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地下室(絽枇×絽玖・R18.)

絽枇(リョヒ)・・絽玖の双子の兄。銀色の髪が特徴。自ら視力を捨ててしまった為、目が見えない。     得意武器は双剣。一見穏やかそうに見えるけれど気性は荒く、やや悪食。 絽玖(リョク)・・茊芪汕を治める鷹族の長。黒く長い髪が特徴。絽枇の双子の弟。剥製マニア。      得意武器は火炎圏。老若男女問わず出会うもの全てを骨抜きにしていく傍迷惑な     フェロモン放出兵器。こう見えて好戦家。 舞台・・・残月記よりも、数百年経過後の龍国。 不意に何かに掴まれたような、そんな感情に捕らわれることがある。 ずぶずぶと嵌って抜け出す事の無い永久凍土。固く閉ざされた氷の中を迷って、迷って。 そのまま息が出来なくて、やっと息が出来るようになったと安堵した先にそびえ立つ壁をこじ開けた瞬間に訪れる鮮血。 その赤い血の光景に、いつも私は捕らわれたままだ。 赤の惨状が、色が招き入れたその惨劇が、果たして美しいものであったのか、それとも見るに堪えないものであったのかは定かではない。 ただ一つだけ分かる事があるとしたら・・・それは・・・。 「・・・・・・・・」 ほんのりと照明が灯る石の壁、熱を感じさせない部屋に不似合いな湯気がモクモクと天井へ向かっては消えていく。 大鍋が沸々と揺らぐその隣で慣れた様子で小刀を並べる手が動いている。 熱を持たない室内に立ち上る真白い蒸気が熱湯である事を彼に告げ、それに応じるように麻布に詰めた薬草と洗ったばかりの小刀を次々と鍋の中に放り込んでいる。 足元には汲まれたばかりの新鮮な水が入った木桶が三個、無造作に置かれており、洗い場らしき台の上で絽玖が手を動かす度に木桶の中でちゃぷんと揺れる鮮やかで透き通った赤が桶から溢れ、同時に血液特有の残り香が鼻孔を擽った。 作業は少し前に終了したらしく、生物の気配は微塵も感じられない。それどころか、不気味なほどの静寂に伸びる影が、より一層の薄気味悪さを表現しているようにも見えた。 不意にギシイイッと重く軋んだ音が階段の奥から聞こえる。その音に一瞬、絽玖の手が止まったが、気配を読み取るとまた作業に戻り始めた。 「・・・・・・」 「おや?新作かい?」 こつんこつんと階段を降りるその靴音に動じる様子を見せないまま、絽玖は黙って桶を眺めている。 そうしてひとつひとつ煮沸消毒が終わった用具を丁寧に取り出すと布を引いた卓に並べ始めた。 列を乱すことなく並べられていく手刀が絽玖の神経質さを表しているようで、その情景を想いながら絽枇の頬が自然と緩んでいく。 「相変わらず精が出るね。絽玖」 穏やかな声が階下へと響き、その声に絽玖はゆっくりと俯いていた顔を上げた。 「・・・兄上」 肩まで伸びた銀色の髪がさらりと揺れる。 彼の名は絽枇。絽玖の双子の兄だ。 彼は自ら視力を捨ててしまった為、一日の殆どを目を閉じた状態で過ごしている。 けれどその動きは悠然としていて隙が無い。 料理から戦闘までそつなくこなす彼を眺めていると本当に目が見えないのだろうかと、どうしても疑いの眼差しを向けずにはいられないのだが、彼が時折見せる薄く開かれた色の無い瞳の奥が全てを拒んでいるようで、それ以上の事を追求しようとする者は誰一人として存在しなかったのもまた事実ではあった。 勿論、視力を自ら手放すことについては反対しかされなかった。 それどころか、絽玖をはじめとする者達は皆、彼に考え直してくれと何度も告げた。 告げられた上での今である。 ただ、視界を手放して初めて世界はこんなにも面白いものであると分かっただけでも意味はあったと、そう絽枇が笑って話すため、話題に出すことをしなくなっただけなのだ。 