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幸せな家庭
部屋に沈黙が落ちる。転がったままの茶器の欠片を拾い上げ、片づけを始めた俺にライザックが慌てて寄ってきたのだが、その腕の中にはシズクがいるのだ「危ないから近寄るな」と言うと、所在なさげに部屋を見回した。
「ねぇ、ライザック、本当にこの家売るの?」
「もう、維持できるだけの財力がありませんからね」
「そっか……」
俺がこの世界に来てからの生活はこの屋敷にあった。言ってしまえばこの世界に来てからの俺の思い出のほとんどがこの屋敷にあるのだと思うと、少し寂しい。屋敷が人手に渡ってしまえば、気軽に訪れる事も出来なくなる場所だ、ここには俺とライザックの想い出も詰まってる。
そうは言っても俺達の人生はこれからの方が長いのだ、妙な感傷で生活がままならなくなるのは本末転倒だ。
「俺さ、常々思ってたんだ。なんで俺はこんなへんてこな世界に飛ばされてきたんだろう? ってさ、だけど今になって何となくそれが分かった気がする……」
「? そうなのですか?」
「うん、俺ってわりと平凡な人間なんだよな、何をするにも大体平均でさ、得意分野もある事はあるけど突出した才能がある訳じゃない、言ったらものすごく平凡な人間なんだ。でさ、たぶんお前はそういう奴を求めてたんじゃないかなぁ……って」
「私が……ですか?」
瞬間ライザックが驚いたような表情を見せる。
「うん、ライザックは占い師の言葉を信じて森に行って俺と出会った、自分のこれからの人生を変えるよう望み、望んだとおりに俺は現れた。もしかしたらあの触手 がそれを叶えたのかもしれないなって思うんだ。お前が望んだのは平凡で穏やかな普通に幸せな家庭、だから超平凡な俺が選ばれたんじゃないかなって、そう思うんだよ」
「カズが平凡なんかである訳がない、私にとってカズは神にも等しい存在なのに」
俺はライザックの顔を見上げて苦笑する。さすがにそれは言い過ぎだ。
「俺は特別に何かができる訳じゃない、だけどさ、お前と平凡で幸せな家庭は築いていけると思うんだ、だからライザック、どうかこれからも宜しくな」
「それは私の台詞ですよ、末永く幸せにします」
「違~う、『幸せにします』じゃなくて『二人で幸せになろう』だぞ。お前一人が頑張っても幸せな家庭は築けないって、お前はもう分かってるだろう?」
「ああ、確かにその通りだ」
茶器を片付け終えて一息吐いたら、愛し気にシズクごとライザックに抱き込まれて、幸せだなぁと俺は思う。きっとこの幸せな生活はこれからも続く、旦那は平凡な家庭で育ってないし、俺は一風変わった経歴持ち、ついでに子供は一風変わった体質をしているけれど、それでも俺達の未来は明るいって、俺はそう思うんだ。
この話し合いの後、お義母さんはお義父さんと二人でよく出掛けるようになったらしい。お義父さんはお義父さんで、家庭を放棄した事を常に悔いていたようで、恋愛感情を伴わない付き合いならばお義母さんとも普通に顔が合わせられるとそう笑った。
そんなこんなでお義母さんはお義父さんの家の近くに引っ越す事に決まったそうで俺達は驚く。実はお義父さんは自分達と同居しないかと誘ったらしいのだけど、お義母さんはそれを全力で拒否したらしい。
それはそうだよね、自分の元夫の家に居候ってどうなの? って俺も思う。うちに同居も提案してみたのだけど、まだわだかまりの解けきれないお義母さんにはそれも拒否された。だけど、びっくりな事にお義父さんの言っていた婚活が思いのほかうまくいって、最近付き合い始めた人がいるとかいないとか? お義母さんも新しい人生を歩み始める事ができたのだろうか? だったらとても嬉しいのだけど。
