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呑気に挨拶をする三初の言葉に驚愕した俺の口元をサッと押さえつけるこの手は、さっきまで俺の耳を弄んでいた悪魔の手である。
そして挨拶されたと思しき返答の声が裏返り、それが俺の知っている課長の声だったものだから、脳内大パニックは回避できない。
──ま、まさか俺……直属の上司の前で目隠し拘束プレイっつー変態みてぇな姿を、晒されてんのか……?
「ンンッ、ンーッ!」
サァァ……! と血の気が引き、押さえられた口で必死に叫んだ。
そんなことあっていいはずがねぇ。
俺の脳内で小さな俺がコロコロコロコロと暴れ始め、いっそ今すぐ殺してくれと叫んでんだぞ。
だって、う、嘘だろ?
誰か嘘だと言ってくれ。
このままじゃ俺は来週から「御割って変態だったらしいぞ」と課内で噂になった挙句、指を差して笑われちまう!
そんなの嫌だ。お断りだ。ノーセンキューだッ!
「なんっ、なんでそ、えっ、待て待て」
「課長。俺たち急用で帰ります」
「口頭!? いやいや、み、三初ぇ~……? お、御割はこれ、どうしてこうなったんだ、えっ? えっ?」
「今日の業務に関しては諸々パソコンにメールしておきましたので、把握だけよろしくお願いします。緊急かつ重要なトラブルは先輩の案件も含めて俺の個人パソコンにメールください。各員進捗も把握した上での判断ですから、問題ありませんよね?」
「うん、うん! それはもういつも君の見立ては信用してるけど、そうじゃなくてこの、御割が明らかに非合意で拉致されてる状況は、わ、私も課長として人として、待ったをかけるべきかなぁと……!」
許せるわけがないため懸命に抵抗するが、当然逃げられない。
脳内大パニックな俺があたふたしていると、仕事に関しては有無を言わせない三初に負けた課長だが、この状況には流石にまったをかけてくれた。
もはや課長だけがよすがだ。
課長、頑張ってくれ……!
このままじゃ俺は言い訳もできないまま社会的に恥を抱えつつ、このあとめちゃくちゃにされちまうんだよ……ッ!
最近頭髪が薄くなってきたことと腹が出てきたことを気にしている課長に祈りを込めつつ、俺は三初に支えられたままモゾモゾと懸命に身じろいでみる。
そんな俺と課長の涙ぐましいストップに、大魔王は「そういえば」と普段通りの様子で口角を上げた。
「課長、娘さんの誕生日が近かったですよね。まだ欲しいものを聞き出せてないなら、今年もお手伝いしましょうか?」
「…………」
「ン、ンンーッ」
「ほら、最近喧嘩して口聞いてくれないって言ってませんでしたっけ」
「…………」
「ンン、ンッ」
「娘さんとは社のバーベキュー会で会った時から割と話せるんで、俺なら仲直りさせられるかと思いますが……うーん……今すぐ先輩連れて帰らなきゃ、時間空かないかもしれないなぁ……」
「……。……御割、合意だよね?」
「ン゛ッ!?」
「よし! 返事したね! 合意! 大丈夫大丈夫、三初の教育係なんだから用事も一緒に行って当然だよね。うん。有給処理しておくからそっちは近々よろしく。二人とも有給消化率悪いからちょうどいいしさ!」
「はは、ありがとうございます。時間空けておきますね。じゃ、お疲れ様です」
か、課長が買収されちまった───ッ!
脳内BGMがドナドナに変わると共に、課長の「お疲れ様!」という爽やかな声が聞こえ、俺はエントランスを引きずられていく。
いやまあ、確かに三初は元々上司だろうが誰だろうが手に負えない暴君だ。
故に俺というお気に入りのオモチャをあてがって、もりもり働かせたい時に間に挟む首輪としていたわけで。
「っぷはっ、か、課長! コイツの用事セックスですからっ! 課長、課長ーっ!」
「はい乗ってー」
「うおッ!?」
バタンッ、と閉じるドア。
駐車場まで引きずられた挙句荷物のように押し込まれた俺は、誘拐よろしくドナドナされていくのであった。
……これがお付き合い当日の出来事なんて、世も末だッ!
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