少し考えてから、俺はそっと先輩を抱きしめてみた。 　抱き心地は良好。モフッとした毛皮があたたかい。先輩は大人しくされるがままで、つい腕の力を強めてしまう。 『あー……ま、モフモフ効果かな……けっこう癒される』 「ァウ」 『うん。……ありがたいですよ。先輩は、イイコだね』 　頬を頭に擦り寄せて褒めると、先輩のたくましい尾がブンブンと揺れた。表情は真顔なのに、わかりやすい。 　先輩を抱きしめていると、さっきまで荒んでいた心が柔らかく整えられていく気がした。 　ほんと、凄い。 　察しは悪いし言葉はダメダメな先輩は、放っておかない。 　うまくできなくてもどうにかしようとする。 　俺は一言も、少ししんどい、なんて言っていないのだ。 　涙も見せたことがない。どうして的確に俺のほんの少しの気持ちの変化を受け止めてしまうのだろう。 　素顔が醜いと気がついた時には、俺はもう薄ら笑いの仮面を身につけ、こういう男になっていた。 　なのに先輩は、俺のエゴイストな部分を受け止めるようにできているから、俺が俺であることを嫌悪しない。 　だからあんたはいるだけで、俺を俺らしくさせてくれる。 　それだけでもう十分なのに、こびりついたものを弾き飛ばすほどの勢いで正面から向かってくるから──……際限なく、溺れてしまう。 「クゥン」 『くく。先輩……好きですよ』 「ウォンッ」 　ビクッ、と体が跳ねるほど驚いて耳と尾をピンと立てる先輩を強く抱きしめながら、この人が好きだな、と強く思った。 　それをそのまま口にする。 　夢の中なら素直に言えた。 　誰も聞いていないから別に恥ずかしくはない。俺らしくないこともどうでもいい。 　気が向いた。機嫌もいいんだ。 　せっかくだから、自分のことを殺したくなるほど甘ったるいことを言ってやろうか。 　バカすぎるくらいあんたに惚れてるってこと、伝えたってまあ、構わないでしょ。 　俺の弱みは、きっと先輩。 　筋金入りで真逆のことしか言えない天邪鬼な俺の言葉の本当のところ。 　ねぇ、あのさ、俺ね。 　そう見えなくても、めちゃくちゃこの人が大事なんですよね。 　否定して、嘲って、からかって。 　それは全部〝でも俺はそんなあんたが好きなんですけどね〟って続くものだから、本当はちっとも問題ない。 　初対面でも乱暴で口が悪くてデリカシーがないところを一般的や世間的には悪いととっても、その悪いところごとあんたなんでしょ。 　それじゃ、俺はそれで構わない。 　他の人間は誰もいらない。 　あんたはあんたで、俺にとっては十分、……かわいいんですよ。 『だからあんたは、俺の。俺は先輩の体温が……いちばん、好きです』 　触れ合わないとわからないものが体温だから、俺はできるだけ長く、一番好きなものをずっと感じていたい。 　そうして御割修介を一人占めしたい。 　この腕の中で確かに俺のものである先輩の温度が、今の体調不良程度で壊れられる弱い俺を作ったのだ。 　こんなこと、現実ではいつ言ってやれるか、わかんないからなぁ。 『夢なら減るもんじゃねーし……』 「クゥン？　グルルル」 『ん？　あぁ、ちゃんとリアルでも言ってほしいんですか。御割犬先輩』 「ウォンッ」 『はいはい、わかりましたよ。死ぬ間際あたりでちゃんと言います』 「！　ァ、アゥゥ……ッ」 　ついに犬語の意味もわかるようになったらしく、先輩が現実でももっとデレろと文句を言い始めた。 　遠回しにムリと伝えれば、ガーン、と衝撃を受けたような声を上げて、ギャンギャンと怒り始める。はは、うるせー。 　今綺麗にまとまったとこなのにそんなこと言う？ 　やっぱ空気読めねぇな、御割犬。 　軽く躱しつつ、密かにバツが悪い。 　リアル先輩が俺にちょこちょこ言わせようと画策してることは察しているものの、正直、俺にはだいぶ難しい注文だ。 　不安にさせること。 　まぁ、悪いとは思う。 　本人がちっとも気にしていなくてこういう俺を認めてくれていても、それとは別に甘えた言葉をたまには欲しくもなるだろうし、不安や苛立ちはあると理解している。全く言わなくていいと開き直っているわけじゃない。 　しかしこの世の中には、どうあがいても素直になれない人種もいるのだ。 　どうしても憎まれ口ばかり叩く。 　思っていることと逆のことを言う。 　素直になりたくても、二十五年のこびりついた性根をまっさらにすることなんて、誰でも困難の極みだろう。 　だけどそのぶん、ちゃんとそばにはいますから。 　なにがなんでもそばにいることが、最大限の愛情表現なんですよ。……とかね。 『あー死にてー』 「ウォンッ！」 　胸中でそっと呟き、俺はプンスカと怒るモフモフな先輩を機嫌よく抱きしめながらくつくつと笑って夢を堪能した。 　あんたに好きだと言える夢なら、風邪を引くのも、たまには悪くないな。