き込む。 「ライザックの小さい頃にそっくりだねぇ。瞳の色だけは君に似たのかな? んふふ、可愛い。赤ん坊なんて久しぶりだ」  愛人を作って出て行ったはずの義父は屈託もなく笑みを見せる。妻子を捨てて出て行ったというからイメージ的には情に薄い人だったのだけど、少しばかりイメージが狂う。 「さっき少し泣いたのは一人で寂しかっただけかな? ご機嫌さんだし、丸々してて色艶もいい、うん、いい子だ」  存外子供好きな様子の義父アルフレッドはまるでチェックをするようにシズクを眺め回す。別にそこまで嫌悪する事じゃないのだろうけど、品定めされてるみたいでちょっと嫌だな。悪気はなさそうだからとやかく言うのもなんだけど、なんの許可もなくシズクを抱き上げられたのにももやっとする。人見知りするような子じゃないから大人しいものだけど、そこは大泣きしてもいいんだぞ、シズク! 「ハロルドはまだ一度もこの子を見ていないと言っていたけど、こんなに可愛いのに勿体ないねぇ」  アルフレッドの放った言葉に驚いた。この人、ハロルド様とも普通に会ってるの? え? 妻子を捨てたとかそういう罪悪感みたいなの何もないのか? ってか、屋敷から出る事がほとんどないハロルド様に会ったという事は、もしかしてオーランドルフの家にも寄ってきたってこと? 「お嫁ちゃんは、何か色々聞きたそうな顔してるねぇ。僕のこと、あんまりライザックから聞いてない?」 「えっと……そうですね。ハロルド様とライザックを置いて、よそに恋人を作って出て行ったとしか……」 「まぁ、そこはひとつも間違ってないよ。僕はハロルドと結婚したけど、それは本家からの半強制の婚姻だったし、ハロルドとはお互い色々合わなかったんだよねぇ」  苦笑するようにそう言うアルフレッドは穏やかなもので、俺は戸惑う。 「ライザックにはずっと申し訳ない事をしている自覚はあるんだ。僕とハロルドは根本的な所が全く合わなくてね、子供さえできればお前に用はないって言われながらあの家に居続けられるほど僕も神経太くなくてさ、それでも全財産残して出て行ったのはせめてもの慰謝料だったんだけど、ハロルドは最近それも全部食い潰してしまっているみたいだし、心配していたんだよ」  妻子を捨てて愛人を作り出て行った旦那、そのイメージだけでは完全な悪者だったアルフレッドの印象が完全に覆される。確かにそんな扱いだったら家にいるのが嫌になる気持ち分かる。  少しは疑う事もした方がいいのかもだけど、ハロルド様なら絶対やるし、言う。それは俺自身、身をもって知っている。 「言い方は悪いけど、ハロルドの面倒はライザックが見てくれると思っていたから、家を出たと聞いた時には驚いたよ。同じくらいに安堵もしたけどね。ハロルドは完全に時代の流れに取り残されてる、もう今は身分だ家名だ言ってる時代じゃないんだよ、それはお嫁ちゃんだって分かるよね?」  そこには関しては確かに納得せざるを得ない俺は頷く。いや、そもそもこの世界のことをあまり理解してない俺には本当の所はよく分からないけれど。 「実生活では伴侶とは言えない僕だけど、ハロルドはそれでも僕の奥さんだし、そろそろ色々考えないといけない頃合いなんだと思う。いつまでもライザック(子供)に面倒押し付ける訳にいかない――というか、ライザックにも家庭ができたんだ、いつまでも母親だけにかかずらってもいられないだろうし、僕もはっきりさせないと……」  お義父さんはそう言って、腕の中のシズクへと瞳を落とし「この子には自由にのびのび生きて欲しいしね」と、また笑みを見せる。その笑みはやはりどこかライザックの穏やかな笑みに似て、確かにそこに血の繋がりを感じさせられた。

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