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求めたものは……
「お義父さん、俺、手伝います」
あまりの緊張感から俺が思わずアルフレッドさんに声をかけると、ハロルド様の眉がまた般若のように吊り上がった。
「使用人風情がアルフレッドを『義父 』などと、なんて馴れ馴れしい! さっさと出ておいき!」
怒鳴られた事に瞬間びくりと身体が震えた、俺はただ驚いただけの事だったのだが、その大声に胸に抱いていたシズクが盛大に泣き声をあげた。
慌てて俺がシズクをあやし始めると、ライザックがキッ! とハロルド様を睨み付ける。
「あなたは昔から変わらない、自分の意に添わなければそうやってすぐに怒鳴りつけ自分の我を通そうとする、私は母上のその姿勢が……」
「その姿勢が一体なんだい? 私はお前のその煮え切らない態度が昔からどうにも気に入らないのだよ。言いたい事があるのならはっきりお言い」
ぐっと言葉に詰まり、こぶしを握ったライザックはもう一度ハロルド様を見やって静かに告げる。
「私は……そんな母上が大嫌いでした」
重苦しい程の沈黙、シズクの泣き声だけが室内に響く。今までライザックはここまではっきりとハロルド様を拒絶する事はなかった。俺を庇ってこの屋敷を出た事も拒絶であったと言えるのかもしれないけれど、それでも度々この屋敷を訪れてはハロルド様と対話を続けようとしていた事を俺は知っている。
「ライザック……」
「帰ろう、カズ」
そう言ったライザックの前に茶器の乗ったトレイを机の上に置いたアルフレッドさんが立ち塞がる。そして両手をあげてライザックの頬を挟むようにぱちんと叩いた。
「さすがに言い過ぎだよ、ライザック」
少々驚いたような表情を見せたライザックだったが、その手を払いのけると苛立たし気に「私は言えと言われたから言っただけです、これは私の本心だ」と今度はお義父さんに食ってかかった。
「そもそも貴方にそんな事を言われる筋合いもない。貴方は家族を放棄して、今まで自由気ままに生きてきたんだ、そんな貴方にとやかく言われたくはありません」
「それを言われると耳が痛いね、そこに関して僕は君に何も言えない。だけどハロルドは僕の奥さんだ、傷付ける事は許さないよ」
「夫婦らしい様子など一度として見せた事もない癖に!」
お義父さんの眉が下がり「愛せるものなら愛したかったよ」と、瞳を伏せたお義父さんがぽつりと零す。
「人の感情はままならない、それはお前もよく分かっているだろう?」
「それでも逃げずに向かい合っていたら、今、こうはなっていなかったかもしれない」
「それは君にも言える事だよね、ライザック」
「それを貴方が言うのですか! 私はずっと向かい合ってきた、そしてもう限界だと言っているのですよ!」
吐き捨てるように言い切ったライザックの表情はとても苦しそうで、俺は居ても立っても居られない。俺達は話し合いをしに来たはずで、決して喧嘩をしに来た訳ではない。
俺はお義父さんとは友好的な関係が築けているものと思っていたのだけれど、やはりライザックの心中には燻るものがあったのだろう、それを吐き出す彼の姿が、見ているだけで痛々しい。
「もういいよ、ライザック。帰ろう、お前は充分頑張ったよ」
くしゃりと顔を歪めたライザックにシズクごと抱きしめられた。ああ、ごめんな、俺はお前の痛みをまだ理解しきれていなかった。お前はただ平穏で穏やかな普通の家庭を求めていただけなのにな。
慰めるようにライザックの背を撫でると、背後で小さな呟きが聞こえた気がした。そして続く食器の割れるような破壊音に驚いてそちらを見やると、飛んできたのは怒鳴り声。
「お前達は、何もかも私が悪いとでも言いたいのだろう! ふざけるな! 私は被害者だ、この人生において私は自分の思う通りになった事など一度もない! なのに寄ってたかって私を悪者扱い! 私だって……こんな……」
お義父さんが机に置いた茶器を薙ぎ払いハロルド様は吠えた。その表情は怒っているのだろうが、瞳には涙も浮かんでいる。床に転んだ茶器を踏みつけ、ハロルド様がこちらへやって来る。ライザックは庇うように俺を背中へと押しやった。
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