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不思議な力

「一体私の何がいけなかったと言うのだ!? 私は親の言いつけ通りこの家に嫁ぎ、跡継ぎを生み、この家の家名を守ってきた、それの一体何がいけなかった!」 「ハロルド落ち着いて、足大丈夫? 怪我してない?」  ライザックとハロルド様の間にお義父さんが割って入る。ものの見事に割れた茶器がハロルド様の足元に転がっていて、お義父さんはハロルド様を気遣うけれど、そんなお義父さんにもハロルド様は怒りを募らせる。 「お前は一体何なんだ! 何年も屋敷に帰ってくる事もしなかった癖に、今更優しい夫のふりを演じるのは止めろ、どうせ私の事など愛してもいないくせに!」 「愛していたよ! 僕は、愛そうとしていたよ! だけどそれを拒んだのは君の方だ!」 「また私のせいか!? 私はちゃんと責務を全うしただろう!」 「責務ってなに? 結婚ってそんなに事務的なものなのかな? 僕は君を愛そうとしたけど、でも君は僕を愛してはくれなかった!」 「よそに愛人を作っているような人間を私が愛せる訳ないだろう!」 「あの頃僕は誰とも付き合ってなかったよ! それこそ君が最初で最後だと思ってた、確かに幼馴染のエッジに好かれてる事は分かっていたけど、君が僕を愛してくれていたら、僕はエッジの元には走らなかった!」  幼馴染のエッジってお義父さんの事実婚の相手なのかな? 過去の出来事は僕達には分かるはずもないけれど、きっとそこには複雑な三角関係があったのだろう。 「僕はただ、君にも愛されたかっただけなんだよ……」  愛するより愛されたい。この世界の夫婦の在り方って難しいよな、パートナーを決めてもどっちがどっちの役割を担うかはお互いの話し合いで決めなければならない。  人間的に好きでも、そこの価値観が合致しなければ夫婦関係を維持する事も難しくて、ハロルド様とお義父さんはその辺の話し合いが上手くできなかったのだろう。  お義父さんは今のパートナーとの間に子をもうけ自分で生んで育てている、だとすればお義父さんは役割的にはそちらの方が向いていたという事で、オブラートに包んではいるけど、そこはもうどうにもならなかったんだろうな。 「僕達は夫婦としては駄目だった、だけどもしかしたら別の形でなら仲良くなれるかもしれないって、僕はそう思ったんだよ」 「別の、形……?」 「もう仲違いは嫌だ、ハロルド、僕と友達になろう?」  瞬間、ハロルド様の眉がまた吊り上がる。 「ふざけるな! 友達!? そんな都合の良い事を言って、お前はただ私に離婚届にサインをさせたいだけだろう!!」 「そんなもの無くても、やろうと思えばもう離婚はできるよ」  お義父さんは哀しそうに眉を下げて「君と僕の間の婚姻関係は紙一枚の書類上の物で、実情は何も伴ってない、一方で僕とエッジの間には書類上の繋がりはないけど十数年に渡る家族としての実績がある、法にかければ僕達の婚姻関係はすぐにでも無効になるよ」と静かに告げた。 「それでも僕がそれをしなかったのは、ハロルド、君が納得したうえで婚姻関係を解消しなければ意味がないと思ったからだ。それが僕なりのこの家に対するけじめだから」  「ううっ」と一言呻いてハロルド様が崩れ落ちた。でもその足元には割れた茶器が転がっている。  ハロルド様はまるで痛みを感じていないような瞳で、けれどその茶器の欠片でどこか怪我をしたのだろう、服に血の染みが広がっていく。 「ハロルド、何処か怪我を!」 「近寄るな!」  割れた茶器の欠片を拾い上げこちらへと向けるハロルド様の瞳からはもうとめどもなく涙が溢れて、こんな風に追い詰めたかった訳じゃないのに、と胸が締め付けられた。 「私がいなければお前達は幸せなのだろう? 私さえいなければ、何もかも……」 「母上!」  ハロルド様が鋭利な凶器のようになった茶器の破片を首にあてがう、誰も動けずに立ち竦んでいたその時、腕の中のシズクが一回り膨らんだような気がした。 「え……」  驚く間もなく辺り一面に蔦が広がる、それはシズクの手足の指が一気に伸びて何かを目がけて伸びているのだ。 「わ・わ・わ、ちょ……シズク!?」  いつもは自身の触手と戯れる程度にしか伸びる姿を見ていない、その触手がハロルド様へと向かっていく。 「ひっ、なんだこれは!?」  闇雲に振り回したその凶器がシズクの触手を傷付けた。その瞬間シズクの身体がびくりと震えて一瞬動きが止まったのだが、その直後更に勢いを増してその触手はハロルド様の腕を絡め取って、その凶器を放り投げた。 「なっ、この化け物! 離せっ」 「シズク、ダメだよ、どうしたんだシズク!?」  傷付けられたシズクの触手の先からは何かよく分からないぬるりとした液体が漏れている、それは血液ではなくなにかの粘液、そしてそれをそのままハロルド様の傷口へと擦り付ける。 「お前達、何をしている、私を助けろ! ひっ、やめろ! 気色悪いっっ!!」  じたばたと暴れてハロルド様は後ずさる、しばらくの間触手はその傷口に粘液を擦り付けていたのだが、そのうちシュルシュルと縮んで、シズクは元の姿に戻りこちらを見上げた。 「いっ、今のは何だ!? その子供は化け物かっ! その子は人ですらないんじゃないかっ!!」 「この子は正真正銘、私とカズの子供ですよ」 「そんな馬鹿な話があってたまるかっっ!!」  ひーひーと悲鳴を上げながらハロルド様はその粘液をぬぐい取る、その姿を見てお義父さんが一言「シズクちゃんは優しい子だ」とそう言った。 「なにが! そんな気持ちの悪い生き物、孫などとは絶対に認めないからなっ!」 「君の足の怪我、治してくれたのはシズクちゃんだよ」 「え……」  よくよく見れば、粘液を拭ったハロルド様の足には傷のひとつも付いていない。確かに血の染みは服に広がっていたのに、そんな傷は見当たらない。 「シズク、お前が治したの……?」  シズクはやはりこの屋敷に来た時同様、嫌がるように俺の胸に顔を埋めた。やりたくてやった訳ではないのか? 本人的には不本意なのか? 言葉を語らぬ赤子の考える事は皆目見当もつかない。 「それでも、その子供は化け物だ」 「母上!」 「確かにこの子は化け物なのかもしれない」  お義父さんまでもがそんな事を言い出して、俺はシズクをぎゅっと抱きしめた。

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