口で言っても分かってもらえないと頭のどこかでは分かっている。 今までも絽玖は絽枇に向かって同じことを何度も告げて来た。 彼の纏う裾の長い衣は白く少し歩いただけで何処へ行っていたのかすぐに分かってしまう。 戦闘時の黒い衣ならいざ知らず、普段着であるなら尚更、着る回数も増えるだろう。 その白が赤く汚れることを誰よりも嫌うのは配下の李棵(リカ)だ。 だからこそ『ここへ来ては折角のお召し物が汚れてしまいますよ』といつも絽玖は告げるのだが、そんな言葉なぞどこ吹く風の兄上は、こうしてふらりとこの地下室にやって来ては、弟との歓談を楽しんでいる。 「新作?」 「・・・いえ、失敗しました」 「そうなの?」 「ええ。駄目ですね。ああも暴れられては斬ってくれと言っているようなものです。到底使えない」 「ふうん。そうなんだ?」 そう話しながらコツコツと絽枇が作品へと近付いて行く。 先ほどまで手を加えていたであろうその作品は一糸まとわぬ姿でそこに座り込んでおり、薄く口を開いたまま微動だにしていない。 最低限の処理は施したのだろう。作品の背後には荼毘に付す為の布が用意されている。 洗い流したとはいえ、未だ抵抗した傷が色濃く残る肌を前にして、絽枇は閉じていた瞳をうっすらと開きながら、色彩の映さない瞳でつま先までじっと眺めると 「じゃあこれはもう蹴ってもいいね」 と、うっすらと笑みを浮かべたままごろんと裸体を足で突いた。 力無くぐにゃりと横に倒れていく肩を気にする風も無く、絽玖は着々と汚れた部屋を片付けて行く。 たわしで磨く音だけがやけに大きく響き、その音が消音へと向かう度に部屋中を覆っていた水の腐敗したような臭いが段々と澄んだものへとかき消されて行く。 その様を眺めながら、絽枇は何も話すことなく倒れた作品の隣で腕を組んで、それを見守っていた。 「こうして見るとさ。思うよねえ」 「・・?何がです」 「まだ柔らかいのかなってさ?」 絽枇の弾むような声に絽玖の形の良い眉が段々と吊り上がっていく。 こういう時の表情をする彼は決まって不快感と嫌悪で揺れており、それを口に出すことなくグッと黙っている。 絽枇はその表情がけして嫌いではなかった。 「冗談だよ」 「兄上が言うと冗談には聞こえませんよ」 「そうかな?」 「ええ。そうです。されるなら止めはしませんが」 「ふうん。私の方から見たらお前も相当悪食だがね」 「・・・・」 絽枇のその声に形の良い絽玖の眉がピクリと動いたその瞬間、強い風が吹いた。 「・・ぐっ・・・」 一体どこに隠していたのか。 ずるずると床へとずれ落ちる影を気にする様子も無く、絽枇は袖に隠すように何やら長い柄のついた物を手に悠然と立っている。巻き付けていた布を取ると、美しく磨かれた刃が印象的な槍が姿を現した。 その槍の穂先からは柄に向かって、とろりと赤い血が流れ落ちている。 ビュウッと部屋を旋風が舞い、右上の隅に隠れるように蠢いた影に向かって絽枇が瞬時に駆け出したかと思いきや、ふわりと高く飛び上がり、槍を相手に向かって突き刺したのだ。 「おや?そうでしょうか」 「お前のそういう所は嫌いではないよ。だが、これはもう要らんな」 座り込む者の心の臓を突き刺すように絽枇が素早い動きで足を動かしている。 そう話す絽枇の表情はどこか艶を帯びていて、実の弟でさえもぞくりと背筋が凍るほどに美しいものだった。 「本当。あなたには敵いませんよ」 「おや?わざと見せつけたのだろう?絽玖よ」 槍を突き刺していた手を離しながら絽枇が微笑む。その声に背を向けながら絽玖が作業に戻り始めた。 しんと静まり返る地下室の中は冷たく、どの熱も感じられない。 カチャカチャと擦れる金属音だけが微かに響いた。 「ねえ。」 「・・・?なんでしょう?兄上」 今、忙しいのですが・・そうまで話しかけた言葉を絽枇が遮る。 