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正面から聞こえた言葉にポカン、とした俺は、真っ暗とは言えないが視界は塞がれた状態で、三初がいるだろうほうを向く。
「あのな、一回しか言わないからよく聞けよ。ここは職場のオフィスで、今から俺たちは仕事をすんだ。わかったか?」
「わかった上で言ってるんですけど、わかります? 迂闊にヘラヘラ笑われたらそりゃムラムラしますわ。故に場所を移そうって良心ね。俺は別に課長や部長の前で先輩を抱いてもいいですけど、先輩は嫌でしょ」
「だからって仕事サボってヤりに帰るほうがおかしいだろうがッ!」
そもそもなんでセックス前提なんだよセックスしねぇで働くんだよ企業戦士サラリーマンだろ俺ら──!
ガウッ! と吠える俺だが、三初に俺の威嚇が効いた試しがない。もう流石にわかっている。
わかっていてもキレない選択肢がないのでアホかテメェふざけんな常識欠落野郎と騒ぐが、そうすると「朝の無駄吠えは人様の迷惑なんで鎮まってどうぞ」と雑にたしなめられた。
──こ、この我が道爆走系暴君が……!
俺はお前の飼い犬じゃねぇぞ! 俺はお前の恋人様になったところだろうが! ちょっとは俺に甘くしろってんだ!
本当についさっき付き合うことになったのか疑うレベルの暴挙である。
付き合おうという言葉は言われてないし言っていないが、カップルだと言っていたので間違いはないはず。
そうして焦れ込む俺の耳にカタカタカタカタと届く、タイピング音。
「オイなに打ち込んでんだ。俺はキレてんだぞコラ。怒りの解除コードは入力不可だぜ懺悔して解放しろや」
「んー」
「聞けよ」
「はいはい」
「だからなにカチカチクリックしてんだよ。なにをクリックしてんだよ。俺のマジギレスイッチなら連打してんだよさっきから」
「よし」
「作業完了してンなッ!」
見えないなりに床をカツンカツンと鳴らして抗議する俺を尻目に、タン、とエンターキーを叩く音を鳴らした三初は、なにやら作業を終わらせたらしい。
これは、嫌な予感しかない。
タラリと冷や汗が頬を伝う。
なにをしたのか知らないが、このひねくれ大魔王が〝家に帰ってヤる〟と決めたなら、どんな手を使ってもそれを遂行するのだ。
「さ、行きますよ」
「おわッ」
グッ! と強く腕を引かれてうっかり転びそうになったので犬よろしくついて行きながら、俺は焦って「仕事はッ!?」と叫んだ。
「うちの部署、急ぎの案件はないですね、今。ちょっと山本先輩の進捗がよくないんで、|元木《もとき》が今やってんの終わってからヘルプに回るようメール送っておきました。課長にももろもろ、連絡済み。曲がりますよ」
「は?」
腕を操られるがまま障害物を避けて歩き、俺は間抜けな声をあげる。
廊下に出ると一直線で声もよく響いた。
「全体の進捗は、まー……仮に俺たちプラスで二人休んでも、なんとかなる程度。ここんところ追い込み追い込みだったから当然か。クリスマス前後に有給多いのわかってましたし」
「おい。おい待て」
「それでも仕事残ったら俺に回すように言ってるし、クリーン帰宅。来年の企画で取引先とか下請けに話進めるなら、リモートでサクッとまとめますよ。問題は仕事であって、俺らが出勤してるかは関係ないんでねぇ……」
しみじみ「というか俺、仕事のためにプライベート殺すのとか嫌ですもん」と言う三初だが、ちょっと待て。
どう考えてもおかしい。イチ社員である三初がうちの仕事の進捗を把握してやがるのはなんでなんだよ。この独裁者め。
ドン引きを通り越して恐怖を覚える。
いったいうちはどこまでがこの大魔王の手のひらの上なんだろうかと、たまに悪寒がするものだ。
「先輩だって今日の仕事、来年の予定のスケジュール調整とか下準備とか先方待ちのほぼクロージングでしょ?」
「いや大正解だけど正解すんのおかしいだろ俺の担当」
「足元」
「うおあっ!?」
「くくく、ドジっ子属性ありましたっけ」
得体の知れない寒気に襲われ油断した隙にうっかりエレベーターの段差でこけそうになると、含み笑いで揶揄しながら意外とたくましい腕で抱き止められた。
く、くそッ、笑ってんじゃねェぞ!
お前が目隠しして縛るなんてことした上に、足元の注意を怠ったからだろうが!
しがみつくこともできないので為すすべもなくよっかかっていると、顎を片手で押さえられ、首筋をベロリとからかうように舐められる。
「っひ……!」
「一括して課内の各社員のさ、スケジュールと進捗が見れる統合システムを作っておいたほうが、上の役に立つかと思いまして。各々の締切管理にも役立つし、人目があるなら意識も上がるでしょ」
「く、あ、ぅ……ッ、だ、だからって、欠勤理由が不埒の極みだろうが……!」
「俺には関係ないですね。いちいち課長が社員呼び出さずに済むし、ミス回避と時短にもなる。合理的、ですよ」
「ふぁ、っ」
ですよ──じゃねぇ!
声に出して叫んでやりたかったが、予定と違う声があがり叶わない。
耳の穴をヌルヌルと舐められながら俺を支えていないほうの手でもう片方の耳をクリクリといじられ、くすぐったいやらゾクゾクするやらで、まともに反論できるわけがないのだ。
不意打ちで息を吹きかけられたりと弄ばれては力が抜ける俺を嘲笑うかのように、エレベーターはチーンと一階へ到着した。
「あ。おはようございます、課長」
「!? か、課っ、っふぐっ」
「ああ。おはよ、う!?」
ガガガゴンと硬質な音をたててドアが開いたかと思えば、まさかの遭遇。
待て待て待て。今なんて言った?
課長って言ったか!?
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