オーランドルフ家のその他のメンツに関しても何だかんだで新しい生活が開けている。
住み込みで働いていたハインツには屋敷を売却し、残ったお金から充分な退職金が支払われたのだけど、なにせ住み込みだったので路頭に迷う寸前だったのだけど、意外にも占い師I・Bから救いの手が差し伸べられた。元々ハインツはI・Bの熱烈な信奉者だったし、当たると評判のその店は更に規模を拡大していて、人一人を雇う事はどうという事もなかったらしい。
大好きな占い師のもとで働ける事になったハインツはとても嬉しそうだった。
住み込みと言えばもう一人、ライザックの従兄弟でもあるミレニアさんは実は現在もあの屋敷に残っていたりする。その理由はあの屋敷を買い取った所有者がミレニアさんごと屋敷を引き取ったからだ。
それはどういう意味かって思うよな? 実はあの屋敷、買いとったのミレニアさんの自称婚約者のバートラム・ベアード様だったんだよ。
熊獣人のバートラム様は獣人国ズーランドの大臣の息子なだけあって意外とお金持ちだった。ミレニアさん付きなら屋敷を倍値で買い取ってやるという言葉にミレニアさんはもちろん抵抗したし、ライザックも難色を示したけれど、先々の先立つモノの事を考えるとその提案はとても魅力的で、最終的にミレニアさんが「自分が犠牲になる事で皆が助かるのならば……」とその条件を飲んだのだ。
もちろんライザックはそんな犠牲は必要ないと何度もミレニアさんに告げたけれど、ミレニアさんは一度決めた事は譲らぬ性格で、「あいつが何を考えてこんな事をしているのか分からないが、私は奴に屈するつもりはない!」と断言していて、あくまで執事という立場は崩さずに日々を過ごしているらしい。
バートラム様はそんなミレニアさんを相変わらず楽しそうに眺めている。もう結婚しちゃえばいいのにって俺は思うのだけど、他人の恋愛事情に口出しはできないからな。
そして、新たな生活を始めた俺はというと……
「シズク、それはやっちゃダメだって、ママ何度も言ったよな!」
「やぁぁ!」
少しばかりの言葉を操るようになった我が子シズクは、物言わぬ赤子の時の事を思うとだんだんに手が付けられなくなってきている。いわゆる第一次反抗期というやつなのだろうけど、シズクは普通の子供とは違う。癇癪を起せば触手を伸ばし、むやみやたらに物を壊され、同年代の子と喧嘩なんてした日には怪我を負わせそうになる事もままあって目が離せない。
普段は穏やかなシズクだが、やはりその触手は異能で異常だ、できるだけ触手は人目に触れないようにと過ごしているが、幼い我が子に何度言い聞かせても便利な触手を使う事をやめられる訳もなく……
「お前、赤ん坊の時の方が聞き分け良かっただろう? もう! その触手はしまいなさい!」
「いぃ、やぁぁぁぁ!!」
「まぁまぁ、カズ。家の中でくらい自由にしたいよなぁ、シズク」
ライザックが触手を伸ばして威嚇する我が子を背後からひょいと抱き上げた。
「そんな風に甘やかして、いざという時化け物扱いされるのシズクなんだぞ!」
「その時には私が全力でこの子を守りますよ」
息子に甘いライザックは抱き上げたシズクの触手を撫でる。確かにそれだってシズクの一部だし、俺だって自由にさせてやりたいけどさ!
「シズクが可愛いのは分かるけど、お前はシズクに甘すぎる!」
「今が幸せならばそれでいいじゃないですか」
「そういう問題じゃない!」
ライザックは呑気に笑い、可愛い我が子の頬にキスを贈る。まぁ、そんな感じで、平凡な俺はちょっと平凡ではない子供をライザックと共に平凡に育てている。
傍から見れば普通じゃない家庭かもしれないけれど、これが俺達の幸せな家庭の形だからな。
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