軽く上げられた指に絽玖の漆黒に染まる瞳がジッとその指を目で追った。 かなり前から繋がれていたのだろう。その先には木製の拘束具に繋がれたままの青年の姿が見える。服は袖と腹部が袈裟懸けに大きく裂かれていて、鞭で打たれたであろう傷が手当てされる事無く放置されていた。 気を失っているのか。微動だにしないまま、だらんと力なく垂れさがる腕を見て絽枇が 「これはどうするの?」 と絽玖に視線を向けている。 「どうしようか考えあぐねていた所です。捕らえたまでは良かったのですが・・」 「ふうん」 「ねえ。目を覚まさないのなら、この子、私におくれよ。絽玖」 「何故です?兄上に渡すと碌な事が無いので、出来るのならお断りしたいところなのですが・・」 「まぁ。良いじゃない」 湯に浸けていた手をゆっくりと離し、近くに置いてあった布で手を拭きながら絽玖が黙って絽枇を見ている。 相変わらず自分以上に悪食なこの兄は見た目こそ穏やかな好青年だがその中身は誰よりも黒く、青い火で満たされている。その兄に渡せばどうなるか。 拘束された名も知らぬ間者の行く末を想うと些か気が重い。 兄の気まぐれは今に始まった話ではなく、いつも気まぐれで何かを拾っては「やっぱり駄目だったよ」と言いながら底冷えのする笑みを浮かべるだけだ。 何の関係も無いと言えば無いのだが、やはり情報だけは貰いたい。 そう思わずにはいられない絽玖とは裏腹に、何も話さなければ斬り捨てて構わないと考えている兄。 どれだけ近付こうともその考えを重ねることは難しく、また重ねても上手くは行かないだろうと分かっている為、今までも口を挟むことはしなかったのだが・・。 「もう少しだけ、お時間を頂けますか?兄上」 「何故?妬けるなあ・・お前の口からそんな言葉を聞くなんて」 そう話しながら絽枇が絽玖にゆっくりと近付いて行く。 彼が歩む度にカツンカツンと靴音が響き、無機質な石の壁を伝っていった。 「・・・・・・・」 漆黒の瞳が銀髪へと伸びる。 絽玖の前へと立つ絽枇の髪がサラリと揺れた。 「・・・・・・・・・っ」 一度重ねられた絽玖の唇は乾燥してザラザラと荒れており、その感触を確かめるように絽枇が幾度も角度を変えながら唇を舌でなぞっていく。 「・・ん・・」 黒く艶のある絽玖の後ろ髪を優しく撫でるように摩りながら、絽枇が唇で閉じられたままの絽玖の唇を優しくこじ開けると、その動きに任せるように絽玖の舌が重なり、微かに金木犀の甘い香りが広がっていった。 「ん・・ふうっ・・」 ぬるんと柔らかな舌の感触が心地よくて、絽枇の唇の動きに身を任せるうちに少しずつ絽玖の頬が桃色に染まっていく。腰をグッと強く抱き寄せながら絽枇がちゅうっと絽玖の下唇を強く吸えば、びくりと絽玖の肩が強張った。 反射的に閉じようとした絽玖の足を自身の腿でグッと防ぎながら、ワザと音を立てるように、ちゃぷちゃぷと水音を大きく響かせると、びくびくと絽玖の背が揺れ、ふるりと小刻みに震える彼の指が縋るように絽枇の袖を強く掴む。その仕草が何処か愛おしく、「ふふっ」と笑う絽枇の口角が僅かに上がった。 絽玖の上気した頬を気にする風も無く、絽枇が唇を離すと荒く息を吐く絽玖と視線が重なった。 「・・・・・・・・っ・・」 交差した視線の先に生まれる沈黙。 無音の感情が段々と色づいて、艶のあるものへと変化しようとしている。 色彩を映さない瞳がうっすらと開かれていく。その表情は実の弟の絽玖でさえもぞくりとする程に艶を帯びていた。 「・・・あっ・・」 兄の腕から逃れようと身を捩る絽玖の左手首が絽枇の手によって捕らえられていく。 壁に縫い付けられた絽枇の力は強く、がっしりと掴まれているせいで身動き一つ取る事は難しい。 「・・・っ!」 「駄目だよ。絽玖」 「・・うっ・・」 「何処へ行こうというの?この兄を置いて・・・うん?」 金木犀の甘酸っぱい香りが絽枇の肉体から匂ってくる。金木犀の甘い芳香を纏わせながら、絽枇が優しく絽玖の頬を撫でると、彼の唇から微かに甘く拒む言葉が零れた。 閉じかけた瞼を開かせるように絽枇の指が絽玖の首筋へと進むと、びくりと背を強張らせる絽玖と視線が重なった。 「・・っ・・に・・」 「・・うん?」 伸びた絽枇の指が肌を滑る度に、絽玖の長く伸びたまつ毛がふるりと震える。 「お前は・・・本当に美しいねえ。絽玖」 「・・・・に・・うぇ・・」 「うん?」 「・・・それ・・以上・・触れれば・・れて・・ます」 「うん?汚れなんて気にしないよ。私は」 耳元でフウッと息を吐きながら絽枇がクスリと笑うと、「んっ」と目を閉じて絽玖が息を飲む。その反応が面白くて、耳たぶをはむっと口に含みながら甘く噛むと「ぁっ・・」と絽玖の口から堪えるような声が漏れた。 「ここは・・や・・です・・あに・・ぇ」 「そう?」 首筋を震わせる絽玖の声を耳元で聞きながら、絽枇が絽玖の耳元に向かって囁くその低い声にびくびくと絽玖の背が跳ね上がり、その様子にクスリと絽枇の口角が上がる。 「こんな場所でするなんて背徳感があっていいと思うのだけど・・お前が言うのなら・・そうだね。場所を変えようか」 ね?と離しながら絽玖の髪を優しく撫でると、荒く吐く息をそのままに桃色に頬を染めて俯く絽玖の睫毛が見えた。 「という事だから。お前は何も聞かなかったし、見なかった。いいね」 「・・ぐっ・・」 「おや?目が覚めたのかい?無粋な奴だね」 「兄上・・・」 「いい子にしておいで。絽玖」 長い袖で絽玖の顔を覆うように隠すと、軽く笑みを浮かべていた絽枇の瞳がゆっくりと開かれていく。 振り返り光を灯す事の無い仄暗い瞳が拘束された男の待つ壁へと向けられ、その視線に答えるように男が顔をゆっくりと持ち上げた。 殴られて腫れたままの傷はそのままで何処か痛々しい。 その男が何も話さぬままギロリと睨むように絽枇と絽玖の二名を見ている。 「このまま眠っていれば、ずっと幸せな夢が見られたのにね」 「・・・な・・に・・?・・」 とすん。 「え・・・」 一瞬、何が起こったのか分からないといった様子で、男が自身の胸に視線を向けると、その視線の先には心の臓を抉るように突き刺さった絽枇の短剣の柄が見えた。 「・・なっ・・ぐっ・・・・」 「無粋なものは好かないよ。たとえそれが、身動きの取れぬ者であってもね」 そう話す絽枇の表情は笑っていない。続いて短剣を再度投げると男の眉間を貫くように突き刺さった。 「・・・ぐ・・っ」 男の様子に動じる様子を見せないまま、くるりと踵を返すと 「待たせて悪かったね。さぁ、行こうか」 と袖越しに絽玖の髪を撫でながらゆっくりと階段を登っていく。 「・・ま・・っ・・まて・・っ」 一瞬、絽枇が見せた瞳の奥の冷たさを思い出すと、冷や汗が幾度も男の額から顎へと伝い、全身を鳥肌が覆っていく。 喉の奥からせり上がってくる痛みをどうする事も出来ないまま、もがくその姿は男の背中に忍び寄る孤独という名の闇から逃れようとしているかのように見えた。 「あにうえ・・」 「うん?まずは湯を用意しようか・・すっかりと汚れてしまったからね。話はあとにしよう」 「・・・ん」 こくりと頷く弟の仕草に軽く笑みをこぼしながら、絽枇の瞳に温かな感情が戻って来る。 それは何処から見ても愛おしい者を前にして話す男の表情だった。 「・・・・・・・・・・っ」 絞り出すような悲痛な声を背に、ギィィと固く閉じられる扉の奥に見えた表情がどのようなものであったのか。 知る由はない。

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